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#27 永久二番の男
#27 永久二番の男
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ヴィルヘルムの来訪を伝えたところ、ミハイルは意外にもあっさり部屋の使用を了承した。
部屋へ行くと、テーブルをきれいにセッティングまでして、紅茶とクッキーの準備までやっていたのを見て、驚いたのはグスタフだった。
ミハイルにとっても、ヴィルヘルムと言う男は面倒な存在だ。なるべく接触を避けてきた感があるはずなのに、いったいこの歓待ぶりはどういうことだ。まさかここで一服盛って、ミズキを攫った恨みでも晴らすつもりかと、ティーカップを凝視するグスタフを見て、ミハイルがやれやれと呆れて笑う。
「毒なんて入れていませんよ」
部屋をぐるりと見渡して首をかしげるヴィルヘルムに、ミハイルが声をかけた。
「さあ座って。それとも私の部屋に何か?」
「いや……君は陸軍上級大将の地位にあるのに、どうして部屋に惨劇の痕があるんだ?」
「惨劇?」
「ここに入った時、廊下より寒いと感じた。ゴミ袋かなにかで窓が覆われている。袋が揺れているから、窓が割れているんだろう? それにここは昼でも薄暗いのに、電灯ではなくルームライトとろうそくで明かりを取っている。ブライデン少尉とケンカをしたにしては、部屋の壊れ方が派手過ぎないか」
「ちょっとあなた、まさか先日の大騒動を知らないとか? あれは老獪の指示ですよ」
ミハイルに問いかけに、ヴィルヘルムは俯いて噛み締めるように答えた。
「……悪いが知らない」
「知らないですって? ご冗談でしょう?」
「異色光彩の狙撃手が営倉に移送されたという事以外、私は何も知らないんだ。そして彼が移送されてからというもの、クラウス大将のお人なりが変わった。私はそれに戸惑っている」
「老獪が変わった?」
「営倉の地下室で連日狙撃手の取り調べが行われているようなのだが、今、そこには誰も近づけない。入ろうものならセキュリティが反応する。狙撃手がいる部屋のセキュリティが変わってしまっている」
ヴィルヘルムは額に手を当て、力なく首を振った。
「もちろん、狙撃手の捕縛は我々にとっては大きな収穫。話してもらわなければならないこともたくさんある。だが、だからといって人払いをして、特定の人間にしか話せないような機密を、あの狙撃手が持っているのかといえば、私はないと考えている」
ミハイルはカップに注いだ紅茶を、そっとヴィルヘルムの前に置く。
「冷めないうちにどうぞ」
「いただこう」
ヴィルヘルムはカップを手に取り、立ち上る香りを楽しんだ後、紅茶を一口飲む。険しかった彼の表情が少しだけ緩んだ。
「オレンジペコか。私の好きなものを君は知っていたのか」
「癖がないものがお好みだと、以前におっしゃっていましたよね」
「アールグレイだ、ウェールズなんとかとか、香りが強いものはどうも苦手で、頭痛を引き起こしてしまうんだ。その点オレンジペコは癖がない」
「永久2番は癖ありまくりだけどなー」
グスタフの横やりに、ミハイルの無言のパンチが彼の側頭部に飛ぶ。
「茶化すものではありません。真面目な話をしているんですから。で、ヴィルヘルム。話の続きを聞かせてもらいましょうか」
「うむ」
ヴィルヘルムは頷くと、椅子ごとミハイルに身体を向けた。
「ミハイル、君はあの狙撃手の尋問を最初に行った人物だ。君は彼から何を聞いた?」
「まだ本格的な尋問は行っていませんよ」
「なんだと?」
「彼は心身とも消耗が激しかったのです。それに彼には心の闇がある。彼自身がその闇に打ち克てるようになるまではと思い、これといった尋問は行っていません。傷ついた状態で厳しい環境に置かれれば、彼はますます心も口も閉ざし、聞けることも聞けないと思ったので」
「心の闇?」
