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さあ、始めようじゃないか 1
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決して狭くない室内を見回す。
持ってきた荷物はどこにもなく、そして増えた荷物もどこにもない。
空っぽの室内。
初めてこの部屋に入った時は崩れた壁と日焼けした襖はぼろぼろで。痛みきった畳は長年の空き家だったせいもあって湿気から痛みは激しく、それを総て直した記憶はまだ一年前の出来事。
希望を胸に抱いて訪れた後はひたすらきらきらした日々だった。
学ぶ楽しさ、出会う人とのつながり、何より師匠の教えはスポンジが水を吸収する様にすんなりと耳に入って体の隅々にいきわたるのだった。
学ぶ事が楽しい、毎日がキラキラとする日々にするには十分の出来事の連続に、この出来事にはただただ涙するしかなかった。
「宮下君ごめんね、主人こんな事になったからもう仕事が出来なくなったから……」
「いえ、これは仕方がないから。どうしようもない事でして、それよりも桔梗さんも……」
「ありがとうね。だけどもう廃業する事を決めたから」
病室の一角。
白いカーテンで仕切られた狭いベットの上で眠りつく師匠の西野藤次郎の心電図は静かに一定の音を奏でていた。
朝起きたら足がしびれている、だけど気のせいだといつものように俺の運転する車で仕事の現場に向かう。
その日はとあるお寺の高い天井の欄間の具合を見る為に欄間を専属とする職人さんと大きな脚立に登り様子を見たその直後、西野さんはそのまま落下した。
大きな音をたてて落ちて意識を失い、お寺のお坊さんも欄間職人とそのお弟子さんと俺も含めてパニックになり、できた事はただ救急車を呼ぶ事だけだった。
病院に運ばれて精密検査をすれば脳の血管に血栓が出来て……
「利き手じゃないとは言えこれじゃあもう仕事は出来ないから」
一度目を覚まして動かない半身と呂律の回らない舌。
言われるまでもなく覚悟していた言葉を聞いて俺はただ涙を流しながら一年とちょっと過ごした部屋を磨き上げるように掃除をするのだった。一年前から見比べると花が咲き乱れ、野菜がたわわに実る畑には最後のお勤めと言う様に肥料を鋤こみ、雑草を抜くいつもの農作業をするように懸命に鍬を大地に叩き込む。
父親の悲劇に俺に文句の一つでもと足を運んできた娘さんだったが、こんな俺の姿を見て何も言わず去って行き、その晩茶色の厚みのある封筒を桔梗さんから俺は葛藤の後黙って頭を下げて両手で受け取るのだった。
あまりにもあっけなく、そして無力のまま希望を持ってここに来た時とは違い、桔梗さんと知り合った職人さん達に見送られて俺はこの地から撤退をする事になった。
久々と言うか、九月に一度帰っているので僅かひと月程度で再開した父さんと母さんは無言のまま俺を抱きしめてお帰りと言ってくれた。
理不尽と言うのもはばかれる虚しい帰郷に父さんと母さんも励ますように背中に回した手を何度も優しく叩いて励ましてくれる。
だけどいつまでもそのままではいられず疲れたからという理由に部屋に引き込むのだった。
気が付けば部屋の中でごろごろして二晩過ぎていたけど、朝目を覚ませばずっしりと体は重く今日も部屋で過ごそうと一度開いた瞼を閉じようとすれば
「よう、帰って来たのにあいさつがないとは寂しいな?」
「え?綾人?え???」
「友達なのに声をかけてくれないなんてショックだよ」
容赦なく背中に座る綾人に思わず二度見している合間に、きぃ、と音をきしませる扉の影には兄貴がいて、目があった瞬間そっと扉を閉めやがった。
「……」
総てを察した。
落ちこんだ俺を励ます為に綾人を呼んでくれたのだろう。
好意的に考えて。
もしくはずっと部屋に引きこもっている俺を引きずり出す役目をお願いしたのだろう。
好意に悪意を織り交ぜて。
そんな事を考えている間に布団をぺろりとめくられた挙句にベットから蹴落とされる。
床の上でベットの上で足を組んで俺を見下ろす綾人とばっちりと視線が合えば
「まぁ、話は聞いた。
西野さんの奥さんにも電話で少し話をさせてもらったし、お見舞いも送らせてもらった。
だけど、何でそんな泣きそうな顔をしてるくせに俺達を頼らないんだよ!」
当然のように頼ってもらえると思った綾人の傷ついた顔。いや、それが分ってたから、どさくさに紛れて何かで叩かれそうな気がしたからいいだせなかったのにとも言わせてもらえない雰囲気の中綾人はじっと俺を見て
「戻ってきてどうするつもりなんだ?
