人生負け組のスローライフ

雪那 由多

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勝ち負けの線引きはどこにある?! 5

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 美味しいごはん、美味しいお酒。
 ステンレスのキッチンで食べているって言うのが残念な一点だが、もともと出来立てを食べる為に調理場で食べようと言った流れの為に景色は割愛。
 二階の食堂で食べればよかったのだろうが、そうなるとここまで広いキッチンではない為にいくつもの料理を同時進行で作るだけの広さがない。
 ましてや鱧を〆て頭をくぎで打ってから捌く鰻同様の処理に二階のキッチンのまな板は小さく薄すぎた。
 多紀さんと飯田さんは一瞬だけ視線を合わせるも
「では、私の方からお話をさせていただきます」
「私?!」
 いつも「俺」と言うのに
「どうしたんですか?何か悪いもの食べましたか?」
「いえ、自分の管理は自分でしっかりしているので問題ありません。
 むしろ地下の貯蔵庫を見て我慢すると言うのが一番体に良くないかと思ってまして……」
「うん。正常だな」
 多紀さんはうすらと赤くなった顔で大笑いをする横で俺は飯田さんから何をと不安を表すように眉間を顰める。
 だけど飯田さんは通常運転と言うように夏なのに鍋を出してくれた。
 水炊きだろうかかしわとつみれ、品よく淡い青の器に盛られた野菜たち。
 最後に透き通った淡く輝くおつゆも忘れずにたっぷりと飲ませてくれるらしい。
 ちなみにこれは俺のスタイルなので多紀さんには標準的な量しか入れなかったら
「綾人君だけずーるーいー!」
 多紀さんのウザさが久しぶりに発揮された。
 久しぶりか?
 さっきぶりだった気もしたが、アツアツの料理の前にどうでもいい問題を無視して水炊きからかしわを一切れ食べる。
 鍋なのにぷりっぷりのかしわってさいこーって言うように箸を握りしめてほぐれる繊維を楽しむかのように堪能する。

「実は京都に帰る事になりました」

 そんな俺の様子を見ながらの爆弾発言。
「庵さん家出でもしたの?!」
 思わず反射的に聞けばそこは苦笑する飯田さん。
「いえ、この秋にあの年でやっと修行に出る事になりました」
「ずいぶんこじれましたね……」
「いえ、庵なりに悩んで綾人さんの家に行ってからもう一度一から親父に学びなおしてやっと修行に行ける程度になりました」
 厳しい……
 飯田さんでもお父さんの前では緊張するそぶりを何度も見てきたけど、すでにお父さんの調理場でいっぱしの料理人として働いているのに十年とは言わないが改めて学びなおすなんて……
「因みにどのような所に奉公に?」
「奉公って……」
 言って静かに笑った後
「親父の修行先です。コネと人脈をフルに使ってこちらのキッチンをお借りして何度も向こうの方と顔を合わせながら勉強させていただいて何とか潜り込む事が出来ました」
 ここでとか……
 そういや高遠さんや飯田さんが春先からよく遊んでいたな。
 青山さんも来ていたが、そういう事かと腑に落ちた。
 その場を見て見たかったと思うも庵さんはきっと逃げ出したくなっただろう。
 いや、逃げる事を辞めたから一から学びなおして家を継ぐために修業に出るのかと最後まで逃げずに結果を勝ち取った庵さんを応援したくなると言うのは頑張った人に対する正当な感情だ。
「そういう事だったらひとこと言ってくれればいいのに」
「いえ、自分の事だから甘えられないって、頑固な所がありまして」
 頑固じゃなくってすねてるんじゃないだろうかと天才たちに囲まれて育つ凡才の苦労は俺が宮下達に嫉妬するものとは違い血縁と言うしがらみからそんな比じゃないだろう。
 いおりんほんと頑張ったと心の中で涙をこぼし褒め称えながら
「秋からだと九月からって事になるのかな?」
「はい。何日か前ぐらいから顔合わせとか施設の案内をしてもらうそうです」
「じゃあ、こちらで一人暮らしを?」
「それに関して綾人さんに謝りたい事が一点ありまして」 
 何をと思えば
「綾人さんに買っていただいたと言うのも間違いではないマンションに庵が俺の代わりに住む事になりました」
「青山さんも近くにいて心配ないね」
「ではなく……」
「わかってます」
 このタイミングで多紀さんがお猪口にお酒を注いでくれた。
 アツアツの水炊きで体もどこか熱くなりだしたところで良く冷えたお酒で頭もきゅっと冷まし
「あのマンションはもともと飯田さんの資本金で購入した物です。名義も飯田さんの物です。むしろそこに俺が自分の家のように転がり込む方がおかしい話ですよ」
 そう言って笑うもすぐ横で多紀さんがふむふむと俺達を観察しながらお酒を飲む視線が怖くて泣きそうだ。
 正直いくらお酒を飲んでも酔えないくらいの圧を真横で感じて俺の方が逃げ出したい気分だ。
「ですが……」
 と言いかけた所で口をキュッと結びなおし
「ありがとうございます」
 いろいろと言いたい事を飲み込んでの感謝の言葉は後悔しか感じる事の出来ない声色だった。
「となると飯田さんは青山さんの所を辞めるのでしょうか?」
「そうなりますね。
 青山の所はまだ高遠も健在だし、もともと高遠の休みの時は俺が仕切らせてもらってました。いざとなれば青山も調理場で口どころか手もはさんでくるので心配はないのですが、実家の方がちょっとタイトな感じになってしまいまして」
「お父さんもいろいろと年齢的に厳しいでしょうし」
「そこは経験がカバーしているので放っておけばいいのですよ」
 あら、なかなかに辛辣なお言葉。
「雇っている方が一人この年内いっぱいで卒業してお店を開くそうなので即戦力としてフレンチのシェフに求めてきました」
 お怒りの原因はすべてここに集結するのだろう。
 お父さんの人脈とコネを使えばどこからでも雇えるはずなのにまさか内輪で回すなんてと言う所だろうか。
「だけど大丈夫なの?
 フレンチから和食なんて勝手も違うだろうし」
「ええ、そこは誰かさんのおかげでしっかり感も取り戻しているし、自宅の調理場も何度かお借りしているので動線も連携も問題なく使えます」
 あらやだ。
 とばっちりがこっちまで回ってきましたよ。
 そりゃ確かにメシ問題で有名なイギリスでの留学後はやたらと和食の良さに目覚めて飯田さんにおねだりしたけどさ……
 アイヴィーに京都案内するために何度も飯田さんのご自宅を拠点にさせてもらったけどさ……

