人生負け組のスローライフ

雪那 由多

文字の大きさ
211 / 976

バーサス 10

しおりを挟む
 綾人君のスタイルにあっけにとられてみていれば初めて聞くだろう機械のモーター音にびっくりして逃げ出した熊を見送れば建物に影に入り

「飯田さんっっっ!」
 
ターンッッッ……

 合図のような叫び声に答える返事は酷く乾いた音だった。音源を探すように見上げれば母屋の二階の窓からフランス料理のシェフの彼が猟銃を構えていた。
 ぱたりとは倒れはしなかったが、空腹よりも恐怖と痛みを覚えてなお森に逃げようとする熊にシェフの彼は家の中に入ったかと思えばこんな短時間で穿けるわけのないブーツで駆け寄り、チェンソーを動かしたままの綾人君が代わりに家の中に隠れたと思えばシェフの彼が綾人君の前に立って猟銃を構え、森に逃げ込もうとする熊に止めの一発を放っていた。

ターンッッッ……

 山間に響く銃声を最後に熊はその後動かなくなり、綾人君もシェフの彼もしゃがみこみながらゆっくりと猟銃を手放し、チェンソーも電源を落として手放すのだった。
「あー、久しぶりに焦った……」
「はい。さすがに庭で対面するとは思いませんでした」
 二人は手を空に伸ばして生き延びたと拳をぶつけ合っていた。
 全身の力が抜けた様に立てないでいる姿はまるでフルマラソンを走り終えた選手のザマ。
 暫くその姿をカメラに収めるもうんともすんともしなくなった二人に地面にうつぶせになったままの姿勢から身体を起こして気が付いた。よほどの恐怖に身体がこわばったようでぎくしゃくとした動きで足を引きずりながら二人の元へと行けばスマホのバッテリーも切れてしまった。
「多紀さん、この季節に大声何て勘弁してください」
 苦笑する綾人君に
「申し訳ない。
 週末には向こうに帰る事になってね、お別れと、どうしても一度ちゃんと謝っておきたかったんだ」
「ああ、先生から何かメール来てたっけ」
 先生は仕事早いなあと感心しながら
「ほんとに申し訳ない。あの先生に怒られるまで君を追いつめていたとは想像もしてなかった」
 頭を下げて苦笑すれば綾人君は苦笑して
「タイミングが悪かっただけだと思ってください。
 波瑠さんからもチョリチョリさんからも何度も謝罪の電話を貰ってますし……
 普段なら何て事のない言葉だったのだけど、親父の呪いが随分と長引いてたみたいで」
 逆に気を遣わせてしまって申し訳ないと言われてしまった。
 殴りかかられても仕方がないつもりでいたのに、何でここまで理性的になれるのかと思うも
「考えたら多紀さん何て熊に比べたら全く実害がないって気付いたらね。多紀さん雑魚でしたね。
 アイテムも落とさない雑魚とエンカウントするだけ無駄だって思ったら何だか色々とばかばかしく思ったんですよ」
 子供の頃ならともかく今はこの自然が綾人君の教師なのだと思い知らされた。とは言えアイテムすら落とさない雑魚って酷くない綾人君?
「オヤジにだって殺されるわけもないし、ただ不快なだけで。ゴキと同類かと思えば叩いて掃いて捨てればいいだけだし。
 ああ、でもそのうち親父に殺されるかも」
 くつくつと笑う綾人君にぎょっとしていれば
「綾人君東京の一件の後に一度お父さんから連絡があったようで。あんまりに勝手な事を言うのでついにブチギレてお父さんの職場の本社に乗り込んだのですよ。弁護士さんと不正資料を用意して、後接近禁止令も発行してもらったようですが?」
「六ヶ月の期間も我慢できずにそれを理解できなくて突撃してきたのがオヤジです。
 この家中心に半径三キロ近づくなって奴だけど、ここじゃ意味ないよねー。警察も間に合わないだろーし。たまたま見回りで挨拶に来てくれたからいいけど天にも見放された運には笑うしかなかったね!」
「さすがに、ですね」
 一緒に笑う飯田さんを二人含めてぎょっとした目で見てしまう。
「銀行は一発で懲戒免職!二十年以上勤めて退職金なしザマー!」
「銀行じゃなくても社内不倫はご法度ですし、ましては不倫相手の貯金を内部で操作して勝手に全額を借金の返済に使ったのはただの犯罪ですし。
 さらに綾人君はどうやってか不倫相手のご子息とコンタクトを取って育児放棄で母親と内縁の夫となってる綾人君のお父さんを訴えさせ、借金の残りはマンションを売り払わせて完済させましたけど、不倫相手をそそのかせて不正利用したお金の返済を申し立てさせました。今はご実家に戻ってご家族と息子さんと一緒に頑張って働いているそうですが、家族関係は随分とぎくしゃくしてるようですよ。
 ああ、お父さんの方は銀行内部の操作はみんな監視カメラにばっちり写っていたそうなので今は檻の中にいるそうです」
「夫婦そろって檻暮らし何て気が合うじゃないか」
 はっ!と鼻で笑いとばす。
「所で聞くけど、どうやってその証拠を集めたんだい?」
 シェフ君は顔を背けるも綾人君はニヤリと笑い
「そんなの良心と法とお金の力だろ?
 頑張って六法全書読んだ価値あったー!
 夏からのめんどくさい事が一気に片付いてバンザイだね!」
 それだけじゃない臭いは嗅ぎ取れたが、深くは追及してはいけないのだろう。
 この子なら負ける戦いはしないだろうし、言ってる内容も正当な割には何一つ真っ当に聞こえない。そもそも今まで動かなかったのに何で今頃になってと言うのも気になるが、やはりそこも深く追求しない方が良いのだろうと心の中だけに納めた。


