智識神の封印書庫

文月沙華

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少年と猫

5話

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 フェルの後をついて歩き、しばらく経った。

 ここまでの道のりや現在の方角から考えると、僕と出会った時のフェルは目的地に向かっている途中だったのだろう。僕のせいでかなり遠回りすることになったようだけど……これのせいで手遅れになっていないことを祈りつつ、黙ってついて歩いた。

 問題があるとすれば、フェルの通る道があまりにも猫向きすぎることだ。下町ならまだしも、僕には上町の土地勘なんて全くない。衛兵に何を言われるかわかったもんじゃないから塀をよじ登ったりするわけにもいかないし……ついていくのが大変だった。

 見ていて思ったのは、猫にとって道は、人間よりも選択肢が多く、ずっと複雑なものだということだ。そして、フェルはそれら多岐にわたる選択肢をきちんと覚えている。
 後ろを歩いていて感心してしまった。僕だったら道に迷わずにいられるだろうか?

「ここからはお前でも歩きやすい道だ」

 下町に降りてしばらくした頃、フェルが口を開いた。
 どうやら、僕が歩きにくそうにしていたのを見て気を遣ってくれたようだ。

「到着までにお互いの手札を確認しておく。お前はどの程度戦えるんだ?」

 歩きながら首だけで振り返り、そう問いかけてくる。

 そう言われても、戦いの実力がどの程度というのは説明が難しい。僕の場合はわかりやすい実績も持たないし、強いて言うなら、実績がない程度の実力といったところだ。
 けど、そんなことを説明してもあんまり参考にならないので、別のことを説明することにした。

「さっきも言ったけど腕っぷしには自信がないよ。魔術も基本的な〈盾〉の魔術と〈武器強化〉の魔術と、あとは止血程度の治癒魔術が使えるくらいだね」
「術式は持ってるのか?」
「うん。〈盾〉は腕輪に、〈武器強化〉は剣の柄に彫ってある」

 魔術を発動する際に必要になるのは術者の魔力と、それを魔術に変換するための術式——僕の場合は身に着けている腕輪と、持っている剣にその術式を彫りこんである。

 術式を彫るのは大変なので基本的に高価なものだけど、〈盾〉や〈武器強化〉は比較的単純なもので、かつ需要が多いので安価で市場に出回っている。中古品なんかも多い。

 〈盾〉は戦いの中で魔術や弓矢などの飛び道具から身を守るのに必須だし、〈武器強化〉はその盾を破るために必要不可欠なものだ。これらが扱えないと、現代の戦闘はほとんど成り立たないと言ってもいい。

「それなら最低限の戦闘はこなせるわけだな」
「けど、何度も言うけど腕っぷしには自信がないからね。なるべくなら」
「安心しろ。可能な限り戦わずに済むように考えている。こちらの目的はミアを救出するだけで、やつらを叩きのめすことじゃない」

 わかっていたことだけど、改めて口にしてくれてちょっと安心した。
 僕の思っている通り、フェルは考えなしってわけじゃないみたいだ。

「そうなると、僕は何をすればいいの?」
「お前にはミアの捕まっている籠を持って逃げる役割を任せたい。オレが敵の注意を引くから、その隙をついて逃げてくれればそれだけでいい」

 フェルは身軽だし機転も効く。僕と捕まっている猫さえ無事に逃げれば、後は自力でなんとかできるというわけか。
 そこで、ふと疑問が湧く。

「元々はどうするつもりだったの?」

 本来はフェル一匹だけで解決する予定だったのだから、僕がいなくてもなんとかする案はあったはずだ。

「オレが〈爪〉で籠を引き裂き、ミアを逃がしてやるつもりだった」

 なるほど。
 ここで言う〈爪〉というのは、多分猫の爪のことではないんだろう。使い魔なんだし、動物を入れている籠を破壊できる魔術が使えるに違いない。

「だが、それだとミアを怪我させる可能性もあったし、逃がした後でまた捕まらないとも限らないからな。俺が気を引いて敵を引き離し、お前に逃げてもらうほうが確実そうだ」
「僕からも聞くけど、キミはどんな魔術が使えるの?」

 フェルの言う作戦通りに事が進むとは限らないし、これは知っておいたほうがいいだろう。

「オレが単独で扱える魔術は三つだ。一つはお前から逃げる時に使った〈魔法の矢〉、二つ目はいま言った〈爪〉の魔術……これはお前たちの使う〈武器強化〉をオレ用に改良してもらったものだ。で、三つ目は〈盾〉だな」

 〈魔法の矢〉は僕でも知っている本当に基礎的な遠距離攻撃用の魔術だ。魔力を矢のように放ち、命中した相手に強い衝撃を与える。木箱を弾き飛ばすのに使用したのがこれだったのだろう。

 〈爪〉は話を聞く限り、フェルの主人が作った魔術なんだろうか。〈武器強化〉は本来、〈盾〉を近接戦闘で破るために考案された魔術で、ある程度質量を持った物体に付与することで〈盾〉を破ることができる。猫の爪はそんな質量を持たないことを考えると、それがなくても〈盾〉を破れるように改良してあるということだろうか……?

 〈爪〉以外はどれも魔術適正が低くても使える基礎的なものばかりだった。使い魔は人間ほど高い適正を持たないって聞いたことがあるし、そういうものなのだろう。

「前者二つは基本的に使う気はない。武装した人間を倒せるほどの威力は期待できないし、オレ達の目的はあくまでもミアを救出して逃げるだけだ」
「うん、そうだね」

 それを聞いて安心した。僕に敵の足止めを任せるってわけでもないようだし、あくまでも危険な役回りはフェルが引き受けてくれるらしい。

 猫に任せて自分は安全にってのも情けない気がするけど、これは本来フェルがやるべきことで僕はあくまで手伝いだ。妥当な役割分担だと思っておこう。
 逃げるのもフェルのほうが向いてるだろうし。

「実際はそう上手くいくとも限らん。いざとなったら、オレとミアのことは見捨ててくれていい」

 ……なんだか、当たり前のことを言われているはずなのに申し訳ない気持ちが湧いてくる。
 ここまでこうして会話して一緒に歩いたりした猫を、僕は簡単に見捨てられるだろうか?

 わからないし、何か言いたい気持ちにもなったけど何を言うべきかは思いつかなかった。だから、この場ではおとなしく頷いておく。

「わかった。そうならないように頑張るよ」

 いつの間にか、人の少ない区画に足を踏み入れていた。空気が少し湿ってきて、都市を横断している運河が近づいているのだと気付く。
 船は都市内の輸送の要になっており、このあたりには船着き場や積み荷をしまっておくための倉庫が並んでいたはず。用事もなしにうろつくような場所でもないし、僕も足を踏み入れたことはなかった。

「この下だ」

 そう言いながら、フェルが崖下を見下ろす。僕もそれに倣った。

 薄闇の中、運河の水面が鈍く光り、その手前に古びた倉庫が肩を寄せ合うように並んでいた。静かで、人気がない。物を隠すには、たしかに都合がよさそうだった。
 レンガ造りの倉庫は壁が崩れ、黒ずんだ苔がこびりついている。足元の石畳は泥でぬかるみ、どこからか油のような匂いも漂ってきた。崖と建物の影が重なり、昼間だというのに薄暗い。

 ここで、これから悪人と対峙する――そう考えるとより一層不気味に思えて、少し怖かった。フェルに悟られないように顔に出さないことを意識したけれど、上手くできた自信はなかった。
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