ずっと部屋に居て何をするつもりだったんだ」
容赦ない言葉に心の中の俺は少しは傷ついた心に寄り添えよと思うも役所で働いて辞めた時容赦なくバイトの面接に行かせた強者だった事を思い出していれば
「取り合えず履歴書を書け」
案の定、あの日の繰り返しと言う様に完全に体が動かなくなる前に強制的に働かされる事が決定していた。
まあ、二度目だからまたこの流れかと読めていたけど、書き終わった履歴書を奪い取って
「よお圭斗。今宮下の家にいるんだけど、無時宮下捕獲して履歴書貰ったから。
はあ?何で宮下がいるって?
まあ、そこは俺もさっき大和さんに話を聞いたばかりだから今から行くから待ってろ。
とりあえずあの計画は宮下ゲットだからはじめるぞ。
ああ、腹をくくれ」
言ってスマホの電源を落してポケットに入れて。
「とりあえずそのままでいいから圭斗の家に行くぞ」
「え?ちょ、まっ……」
「大和さーん、宮下と圭斗の家行ってきます!」
「ええと、まぁ、あれだ。お手柔らかに?」
何やら悪魔との契約があったように兄貴は俺の頭に手を置いて
「諦めろ」
視線を逸らせたまま無情に言い放ってくれた。
持ってきた荷物はどこにもなく、そして増えた荷物もどこにもない。
空っぽの室内。
初めてこの部屋に入った時は崩れた壁と日焼けした襖はぼろぼろで。痛みきった畳は長年の空き家だったせいもあって湿気から痛みは激しく、それを総て直した記憶はまだ一年前の出来事。
希望を胸に抱いて訪れた後はひたすらきらきらした日々だった。
学ぶ楽しさ、出会う人とのつながり、何より師匠の教えはスポンジが水を吸収する様にすんなりと耳に入って体の隅々にいきわたるのだった。
学ぶ事が楽しい、毎日がキラキラとする日々にするには十分の出来事の連続に、この出来事にはただただ涙するしかなかった。
「宮下君ごめんね、主人こんな事になったからもう仕事が出来なくなったから……」
「いえ、これは仕方がないから。どうしようもない事でして、それよりも桔梗さんも……」
「ありがとうね。だけどもう廃業する事を決めたから」
病室の一角。
白いカーテンで仕切られた狭いベットの上で眠りつく師匠の西野藤次郎の心電図は静かに一定の音を奏でていた。
朝起きたら足がしびれている、だけど気のせいだといつものように俺の運転する車で仕事の現場に向かう。
その日はとあるお寺の高い天井の欄間の具合を見る為に欄間を専属とする職人さんと大きな脚立に登り様子を見たその直後、西野さんはそのまま落下した。
大きな音をたてて落ちて意識を失い、お寺のお坊さんも欄間職人とそのお弟子さんと俺も含めてパニックになり、できた事はただ救急車を呼ぶ事だけだった。
病院に運ばれて精密検査をすれば脳の血管に血栓が出来て……
「利き手じゃないとは言えこれじゃあもう仕事は出来ないから」
一度目を覚まして動かない半身と呂律の回らない舌。
言われるまでもなく覚悟していた言葉を聞いて俺はただ涙を流しながら一年とちょっと過ごした部屋を磨き上げるように掃除をするのだった。一年前から見比べると花が咲き乱れ、野菜がたわわに実る畑には最後のお勤めと言う様に肥料を鋤こみ、雑草を抜くいつもの農作業をするように懸命に鍬を大地に叩き込む。
