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連れてこられた場所は、クラリス軍本部の地下基地だった。
ミハイルによると、ディスタンシア軍の斥候すら嗅ぎ付けていないトップシークレットの場所だという。
「つまり、僕はもうここから生きては出られない、そういうことか」
ミズキが訊ねると、ミハイルは「ええ」とさらりと言いのけた。
あまりにもさわやかな物言いに、「あ、そうなんですね」とこれまた気楽に返事を返しそうになる。
地下に基地を作ったのは、ディスタンシアの空襲を避けるためと、捕虜の尋問を行う場所として最適だということらしかった。とはいえ、今までに空襲を受けたことはないとミハイルは話していた。『あの国の国力では、無理でしょうね』とせせら笑って。
ミズキの両手はひと括りにされ手錠で拘束されていた。両足首にも枷が付けられ、左右は短い鎖で繋がれている。
手械足枷付きの丸腰では、軍人だらけの警備を突破するのは難しい。しかも武器をはじめ、自分の持ち物は全て没収されているから、必要なものは自分で調達しなければならない。かくれんぼは得意だが、自分には不利だ。それを考えると脱走は現実的ではなさそうに思えた。
この地下基地は、街の郊外にあった。
緑で覆われた森林公園のような敷地の中に入り口があり、そこに至るまでは地下道を少し歩く。
逃げるために走るのもままならない。しかし大罪人という割には、拘束が比較的ゆるいような気がするが、ここに来るまでには至る所に監視カメラがあるのを見ているし、ライトマシンガンを持った兵士がひとつのゲートを数十人で守っている。
うまく建物の外に出れたとしても、何もない場所に思えるところには地雷、もしくはセンサーが張り巡らされ、ネコの子すら引っかかれば警報が鳴り響き、付近に設置されている小銃の一斉掃射で身体中穴だらけにされる――とミハイルが説明していた。
まさかとは思ったが、建物の入り口に広がる緑豊かな庭園に目を凝らせば、そこには草木に水をやるスプリンクラーの代わりに、確かに機関銃やフックにワイヤーを通したスイッチが樹木とともにカモフラージュされている。あわててここを抜けようとすれば、確実に死ぬ。
どうやらここを抜けるのは、ほぼ不可能に近い――ミハイルの話はミズキに恐怖を与えるために盛っているわけでもなさそうだ。
この本部の上には、普通にアパートがあり、そこでは一般市民が普通の生活を営んでいる。
クラリスの市民は知らないのだという。
自分達の足下で、他国の斥候や捕虜が苛烈な尋問、拷問に遭っているなんて。
どんなに悲鳴を上げても一般市民に聞かれる事はないと豪語するだけあり、ミズキが連れてこられた部屋も壁の内側に分厚い防音材が仕込まれているようだった。正直、人の行き来はかなりあるのに、尋問室に通されてからは耳を澄ましても部屋の外の音は聞こえない。それに戦時中なのに、このクラリス国はいろいろと物資が豊富だ。
こんな国とディスタンシアは戦争をしていても、勝てそうな気などしなくなってくる。
ディスタンシア軍が本気で勝てると思っているのなら、頭がおかしいとしか思えない。敵を知らずに戦いを挑んでいる気さえしてくる。
「さあ、今日からここが新しいあなたの部屋です」
ミハイルは恭しくミズキを部屋へと導く。
足を踏み入れたミズキは、室内を見渡した。
天井からは裸電球がぶら下がり、部屋の中央には木製の椅子がひとつ。年季の入った黒っぽい色のその椅子の座り心地はかなり悪そうだ。
呼吸をすれば、地下室独特の湿ったカビのような臭いに混ざり、どことなく鉄にも似た臭いもする。
幼いころに閉じ込められたあの部屋に良く似ていて薄気味悪い。
椅子の後ろに目をやれば、コンクリートの壁があるのだが、奇妙なことにこの部屋の壁には、弾痕のような小さな穴がいくつも空いていた。
