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#15 白い心に触れた瞬間に
#15-2
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アルベルトと別れ、シュトラウスは自室に戻った。
アルベルトから「婚礼の儀式をしよう」などと言われたが、それが何を意味するのか、シュトラウスも、そしてアルベルトもわかっている。
戦況はもう限界だ。
誰かがこの戦争を終わらせるきっかけを作る必要があった。クラリスが侵攻してきて、路上に引きずり出されて世界中の笑い者となる前に、自らの手で決着を。そして彼もその覚悟を決めたのだと。
それならこの婚礼を、その門出の号砲にしよう。シュトラウスはそう考えていた。
そっと左胸に手を当てる。ここにはクリスタライズが埋まっている。最近埋めたばかりだから、まだ傷は新しい。
アルベルトから「ミズキにクリスタライズを埋めた」と言われ、本当にしたのかと血の気が引いた。
だが予想に反して、ミズキはクリスタライズの装着をとても喜んでいたと言う。
「一人前の軍人の証だと言って喜んでいたぞ」
アルベルトが教えてくれたが、もしその時にミズキを目の前にして、そんな言葉をきいたなら、「バカか、おまえは!」とミズキを張り飛ばしていたかもしれない。
本人が満足したとはいえ、ミズキにさせたのなら、自分もやらないとフェアじゃない。それにもうシュトラウスを理不尽に蹂躙するものなどいない。シュトラウスもクリスタライズを埋めた。
いずれミズキと死ぬか、敵からミズキを逃がすための盾として使うつもりで。
自室の執務机の上の写真たて。そこにはまだ昔、ハイネに対する疑いなど何も知らなかった頃の時間が切り取られている。
「ハイネ」
シュトラウスは写真に語りかける。
「君の息子は、クリスタライズを持って戦場へ行き、今はクラリスの捕虜だそうだ」
写真はただ笑みをたたえたままだ。
「君が残したものを私は必死に守ろうとした。だが、私ももう限界だ。君を憎み続けることも、もう疲れた。だから私もーー」
君のもとへ逝くとは、口に出せなかった。いま、シュトラウスの手を取ってくれる人がいる。それなのにハイネを想うことは不実だとわかっていても、過去の恋情を絶ちきることをためらう自分もまた、真実の自分だ。
写真を指でなぞる。目を閉じれば、若かった昔がよみがえる。
「ハイネのどこが好きだったんだろう、私は……」
改めて考えると、しばし迷ってしまうほどだ。
出会ったとき、ハイネはまだ18歳だと言っていた。
小柄で髪の長いエリカの手をつなぎ、薄汚れたジーンズをサスペンダーで止め、色褪せてつぎはぎのあるカットソーに、履いているスニーカーも穴が開いてぼろぼろだった。
「すみません、ちょっとよろしいでしょうか」
彼はシュトラウスに道を尋ねてきたのだった。
一目だけで判断するなら、世間知らずの田舎者の格好だ。エリカときたら、紺のワンピースにサンダルという、いかにも田舎の子がせいいっぱいのおめかしをした、そんな印象だった。
駅への道を教えたが、地図を読むのが苦手らしく、ハイネが首をかしげていたので、一緒に歩いて目的地まで案内したのだ。
「私から見ると、君はクラリス人に見えるんだが、いったいこの国に何しに来たのかね?」
その道すがら、シュトラウスはハイネにそう訊ねた。戦況は徐々に悪化の一途をたどっている。今はまだ何の制限もかけられていないが、いずれ何かしら国民の生活を縛り付けるような状況がやってきそうなのだ。
そんな折、敵国の若者がどうしてディスタンシアにやってきたのか、シュトラウスには不思議でならなかった。
「今は戦争中だ。状況を鑑みると、君のような人間がディスタンシアなどに来るべきではないと思うのだが」
「私はディスタンシアとクラリスの混血なんです。でもクラリスでは私は異端児扱いされて。俗にいう村八分です。クラリスでもかなり貧しい田舎の出で、そういうところでは少なからず差別があって」
周囲から孤立し、恐怖政治で統制されている国において、国の外を知る人間は何を吹聴するかわからない。
自国人でも外国に出ていたというだけで、適当な罪状をつけられ、財産をすべて取り上げてしまうような国だ。
だがシュトラウスは、ハイネに何の疑いも持たなかった。むしろ、クラリスにおいて、若いハイネ達がおかれた立場に同情すらしてしまったのだ。
「君が……混血? どうみても君はクラリス人だぞ」
「だからですよ。見た目はクラリス人のくせに、身体の中には敵の血が流れている。そう言われ続けてきました。そんな目に見えないもの、どうにもならないのに。だからディスタンシアに来たんです。ここなら努力をまっとうに評価してくれる国だと聞いたから」
