潮風のキャラメル

小雨鶲

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潮風のキャラメル

奮起、告白…

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「いやー、惑華まどかが来てくれて助かったわぁ」
トイレットペーパー買うつもりじゃ無かったのに、安くてつい…母は、ニヒヒと白い歯を見せて笑いながらそう言った。
母は、私と父と一緒に海辺の日差しがやや強い地域で暮らしているのに、肌の色が白い。
私と父が日焼けしたらどんどん蓄積されていき、なかなか白くならないのに対して、日焼けしてもすぐに色が落ちるタイプらしい。
女としては羨ましい限りである。
その上、普段二人で出掛けている時、大抵姉妹だと間違われる程に、見た目の若々しい母は、それを助長するかのように、まるで幼い子供を思わせる、とても無邪気な笑い方をする。

母とあの場所で鉢合わせた後、持ちにくいであろうトイレットペーパーを引き取り、母と並び、徒歩で十分も掛からない距離にある自宅へと向かった。
気温が高い為か、トイレットペーパーを包むビニールと接している部分が、自分の汗で滑るので何度も抱え直した。
手から下げれば良いのだが、抱き抱えていると、この後話すことに対する不安を少し緩和出来ている気がするのだ。

自宅まで半分くらいの距離を残して、父と会遇した。
普段父は、早く帰ることが出来たとしても午後七時を過ぎるが、今日はそれよりも一時間ほど早い。
今朝、私は彼の事しか考えておらず、両親の会話を聞いていなかったので、凄く驚いたが、どうやら昨日の内に溜まっていた仕事全てを清算出来た為、今日は少し早く帰れるだろう…との事だったらしい。
早く帰れてご機嫌な父は、嬉しそうにニコニコしたまま母の持っている袋を全てうけとり、中身を確認すると、瞬時に真顔になり、私の顔を見た。
その微笑ましい光景を見ても、私の決心が揺らぐことはない。
いや…それは嘘である。
実は先程から揺らぎっぱなしで、出来れば明日にしたいと常々思っているが、彼に背中を押してもらった今日、言ってしまいたいのだ。
もし先延ばしにでもしたら、彼に対して後ろめたさが残るのが分かっているし、時間が経てば経つほど、言い出しにくくなるので、先延ばしにはしない。
明日はちゃんと学校へ行き、堂々と過ごし、この蟠りをできる限り取り除いて軽くなり、晴れやかな気持ちで胸を張り、彼に会いに行きたいのだ。
大事な話があるからと、変に構えられると逆に言い出しづらくなると思ったから、そうなる事を防ぐ為にも、とりあえず私は、いつも通りの振る舞いを心がけている。
父と母が揃っている時は大丈夫だ、バレないだろう。
何故なら結婚して十数年経った今でも、下の名前を呼び合い、行ってきますのキスを欠かさないほどに仲睦まじく、まるで付き合いたてのカップルかのようなので、私がいつも通りを装っていれば、バレない筈だ。
私がそんな事を考えている内に、二人は【筒浦つつうら】と、平成行書体と呼ばれる、筆で書いたかの様な文字で書かれた表札の付いた白い洋風な家の前で、足を止める。
とうとう自宅に着いてしまった。
「惑華?どうしたの?」と父から不意に声を掛けられ肩が跳ねる。
「ううん、何でもないよ」
私は必死に平静を装い、いつの間にか鍵を開けられ、父の手により開かれたままの玄関の扉を潜る。
考え事をしている時、一切の情報を遮断してしまうのは、私の短所だと自覚している。
「今日すっごく暑いし、バテちゃったとか?」
母は私をからかう様にそう言った。
すごく暑いと言っている割に、今日の夕飯に鍋をチョイスしたのか…そう返そうとしたら、母のその発言を真に受けた父が、
「えぇ?!惑華具合悪い?大丈夫?」
と、凄く心配してきた為、その言葉は母に届くこと無く消えた。
「大丈夫、ちょっと考え事してただけだから」
私の顔を心配そうに覗き込む父を見ず、そう言って、抱えているトイレットペーパーをリビングへと運んだ。