きっとここで何人もの斥候や軍人らが機密を吐かされ、命乞いの後、射殺されたのだろう。
最期に縋った物がその壁しかなかった犠牲者を想像し、ミズキの背筋を冷たいものが流れた。
椅子のそばには手動式の発電機が置かれていた。電流で苦しめながら尋問を行うつもりだとわかってゾッとする。
時代は進んでも、シンプルな装置で最大の恐怖と最強の恐怖を生み出す拷問は昔ながらのものだ。
相手がさじ加減を間違えれば、死ぬ事だってある。
つまり、クラリス軍は尋問の名の下、ミズキを殺す気満々と言うことだ。
「素敵な色のカーペットだ。冷たくて汚い色で、おまけに硬い。まるでコンクリートの床みたいだ」
皮肉をいうと、にべもなくミハイルは言い捨てた。
「コンクリートですからね」
「……」
どうやら彼には冗談など通じないらしい。
こういう輩がミズキは一番苦手だ。
どこで何の言葉が怒りの導火線に火をつけるかわからない。
相手に探りを入れたつもりが、それがそのまま銃殺なんてことにもなりかねない。
どうやって尋問を進める気かはわからないが、ミハイルが噂通りの人物なら、ミズキの命はそう長くはもたないはずだ。
「さあ、そこの椅子にかけてください」
言われた通りにおとなしく椅子にかけると、ミハイルが顎をしゃくる。同時にミハイルに帯同していた兵士が二名駆け寄ってきた。
椅子の足に手錠を通し、ミズキの足枷と繋ぐ。上半身は極細ワイヤーで背もたれに固定され、これではもはや動く事もままならない。
ミズキの身体が椅子に固定されたことを確認すると、ミハイルは「いい格好ですね」と柔らかく笑った。
「あなたからはたくさん話を聞かせてもらわねばなりません。覚悟はよろしいですか?」
「覚悟なんてとっくに出来ている。だけど、ひとつ聞きたいことがある」
「なんでしょうか」
「――グスタフはどうなった」
「グスタフ?」
「クラリスの要求通りに僕を売ったんだ。さぞかし重用され、良い暮らしが保障されているんだろう?」
自分はこんなじめじめした地下室に連れてこられ、今まさに厳しい尋問が開始されようとしている。
天国と地獄とはこういうことかと心の中で運命をあざ笑っていたミズキに、ミハイルは笑みを絶やさないまま答えた。
「死にましたよ」
「――え?」
死んだ?
驚愕に表情を固めたミズキに、ミハイルはにっこり笑った。
「あなたを私達に売ったディスタンシアの薄汚い観測手でしょう? ええ、あなたをこちらに連行した後に殺しました」
業務連絡のようにさらりとミハイルは言ってのける。
信じられない。クラリスにとって、グスタフがもたらした情報は有用のはずなのに。
「……どうしてグスタフを殺したんだ」
ミズキは低く毒づいた。
「グスタフが売った情報が……まさか僕が偽者だとでも思っているのか」
「とんでもない。あなたのような美しい瞳を持つ人物などこの世界に二人といない。あの観測手のもたらした情報は嘘ではない」
「だったらなぜ」
「彼は言いました。ディスタンシアの懐刀であるあなたを売れば、ディスタンシアには大打撃になる。そして自分は国には二度と戻れない。遅かれ早かれディスタンシア軍の知るところとなり、彼は追われる身になる。だからクラリスでの市民権、およびあなたをここまで連れてきた手数料がほしい、と」
「……手数料?」
「狙撃手と観測手は常に軽装での隠密行動を強いられる。敵地に入ったら、自分の痕跡は一切残せない。排泄物に至るまで。――そうでしょう?」
ミズキは息を呑んでじっとミハイルの話を聞いていた。ミズキが無言を貫くことを肯定ととったのか、ミハイルは先を続ける。
「そう考えると、保険も何もなくあなたをあの場所まで連れてくるのは、相当の危険を覚悟してのことだったでしょう。なにせ彼との取引は、私と数人の部下しか知らない。他の者に見つかれば、あなた達はその場で射殺される可能性もあったわけですからね。彼の言う手数料は、危険手当でしょう」
「でもあんたたちはグスタフとの約束を守らなかった」
