クリスタライズ~ある狙撃手へのレクイエム~

浅倉優稀

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#15 白い心に触れた瞬間に

#15-1

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 指令室でシュトラウスと別れたあと、アルベルトは自室に戻った。 
 アルベルトの部屋は、執務室と寝室に分かれている。寝室のベッドの下には、いずれ来るその日のために、何日かかけて武器庫から持ち出した爆弾の類いを隠してある。
 執務室には天井のあたりまでの高さがある本棚がいくつもあり、その中には兵法書や歴史書などをはじめ、たくさんの本がぎっしりと詰め込まれている。
 ひょうひょうとしているように見えて、その実、アルベルトは勉強家でもあった。
 クラリスからディスタンシアに流れてきたときに、この国のことを大昔の建国からつぶさに調べ上げていた。
「地形には意味がある。歴史を紐解けばいくらでも作戦は生み出せる」――ゲリラ戦を得意とするアルベルトのやり方は終始一貫していた。
 クラリスの戦闘能力を判断し、ディスタンシアの地形などを加味して作戦を練り上げ、クラリス軍を誘い込み、一気に潰す。
 だがクラリス軍の現在の若き上級大将が、アルベルトの癖を見抜いて対策を立ててきたため、ゲリラ戦も難しくなってきた。
 黒衣の悪魔はまったくこちらの穴をよく突いてくる。
 部下の成長に頼もしさを感じている。彼は十分、クラリス軍を背負っていけるだろう。
「これもいらない。あれももういいか」
 何の心残りもない。アルベルトは机や棚を整理をしながらふっと笑った。
「もうすべて必要ないな」
 過去は絶ちきる。後ろは振り向かない。引き出しや本棚に埋まった書類をすべて破って暖炉に放り込む。紙に炎が燃え移り、ぼうっと赤い柱が一気に立ち上る。
 この炎の先端は天国に届いているのだろうか――そんなことが頭をよぎる。
 そしてその炎の中に、出会った頃のシュトラウスが見えた。
 彼と出会って20年以上が経つ。
 シュトラウスには婚礼の儀式をしようなんて言ってしまったが、彼はアルベルトの本気をちゃんと受け取ってくれるだろうか。
 ぱちぱちと爆ぜる炎をぼんやり見つめながら、アルベルトは思い出していた。
 シュトラウスと出会ったあの頃を。

*******

 今から22年ほど前の冬の夜。

 クラリス軍上級大将アルベルト・ハノンは、クラリスとディスタンシアの国境付近で目下単独行動中だった。
 時は深夜、どこかの森の中なのだが、この日が新月だったことが災いした。
月明りでもあれば、それを頼りに脱出できるが、今夜はそれができないうえ、自分たちはまだ敵地の中だ。
 明かりをつけて動き回るわけにもいかない。暗闇の灯、自然の中の不自然、それらはかんたんに敵に察知されてしまう。
「くそ、戦闘機を落とすとは、あちらのスナイパーもやるものだ」
 アルベルトは無念さに唇を噛みながらも、こんな暗い夜に精密射撃でパイロットの頭、それも眉間を正確にを射抜いた敵スナイパーの手腕に感心していた。
 国境まであと数キロだった。エンジントラブルもなく、このまま帰還できると思ったら、まさかコックピットを赤く染められるなんて。
 パイロットは即死、副操縦士は突然のことに我を忘れて操作ができなかった。
 副操縦士を叱咤し、急降下による激しい重力加速度の負荷に耐えながら、アルベルトは必死にコックピットで奮戦したが、結局戦闘機は墜落してしまった。
 寸前で緊急脱出したものの、仲間ともはぐれてしまったうえ、足を怪我して歩くのがつらい。
 幸いにして火災の発生はなかったが、墜落の音を敵は絶対に聞いている。
 なにより、この戦闘機を撃ち落としたスナイパーの存在が脅威だ。彼か彼女かは知らないが、間違いなく敵は近くにいて、この状況を見ているはずだ。
 アルベルトはひとり、暗い森の中をさまよっていた。