「彼はディスタンシアで精神に異常をきたすほど、恒常的に何かをさせられていたんです。私にはそれがなんとなくわかりますが、彼の名誉があるので、あなたには言えません。精神と身体の回復を行っている最中に、彼は老獪に拉致された。そのときのありさまがこの部屋ですよ」
ミハイルは首を回し、ぐるりと部屋を見渡した。
「ヴィルヘルム、あなたはここに入った時、部屋が派手に壊れていると言った。この部屋をここまで壊したのは、あなた方海軍兵です。老獪は、通りのレストランのジュリアが私の部屋に行き来するのを知っていた。そして彼自身が手引きをして、ミズキを奪うためにこの部屋を襲撃した。それも2度も」
「陸軍上級大将の私室に、兵が襲撃を……?」
信じられないとばかりにヴィルヘルムは目を瞠る。
「ありえない。普通なら懲罰ものだ。しかもこんなに部屋を破壊しつくして」
「ですよね。ですが老獪はそれをやったのです。私はミズキに外に逃げるように指示をした。彼は私の言うとおりに、そこの窓を破って、下へ飛び降りた」
ヴィルヘルムの目がシートを張られた窓ガラスに移る。彼の中であの日の襲撃がプレイバックされているのだろう。ヴィルヘルムは席を立つと、窓のそばに歩み寄る。階下までの高さを確認し、彼は声を震わせた。
「ここから……飛び降りた……」
「外には老獪以下、海軍兵たちが待ち構えていた。命からがらここから逃げたミズキは、脱走疑惑だと言って連れ去られた。脱走に関する取り調べであるならば、そんなに時間もかからないし、そもそもミズキは戦犯として私の管理下にある罪人。それを老獪はこんな方法で攫っていった。脱走疑惑なんてのは老獪が無理やりつけた後付けの理由。ヴィルヘルム、あなた本当に何もご存じないのですか?」
「申し訳ない。私は本当に何も知らない……」
「――でしょうね」
ミハイルがため息をつく。もしヴィルヘルムがこの騒動を事前に察知していたなら、おそらく兵たちを止めているだろう。癖がありすぎて人望が薄い男ではあるが、規律には実直だ。そこはミハイルも認めている。
「では、今回の騒動は老獪主導で、かつあなたの頭の上を超えていった……ということになりますね?」
「そういうことだ」
ヴィルヘルムは無念さをにじませつつうなづいた。
「ミズキ・ブランケンハイムは戦犯だ。我が国に多大な損害を出している。その償いはしてもらうべきだが、だからといってどうしてクラウス大将はそんな真似を……」
「老獪のあの執着の仕方は異様です。単純に罪人を裁くのが目的とは思えない」
「確かに。些か度が過ぎる」
うなる二人を横目に、グスタフはクッキーを口に放り込み、ぼそりと呟く
「まるで深窓の令嬢扱いだな。アダルトファンタジーなんかじゃ、地下室なんてじじいが変なとことする絶好の場所だ。ミズキの奴、おもちゃにされてなきゃいいけどな」
「グスタフ、あなた」
「おい少尉、上級大将に失礼じゃないか。あの方がそんな真似をすると」
「でもあんたらも、あのヒゲじじいの行動が異様だって感じてるんだろ」
グスタフはふたりを黙らせると、カップをあおる。
「人体実験か、お人形さんか。それとも本当に尋問か。ここで唸っていても実際のところはやっぱり特攻かますしかないんじゃないの? あのヒゲじじいが何をしているか、兄貴も永久2番も知りたいんだろ」
「永久2番と言うな。近いうちにミハイルと並ぶ予定だ」
「予定は未定って言うからな。そもそもヒゲジジイが退かないなら、永久に無理になることだってあり得る」
グスタフはカップを置き、テーブルにトンと手を突き立ち上がった。
「ミズキに会いに行ってみようぜ」
「少尉、セキュリティをどう突破するつもりだ」
「ここには海軍の永久2番と陸軍の上級大将様がいるんだ。入口の歩哨なんか、ふたりが睨めば一発だろ。最悪拳を腹に一発お見舞いしたっていい。地位は利用できてナンボだ」
「だが、何の用件で来たというんだ? 戦犯に会わせてくれじゃおそらく通らないぞ」