「ええ」
「それは……なぜだ」
「一度仲間を裏切った人間が、二度と裏切らないなどという保証はありません。だから殺しました。後々の禍根になる前にね。今頃は我が軍の猟犬たちが彼の死体にむしゃぶりついていることでしょう」
「……なんだって」
ミズキの脳裏に無邪気に笑っていたグスタフの表情が浮かぶ。
裏切り者かもしれないが、彼も軍人だ。どうせ殺すにしても彼の尊厳を守ってやればいいのに、その扱いはまるでゴミか何かだ。
全身が怒りで総毛立つ。このミハイルという男は、人間を、命を何だと思っているのだろうか。
「グスタフ……」
「裏切り者の冥福を祈っている場合ではありませんよ、ミスターブランケンハイム」
ミハイルはミズキの顎を掴むと、目線を合わせる。その眼前に長方形の形をした、小さなスイッチをちらつかせる。
「あなたが持っていたこれ。これは何のスイッチです?」
「……」
自爆装置のスイッチだなんて言ったら、途端にミズキは無理やり手術台に乗せられて、胸を抉られてしまうだろう。
クリスタライズはディスタンシア軍人としての、最後の矜持だ。ミハイルなどに知られるわけにはいかない。
「あなたの胸、大きな絆創膏を貼っていますね。薄いシャツの上から丸見えですが、それは何の傷ですか?」
「怪我したんだ」
「怪我。ほーぉ?」
ミハイルはスイッチをポケットにしまうと、酷薄な笑みを浮かべ、ミズキの髪を掴んだ。
「ま、簡単にしゃべられても面白くありません。あなたには相応の罰を受けていただきます。クラリスから奪った分はね。覚悟なさい」
ゾッとするような冷たさを讃えたその瞳に見据えられ、ミズキは息をのんだ。
「罰……?」
その言葉が、全身の血と意識、神経を瞬間で凍結させる。
思考すらも鎖で縛られ、全身から血の気が一気に引く。
そして脳裏に描かれるのは、淫らな自分の姿と、頭を吹き飛ばされ、床にくず折れた父親。泣き叫ぶ母親。
血と硝煙の臭い……持たされたピストルの重み…。
それらが古いフィルムのように、ノイズと恐怖を際だたせながら、五歳の誕生日の悪夢を鮮烈に脳裏に描き出す。
寒かった地下室。今、自分がいるこの場所は、否応なくあの時を強烈にミズキに思い出させる。
「パパ……ママ……」
優しかった両親の姿がかき消され、床に這わされ強姦されている自分が浮かぶ。
シュトラウスがあざ笑い、前も後ろも、口もすべてが男根に塞がれる。自分を征服しにかかる凶暴な男の味。
『挿れてやればあっさり堕ちる。おまえは淫乱だ』
罰は、ミズキを汚す儀式だ。
心の底に閉じこめたはずのモノクロの悪夢に鮮やかな色が乗せられていく。
それは………。
「う…………ああっ……」
声すら出せない。全身ががくがくと震え出す。
「いやだ……僕は軍人だ……おもちゃなんかじゃない……」
腰を屈めてじっとミズキを見つめるミハイルに懇願した。ミズキと目線を合わせ、両手でそっとミズキの頬を包んだ。
しかし、その感触すら虫が這うような気味悪さしかない。
「い、やだ……やめて……さわらないで……」
「哀れすら感じる。こんなに震えて、そんなに私が怖いですか?」
「やめっ……!」
レザーグローブ越しのミハイルの手の温もりが、冷たくなった頬をじんわりと暖めていく。麻痺していた感覚が戻る過程の、ピリピリと痺れるような痛みすら怖くて、ミズキはその手から逃れようと頭を振った。
「や……っ!」
「じっとなさい。私に顔を見せなさい」
「いや……」
「いうことがきけないのですか?」
幼子を叱咤するようなその言葉に、ミズキの体が雷にでも打たれたかのようにびくりと震えた。
「やだ、やだ……いやだ……」
「ミスターブランケンハイム?」
「僕、いい子になるから……!」
子供のようにいやいやをしながら、全身を震わせて許しを請うミズキに、ミハイルは眉根を寄せた。
「ブライデン中将……」
ミハイルの部下のひとりが、ためらいがちにミズキにむけた銃を下ろした。