 夜の静寂では、動くものが一番めだつ。朝日が昇る前に本国か、最低でもグリーンゾーンへ向かわなければ。
 軍隊生活で鍛えている筋骨隆々の身体はそれなりに体術には自信があるものの、この大きな身体、隠密行動はそれほど得意じゃない。
 どちらかといえば、正面突破型を得意とするが、装備も何もかも食料や水なども墜落時に失くしたから、早めに脱出しなければ消耗するだけだ。
 夜空を見上げる。月がない分、今日は星がとてもきれいに輝いている。
「今度こそ、俺も終わりかな……」
 故郷に残すまだ幼い愛娘ジュリアの顔を夜空に思い描く。母親を早くに亡くしたから、自分が戦死すれば娘は孤児になってしまう。
 あの気の強い一人娘を嫁にやるまでは死ねないと思っていたのに、なんたることか。
 時折吹く風がざあっと森を揺らす。その音に紛れるようにさくさくと森を進んでいると、どこかで「バシッ」と音がした。
 何か硬いものを叩きつけたようなこの音、アルベルトにとっては聞きなれた、それでいて恐怖の音だ。
 少し間をおいて、今度はアルベルトのすぐそばでバシッと音がした。小さな小石がアルベルトの膝まで飛んでくる。
「まずい……」
 相手から自分の姿は見えている。アルベルトは舌打ちをしながら、あわてて腰をかがめた。
 姿勢を低くし、背の高い草の陰に隠れながら、大木のそばに移動していると「カシャン」とリロードの音が聞こえる。
(どこにいる……)
 この音は狙撃弾独特の音だ。おそらく、クラリスの戦闘機を撃ち落としたスナイパーが近くにいたのだろうか。
(捜索|《クリアリング》してるのか……)
 この暗闇だ。おそらく相手は銃にサプレッサーをつけ、暗視スコープの類を装着して、アルベルトの場所を探しているに違いない。
 この場から速やかに立ち去りたいが、相手はそうさせてくれないだろう。
 2発目の銃弾は、おそらく敵スナイパーの挨拶だ。「おまえの場所は丸見えだ。見えない敵と恐怖におびえながら、暗闇を逃げ回れ」。アルベルトに撃ち込んでこず、わざと外す余裕まで見せている。
 アルベルトは目を閉じ、気取られぬよう静かに呼吸をした。腰のホルスターから愛銃CZ75を取り出す。
 五感の全てを駆使し、周囲の自然に己を溶け込ませなければ。だが、周囲のかすかな動きも見逃さないように。
 見逃せミスれば、そこでゲームオーバーだ。
 夜風がひときわ強く吹き、木々が揺れる音に紛れて移動を開始した。
 ひとところにいては、そこにくぎ付けにされてしまう。静かにとにかく動き回ることが重要だ。 
 動かないターゲットなど、狙ってくださいと言っているようなものだ。
 今日はどうしたことか風が強い。このバトルロイヤルの始まりを煽っているかのようにもみえて、アルベルトは銃を握る両手に力を込めた。
 不意に風が向きを変えた。向かい風になって吹き始めたのを合図に、3発目がどこからかアルベルトの周囲に撃ちこまれた。そしてややあって4発目が木の幹――アルベルトの頭の上だ。
(相手はボルトアクション銃か。なるほど、腕に自信があると見た)
 一発撃ってはリロードする貫通力が高いタイプの狙撃銃だ。
 敵に反撃するには、相手の短いリロード中を正確に狙うしかない。
 風が揺らす草木の音を己のマスキングにしながら、匍匐の姿勢を取り、ゆっくりと雑草に紛れて移動する途中、目の前にあった小石を自分の前方に適当に放り投げる。相手がどの方向にいるかだけでも知りたかった。
 弧を描いた石はそのまま空中で飛散した。相手がアルベルトの放った小石を撃ち抜いたのだ。
 目も暗闇に段々慣れ、おかげで敵の大体の方角も知れた。スナイパーよ、もう好きにはさせない。
 アルベルトは石をもう一度暗闇に投げると同時にその場に立ち上がった。
 敵がいると踏んだ場所に、引き金を引く。サプレッサーをつけた銃はぱすぱすぱすっと軽い音をさせ、その弾が暗闇に向かって飛んでいく。その時だ。
「うっ……」
暗闇からうめき声がした。
(仕留めたのか?)