「その辺は適当な言い訳考えろよ、永久2番。別に何を言ったって歩哨は簡単には通してくれないだろ。だから肩書使うんじゃないか。俺じゃ無理だけど、永久2番と上級大将なら、普通の歩哨はビビッて鍵を開けてくれるさ」
「言い方が気に障るが、まあ今回は少尉の案にのるとしよう……」
「決まったな。兄貴もそれでいい?」
グスタフが訊ねると、ミハイルは首を縦に振った。
「玄関以外からでは不法侵入になります。ちゃんと呼び鈴を鳴らして入らないといけませんね」
ミハイルがいたずらっ子のように笑う。こういう顔をするときの兄は、かなり狡猾だ。
おそらく、グスタフの予想をはるかに飛び越えた寸劇を見せてくれるはずだ。
「よし、じゃあみんなでミズキの房に行きますかー」
「ええ、行きましょう。ヴィルヘルム、あなたも来るんですよ。なかまは少しでも多いほうがいいですからね」
「待てミハイル。まさか『なかま』と書いて、『犠牲者』とか『巻き添え』とかいうルビを振っているんじゃないだろうな?」
「悪事に加担するんです。みんな仲間ですよ。みんなね」
「おまえたちは全く。……だがいい。今回はおまえたちを信じるぞ」
先に歩き出したブライデン兄弟のあとをヴィルヘルムも追う。
だが、どこか楽しげなヴィルヘルムを見て、ミハイルは心の中でつぶやいた。
――いつもそんな感じだったら、あなたについてくる部下が増えるんですけどね、と。
************
歩きなれたはずの施設の中なのに、3人は妙に緊張した面持ちで尋問室へ向かっていた。
黒衣の悪魔と称されるミハイルにとっては、目をつぶっていても見取り図が頭に描けるくらい慣れた道だ。
3人とも無言だったが、軌を一つにして歩く3人の胸には、自分の上官や仲間に対する信頼、あるいは悪い予感の的中が外れるように願う気持ちがあった。
罪人は裁かれるべし。しかしそれは正当な手段でなされるべきだ。少なくともヴィルヘルムはそう思っているし、ミハイルもまたミズキから問い質さなければならないことがたくさんある。
やっとミズキが心を開いてくれたのに、ここでそのままクラウスなどにどうにかされてしまっては意味がない。
尋問室へ続くゲートをくぐり、さらにまっすぐ歩いていくと、突き当たりの部屋だけがほかの部屋と一線を画していた。
そこだけ確かに屈強な歩哨が一人立っている。歩哨に当たっている兵士はこんな場所に不似合いな重装備だ。
クラウスから誰も通すなと厳命を受けているのだろう。いざとなれば武力でもって侵入者を粛清させるつもりのようだ。とはいえ、耳鳴りがするほどの静寂だ。見張りの兵は少し前のめり気味になって、微睡の海で舟をこいでいた。
「おやおや……職務熱心な見張りがいますね。」
「ミハイル、見るところはそこか? わが軍の尋問室は、歩哨を別につけなければならないほど脱走が容易ではないはずだぞ。なんであんなのがいるのか、疑問に思わないのか」
「老獪が何かをそこに隠しているんでしょう? 疑問どころか、その疑問の答えが出ているじゃないですか」
ほかの部屋に入るふりをして、突き当たりの様子をうかがう。おそらく、そこがミズキのいる部屋だ。防音設備が万全なので、悲鳴などが漏れ聞こえることはないが、3人とも自然と耳と神経を突き当たりの部屋に集中させる。
当然だが何も聞こえない。静寂だけがこの空間に漂っている。
「さてそろそろ行きますか。兄貴たち、いい芝居を頼むよ」
「ええ」
「まかせておけ、少尉もびっくりの展開をご覧にいれる」
年長者2名がそろってガッツポーズをする。その乱れなきタイミングと示し合わせたようなしぐさにグスタフは思わずふきだした。
「兄貴と永久2番は妙なところで息が合うよな」
「グスタフ、それは違います。私がヴィルヘルムのレベルに合わせているのです」
「ミハイルがようやく私のレベルに追いついたということだ。よかったな、少尉」
真顔で返され、グスタフは呆れてため息をつく。
「なんでもいいよ。さあ歩哨を何とかしてくれ」
「まかせなさい」
「見ていろ」
