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第4章 別離(前編)

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三年生になった。

彬従は誰にも相談することなく華音との別離を選んだ。未練はあるが、己の意思を貫く覚悟を決めた。



「いい加減決めてくれない?お前が進路調査票出せばクラス全員終わるんだからさあ。」

職員室に彬従を呼び出し、緑川は詰め寄った。

「行きたい学校が多すぎて、どこにしようか迷ってるんだ。」

「なんで急に県外の高校に行く気になったの。」

「別にいいじゃん、理由なんか。」

彬従と緑川は睨み合った。

「いつまで生徒のわがままに振り回されているんですか、緑川先生は。」

横から口うるさい学年主任の榎倉が口を挟んだ。

「吉良も幼稚な真似は辞めろ。いくら成績が良くても決まりを守れない奴はまともな人間になれないぞ!」

言い返そうとした彬従を瞬時に制して、緑川が盾になった。

「吉良には彼なりに考えがあるんです。たまに駄々はこねますけど。」

「先生のクラスは揉め事ばかりですね。しっかり指導してくださいよ。」

榎倉は見下したように言い放ち、そばを離れた。緑川は彬従を職員室の外に連れ出した。

「ミドりんごめん、俺のせいだ。」

「榎倉先生に何言われたって気にしないさ。いいよ、とことん悩めよ。俺ならいくらでも付き合ってやる。」

体育館の入口で腰を下ろすと、緑川はタバコに火を付けた。彬従は緑川の横に腰を下ろした。

「とりあえず県外の高校に行く。でも、あんまり遠くに行きたくない。逢いたいって言われたら、すぐに帰ってこれるように……」

「無理に家を出なくてもいいんじゃない?」

「ここにいたら、俺のやろうとしていることはきっと出来ない。」

真っ直ぐ前を見つめる彬従は、いつもの彼とは違っていた。

「アキは勉強も運動も抜群に出来るし、その上超がつくイケメンだし、羨ましい限りだよ。なのにそこまでして何がしたいの?」

「運命を変えたい、なんちゃって。」

彬従はわざとヘラヘラと笑った。

「お前の学力ならどんな名門進学校でも余裕だよ。自分が間違ってないと思うなら、堂々と挑んでみなよ。」

子供のように素直に彬従はうなずいた。

「ミドりんが今年も担任で良かった。」

「だからミドりん言うな!」

彬従は気にせず「アハハ」と笑った。

「少しはバスケ部の練習に顔出してよ。ミドりんって高校時代、全国大会で優勝してMVP穫るほどすげぇ選手だったんだろ?」

「やだよ、お前ら絶対バカにするから。」

「いいじゃん付き合ってよ。てかなんで先生になったの?」

「ずっとプロのバスケ選手になるのが夢だった。だけど大学1年の時に大怪我して、選手としての人生が終わってしまった。それで別の大学に入り直して教師を目指したのさ。」

緑川はフフッと笑った。

「だから、お前の運命変えたいって気持ち、分からなくは無いよ。」

「ミドりん、意外と根性あるね。」

「でもちょっと後悔してる。ちっとも言うこと聞かないガキの相手ばっかりしてるとよぉ。」

「とりあえず、夏の大会目指して俺達のこと鍛えてよ!」

「いいけど俺バスケに関してはスパルタだぜ?泣きを見るぜ?」

「いいんじゃない、それで!」

彬従と緑川は笑い合って体育館に向かった。



長いブザーが鳴った。

県大会の決勝戦、彬従達のチームはわずかに及ばず敗退した。

「ケイタ、マコト、整列するぞ。」

彬従は泣き伏す仲間に声を掛けた。相手チームの勝利を讃えて握手を交わし、選手達はベンチに戻った。

監督の緑川が誰よりも号泣していた。

「なんだよミドりん、メグより泣いてるじゃん!」

祐都が涙ぐみながらからかった。

「決勝戦まで来れたのは奇跡だと思ってたけど、お前らの頑張り観てたら勝たせてやりたかった!」

「ここまで来れたのはミドりんのおかげだから。来年は絶対全国に行こうよ。」

「来年じゃ、先輩達いないじゃないですか!」

二年生の慎も直人も泣き出した。

「俺達の分もミドりんに鍛えてもらいなよ!」

「俺が絶対全国に行かせてやるからな!」

「頼もしいね、ミドりんのくせに!」

緑川はワァワァと泣き続けた。皆が緑川を囲んで慰め、その輪に笑顔があふれた。



試合を終えた彬従をいつもより大勢の女の子達が取り囲み、皆が口々に彬従を慰め励ました。

華音は離れた場所から見守った。彬従の目に涙は無く、笑顔で応対していた。

ふと顔を上げ華音を見つけた途端、周りを振り切るように走り出し、華音にガッと飛びついた。

「アキ……お疲れ様。」

「うん。」

「凄くカッコ良かったよ。」

「うん。」

「泣いてもいいよ。」

「……うん。」

華音の肩に顔を押しつけ彬従はいつまでも動こうとはしなかった。華音は頬ずりし、優しく背中を撫でた。