 向かい風に血の香りが乗ってくる。
 その方向に走っていくと、暗闇の中に黒い影を見つけた。その影はうずくまって痛みをこらえるようにのたうち回りながら呻いていた。
 アルベルトは銃をその影に向けたまま近寄る。手を伸ばすと、その影はとても華奢だった。
「おい、俺を狙ったのはおまえか」
「うるさい、離せっ……」
 怪我をしているくせに、影はひどく抵抗した。
 無理もない。仕留めるつもりが逆に仕留められてしまったのだから、悔しくて仕方がないのだろう。
「おまえがクラリスの戦闘機を落としたディスタンシアのスナイパーか」
「ああ、そうだ。人の頭上を夜の夜中に爆音で飛びやがって。うるさかったから叩き落としてやったんだ」
 このハエどもが、と影は口汚く毒づいた。
 アルベルトは胸のポケットからペンライトを取り出して、スイッチを入れた。自分を狙撃した兵士の顔を見たかった。
 目を刺すほどのまばゆい光を影に向けると、それは若い青年だ。
 涼やかな目元、その細い瞳は切れ味のいいナイフのようで、鼻梁も瞳と同じように、スッと細くきれいに通っている。黒い髪の毛は砂ぼこりですすけているものの、短く切った毛先の先がかなり雑だった。
 自分よりも5つくらいは年が下だろうと思ったが、彼が暗視スコープをつけていなかったことに驚愕した。
 つまり、彼は裸眼で銃のスコープを覗き、暗闇にいるアルベルトを正確に狙撃したのだ。
 着ている物はベージュの迷彩柄の戦闘服に黒いぼろぼろのコンバットブーツ。携行品はライフルのほかには見当たらない。
 戦闘服の左肩がぐっしょりと濡れていて、砂色の戦闘服のそこにだけなにやら水を含んだ土の地面のようだ。
 アルベルトが手で押さえると手の下がじんわりと温かい。手のひらはすぐにべっとりと真っ赤に染まり、出血のひどさを物語っている。
 アルベルトはズボンのポケットからハンカチを取り出し、それをビリっと半分に裂く。
「おいスナイパー、おまえ、いい腕だな」
 それを簡易の止血剤の代わりにして、狙撃手の肩をきつく締めあげながら褒めてやると、狙撃手はアルベルトをぎろりと見やり、ふんと顔を横にそむけた。
「これくらい……わが軍の狙撃手なら誰だって……」
「これくらい? 誰にだってできることじゃないぞ。少なくとも、クラリスにはおまえのような狙撃手はいない……ん?」
 血に半分染まった狙撃手の左腕のワッペンに視線がいく。
 黒い五芒星を上下半分に割るように金糸のステッチが入っている。黒い五芒星は暗殺部隊のエンブレム。金糸のステッチは、ディスタンシアでは隊長クラスの者を指す。
「おまえ、ディスタンシア暗殺《サンドストーム》部隊のシュトラウス隊長か?」
「――ちがう」
「なるほど、その通りか」
「違うと言っているのに!」
「身分を偽っても通じないぞ。おまえの顔は、クラリス軍ではよく知られている」
「なぜ!?」
「優秀な狙撃手だからだ」
「そうか」
 優秀と聞いて気分を良くしたのか、わずかに口元をほころばせた男を見て、アルベルトはふっと笑った。
「認めたな?」
 あっ……と男――シュトラウスが目を丸くし、口をぽかんとあけ、まずいとばかりに手で口を隠し、そして悔しそうに俯いた。
「おまえは嘘が下手だな。まるで子どもだ。隠すなら口じゃなくてエンブレムだろう? うちの小さい一人娘だってまだ上手に嘘をつく」
「……私を殺すのか」
「その前にやることがある」
 相手がディスタンシア兵なら、絶対にやっておかなくてはいけない。
 彼が暗殺部隊の隊長であるならなおさらだ。
「ちょっと手酷くさせてもらうぞ」