二人が歩き出した時、背後からかつかつと靴音が聞こえてきた。どことなくゆっくりゆっくりとその音が近づいてくる。ヴィルヘルムがはっと顔を上げ、そばの部屋のドアを開けた。
「少尉とミハイルはちょっとそこの尋問室に入れ」
「なぜです?」
「あの足音はクラウス大将だ。3人でいれば怪しまれる」
半ばヴィルヘルムはミハイルとグスタフを部屋に押し込むと、「声をたてるな、やりすごす」と言い置き、ドアを閉めた。
ミハイルはドアに耳をつけて外の様子をうかがってみるが、聞こえるのは話し声のようなかすかな物音だ。ドアを開けて外の様子を確認することもできない。いったい誰がここに近づいてきたのか。本当に老獪か。
ミハイルとグスタフはヴィルヘルムに運命を託すしかない。
「兄貴はどう見てる? 永久二番の奴、本当に味方してくれるのかな」
「そう思いたいですけどね」
「へえ兄貴、一応信用してるんだ」
「完全にではありませんが」
グスタフが壁に凭れ掛かって訊ねると、ミハイルはドアに耳をつけたまま答えた。
「ヴィルヘルムとは長い付き合いですが、彼は軍の中で一番嘘が下手な男です。思ったことをオブラートにも包まずにストレートに言うから、海軍ではヴィルヘルムを嫌っている人間の方が多い。ナンバー2に上がれたのは奇跡。そして困ったことに、彼はそれを自覚していないうえ、自分は何でもスマートにこなすエリートだと思っている」
「自覚ないとか、それってバカ……」
「本当のことを口にするもんじゃありませんよ、グスタフ」
ミハイルが弟の失言を軽く戒めた。
「そこが彼の長所でもあるのです。でも何かが引っかかる」
「引っかかる?」
「ナンバー2たる自分が知らずに、使い捨ての襲撃部隊にミズキ拉致の指示が飛んだ。さらにミズキを捕らえているのに、自分の権限では尋問室に入れない。エリートだと思っているおバカさんはそれが許せないのでしょう。だから老獪の腹を本気で探る気ではいる。しかし、どうもなにかがしっくりこない……」
「兄貴もあいつのこと、バカって言った」
「本当の事ですからね」
ミハイルが言い終わらないうちに、重いドアがゆっくりと開いた。
「二人とも出てきていいぞ。クラウス大将は突き当たりの尋問室に行った」
「歩哨はどうしていますか?」
「またうつらうつらし始めた。今のうちにあの部屋の控室に移動しよう。マジックミラーであの部屋の様子が見られるだろう」
「ふむ……」
ドアから少しだけ顔を出し、突き当たりを見れば、確かに歩哨は立ったまま、またうとうとしているようにも見える。
「さあミハイル、行くぞ」
「いえ、今日はここまでにしていったん戻りましょう」
「どうしてだ。絶好のチャンスじゃないか。今なら簡単に入れるぞ」
「だからです」
ミハイルは険しい表情で答えた。
「老獪が中にいるのでしょう? であれば、今はミズキに危険が及びます。老獪がいないときにもう一度来ましょう」
言うや否や、ミハイルは踵を返し、なるべく足音を立てないようにその場を後にする。
「兄貴、なんでだよ。ミズキはそこにいるんだぞ。助けないと、本当に死んじまうぜ」
グスタフは周囲を気にして、声を抑えながら兄に追いすがる。
「尋問に耐えられるのは、もって1週間だって言ったじゃないか! もう時間がないんだぜ、兄貴!」
ミハイルは質問には答えず「帰ります」とだけ言い、速度を速めながらどんどんと歩いていく。
尋問室の外に出ても、ミハイルは黙ったままだ。
「兄貴ってば! せめて理由を聞かせろよ!」
グスタフはミハイルにまとわりつくように前後に回りつつ真意を質すが、彼は険しい顔を崩さず、口を真一文字に引き結んだままだ。
やがてミハイルの執務室の前に着いた。そこで漸く立ち止まり、鍵を開けながらやっと口を開く。
「グスタフ、あなたも職務に戻りなさい。また連絡します」
「兄貴!」
「……あなたは昔からそうでしたが――」
ミハイルは眉間に皺をよせ、うっとうしいとばかりにグスタフの軍服の襟首を掴み上げると、鼻先が当たってしまいそうなほどにぐっと自分に引き寄せる。