「中将、これでは……」
困惑しきりの兵士をよそに、ミハイルはミズキから目を離さない。
「ああ。今の彼に尋問などできない。彼自身、抵抗すらも出来ないだろう」
「彼はいったい……? これが我々に多大なる被害をもたらした、あの異色光彩の狙撃手なのですか?」
「我々はうっかり彼の闇に触れたのだろう。しかも刷り込みがかなり強いとみた。どうも演技では……なさそうだ」
ミズキをじっと見つめながら、ミハイルは何かを思案しているように見える。ミズキに与える屈辱の方法でも考えているのか。玩具的な扱いになるなら、いっそのこと一思いに。
「殺して、僕を……」
ミハイルの指が、すっとミズキを指差した。
「彼の上半身のワイヤーを外しなさい」
「しかし中将……もし抵抗でもされたら」
「心配ない。その時は殺せばいい」
ミハイルの指示に、部下がナイフで極細ワイヤーを断ち切り、即座に銃口を向けた。切れた弾みに上半身が前のめりになるが、ミズキの身体は差し出された誰かの腕の中に引き込まれた。
「やだ……やだ……許して……僕、僕は……」
ミハイルの腕でしっかり抱かれたミズキが小さな抵抗をする。上半身の拘束が取れたのでミハイルを押し返そうとしたり、拘束された両手で彼の胸を叩いたり、「いやだいやだ」とむずかる子供のように啜り泣いた。
もはや全力で抵抗するよりも、罰に対する許しがほしかった。
そうでなくては、この身体がまた汚される。
この基地に、軍人は何人いる?
自分は捕虜としてここにいるのだから、シュトラウスなんか話にならないくらいの酷い辱めを受け続けるに違いない。
休む間もないほど、性器を愛撫し、突き入れられる。
不安に苛まれる中、不意に頭を誰かに抱き込まれた。穏やかな体温が心地よくて、思わず身体を預けてしまう。
とくんとくんと規則的に聞こえる心音が、鼓膜から意識へと流れていく。慈愛さえ感じるそれは、強張った身体を支配する恐怖をぼやかせ、徐々に自身の制御が戻るのを感じる。
「僕は……いや、だめだ……僕は……」
「なにが『だめ』なんですか?」
「僕はまだ、『許されて』いない……」
そう、許されていない。はっと思い直して、逃れようと身を捩った。
「ごめんなさい……許して……僕を犯さないで……」
「……」
ミハイルは何も言わない。その代わり、込められる腕の力が強まった。
「僕を離して……いい子になる……」
「じっとなさい。何もしないから」
「いうこと聞く……あれはもういやだ……ひどいことしないで……」
「ひどいことをされたくなければ、じっとして目を閉じなさい。ゆっくり息をして……そう……身体の力を抜いて。私に全て預けて。大丈夫、あなたを傷つける人間はここにはいない」
彼の心音が恐怖に荒れ狂うミズキの心に沁み落ちていく。不安の小波立つ感情を鎮めていくかのような。人の生きる鼓動がかくもこんな穏やかさを秘めているなんて。
しかもこんな場所で。
敵の腕の中という、とんでもなく危険で不安定な場所で。
***
悪いことをすればどうなるか――あのディスタンシアで心に刻みつけられた「罰」という言葉は、ずっとミズキの心と身体を縛り付けている。
罰といわれるたびに、身が竦み上がった。
彼らはミズキに反抗的な態度が少しでも見えたなら、罰という言葉で詰り、殴り、末にミズキの身体を好き放題に嬲った。
裏切り者の異端分子である自分には、常に性交による浄化が必要だと叩き込まれた。
そうするしか、裏切り者の血が綺麗になる方法はないのだと。
淫らな「罰」。気が狂いそうな一方的な激しい媾合。
――罰をくれてやろうか――そんな言葉に怯え、恐怖した。
命令に従わなければ、さらなる「罰」が加えられる。
「罰」という単語で、愉悦に隷属することを頭にプログラミングされた。身体に突き入れられる男たちの劣情を体内で感じるたび、淫奔な本性が目を覚ます。
まるで機械人形のように。