「え?」
「ここでおまえさんに妙なことを言われては困るんだ。俺にはかわいい娘が故郷で待ってるんでね」
 言いながらアルベルトはさっき裂いたハンカチの半分をくしゃっと丸める。
「ちゃんと洗ってあるから安心しろ」
 シュトラウスの口にそのハンカチを詰めこみ、アルベルトはペンライトを自らの口に咥えた。
「んぐっ、むぅぅ!」
「苦しいか、そうだろうな。でもおまえたちは例外なく危ないものを持っているから仕方ない」
 シュトラウスを無理やり仰向けにさせ、その腰にまたがって、必死に抵抗するシュトラウスの両腕をまとめて拘束して頭の上に縫い付ける。
 ディスタンシアという国の食糧事情を現しているようで、彼の腕は、ほんの少し力を入れれば簡単に折れてしまいそうなほど細い。
「調べさせてもらうぞ」
「むぐっ! んーっ!!」
 足をばたつかせて暴れたところで、ほっそりとした身体のシュトラウスがアルベルトをはねのける力などない。
 暴れまくるシュトラウスなどお構いなしに、アルベルトはシュトラウスの軍服のボタンを片方の手で器用に外していく。
 服の下からは、滑らかな膚が顔を出した。だがおかしなことに、所どころタバコでも押し付けたような薄い痕が点々としていた。栄養不足による皮膚トラブルでもなさそうだ。
「んむっ、ふぅううう!」
「暴れるな」
 少しあばらが浮き出ているその肌をスッと指でなぞると、シュトラウスがさらに暴れ出す。
「んんっ、ううっ」
「大人しくしてくれ。おまえをどうこうするつもりはないんだ」
 口に咥えたペンライトでシュトラウスの上半身を照らしてくまなく観察するが、彼には大抵の兵士ならあるものがない。
「シュトラウス隊長、おまえにはないのか」
「あいああ?」
「やれやれ、何を言ってるのかわからんな」 
 意思の疎通ができないのは困る。アルベルトはため息をつくと、シュトラウスの口に突っ込んだハンカチを取り除いた。
「んはぁっ!」 
 一気に酸素が入ってきて苦しかったのか、肩で息つくシュトラウスに再度訊ねる。
「おまえにはクリスタライズがないのか」
「あったとしても、おまえに教えるものか」
「ふうん」
 戦場に赴くディスタンシア兵なら誰もが体内に埋め込んでいる自爆装置クリスタライズ
 ディスタンシア軍では召集されると同時に、誰もが体内に爆薬を仕込む手術を受ける。
 身体の中にあれば取り出せないし、その時がくれば自分で起動させることも、軍本部から起動信号を送って爆発させることも可能な兵器。
――自らが武器となり、水晶のごとく透明できらめく魂となって散花せよ――
 その爆薬にはそんな意味が込められている。だから名前が「水晶になる=クリスタライズ」なのだ
 つまり戦場に赴く兵士たちは、恐怖に駆られて敵前逃亡ができない。
 逃げても逃げなくても、本部の指揮官の気持ちひとつでどのみち死ぬからだ。
 埋め込む場所は人によって違うというが、アルベルトが今まで見てきた中では、背中や胸、心臓に近い場所が多かった。
 来たる「その時」に、中途半端に生き残らないよう、必ず即死できる場所を選んでいるのだろう。
 アルベルトは、シュトラウスのズボンのベルトに手をかけた。
「おまえが教えてくれないのなら、私はほかのところもみなければならなくなるな」
「そんなことやってみろ、今すぐここで起動させてやる」
 シュトラウスがニヤリと不敵に笑い、アルベルトはやれやれとまたため息をつく。
「なるほど、では俺は1分以内におまえから逃げなくてはならないな」
「逃げる? バカ言え、地獄まで付き合ってもらうぞクラリス野郎」