「大変申し訳ありません」 
「綾人さんが謝る事は何一つありませんよ」

 そうなのかもしれないが、やっぱり目をつけられた原因は俺にある様なので言葉にはしておきたい案件だ。
「じゃあ、九月には京都に向かわれるのですか?」
「はい。荷物は私物を送るぐらいなので車で運ぶ程度です。
 居抜きでそのまま使う事になっているし、すでに何度か泊りに来てるのでその度に荷物も増えてます」
 元ドルオタだった庵さんにとってこの立地は魅力的だろ。
 だけどだ。
「期間はいかほどになります?」
 俺的には何と無く一番重要な事をきいてしまう。
「そうですね。五年ほどと親父は言ってました」
「五年は長いですね」
「ええ、その後庵は京都の店を継いで、俺はまたこちらに戻るつもりです」
 この緊急事態に納得は出来ないけど仕方がない、それで自分を丸め込めれるくらいは葛藤したのだろう飯田さんの意見に俺は何とも言えない立場。
「東京を離れるとなると寂しいですね」
「はい。みんな気心の知れた間柄ですので」
 なんて少しだけしんみりとするも
「あ、ですが綾人さんの所にはいつものようにお邪魔します。
 これだけは親父と取り決めた約束なのでここは変わりませんよ」
「でしたら季節になったら香箱ガニをぜひ食べさせてください」
「それぐらいならお安い御用ですよ」
 にこにこと笑うあたり今までの関係はこれからも維持できる、娯楽の少ない山奥の楽しみが確保できたのなら
「しばらく東京でお会いできないのが寂しくなりますね」
「ええ、その折には関空経由をご利用なさっても問題ないのでお待ちしてます」
 何もルートは東京だけじゃないだろうと言われてしまった。
 そうだけどさと思うも手っ取り早くは間の中部からの発着が一番楽なんだけどと言う言葉だけは言わないし言えない。
 遠回しに会いに来いという言葉に
「行きと帰りで違う空港を利用するとか面白いですね」
「はい。どのみち沢村さんに会いに東京にはいかなくてはならないので無理をなさらないでください」
 会いに来いと言った口でそう言うかと俺も多紀さんもくつくつと笑いながら本日の問題児と向き合い

「では、お待たせしました。
 多紀さんのお話も伺いましょう」

 このお食事会の本命。
 きっとこの豪華なお料理代は多紀さんが持ってるのだろ。
 まあ、どういった話かは分かっているけど、そこは知らないふりをして聞くのが大人の対応ってものだ。



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