それがミズキの理性と恐怖を切り替える言葉なのだ。
ミハイルによると、ディスタンシア軍の斥候すら嗅ぎ付けていないトップシークレットの場所だという。
「つまり、僕はもうここから生きては出られない、そういうことか」
ミズキが訊ねると、ミハイルは「ええ」とさらりと言いのけた。
あまりにもさわやかな物言いに、「あ、そうなんですね」とこれまた気楽に返事を返しそうになる。
地下に基地を作ったのは、ディスタンシアの空襲を避けるためと、捕虜の尋問を行う場所として最適だということらしかった。とはいえ、今までに空襲を受けたことはないとミハイルは話していた。『あの国の国力では、無理でしょうね』とせせら笑って。
ミズキの両手はひと括りにされ手錠で拘束されていた。両足首にも枷が付けられ、左右は短い鎖で繋がれている。
手械足枷付きの丸腰では、軍人だらけの警備を突破するのは難しい。しかも武器をはじめ、自分の持ち物は全て没収されているから、必要なものは自分で調達しなければならない。かくれんぼは得意だが、自分には不利だ。それを考えると脱走は現実的ではなさそうに思えた。
この地下基地は、街の郊外にあった。
緑で覆われた森林公園のような敷地の中に入り口があり、そこに至るまでは地下道を少し歩く。
逃げるために走るのもままならない。しかし大罪人という割には、拘束が比較的ゆるいような気がするが、ここに来るまでには至る所に監視カメラがあるのを見ているし、ライトマシンガンを持った兵士がひとつのゲートを数十人で守っている。
うまく建物の外に出れたとしても、何もない場所に思えるところには地雷、もしくはセンサーが張り巡らされ、ネコの子すら引っかかれば警報が鳴り響き、付近に設置されている小銃の一斉掃射で身体中穴だらけにされる――とミハイルが説明していた。
まさかとは思ったが、建物の入り口に広がる緑豊かな庭園に目を凝らせば、そこには草木に水をやるスプリンクラーの代わりに、確かに機関銃やフックにワイヤーを通したスイッチが樹木とともにカモフラージュされている。あわててここを抜けようとすれば、確実に死ぬ。
どうやらここを抜けるのは、ほぼ不可能に近い――ミハイルの話はミズキに恐怖を与えるために盛っているわけでもなさそうだ。
この本部の上には、普通にアパートがあり、そこでは一般市民が普通の生活を営んでいる。
クラリスの市民は知らないのだという。
自分達の足下で、他国の斥候や捕虜が苛烈な尋問、拷問に遭っているなんて。
どんなに悲鳴を上げても一般市民に聞かれる事はないと豪語するだけあり、ミズキが連れてこられた部屋も壁の内側に分厚い防音材が仕込まれているようだった。正直、人の行き来はかなりあるのに、尋問室に通されてからは耳を澄ましても部屋の外の音は聞こえない。それに戦時中なのに、このクラリス国はいろいろと物資が豊富だ。
こんな国とディスタンシアは戦争をしていても、勝てそうな気などしなくなってくる。
ディスタンシア軍が本気で勝てると思っているのなら、頭がおかしいとしか思えない。敵を知らずに戦いを挑んでいる気さえしてくる。
「さあ、今日からここが新しいあなたの部屋です」
ミハイルは恭しくミズキを部屋へと導く。
足を踏み入れたミズキは、室内を見渡した。
天井からは裸電球がぶら下がり、部屋の中央には木製の椅子がひとつ。年季の入った黒っぽい色のその椅子の座り心地はかなり悪そうだ。
呼吸をすれば、地下室独特の湿ったカビのような臭いに混ざり、どことなく鉄にも似た臭いもする。
幼いころに閉じ込められたあの部屋に良く似ていて薄気味悪い。
椅子の後ろに目をやれば、コンクリートの壁があるのだが、奇妙なことにこの部屋の壁には、弾痕のような小さな穴がいくつも空いていた。
きっとここで何人もの斥候や軍人らが機密を吐かされ、命乞いの後、射殺されたのだろう。
最期に縋った物がその壁しかなかった犠牲者を想像し、ミズキの背筋を冷たいものが流れた。