 シュトラウスはアルベルトに唾を吐きかけた。
「敵を前に逃げるなど兵士としてなっていない。おまえたちに我が国ディスタンシアの精神を教えてやる」
「おまえは俺に拘束されているんだぞ。起動したら俺はおまえを置いて全力で逃げる。怪我をしたその身体で、俺を捕まえられなければ、おまえひとりが爆死だ。俺はせいぜいかすり傷程度で済むさ。逃げ足だけは早いんでね」
「ぬっ……!」
「冗談抜きで白状してくれ。おまえは本当にクリスタライズを持っているのか、シュトラウス隊長?」
 アルベルトに淡々と言われ、シュトラウスは顔をそむけたまま沈黙を守っていたが、ややあってぼそりと呟いた。
「……私は……持っていない」
「……そうか」
 ほっとした。
 相手が爆薬を持っていないのであれば、ここで死ぬこともない。嘘をついている風にも見えないし、ここはシュトラウスの言い分を信用してもよさそうだ。
「クリスタライズを持っていなくて安心したぞ、シュトラウス隊長」
「……そういうおまえは、クラリスのハノン上級大将だろう。スコープから貴様が見えた。顔に覚えがある」
「よく知ってるな」
「おまえのことも我が国では有名だ。極悪非道の大将として初等科の社会科の教科書に載っている」
「ほう、俺は有名人だな。では極悪非道らしく、おまえを手助けしてやろう。さ、起きられるか」
 拘束を解き、シュトラウスの背を支えながら体を起こしてやると、彼はばつが悪そうに「すまん」と謝った。
「クラリス軍の将校のくせに、敵に手を貸してくれるとは思わなかった」
「気にするな。おまえがクリスタライズを持っていなくてよかったが、サンドストーム隊の隊長なのに、おまえはどうしてあれを持っていないんだ?」
 素直な疑問だ。
 暗殺部隊など、任務に失敗すれば、その先に待っているのは死しかない。
 クラリス軍に捕まって拷問死するくらいなら、彼らは間違いなく「名誉の戦死」を選ぶはずだ。
 それなのに、シュトラウスは自らの覚悟を決めるものを持っていないのだ。
「――おまえには、私がどこの国の人間に見える?」
 シュトラウスが尋ねる。
「私はディスタンシアとクラリスの混血《ハーフ》だ」
「ハーフ……おまえが?」
 暗闇でシュトラウスの顔をちゃんと確認できないが、彼の言葉はディスタンシアでもネイティブの発音だ。クラリスの血が混じっているような感じには見えなかった。
「おまえ、純血種ではないのか。それなのによく軍人になれたな?」
「私の父親はディスタンシア、母親はクラリス人だ。父は政治犯、母は……なんだったかな、国家が言うには悪者だそうだ。そして私はディスタンシアの収容所で生まれ育った」
「収容所だと? 暗殺部隊の隊長がか?」
「聞いたことがあるか。パラディ―ス収容所の名を」
 楽園という名の場所だ、とシュトラウスは鼻で笑う。
 アルベルトもその施設を知っている。聞くに堪えない酸鼻極まる地獄の施設だ。
 自国民でも平気で放り込んで財産をはぎ取り、元気な者でも3年持たないと言われる労働刑を科される場所だ。主には政治犯や知能犯を収容している施設で、ここに放り込まれると「再教育」の名のもとに拷問を科せられると聞いたことがある。
 政治犯の罪状はもはや何でもよく、金持ちだとか、国を捨て外国で働いている者など、おおよそ一般市民よりもいい生活をしている者が、国家の手により身ぐるみ剥される。
 国家が貧困の極みなうえ、勝てもしない戦争に邁進している。
となると、国の資源を確保する手段は、もはや国家による略奪しかないのが現状だった。
 しかし、だ。