父親の悲劇に俺に文句の一つでもと足を運んできた娘さんだったが、こんな俺の姿を見て何も言わず去って行き、その晩茶色の厚みのある封筒を桔梗さんから俺は葛藤の後黙って頭を下げて両手で受け取るのだった。
あまりにもあっけなく、そして無力のまま希望を持ってここに来た時とは違い、桔梗さんと知り合った職人さん達に見送られて俺はこの地から撤退をする事になった。
久々と言うか、九月に一度帰っているので僅かひと月程度で再開した父さんと母さんは無言のまま俺を抱きしめてお帰りと言ってくれた。
理不尽と言うのもはばかれる虚しい帰郷に父さんと母さんも励ますように背中に回した手を何度も優しく叩いて励ましてくれる。
だけどいつまでもそのままではいられず疲れたからという理由に部屋に引き込むのだった。
気が付けば部屋の中でごろごろして二晩過ぎていたけど、朝目を覚ませばずっしりと体は重く今日も部屋で過ごそうと一度開いた瞼を閉じようとすれば
「よう、帰って来たのにあいさつがないとは寂しいな?」
「え?綾人?え???」
「友達なのに声をかけてくれないなんてショックだよ」
容赦なく背中に座る綾人に思わず二度見している合間に、きぃ、と音をきしませる扉の影には兄貴がいて、目があった瞬間そっと扉を閉めやがった。
「……」
総てを察した。
落ちこんだ俺を励ます為に綾人を呼んでくれたのだろう。
好意的に考えて。
もしくはずっと部屋に引きこもっている俺を引きずり出す役目をお願いしたのだろう。
好意に悪意を織り交ぜて。
そんな事を考えている間に布団をぺろりとめくられた挙句にベットから蹴落とされる。
床の上でベットの上で足を組んで俺を見下ろす綾人とばっちりと視線が合えば
「まぁ、話は聞いた。
西野さんの奥さんにも電話で少し話をさせてもらったし、お見舞いも送らせてもらった。
だけど、何でそんな泣きそうな顔をしてるくせに俺達を頼らないんだよ!」
当然のように頼ってもらえると思った綾人の傷ついた顔。いや、それが分ってたから、どさくさに紛れて何かで叩かれそうな気がしたからいいだせなかったのにとも言わせてもらえない雰囲気の中綾人はじっと俺を見て
「戻ってきてどうするつもりなんだ?
ずっと部屋に居て何をするつもりだったんだ」
容赦ない言葉に心の中の俺は少しは傷ついた心に寄り添えよと思うも役所で働いて辞めた時容赦なくバイトの面接に行かせた強者だった事を思い出していれば
「取り合えず履歴書を書け」
案の定、あの日の繰り返しと言う様に完全に体が動かなくなる前に強制的に働かされる事が決定していた。
まあ、二度目だからまたこの流れかと読めていたけど、書き終わった履歴書を奪い取って
「よお圭斗。今宮下の家にいるんだけど、無時宮下捕獲して履歴書貰ったから。
はあ?何で宮下がいるって?
まあ、そこは俺もさっき大和さんに話を聞いたばかりだから今から行くから待ってろ。
とりあえずあの計画は宮下ゲットだからはじめるぞ。
ああ、腹をくくれ」
言ってスマホの電源を落してポケットに入れて。
「とりあえずそのままでいいから圭斗の家に行くぞ」
「え?ちょ、まっ……」
「大和さーん、宮下と圭斗の家行ってきます!」
「ええと、まぁ、あれだ。お手柔らかに?」
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