椅子のそばには手動式の発電機が置かれていた。電流で苦しめながら尋問を行うつもりだとわかってゾッとする。
時代は進んでも、シンプルな装置で最大の恐怖と最強の恐怖を生み出す拷問は昔ながらのものだ。
相手がさじ加減を間違えれば、死ぬ事だってある。
つまり、クラリス軍は尋問の名の下、ミズキを殺す気満々と言うことだ。
「素敵な色のカーペットだ。冷たくて汚い色で、おまけに硬い。まるでコンクリートの床みたいだ」
皮肉をいうと、にべもなくミハイルは言い捨てた。
「コンクリートですからね」
「……」
どうやら彼には冗談など通じないらしい。
こういう輩がミズキは一番苦手だ。
どこで何の言葉が怒りの導火線に火をつけるかわからない。
相手に探りを入れたつもりが、それがそのまま銃殺なんてことにもなりかねない。
どうやって尋問を進める気かはわからないが、ミハイルが噂通りの人物なら、ミズキの命はそう長くはもたないはずだ。
「さあ、そこの椅子にかけてください」
言われた通りにおとなしく椅子にかけると、ミハイルが顎をしゃくる。同時にミハイルに帯同していた兵士が二名駆け寄ってきた。
椅子の足に手錠を通し、ミズキの足枷と繋ぐ。上半身は極細ワイヤーで背もたれに固定され、これではもはや動く事もままならない。
ミズキの身体が椅子に固定されたことを確認すると、ミハイルは「いい格好ですね」と柔らかく笑った。
「あなたからはたくさん話を聞かせてもらわねばなりません。覚悟はよろしいですか?」
「覚悟なんてとっくに出来ている。だけど、ひとつ聞きたいことがある」
「なんでしょうか」
「――グスタフはどうなった」
「グスタフ?」
「クラリスの要求通りに僕を売ったんだ。さぞかし重用され、良い暮らしが保障されているんだろう?」
自分はこんなじめじめした地下室に連れてこられ、今まさに厳しい尋問が開始されようとしている。
天国と地獄とはこういうことかと心の中で運命をあざ笑っていたミズキに、ミハイルは笑みを絶やさないまま答えた。
「死にましたよ」
「――え?」
死んだ?
驚愕に表情を固めたミズキに、ミハイルはにっこり笑った。
「あなたを私達に売ったディスタンシアの薄汚い観測手でしょう? ええ、あなたをこちらに連行した後に殺しました」
業務連絡のようにさらりとミハイルは言ってのける。
信じられない。クラリスにとって、グスタフがもたらした情報は有用のはずなのに。
「……どうしてグスタフを殺したんだ」
ミズキは低く毒づいた。
「グスタフが売った情報が……まさか僕が偽者だとでも思っているのか」
「とんでもない。あなたのような美しい瞳を持つ人物などこの世界に二人といない。あの観測手のもたらした情報は嘘ではない」
「だったらなぜ」
「彼は言いました。ディスタンシアの懐刀であるあなたを売れば、ディスタンシアには大打撃になる。そして自分は国には二度と戻れない。遅かれ早かれディスタンシア軍の知るところとなり、彼は追われる身になる。だからクラリスでの市民権、およびあなたをここまで連れてきた手数料がほしい、と」
「……手数料?」
「狙撃手と観測手は常に軽装での隠密行動を強いられる。敵地に入ったら、自分の痕跡は一切残せない。排泄物に至るまで。――そうでしょう?」
ミズキは息を呑んでじっとミハイルの話を聞いていた。ミズキが無言を貫くことを肯定ととったのか、ミハイルは先を続ける。
「そう考えると、保険も何もなくあなたをあの場所まで連れてくるのは、相当の危険を覚悟してのことだったでしょう。なにせ彼との取引は、私と数人の部下しか知らない。他の者に見つかれば、あなた達はその場で射殺される可能性もあったわけですからね。彼の言う手数料は、危険手当でしょう」
「でもあんたたちはグスタフとの約束を守らなかった」
「ええ」
「それは……なぜだ」