「何でも聞きたがる癖は治しなさい」
「ひえ、あに……」
「ここ最近の騒動で、私たちは間違いなく目をつけられている。どこで誰が私たちの行動を監視しているかわからないのです。理由はあとからきちんと教えてあげます。だから今は職務に戻りなさい。なるべく普通にしておくのです。いいですね」
音も無く地を這うような、静かなる恫喝に恐れをなしたか、グスタフはこくこくと高速で頷く。
それを確認すると、ミハイルは「よろしい」と言い、グスタフを解放した。
「そういうことです。いつでも連絡を取れるように準備しておきなさい。あなたも言った通り、ミズキには時間がありません。とはいえ、急いては事を仕損じる。本当はひとりの方が動きやすいのですが、それではあなたが納得できないのでしょう?」
「当たり前だろ。そんな面白そうなこと、俺だってやりたい!」
「遊びではありませんよ」
ミハイルがぴしゃりと釘をさす。
「行動は一両日中に起こします。いいですね」
そう言い置くと、ミハイルは中に入りドアを閉める。
むやみに大きな音を立てながら靴音が遠ざかり、ドア一枚隔てた向こう側の気配が無くなった。
潜入に失敗すれば、ミハイルとてただでは済まない老獪の懐。そこに飛び込むには、必要最低限で最大効果を出す作戦を立てるべきだ。
ミズキがたった一人でクラリス軍を混乱に陥れたように、作戦実行は信頼できる人間だけで行うのが一番いい。
万が一のことも考えると、本当はグスタフも連れて行きたくない。
「地獄に堕ちるなら、みんなで堕ちたほうがきっと楽しいはず……」
自分とグスタフ、そしてミズキの3人で。
ミハイルは窓の外に視線をうつす。もう夕暮れだ。茜色の空が徐々に夜に侵食されている。それはまるで、作戦実行までの残り時間を示す日時計のようにも見える。
「ミズキ、もう少しだけ待っていてくださいね」
空には一番星が顔を出していた。
「ミズキ……」
暮れ行く空を眺めながら、ミハイルはミズキの名前を呟く。
地下で辛い思いをしているミズキに、ミハイルの声が届くようにと願いながら。
部屋へ行くと、テーブルをきれいにセッティングまでして、紅茶とクッキーの準備までやっていたのを見て、驚いたのはグスタフだった。
ミハイルにとっても、ヴィルヘルムと言う男は面倒な存在だ。なるべく接触を避けてきた感があるはずなのに、いったいこの歓待ぶりはどういうことだ。まさかここで一服盛って、ミズキを攫った恨みでも晴らすつもりかと、ティーカップを凝視するグスタフを見て、ミハイルがやれやれと呆れて笑う。
「毒なんて入れていませんよ」
部屋をぐるりと見渡して首をかしげるヴィルヘルムに、ミハイルが声をかけた。
「さあ座って。それとも私の部屋に何か?」
「いや……君は陸軍上級大将の地位にあるのに、どうして部屋に惨劇の痕があるんだ?」
「惨劇?」
「ここに入った時、廊下より寒いと感じた。ゴミ袋かなにかで窓が覆われている。袋が揺れているから、窓が割れているんだろう? それにここは昼でも薄暗いのに、電灯ではなくルームライトとろうそくで明かりを取っている。ブライデン少尉とケンカをしたにしては、部屋の壊れ方が派手過ぎないか」
「ちょっとあなた、まさか先日の大騒動を知らないとか? あれは老獪の指示ですよ」
ミハイルに問いかけに、ヴィルヘルムは俯いて噛み締めるように答えた。
「……悪いが知らない」
「知らないですって? ご冗談でしょう?」
「異色光彩の狙撃手が営倉に移送されたという事以外、私は何も知らないんだ。そして彼が移送されてからというもの、クラウス大将のお人なりが変わった。私はそれに戸惑っている」
「老獪が変わった?」
「営倉の地下室で連日狙撃手の取り調べが行われているようなのだが、今、そこには誰も近づけない。入ろうものならセキュリティが反応する。狙撃手がいる部屋のセキュリティが変わってしまっている」
ヴィルヘルムは額に手を当て、力なく首を振った。