「だが隊長、両親だけでなく、おまえも収容所にいて。よく軍人になれたな」
 アルベルトが聞くと、シュトラウスは悲しそうに「せめて国のために死にたかったからだ」と呟いた。
「私の両親は、海外で事業を展開していた。だがある日、家族は強制的に本国に連れ戻された。国が言うには、私の両親はディスタンシアという国からいろいろなものを奪ったのだそうだ」
「何を奪ったんだ?」
「知らん。私は両親に罪が課せられたのは知っているが、それが何かはほんとうに知らん。何せ生まれたときから、鉄格子のはまったバラックで過ごしていたからな」
「なんだと……」
 シュトラウスの話に思わず絶句する。詳しく聞きたいと思っても、衝撃の方が大きくて二の句が継げない。そんなアルベルトをよそに、シュトラウスは先を続けた。
「母のお腹の中には私がおり、収容所に連行されて間もなく私が生まれた。幼いころから私はずっとディスタンシアの兵士に言われてきた。両親が国から奪ったものを返せと。私は、その『何か』を補填するために身を粉にして働いている。それこそ、その名の通りだ。……この身体でさえ、兵士の慰みものだ」
「慰みもの?」
「みただろう? 身体の斑点は男達の唇の痕だ。同性愛を禁じている我が国で、男たちが私の身体で欲情を消化する。私が両親から受け継いだ汚い血は、ディスタンシアの正義感に燃える兵士たちの聖なる雫でしか浄化できないそうだ。無理やり足をひらかされ、いやだと言っても激しく犯されて、精液を身体の奥に注がれてはじめて汚《けが》れが取れる。だからだ。私がクリスタライズを持たないのは」
「それは……なぜだ、隊長」
「男たちに貫かれている最中に、私が自殺などしないようにだ。私が起動させれば、男たちも死ぬからな」
 シュトラウスは鼻で笑った。
「なぜ、男が男を抱くかわかるか?」
「いや……」
「女は弱いし、受け入れる身体だ。だが男は違う。女のように無理やり受け入れさせて、そのプライドを粉々にしていく。そして男には触れられれば自分では欲情を制御できなくなる場所がある。兵たちはそれを知っている。私のような者が精を欲する痴態を楽しんでいるんだ」
 アルベルトはじっと話を聞いていたが、どうしてもわからないことがあった。
「おまえが本当に兵士相手に夜伽をしているとして、どうやって暗殺部隊の隊長にまで登り詰めた? あの国の差別や迫害は半端ないと聞くが」
「身体を売ってるから、私はわがままを通せた。権力を持っている奴を快楽で落とせば、たいていのことは通る。私は外の世界が見たかった。死ぬならあんな掃き溜めの地下室ではなく、敵と戦って死にたかった。だからクラリス軍を必ず倒してくるから暗殺者として前線に出させてくれと頼んだ。私は、自らのわがままを通したから、その結果をきちんと出しているだけだ。この身体で償いをしながらな。だけど……」
 シュトラウスはふっと柔らかく微笑んだ。
「私には守るべきものができた。彼らを守るために、私はあの掃きだめから抜けて、本当に強くなろうと決めたんだ」
「守るもの?」
「ああ」
 シュトラウスは左胸のポケットから1枚の写真を取り出して、アルベルトに見せる。そこにはハンモックに揺られて眠る赤ん坊を囲んで、若い男女が微笑んでいた。
 男の子か女の子か、判断に迷うほど、赤ん坊は天使のようなきれいな顔をしている。
「これは私の大切な人。私は彼のためにこの命を捧げると決めたんだ。お陰様で最近は男に抱かれるよりおまえ達を殺す仕事の方が増えた。結果、私は大切な人を守れる力と地位を手に入れることができたんだ」