「一度仲間を裏切った人間が、二度と裏切らないなどという保証はありません。だから殺しました。後々の禍根になる前にね。今頃は我が軍の猟犬たちが彼の死体にむしゃぶりついていることでしょう」
「……なんだって」
ミズキの脳裏に無邪気に笑っていたグスタフの表情が浮かぶ。
裏切り者かもしれないが、彼も軍人だ。どうせ殺すにしても彼の尊厳を守ってやればいいのに、その扱いはまるでゴミか何かだ。
全身が怒りで総毛立つ。このミハイルという男は、人間を、命を何だと思っているのだろうか。
「グスタフ……」
「裏切り者の冥福を祈っている場合ではありませんよ、ミスターブランケンハイム」
ミハイルはミズキの顎を掴むと、目線を合わせる。その眼前に長方形の形をした、小さなスイッチをちらつかせる。
「あなたが持っていたこれ。これは何のスイッチです?」
「……」
自爆装置のスイッチだなんて言ったら、途端にミズキは無理やり手術台に乗せられて、胸を抉られてしまうだろう。
クリスタライズはディスタンシア軍人としての、最後の矜持だ。ミハイルなどに知られるわけにはいかない。
「あなたの胸、大きな絆創膏を貼っていますね。薄いシャツの上から丸見えですが、それは何の傷ですか?」
「怪我したんだ」
「怪我。ほーぉ?」
ミハイルはスイッチをポケットにしまうと、酷薄な笑みを浮かべ、ミズキの髪を掴んだ。
「ま、簡単にしゃべられても面白くありません。あなたには相応の罰を受けていただきます。クラリスから奪った分はね。覚悟なさい」
ゾッとするような冷たさを讃えたその瞳に見据えられ、ミズキは息をのんだ。
「罰……?」
その言葉が、全身の血と意識、神経を瞬間で凍結させる。
思考すらも鎖で縛られ、全身から血の気が一気に引く。
そして脳裏に描かれるのは、淫らな自分の姿と、頭を吹き飛ばされ、床にくず折れた父親。泣き叫ぶ母親。
血と硝煙の臭い……持たされたピストルの重み…。
それらが古いフィルムのように、ノイズと恐怖を際だたせながら、五歳の誕生日の悪夢を鮮烈に脳裏に描き出す。
寒かった地下室。今、自分がいるこの場所は、否応なくあの時を強烈にミズキに思い出させる。
「パパ……ママ……」
優しかった両親の姿がかき消され、床に這わされ強姦されている自分が浮かぶ。
シュトラウスがあざ笑い、前も後ろも、口もすべてが男根に塞がれる。自分を征服しにかかる凶暴な男の味。
『挿れてやればあっさり堕ちる。おまえは淫乱だ』
罰は、ミズキを汚す儀式だ。
心の底に閉じこめたはずのモノクロの悪夢に鮮やかな色が乗せられていく。
それは………。
「う…………ああっ……」
声すら出せない。全身ががくがくと震え出す。
「いやだ……僕は軍人だ……おもちゃなんかじゃない……」
腰を屈めてじっとミズキを見つめるミハイルに懇願した。ミズキと目線を合わせ、両手でそっとミズキの頬を包んだ。
しかし、その感触すら虫が這うような気味悪さしかない。
「い、やだ……やめて……さわらないで……」
「哀れすら感じる。こんなに震えて、そんなに私が怖いですか?」
「やめっ……!」
レザーグローブ越しのミハイルの手の温もりが、冷たくなった頬をじんわりと暖めていく。麻痺していた感覚が戻る過程の、ピリピリと痺れるような痛みすら怖くて、ミズキはその手から逃れようと頭を振った。
「や……っ!」
「じっとなさい。私に顔を見せなさい」
「いや……」
「いうことがきけないのですか?」
幼子を叱咤するようなその言葉に、ミズキの体が雷にでも打たれたかのようにびくりと震えた。
「やだ、やだ……いやだ……」
「ミスターブランケンハイム?」
「僕、いい子になるから……!」
子供のようにいやいやをしながら、全身を震わせて許しを請うミズキに、ミハイルは眉根を寄せた。
「ブライデン中将……」
ミハイルの部下のひとりが、ためらいがちにミズキにむけた銃を下ろした。
「中将、これでは……」
困惑しきりの兵士をよそに、ミハイルはミズキから目を離さない。