彼は人目を惹くほどの美しさを持っていた。
栗色の少し長めの髪、切れ長の涼しげな眼もと、紅色の薄い唇。すらりとした長身。神は二物も三物もハイネに与えたようだった。
男が羨み、女が憧れる。ハイネとはそういう男だった。
今にして思えば、人を外見だけで騙せるので、スパイという職業に彼は向いていたのだろう。
男性にしては少し中性的な顔つきではあったが、それがまったくマイナスにはなっておらず、背筋を正して常に前を向く姿勢は、美しく咲き誇る赤いバラのように凛とし、その内面に情熱を秘めているようにみえた。
彼は総じて実直な印象を周囲に与えていた。見た目や所作もスマートで、もし彼が歌手や俳優であったなら、多くのファンがついたに違いない。
常に鋭い視線で周囲を見渡し、先を正確に判断するくせに、ふとしたことで見せる子供のような無邪気な笑顔。そしてなにより、彼はシュトラウスに嘘をつかなかった。
嘘をつかれ、陥れられるだけの世界しか知らないシュトラウスにとって、それは純粋な優しさでもあった。その優しさに惹かれたのだ。
酒のせいにして、身体を重ねたこともある。
褥の彼はたいそう紳士的だった。シュトラウスの方がわずかに年上なのだが、ハイネは背伸びをしているわけでもなく、ごく自然にシュトラウスをリードし、快楽の絶頂を見せてくれた。
ハイネの命が最奥に吐き出される度に、その血脈が自らの身体に宿らないかと願った。
彼を受け止めるたび、下腹に広がる温もりが愛おしくて――切なかった。
同性愛を禁じているこの国で、二人だけの危険な情事。
周囲を欺く逢瀬の時間は限られている。その短い時間で、ハイネとシュトラウスは互いを貪りあい、身体が入れ替わりそうなほどに激しく抱き合った。
ハイネに出会うまで、シュトラウスは闇の世界しか知らなかった。だがハイネが、シュトラウスの世界に光を当てた。
愛の言葉なんか囁かれたことなどない。誰かに愛されることなど知らなかったシュトラウスは、ハイネが囁く愛の言葉で救われた。
その言葉に演技も嘘もなかった。
繋がればそこに情と独占欲が生まれる。
「私は、彼だけのものだ」と強く思った。
現実には許されなくてもーー思うだけで満足だ。誰も頭の中は覗けない。脳が記憶できる場所のすべてを彼だけで満たしたい。
『エル、好きだよ。愛している』
優しい笑顔も自らに触れる熱も、自分にだけ見せてくれるものだと、そう思っていた……いや、今でも嘘だと割りきれない。
恋を知ったシュトラウスに、相手を疑うなんてことは、欠片ほどもなかったのだ。
アルベルトと別れ、シュトラウスは自室に戻った。
アルベルトから「婚礼の儀式をしよう」などと言われたが、それが何を意味するのか、シュトラウスも、そしてアルベルトもわかっている。
戦況はもう限界だ。
誰かがこの戦争を終わらせるきっかけを作る必要があった。クラリスが侵攻してきて、路上に引きずり出されて世界中の笑い者となる前に、自らの手で決着を。そして彼もその覚悟を決めたのだと。
それならこの婚礼を、その門出の号砲にしよう。シュトラウスはそう考えていた。
そっと左胸に手を当てる。ここにはクリスタライズが埋まっている。最近埋めたばかりだから、まだ傷は新しい。
アルベルトから「ミズキにクリスタライズを埋めた」と言われ、本当にしたのかと血の気が引いた。
だが予想に反して、ミズキはクリスタライズの装着をとても喜んでいたと言う。
「一人前の軍人の証だと言って喜んでいたぞ」
アルベルトが教えてくれたが、もしその時にミズキを目の前にして、そんな言葉をきいたなら、「バカか、おまえは!」とミズキを張り飛ばしていたかもしれない。
本人が満足したとはいえ、ミズキにさせたのなら、自分もやらないとフェアじゃない。それにもうシュトラウスを理不尽に蹂躙するものなどいない。シュトラウスもクリスタライズを埋めた。
いずれミズキと死ぬか、敵からミズキを逃がすための盾として使うつもりで。
自室の執務机の上の写真たて。そこにはまだ昔、ハイネに対する疑いなど何も知らなかった頃の時間が切り取られている。
「ハイネ」
シュトラウスは写真に語りかける。
「君の息子は、クリスタライズを持って戦場へ行き、今はクラリスの捕虜だそうだ」
写真はただ笑みをたたえたままだ。
「君が残したものを私は必死に守ろうとした。だが、私ももう限界だ。君を憎み続けることも、もう疲れた。だから私もーー」
君のもとへ逝くとは、口に出せなかった。いま、シュトラウスの手を取ってくれる人がいる。それなのにハイネを想うことは不実だとわかっていても、過去の恋情を絶ちきることをためらう自分もまた、真実の自分だ。
写真を指でなぞる。目を閉じれば、若かった昔がよみがえる。
「ハイネのどこが好きだったんだろう、私は……」
改めて考えると、しばし迷ってしまうほどだ。