「いいなー華音……」

女の子達は遠巻きに羨ましがった。



「終わったなぁ、これで引退か。」

いつものように打ち上げを終えた帰り道、彬従が呟いた。

「まだ全然実感無いよ。」

祐都がうなずいた。

「ミドりんは名監督だったな。もっと早くバスケ教えてもらいたかった。」

「応援に来てる子達もミドりんファンが増えたよ。授業中とギャップが有りすぎだよね!」

「確かに!あれくらい真面目に授業も教えたらいいのに!」

「私もベンチにいてミドりんに惚れそうだったよ!」

「ええっミドりんがライバルかよ!」

慌てる祐都の腕を取り、恵夢がウフフと笑ってしなだれかかった。

「あーもっとバスケしてぇ!」

「俺もバスケしてぇ!」

彬従が吠えるように叫んだ。祐都も真似をした。夕闇の迫る街を四人でじゃれ合いながらいつまでも去りがたく歩き続けた。



祐都と恵夢と別れ、彬従と二人になった。

「アキ、最後まで泣かなかったね。」

「ミドりんのせいで泣きそびれたよ。」

彬従は少し不満そうだった。

「去年キャプテンだったシンゴ先輩も最後の試合の後で泣かなかったんだ。なんでだろうって不思議だったけど、同じ立場になって初めて先輩の気持ちが分かった気がする。」

「シンゴさん、今でも女子に人気あるよね。」

「見た目だけじゃなくてプレイも人としても凄くカッコ良かったんだ。先輩とまたバスケしたいよ。」

彬従が熱のこもった声で語った。華音は足を止めた。

「だからシンゴさんと同じ学校に行くの?」

「茉莉花さまに聞いた?」

彬従は振り返った。華音はうなずいた。

「あの学校はバスケも強いけど、進学校としても全国屈指で有名なんだ。何よりミドりんの母校だからね。いっぱい勉強して高塔家の役に立つ人間になるよ。」

彬従はふわりと笑った。華音は彼の広い背中に頭をコツンと押しつけ、後ろから抱きしめた。

「私やヒロトと一緒にいてくれないの?」

「部活も終わったし、受験勉強が大変になる前に遊びに行こう。華音が行きたがってた映画でもいいよ。」

彬従は平静を装った。華音の手は小さく震えていた。

―――ごめん。高塔家のためなんて嘘だ。俺はお前を手に入れるために家を出るんだ。

静かに泣く華音を背にしたまま、彬従は重ねた手をぎゅっと握りしめた。



「部活が無いってつまらない。」

恵夢がだらりと身体を投げ出した。

「メグ、そろそろ気合い入れなよ。受験勉強がんばらないと、ヒロトと同じ高校に行けないぞ!」

華音は容赦なく煽り立てた。

「ヒロトや華音と同じレベルの高校に行くなんて絶対無理っ!」

恵夢はぶぅと唇を突き出した。

「ヒロトに勉強みてもらえば?」

「あいつ最近冷たいもん!アキとばっかりベタベタしてるのよ。」

「アキと別々の高校に行くから、今のうち一緒にいたいのね。」

「何それ?聞いてないよ!」

「えっ?とっくにアキが話してると思った。」

「どういうこと!」

恵夢は立ち上がり、華音の手を掴むと隣の教室まで引きずっていった。

「アキ!県外の高校に行くってホントなの?」

突然の襲撃に彬従は慌てた。

「ごめん、メグに話してなくて。」

「なんで教えてくれないの!」

「だって絶対反対するだろ?」

「当たり前よ!ヒロトも華音も反対しなかったの?」

祐都はちらりと華音を見た。

「アキが決めたことなら、俺は応援するよ。」

華音も小さくうなずいた。

「高校に行っても4人でいたかったのに!」

「俺だって、正直嫌だよ。」

祐都がため息混じりに言った。

「つーか、俺達に何の相談も無しでさ。俺なんかミドりんに聞いて初めて知ったんだ。」

穏やかだった祐都が急に顔を赤くした。

「本当に、友達か?あーっ!なんかめちゃくちゃ腹立ってきたっ!」

「落ち着け、ヒロト!」

「落ち着いていられるか!アキはいっつも俺を蔑ろにするんだよ!」

「県外って言っても列車で2時間あれば帰ってこれるし、長い休みは戻ってくるから!」

「今までもこれからも、毎日当たり前にいたかったんだぞ!」

「アキ、地元の高校に行かないの?寂しいじゃん!」

祐都がぎゃあぎゃあと文句を言い、それを彬従がなだめ、周りの友達がはやし立て、教室は大騒ぎになった。

華音は騒ぎの輪をそっと抜け出した。

「ごめん、ヒロトが暴走しちゃって。」

恵夢が後を追い掛けてきた。

「メグやヒロトが羨ましい。自分の気持ちを真っ直ぐ伝えられて。」

ふっと華音の顔が暗くなった。

「ねえ、卒業する前にアキに好きだってちゃんと言いなよ!」

「メグ、私ね、子供が産めない身体なんだ。」

目の前の恵夢がハッと息を飲んだ。

「吉良一族は代々素晴らしい能力を持っている。その血筋を絶やさないため、一族に相応しい女の子と結婚する事になる。でもそれは私じゃない。だから、私はアキを好きになることは出来ない。」

