人生負け組のスローライフ

雪那 由多

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踏み出す為の 11

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「やあエドガー。悪いな来てもらって」
「なに、近くにいたからすぐに来れただけだよ。
 皆様お久しぶりです」
 礼儀正しく一礼してみせるも実は何かあった時の為に裏の隠れ家でオラスとリヴェット達と待機してもらってただけだ。じっくりともったいぶる様に城の裏から車で出てぐるりと正面から回ってやって来たのだろう。
 いかにも食事が終わる頃来て貰うようなタイミングでの到着はそう言ったふうに聞こえるだろうが、そんなうまくタイミングが合うはずはないのでエドガーにはジョルジュたちが来る前から既に待機してもらうのだった。勿論しっかりとその間の時間も料金が発生するが、この効果的なタイミングを狙う為だと思えば安い物だろう。
 俺が席を進めれば飯田さんがすぐに飲み物を用意してくれる。
 満足げにコーヒーの香りを楽しみながら一口飲んで
「それで、今回はどのようなお買い物をなされたのです?」
 前回城を買ったりバイオリンを買ったりと中々の散財を披露したので今回もどんなお買い物をしたんだいと茶化す言葉は良く判ってらっしゃると褒め称える所だろうか。
 少しだけ肩をすくめて
「ジョルジュからバイオリンを二挺お買い上げしただけだよ。金額は前回のストラドと同額。保険の手続きと振込先は口座を一つ作ってそちらに」
 多分前半はどうでもよいのだろうが、後半の口座を一つ作ると言う所に眉間を狭めた。
「こう言っては何ですが、大変失礼ですがエヴラール氏に新たに口座を作る必要性が見受けられないのですが……」
 寧ろ整理するべきだと言う言葉に
「奥様はどうやら共有財産の紐が緩いようで」
 ふむと難しい顔をしてエドガーはゆっくりと奥様へと視線を向ける。
 共有財産と言う所が曖昧なのだろうが
「もしお子様にお使いしたとしたら金額によっては贈与税が発生しますが大丈夫でしょうか?」
 たぶん大丈夫ではありません。
 俺もしれっとコーヒーを飲んでいる間の奥様の冷汗は見ないふりをしておく。
「もし気になられたら後ほどエヴラール氏の弁護士に相談してください。すぐ対処してくれましょう。
 さて、では早速ですが前回同様依頼書を作成させていただきます」
 カタカタとノートパソコンを取り出してキーボードを打つ音、そしてプリントアウトされる書類。
 正式な書類は後ほど送られてくる、これも前回と同じ。
「あとはバイオリンの受け渡しと振込ですね」
 パンと手を叩いてエドガーは俺とジョルジュを見れば
「マイヤー、悪いが持って来てもらえるだろうか」
 その声と共に奥様は涙を流し、マイヤーは家に行ってくると車のキーを持って出かけるのだった。ストラディバリウスを売り払った為に他のも売り払われる前に、だったら、なんて事件が起こらないように出来た対策は誰よりも信頼する人物に預けると言う何とも悲しい選択だったようだ。
 時間にして十数分。
 その間エドガーによってスマホで口座を開設していつでも入金できるように準備をしておく。その間に戻ってきたマイヤーの手には二挺のバイオリンとそれに関係する書類も用意してあった。元から売りつけるつもりだったと今更ながら理解する。たとえ予想はついていてもだ。
 俺はエドガーとジョルジュの二人に見える様にスマホからジョルジュの口座に振り込んで、ジョルジュの方で確認した所で受け渡しは完了とする。
 ジョルジュに見える様にバイオリンのケースを開けて最後にと言う様に見せれば、ジョルジュは手にとり指先だけでバイオリンの弦をはじきだした。
 その曲を聞いてマイヤーも嬉しそうな顔でもう一挺のバイオリンを手に取りジョルジュに向かって破顔しながら同じようにバイオリンの弦をはじいて行く。
 ジョルジュも顔に深い皺を寄せて微笑み、そしてマイヤーも指揮者としてウインクしたり何か言いたげな表情をして、それに合わせてジョルジュが笑顔で受け応える。
「指でバイオリンを弾く曲もあるのですね」
 ポツリとつぶやく飯田さんに
「ヨハン・シュトラウス二世のピチカートポルカだ。
 美しく青きドナウなら一度は耳にした事ある有名な曲と同じ作曲家だよ。
 ピチカートって言う指で弾く技法だから弓も要らない三分ぐらいのちょっと他には見かけない楽しい曲だよね」
 あまり気取って無くって好きなんだと言う綾人の知識は放置された家庭環境の中で覚えた割には幅が広くて無駄に知識だけはある。
 たとえどれひとつ演奏できなくてもだ。
 お互い視線を合わせての音の語り合いはこの曲のように二人ともどこか少年のような心で楽しんでいるようにも見えるのは何十年と言う親友との最後の演奏になるから、とは思いたくない。
 だけどどんな曲にも終わりがあって、最後には駆け足のような音からの弾ける様は無邪気な子供のようで。
 二人は余韻に浸る間もなくバイオリンを置いて泣きながら抱き合っていた。
 まるでこの演奏が最後とでも言わんばかりな、でもお互いそこには触れずに静かに黙って涙を流す様子はこの素晴らしい演奏に対して贈る拍手をさせてもらえずただ見守るだけ。
 やがて落ち着いた二人が丁寧にバイオリンを片付けて俺へと差し出した。
「本当はただでくれてやってもいいと思ってた。
 だけどオリヴィエの周りはまだ油断できないからアヤト、お前が正当な理由を付けて持っていた方が安心だ」
 どこか鼻にかかった声の本音は確かにと言う様に頷く。
「しばらくは預かっておきます。
 然る後にオリヴィエに渡そうと思います」
「ああ、綾人がそれが良いと思うのならタイミングは任せる」
 そっとケースに手を置いて目を瞑る。
 何十年と言うバイオリン奏者としての思い出がよみがえっているのだろう。
 片手でごしごしと顔を拭いながら
「さあ、マイヤー。 お前が自慢したオリヴィエの練習場を見せてくれ!
 あの動画の景色を楽しみに来たんだ!」
 そんな弾ける声にマイヤーはついて来いと言う様にウインクする二人に
「ああ、練習場に行くのに手ぶらで行くなんて!」
 俺はバイオリンを二人に押し付ける。
「今日は誰も練習する事のない練習場なので。おやつの時間になったら呼びに行きますのでゆっくりしてください!」
 そう言って二人の顔を見ないように背中を押して送り出す。
 その背中が見えなくなった所で奥様は涙を流し、オリオールの手に引かれて台所の方へと案内された。
 俺と飯田さんとエドガーだけが残されたこの部屋で俺はこの行為が本当に良かったのかと疲れたように深く椅子に座っていた。



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