出会ったとき、ハイネはまだ18歳だと言っていた。
小柄で髪の長いエリカの手をつなぎ、薄汚れたジーンズをサスペンダーで止め、色褪せてつぎはぎのあるカットソーに、履いているスニーカーも穴が開いてぼろぼろだった。
「すみません、ちょっとよろしいでしょうか」
彼はシュトラウスに道を尋ねてきたのだった。
一目だけで判断するなら、世間知らずの田舎者の格好だ。エリカときたら、紺のワンピースにサンダルという、いかにも田舎の子がせいいっぱいのおめかしをした、そんな印象だった。
駅への道を教えたが、地図を読むのが苦手らしく、ハイネが首をかしげていたので、一緒に歩いて目的地まで案内したのだ。
「私から見ると、君はクラリス人に見えるんだが、いったいこの国に何しに来たのかね?」
その道すがら、シュトラウスはハイネにそう訊ねた。戦況は徐々に悪化の一途をたどっている。今はまだ何の制限もかけられていないが、いずれ何かしら国民の生活を縛り付けるような状況がやってきそうなのだ。
そんな折、敵国の若者がどうしてディスタンシアにやってきたのか、シュトラウスには不思議でならなかった。
「今は戦争中だ。状況を鑑みると、君のような人間がディスタンシアなどに来るべきではないと思うのだが」
「私はディスタンシアとクラリスの混血なんです。でもクラリスでは私は異端児扱いされて。俗にいう村八分です。クラリスでもかなり貧しい田舎の出で、そういうところでは少なからず差別があって」
周囲から孤立し、恐怖政治で統制されている国において、国の外を知る人間は何を吹聴するかわからない。
自国人でも外国に出ていたというだけで、適当な罪状をつけられ、財産をすべて取り上げてしまうような国だ。
だがシュトラウスは、ハイネに何の疑いも持たなかった。むしろ、クラリスにおいて、若いハイネ達がおかれた立場に同情すらしてしまったのだ。
「君が……混血? どうみても君はクラリス人だぞ」
「だからですよ。見た目はクラリス人のくせに、身体の中には敵の血が流れている。そう言われ続けてきました。そんな目に見えないもの、どうにもならないのに。だからディスタンシアに来たんです。ここなら努力をまっとうに評価してくれる国だと聞いたから」
彼は人目を惹くほどの美しさを持っていた。
栗色の少し長めの髪、切れ長の涼しげな眼もと、紅色の薄い唇。すらりとした長身。神は二物も三物もハイネに与えたようだった。
男が羨み、女が憧れる。ハイネとはそういう男だった。
今にして思えば、人を外見だけで騙せるので、スパイという職業に彼は向いていたのだろう。
男性にしては少し中性的な顔つきではあったが、それがまったくマイナスにはなっておらず、背筋を正して常に前を向く姿勢は、美しく咲き誇る赤いバラのように凛とし、その内面に情熱を秘めているようにみえた。
彼は総じて実直な印象を周囲に与えていた。見た目や所作もスマートで、もし彼が歌手や俳優であったなら、多くのファンがついたに違いない。
常に鋭い視線で周囲を見渡し、先を正確に判断するくせに、ふとしたことで見せる子供のような無邪気な笑顔。そしてなにより、彼はシュトラウスに嘘をつかなかった。
嘘をつかれ、陥れられるだけの世界しか知らないシュトラウスにとって、それは純粋な優しさでもあった。その優しさに惹かれたのだ。
酒のせいにして、身体を重ねたこともある。
褥の彼はたいそう紳士的だった。シュトラウスの方がわずかに年上なのだが、ハイネは背伸びをしているわけでもなく、ごく自然にシュトラウスをリードし、快楽の絶頂を見せてくれた。
ハイネの命が最奥に吐き出される度に、その血脈が自らの身体に宿らないかと願った。
彼を受け止めるたび、下腹に広がる温もりが愛おしくて――切なかった。
同性愛を禁じているこの国で、二人だけの危険な情事。
周囲を欺く逢瀬の時間は限られている。その短い時間で、ハイネとシュトラウスは互いを貪りあい、身体が入れ替わりそうなほどに激しく抱き合った。
ハイネに出会うまで、シュトラウスは闇の世界しか知らなかった。だがハイネが、シュトラウスの世界に光を当てた。
愛の言葉なんか囁かれたことなどない。誰かに愛されることなど知らなかったシュトラウスは、ハイネが囁く愛の言葉で救われた。
その言葉に演技も嘘もなかった。
繋がればそこに情と独占欲が生まれる。
「私は、彼だけのものだ」と強く思った。
現実には許されなくてもーー思うだけで満足だ。誰も頭の中は覗けない。脳が記憶できる場所のすべてを彼だけで満たしたい。
『エル、好きだよ。愛している』
優しい笑顔も自らに触れる熱も、自分にだけ見せてくれるものだと、そう思っていた……いや、今でも嘘だと割りきれない。
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