取り敢えず二階にある自室へ行き、制服から着替えて勉強机に向った。
どのように両親に話をするかを、再度考えはじめる。
やはり時系列に沿って話をする方が、伝わりやすいだろうし、話しやすい。
なので、初めはメドレーリレーの選手に選ばれた事から順を追って話していけばいい。
選ばれて、妬まれて、悩んでいたら海へ落ちた……と、そこに具体的な内容や私がどう思ったか、そしてどうしたいのかを付け足す。
最後は彼の受け売りになるが、「自分で出来ることは、自分で解決したいから、どうしてもダメそうなら力を貸して」そう言うのだ。
大丈夫…大丈夫。
やはり私は、自分の考えや言いたい事を口外するのが苦手なようで、大切な話や思いの丈をぶちまけようとすると、手が震える。
酷い時は肩から震え、手にも力が入らなくなり、膝も笑う。
今もう既に、肩の震えが止まらなくなっていた。
私はそれを少しでも抑えようと、私は机に突っ伏すようにして、左腕がわにある窓から覗く、真夏で日が長い所為で仄かに残った夕焼け空と、じわりじわりと広がって行く夜空の境目を探した。
これはちゃんと私の口から言い出さなければいけない事だから、逃げては駄目なんだ。
「惑華?そろそろご飯出来るってよ…って、なんだ、起きてたんだ」
どうやら父は、扉を叩いたが、返事が無かったので寝ていると思い、起こしに入ってきたらしい。
「何見てたの?」
父は、そう言うと中心部分だけを開けて窓を覆っていた、白いレースのカーテンを、両端に寄せた。
「んー、日が伸びたなって、思って」
見てた…どんどん声が小さくなって、最後はほぼ口の中だけになってしまったが、父は気にした様子もなく「今日は晴れてたから、綺麗に星が出てるね」と、優しく言って私の頭に軽く手を乗せ弾ませた。
その声色と行為のセットは、今の私の涙腺には大打撃で、喉の奥が閉まって、呼吸が震える。
せめて夕飯を済ませてからにしようと思っていたのに、泣いてしまっては、話さなくてはいけなくなってしまう。
どんなに理性を総動員した所で、もう手遅れだった。
星空どころか、窓の輪郭さえ滲んで見えなくなって行く。
カーテンに至っては、最早白い無地の布と化している。
「お母さんになら話せる?」
完全に机に突っ伏して、泣き顔を隠す私の頭を撫でながら、父が問いかけてきた。
私のいつも通りの振る舞いは、無駄な努力だったらしい。
父には気づかれていた、恐らく母も気がついているのだろう。
「二人に話す」
そう返すと父は「わかった」と言いながら、まるで割れ物でも扱うかのように、再び頭を撫でる。

一旦涙が止まったので、父の背後に次いでリビングへと向かう。
部屋から出て気がついたが、真夏だと言うのに、家の中はキムチ鍋のいい匂いが充満している。
リビングの扉を開けた時、テーブルには既に鍋が置かれ、母はリビングに繋がっているキッチンで、ちょうど私のお茶碗にご飯をよそっている所だった。
「野菜もお肉もまだあるから、いくらでもお代わり出来るよ」
母は、そう言いながら得意げに笑い、こちらに目を向け固まった。
将人まさとさん…惑華に何したの…」
母は、信じられない!!とでも言いたそうな目を父に向けた。
「ちっ…違うんだ!!誤解だ華菜かなさん!!」
母のあの反応は、間違いなく演技で、完全なるおふざけだったが、父はまたもや真に受けて、物凄く動揺している。
そんな父を放置し、母は私に向かって、あやす様な声色でおいでと言った。
私は素直にカウンターを迂回して母に歩み寄る。
「ご飯先食べる?先話す?どっちがいい?」
私の両肩に手を置いて、母は私の顔を見上げる。
「先…話す…」
どうにか声を絞り出して答えると、母はわかったと言い、私を抱きしめて背中を撫でた。
母の腕の中は、いつの間にか背を抜いてしまったと言うのにも関わらず、幼い頃された時のようにスッポリと覆い隠され、緊張が和らいだ様な気がした。
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