 穏やかな平和がその写真にはある。長らく戦場にいたせいか、こんな小さな命を見たのは久しぶりだ。
 だが、アルベルトには引っかかることがあった。
「すまない隊長、その写真をもっとよく見せてくれないか?」
「ああ、いいぞ」
 シュトラウスから写真を受け取り、アルベルトはペンライトでその写真をくまなく観察する。
 写真の中で静かに微笑む若い男女。アルベルトには、その男の方に見覚えがある。
(こいつ、ハイネじゃないか……)
 クラリスの斥候として、ディスタンシアに潜伏していた工作員ハイネ・ブランケンハイム。優秀とうたわれた工作員で、ディスタンシアの軍部や国の内情などを偵察し、クラリスにとって特別な任務開始後に、まもなく行方不明となっていた。
 クラリス軍でも彼の足取りを追ったが、これといった手がかりもなく数年が過ぎ、てっきり任務に失敗して死んだものだと誰もが思っていたのに。
 喉のそばまで出かかった驚愕を唾と一緒に飲み込み、アルベルトは何気なく「これは君の兄弟かなにかか?」と男を指さしてシュトラウスに訊ねると、彼はちがうと首を横に振った。
「……私が愛している人だ」
 シュトラウスは淋しそうに呟いた。
「だけどその人には、もう家庭がある。写真を見ればわかるだろう?」
「なぜおまえはこの家族を守ろうとする? 単純にこの男に入れ込んでいるからだけではない気がするが」
 アルベルトが尋ねると、シュトラウスは辛そうに顔を伏せた。
「この家族は移民だ。男はハーフだとか言っていたが、あれはクラリス人、女はリーベット人だ。その二人がディスタンシアにたどり着いた。単なる移民でないことくらいわかっている。だが、私は彼を愛してしまった。その人の未来が明るいものであればいいが、ディスタンシアという国を鑑みれば、この二人の未来は決して穏やかなものにはならない」
「穏やかなものにはならない? なぜだ」
「――おそらく、何かの拍子で私と同じ未来を歩むことになるだろう。だからもし、そんな気配がしたときは、私が彼らに逃げる道を用意してやるのだ。自分の命を引き換えにしてもな」
 シュトラウスのその瞳は輝いていた。
「私は彼を独占することはできない。だからその代わりに、彼の家族を……とりわけその小さな子どもだけでも命がけで守るんだ」
それが自分の愛なのだと、シュトラウスは言った。彼は本気で、ハイネたちを守ろうとしている。
 シュトラウスはハイネの正体を知っているのだろうか。
 だがそんな心配よりシュトラウスの純白な心にアルベルトは興味を抱いた。
 こんな戦争中、自分とシュトラウスは明らかに敵同士なのに、アルベルトに寄り添い、愛する人だという写真を見せて、穏やかに微笑んでいる。
 こんなにも自らをあっさりとさらけ出して、同情を求めるのではなく、愛に命を捧げることすら厭わない彼の優しさが尊く、強さが愛おしい。
 その柔らかな笑顔がアルベルトには眩しかった。相手のことをなにも疑わず、受け入れているシュトラウスが純粋で無垢な少女のように可憐に見えた。
 ディスタンシアという、理不尽と略奪がうず高く積みあがっているような国にいたくせに、シュトラウスには、かの国のけがれがない。
 アルベルトはその瞬間、シュトラウスに心を奪われてしまった。
 こんなおかしな時代の中で、疑いも何も持たず、愛する人に一途である、純真な彼に。
 そして、その彼の心を離して止まないハイネへの憎悪も、また目を覚ましてしまった。
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