「もちろん、狙撃手の捕縛は我々にとっては大きな収穫。話してもらわなければならないこともたくさんある。だが、だからといって人払いをして、特定の人間にしか話せないような機密を、あの狙撃手が持っているのかといえば、私はないと考えている」
ミハイルはカップに注いだ紅茶を、そっとヴィルヘルムの前に置く。
「冷めないうちにどうぞ」
「いただこう」
ヴィルヘルムはカップを手に取り、立ち上る香りを楽しんだ後、紅茶を一口飲む。険しかった彼の表情が少しだけ緩んだ。
「オレンジペコか。私の好きなものを君は知っていたのか」
「癖がないものがお好みだと、以前におっしゃっていましたよね」
「アールグレイだ、ウェールズなんとかとか、香りが強いものはどうも苦手で、頭痛を引き起こしてしまうんだ。その点オレンジペコは癖がない」
「永久2番は癖ありまくりだけどなー」
グスタフの横やりに、ミハイルの無言のパンチが彼の側頭部に飛ぶ。
「茶化すものではありません。真面目な話をしているんですから。で、ヴィルヘルム。話の続きを聞かせてもらいましょうか」
「うむ」
ヴィルヘルムは頷くと、椅子ごとミハイルに身体を向けた。
「ミハイル、君はあの狙撃手の尋問を最初に行った人物だ。君は彼から何を聞いた?」
「まだ本格的な尋問は行っていませんよ」
「なんだと?」
「彼は心身とも消耗が激しかったのです。それに彼には心の闇がある。彼自身がその闇に打ち克てるようになるまではと思い、これといった尋問は行っていません。傷ついた状態で厳しい環境に置かれれば、彼はますます心も口も閉ざし、聞けることも聞けないと思ったので」
「心の闇?」
「彼はディスタンシアで精神に異常をきたすほど、恒常的に何かをさせられていたんです。私にはそれがなんとなくわかりますが、彼の名誉があるので、あなたには言えません。精神と身体の回復を行っている最中に、彼は老獪に拉致された。そのときのありさまがこの部屋ですよ」
ミハイルは首を回し、ぐるりと部屋を見渡した。
「ヴィルヘルム、あなたはここに入った時、部屋が派手に壊れていると言った。この部屋をここまで壊したのは、あなた方海軍兵です。老獪は、通りのレストランのジュリアが私の部屋に行き来するのを知っていた。そして彼自身が手引きをして、ミズキを奪うためにこの部屋を襲撃した。それも2度も」
「陸軍上級大将の私室に、兵が襲撃を……?」
信じられないとばかりにヴィルヘルムは目を瞠る。
「ありえない。普通なら懲罰ものだ。しかもこんなに部屋を破壊しつくして」
「ですよね。ですが老獪はそれをやったのです。私はミズキに外に逃げるように指示をした。彼は私の言うとおりに、そこの窓を破って、下へ飛び降りた」
ヴィルヘルムの目がシートを張られた窓ガラスに移る。彼の中であの日の襲撃がプレイバックされているのだろう。ヴィルヘルムは席を立つと、窓のそばに歩み寄る。階下までの高さを確認し、彼は声を震わせた。
「ここから……飛び降りた……」
「外には老獪以下、海軍兵たちが待ち構えていた。命からがらここから逃げたミズキは、脱走疑惑だと言って連れ去られた。脱走に関する取り調べであるならば、そんなに時間もかからないし、そもそもミズキは戦犯として私の管理下にある罪人。それを老獪はこんな方法で攫っていった。脱走疑惑なんてのは老獪が無理やりつけた後付けの理由。ヴィルヘルム、あなた本当に何もご存じないのですか?」
「申し訳ない。私は本当に何も知らない……」
「――でしょうね」
ミハイルがため息をつく。もしヴィルヘルムがこの騒動を事前に察知していたなら、おそらく兵たちを止めているだろう。癖がありすぎて人望が薄い男ではあるが、規律には実直だ。そこはミハイルも認めている。
「では、今回の騒動は老獪主導で、かつあなたの頭の上を超えていった……ということになりますね?」
「そういうことだ」
ヴィルヘルムは無念さをにじませつつうなづいた。
「ミズキ・ブランケンハイムは戦犯だ。我が国に多大な損害を出している。その償いはしてもらうべきだが、だからといってどうしてクラウス大将はそんな真似を……」
