潮風のキャラメル

小雨鶲

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潮風のキャラメル

決心、経始…

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朝食を平らげ、食器を流しへと運ぶ。
その途中、チラリと視線を壁にかかっている時計に向けた。
もうそろそろ家を出てもいい頃合だ。
「行きたくないなら、無理して行かなくても良いんだよ」
父が、自分と母の分の食器を持って、私の後ろから声をかけた。
「大丈夫。それに、今日行かないで逃げたら、ずるずると先延ばしにして、最終的には何もしないで、きっとそのまま学校辞めることになると思うんだ、だから頑張る」
生姜焼きも待ってるしね、と父に笑いかけたが、父は心配してますと言わんばかりに顔を顰め、無言で私を見つめ返す。
「それにね、昨日友達に背中押してもらったの。だから私、頑張る…頑張れるよ」
父に、或いは自分自身を諭すようにそう言った。
「それでもやっぱ、心配だよ」
父はスポンジに付けた洗剤を泡立てながら、消え入りそうな声でぼやいた。
「将人さん、惑華を信じてあげようよ」
そんな弱気な父を見かねて、母が欠伸をしながら宥めた。
しばらく無言で食器にスポンジを這わせた後、分かった…信じる…と呟く。
母の言葉は父にとって、まさに鶴の一声だと思い知った。

「背中を押してくれた友達に報告してから帰るから、多分普段部活して来た時くらいの時間に帰ると思う」
リュックを背負い、リビングでゆっくり珈琲を啜る二人に、玄関へと向かいながら声を掛ける。
「分かった、それより遅くなるなら連絡入れてよね」
母はようやく目が覚めてきた様で、受け答えがハッキリしていた。
行ってらっしゃいと言った父の顔が、リビングの前を通り過ぎた時に見えたその顔は、心配を隠しきれず、困った様に眉を顰めて、無理矢理笑っていた様に見えた。
あの後少しゆっくりしてしまった為、時間が結構ギリギリだったので、靴を履いてドアノブを捻りながら「行ってきます」と、秒ごとに増していく心拍数を誤魔化すよう、お腹から声を出してドアを潜る。

眩しい程に真っ白な雲と青い空

その雲に一切遮られること無く、容赦なく照りつける太陽

そして、肺に入るのを拒んでいるかの様に、水分量が多くて生温く、ズッシリと重い空気

学校へ向かう気力を削ぎ落とすには十分過ぎるほどの真夏の朝だ。
それでも学校へ向かう足を止めない。
これは意地だった。
行きたくない…正直、先輩達が怖くて仕方が無いし、私から一度距離を取った人達と、前みたいに仲良く出来るなんて思えなかったが、考えてみれば、部活は休みなのだから先輩達との接触は校内ですれ違う程度だし、離れていった人達と仲良くする必要なんて無い。
完全に割り切ることは出来ないが、一人で居るのを、それほど恥ずかしいと思わずいられる程度に、腹を括ることが出来ていた。

太陽と、その光を反射して目を焼く白い雲が辛い。
そして、同じ制服を着た人達がチラホラと視界に映り始めたのがしんどくて、私の顔は段々と重力に対して素直になっていく。
おはようと言う言葉や、昨日のドラマや今日の授業についての話が私を避けて飛び交う。
私はスマートフォンに巻き付けておいたイヤホンを伸ばし、それで耳を塞いだ。
ランダムで音楽を再生する。
周りの子と話を合わせたいが為に入れてあった、数ヶ月前にドラマやCMなどで話題になった曲が流れて来て、虚しさの追い打ちを食らった気分だった。
完全に俯いた状態で歩き続ける事数分、とうとう学校へと着いてしまった。
聞き慣れた声の「おはよう」が、イヤホンから流れる音楽の合間に聞こえた気がして、少し顔を上げて見渡す。
すると、その声の主は怯えたように私を横目で気にしながらも、他の人へと駆け寄っていた。
私はそれを見た直後、歩調を早めた。
そして「おはよう」と、声をかけた後、逃げるように、小走りで下駄箱へと向かった。
堂々とすると決めていたので、それを実行した迄だ。
決して意趣返しなどではない。
…本心は、周りの目に怯えて、友達だと言っていた相手に挨拶すら出来ない己の小ささに気づき、そして恥ればいいとの思いで挨拶をした。
何より、改めてあの態度を取られたら、なんだか腹が立ったのだ。
それに、挨拶は悪いことでは無いので咎められる謂れは無い。
むしろ、しない方が良くないと思うので、そろそろ手足の震えは止まって欲しい。
その所為で、上履きを取り出す時にちゃんと掴むことが出来ずに地面に叩きつけてしまったではないか。
この時はもう既に、怒りは消し飛んでおり、小走りの余韻と久しぶりに私から声をかけた事による緊張で、心拍数が増えているのと手足や肩が震えているのを周りに悟られないようにするので精一杯だった。
イヤホンから流れる音楽は、いつの間にか他の曲へと変わっていて、その曲も終盤を迎えていた。
教室の扉は閉じていて、他所者を拒む、独特な雰囲気を醸し出している。
ここで立ち止まっていても、どんどん嫌なことが先延ばしになるだけで何も変わらず進めない事が分かっているので、私は一思いにその扉を開けた。
朝のホームルームが始まる、遅刻ギリギリと言えるような時間に来てしまったので、教室内には、ほぼ全員が揃っていた。
案の定、殆どの人が私の方を向き、その中の数人は私をチラチラと見ながらコソコソと声を潜めて何かを言い合い始める。
やはり、もっと早く家を出て、まだ登校してる人の少ない時間に来て居れば良かったと、私は後悔しながら教室へと足を踏み入れ、扉を後ろ手に閉める。
長くて息苦しい一日が始まる、そんな予感を助長する様なスタートだ。
なので私は速攻踵を返して家へ、彼の居るあの場所へと向かいたくなったが、その気持ちをグッと抑え込み、自分の席についた。
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