「何にも知らなくてごめん……」

恵夢は泣き出した。

「私はメグが羨ましい。大好きなヒロトと愛し合えるんだから。」

「華音……!」

自分より背の高い恵夢の細い身体を華音は包み込むように抱いた。

心に澱が溜まっていく。やがてその澱が身体の奥底を蝕んでいく。

―――負けてはいけない。私は高塔家の後継者なんだから。

華音はぎゅっと目を閉じた。



夏休みが明け、文化祭の準備に学校中が追われていた。華音はクラスの実行委員として毎日のように放課後遅くまで残って作業をしていた。

文化祭の前日、彬従と祐都が何気なく華音のクラスの前を通りがかると、教室にいる生徒達が皆暗く落ち込んでいた。

「どうしたの?」

彬従は中に入って華音に声を掛けた。泣き出しそうな目で華音が見上げた。

「榎倉先生が急に出し物を変えろって言ってきたの……」

「なんで?ずっと前から作業してただろ?」

「ウチら1ヶ月も前に企画書を出して待ってたのに、榎倉の奴忙しいからって目も通してくれなくて、間に合わないから先に準備したら今になってダメだって言うの!」

理沙が涙声で訴えた。

「今から変更なんて絶対無理だ!」

同じ委員の山中も怒りに任せてドンと机を叩いた。

彬従はそっと華音の頭を撫でた。

「このまま何も出来ずに終わる訳にいかないよ。」

「でもどうすれば良いの?」

「今までの企画書と、榎倉が変更しろって言った内容を教えて。」

彬従は華音の前に座り、山中の持ってきたプリントに目を通した。

「喫茶店をやる予定で家庭科室を借りるつもりだったのに許可してくれないの。」

「場所は教室に変更か……材料はあるんだね?当日調理が出来ない物は今夜のうちに作って明日持ち寄ろう。」

「女子で手分けして作ってくる!」

満里奈が意気込んだ。

「そうするとメニューも作り直さないと。」

「でももう用紙が無いんだ。」

「安藤がいたな。あいつ文化祭実行委員長だから、残っている備品で使える物があるか交渉しよう。」

「必要な物を書き出して。俺が聞いてくる。」

祐都が紙を取り出し、打ち合わせを始めた。

「内装も使える物はそのままで、変える所は最小限に抑えよう。」

「分かった。榎倉はここが気に入らないって言うから……」

彬従を中心にクラスの生徒達が活気付いていくのを華音は肌で感じた。

「榎倉にケチつけられたんだって?」

祐都と一緒に安藤や他のクラスの文化祭実行委員達がやってきた。

「あいつ何もしねーくせに、一々文句言ってきてムカつくぜ!」

「俺らも手伝うからな!」

「備品は他の学年にも聞いて集めたよ。パソコン室も借りたからすぐに直してプリント出来る。」

「サンキュー!さすが安藤!」

彬従はニコリとした。

下校時間のギリギリまで掛かって、全ての変更作業は完了した。

「なんだ、俺の言う通りにしたのか?」

榎倉がやってきて教室をぐるりと見渡した。

「全部先生の言う通りにしましたよ。」

山中が怒りを隠してそう言った。

「お前らの企画よりずっといいじゃないか。明日の本番もちゃんとやれよ!」

ふんと鼻で嗤い教室を出ようとして、彬従達に気がついた。

「吉良、よそのクラスで何してるんだ?とっとと下校しろ!」

「俺は高塔と一緒に帰るんです。」

「中学生のクセに女とチャラチャラしてるんじゃないぞ!」

生徒達の冷たい視線に気づきもせず、榎倉は教室を出て行った。

「全部アキが変更したのに、気づきもしないわ!」

「あんな奴が担任って最低!」

途端に教室中に怒号が渦巻いた。

華音はそっと彬従の手を握った。

「アキ、ありがとう……」

そう呟くと涙ぐんだ。

「俺は華音を助けたかっただけ。」

「アキ……アキ!」

「いつだって華音を守ってやるから。」

胸に閉じ込めるように抱きしめ、彬従は涙を受け止めた。

「あんなに華音が好きなのに、アキの気持ちはなんで報われないの……」

切ない瞳で恵夢は彬従と華音を見守った。



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