「ああ。今の彼に尋問などできない。彼自身、抵抗すらも出来ないだろう」
「彼はいったい……? これが我々に多大なる被害をもたらした、あの異色光彩の狙撃手なのですか?」
「我々はうっかり彼の闇に触れたのだろう。しかも刷り込みがかなり強いとみた。どうも演技では……なさそうだ」
ミズキをじっと見つめながら、ミハイルは何かを思案しているように見える。ミズキに与える屈辱の方法でも考えているのか。玩具的な扱いになるなら、いっそのこと一思いに。
「殺して、僕を……」
ミハイルの指が、すっとミズキを指差した。
「彼の上半身のワイヤーを外しなさい」
「しかし中将……もし抵抗でもされたら」
「心配ない。その時は殺せばいい」
ミハイルの指示に、部下がナイフで極細ワイヤーを断ち切り、即座に銃口を向けた。切れた弾みに上半身が前のめりになるが、ミズキの身体は差し出された誰かの腕の中に引き込まれた。
「やだ……やだ……許して……僕、僕は……」
ミハイルの腕でしっかり抱かれたミズキが小さな抵抗をする。上半身の拘束が取れたのでミハイルを押し返そうとしたり、拘束された両手で彼の胸を叩いたり、「いやだいやだ」とむずかる子供のように啜り泣いた。
もはや全力で抵抗するよりも、罰に対する許しがほしかった。
そうでなくては、この身体がまた汚される。
この基地に、軍人は何人いる?
自分は捕虜としてここにいるのだから、シュトラウスなんか話にならないくらいの酷い辱めを受け続けるに違いない。
休む間もないほど、性器を愛撫し、突き入れられる。
不安に苛まれる中、不意に頭を誰かに抱き込まれた。穏やかな体温が心地よくて、思わず身体を預けてしまう。
とくんとくんと規則的に聞こえる心音が、鼓膜から意識へと流れていく。慈愛さえ感じるそれは、強張った身体を支配する恐怖をぼやかせ、徐々に自身の制御が戻るのを感じる。
「僕は……いや、だめだ……僕は……」
「なにが『だめ』なんですか?」
「僕はまだ、『許されて』いない……」
そう、許されていない。はっと思い直して、逃れようと身を捩った。
「ごめんなさい……許して……僕を犯さないで……」
「……」
ミハイルは何も言わない。その代わり、込められる腕の力が強まった。
「僕を離して……いい子になる……」
「じっとなさい。何もしないから」
「いうこと聞く……あれはもういやだ……ひどいことしないで……」
「ひどいことをされたくなければ、じっとして目を閉じなさい。ゆっくり息をして……そう……身体の力を抜いて。私に全て預けて。大丈夫、あなたを傷つける人間はここにはいない」
彼の心音が恐怖に荒れ狂うミズキの心に沁み落ちていく。不安の小波立つ感情を鎮めていくかのような。人の生きる鼓動がかくもこんな穏やかさを秘めているなんて。
しかもこんな場所で。
敵の腕の中という、とんでもなく危険で不安定な場所で。
***
悪いことをすればどうなるか――あのディスタンシアで心に刻みつけられた「罰」という言葉は、ずっとミズキの心と身体を縛り付けている。
罰といわれるたびに、身が竦み上がった。
彼らはミズキに反抗的な態度が少しでも見えたなら、罰という言葉で詰り、殴り、末にミズキの身体を好き放題に嬲った。
裏切り者の異端分子である自分には、常に性交による浄化が必要だと叩き込まれた。
そうするしか、裏切り者の血が綺麗になる方法はないのだと。
淫らな「罰」。気が狂いそうな一方的な激しい媾合。
――罰をくれてやろうか――そんな言葉に怯え、恐怖した。
命令に従わなければ、さらなる「罰」が加えられる。
「罰」という単語で、愉悦に隷属することを頭にプログラミングされた。身体に突き入れられる男たちの劣情を体内で感じるたび、淫奔な本性が目を覚ます。
まるで機械人形のように。
それがミズキの理性と恐怖を切り替える言葉なのだ。
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