しおりを挟む
感想 93

あなたにおすすめの小説

異世界に転移したら、孤児院でごはん係になりました

雪月夜狐
ファンタジー
ある日突然、異世界に転移してしまったユウ。 気がつけば、そこは辺境にある小さな孤児院だった。 剣も魔法も使えないユウにできるのは、 子供たちのごはんを作り、洗濯をして、寝かしつけをすることだけ。 ……のはずが、なぜか料理や家事といった 日常のことだけが、やたらとうまくいく。 無口な男の子、甘えん坊の女の子、元気いっぱいな年長組。 個性豊かな子供たちに囲まれて、 ユウは孤児院の「ごはん係」として、毎日を過ごしていく。 やがて、かつてこの孤児院で育った冒険者や商人たちも顔を出し、 孤児院は少しずつ、人が集まる場所になっていく。 戦わない、争わない。 ただ、ごはんを作って、今日をちゃんと暮らすだけ。 ほんわか天然な世話係と子供たちの日常を描く、 やさしい異世界孤児院ファンタジー。

転生貴族の領地経営〜現代日本の知識で異世界を豊かにする

ファンタジー
ローラシア王国の北のエルラント辺境伯家には天才的な少年、リーゼンしかしその少年は現代日本から転生してきた転生者だった。 リーゼンが洗礼をしたさい、圧倒的な量の加護やスキルが与えられた。その力を見込んだ父の辺境伯は12歳のリーゼンを辺境伯家の領地の北を治める代官とした。 これはそんなリーゼンが異世界の領地を経営し、豊かにしていく物語である。

家ごと異世界転移〜異世界来ちゃったけど快適に暮らします〜

奥野細道
ファンタジー
都内の2LDKマンションで暮らす30代独身の会社員、田中健太はある夜突然家ごと広大な森と異世界の空が広がるファンタジー世界へと転移してしまう。 パニックに陥りながらも、彼は自身の平凡なマンションが異世界においてとんでもないチート能力を発揮することを発見する。冷蔵庫は地球上のあらゆる食材を無限に生成し、最高の鮮度を保つ「無限の食料庫」となり、リビングのテレビは異世界の情報をリアルタイムで受信・翻訳する「異世界情報端末」として機能。さらに、お風呂の湯はどんな傷も癒す「万能治癒の湯」となり、ベランダは瞬時に植物を成長させる「魔力活性化菜園」に。 健太はこれらの能力を駆使して、食料や情報を確保し、異世界の人たちを助けながら安全な拠点を築いていく。

スーパーの店長・結城偉介 〜異世界でスーパーの売れ残りを在庫処分〜

かの
ファンタジー
 世界一周旅行を夢見てコツコツ貯金してきたスーパーの店長、結城偉介32歳。  スーパーのバックヤードで、うたた寝をしていた偉介は、何故か異世界に転移してしまう。  偉介が転移したのは、スーパーでバイトするハル君こと、青柳ハル26歳が書いたファンタジー小説の世界の中。  スーパーの過剰商品(売れ残り)を捌きながら、微妙にズレた世界線で、偉介の異世界一周旅行が始まる!  冒険者じゃない! 勇者じゃない! 俺は商人だーーー! だからハル君、お願い! 俺を戦わせないでください!

『異世界庭付き一戸建て』を相続した仲良し兄妹は今までの不幸にサヨナラしてスローライフを満喫できる、はず?

釈 余白(しやく)
ファンタジー
 毒親の父が不慮の事故で死亡したことで最後の肉親を失い、残された高校生の小村雷人(こむら らいと)と小学生の真琴(まこと)の兄妹が聞かされたのは、父が家を担保に金を借りていたという絶望の事実だった。慣れ親しんだ自宅から早々の退去が必要となった二人は家の中で金目の物を探す。  その結果見つかったのは、僅かな現金に空の預金通帳といくつかの宝飾品、そして家の権利書と見知らぬ文字で書かれた書類くらいだった。謎の書類には祖父のサインが記されていたが内容は読めず、頼みの綱は挟まれていた弁護士の名刺だけだ。  最後の希望とも言える名刺の電話番号へ連絡した二人は、やってきた弁護士から契約書の内容を聞かされ唖然とする。それは祖父が遺産として残した『異世界トラス』にある土地と建物を孫へ渡すというものだった。もちろん現地へ行かなければ遺産は受け取れないが。兄妹には他に頼れるものがなく、思い切って異世界へと赴き新生活をスタートさせるのだった。 連載時、HOT 1位ありがとうございました! その他、多数投稿しています。 こちらもよろしくお願いします! https://www.alphapolis.co.jp/author/detail/398438394

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

この聖水、泥の味がする ~まずいと追放された俺の作るポーションが、実は神々も欲しがる奇跡の霊薬だった件~

夏見ナイ
ファンタジー
「泥水神官」と蔑まれる下級神官ルーク。彼が作る聖水はなぜか茶色く濁り、ひどい泥の味がした。そのせいで無能扱いされ、ある日、無実の罪で神殿から追放されてしまう。 全てを失い流れ着いた辺境の村で、彼は自らの聖水が持つ真の力に気づく。それは浄化ではなく、あらゆる傷や病、呪いすら癒す奇跡の【創生】の力だった! ルークは小さなポーション屋を開き、まずいけどすごい聖水で村人たちを救っていく。その噂は広まり、呪われた女騎士やエルフの薬師など、訳ありな仲間たちが次々と集結。辺境の村はいつしか「癒しの郷」へと発展していく。 一方、ルークを追放した王都では聖女が謎の病に倒れ……。 落ちこぼれ神官の、痛快な逆転スローライフ、ここに開幕!

処理中です...