「老獪のあの執着の仕方は異様です。単純に罪人を裁くのが目的とは思えない」
「確かに。些か度が過ぎる」
うなる二人を横目に、グスタフはクッキーを口に放り込み、ぼそりと呟く
「まるで深窓の令嬢扱いだな。アダルトファンタジーなんかじゃ、地下室なんてじじいが変なとことする絶好の場所だ。ミズキの奴、おもちゃにされてなきゃいいけどな」
「グスタフ、あなた」
「おい少尉、上級大将に失礼じゃないか。あの方がそんな真似をすると」
「でもあんたらも、あのヒゲじじいの行動が異様だって感じてるんだろ」
グスタフはふたりを黙らせると、カップをあおる。
「人体実験か、お人形さんか。それとも本当に尋問か。ここで唸っていても実際のところはやっぱり特攻かますしかないんじゃないの? あのヒゲじじいが何をしているか、兄貴も永久2番も知りたいんだろ」
「永久2番と言うな。近いうちにミハイルと並ぶ予定だ」
「予定は未定って言うからな。そもそもヒゲジジイが退かないなら、永久に無理になることだってあり得る」
グスタフはカップを置き、テーブルにトンと手を突き立ち上がった。
「ミズキに会いに行ってみようぜ」
「少尉、セキュリティをどう突破するつもりだ」
「ここには海軍の永久2番と陸軍の上級大将様がいるんだ。入口の歩哨なんか、ふたりが睨めば一発だろ。最悪拳を腹に一発お見舞いしたっていい。地位は利用できてナンボだ」
「だが、何の用件で来たというんだ? 戦犯に会わせてくれじゃおそらく通らないぞ」
「その辺は適当な言い訳考えろよ、永久2番。別に何を言ったって歩哨は簡単には通してくれないだろ。だから肩書使うんじゃないか。俺じゃ無理だけど、永久2番と上級大将なら、普通の歩哨はビビッて鍵を開けてくれるさ」
「言い方が気に障るが、まあ今回は少尉の案にのるとしよう……」
「決まったな。兄貴もそれでいい?」
グスタフが訊ねると、ミハイルは首を縦に振った。
「玄関以外からでは不法侵入になります。ちゃんと呼び鈴を鳴らして入らないといけませんね」
ミハイルがいたずらっ子のように笑う。こういう顔をするときの兄は、かなり狡猾だ。
おそらく、グスタフの予想をはるかに飛び越えた寸劇を見せてくれるはずだ。
「よし、じゃあみんなでミズキの房に行きますかー」
「ええ、行きましょう。ヴィルヘルム、あなたも来るんですよ。なかまは少しでも多いほうがいいですからね」
「待てミハイル。まさか『なかま』と書いて、『犠牲者』とか『巻き添え』とかいうルビを振っているんじゃないだろうな?」
「悪事に加担するんです。みんな仲間ですよ。みんなね」
「おまえたちは全く。……だがいい。今回はおまえたちを信じるぞ」
先に歩き出したブライデン兄弟のあとをヴィルヘルムも追う。
だが、どこか楽しげなヴィルヘルムを見て、ミハイルは心の中でつぶやいた。
――いつもそんな感じだったら、あなたについてくる部下が増えるんですけどね、と。
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歩きなれたはずの施設の中なのに、3人は妙に緊張した面持ちで尋問室へ向かっていた。
黒衣の悪魔と称されるミハイルにとっては、目をつぶっていても見取り図が頭に描けるくらい慣れた道だ。
3人とも無言だったが、軌を一つにして歩く3人の胸には、自分の上官や仲間に対する信頼、あるいは悪い予感の的中が外れるように願う気持ちがあった。
罪人は裁かれるべし。しかしそれは正当な手段でなされるべきだ。少なくともヴィルヘルムはそう思っているし、ミハイルもまたミズキから問い質さなければならないことがたくさんある。
やっとミズキが心を開いてくれたのに、ここでそのままクラウスなどにどうにかされてしまっては意味がない。
尋問室へ続くゲートをくぐり、さらにまっすぐ歩いていくと、突き当たりの部屋だけがほかの部屋と一線を画していた。
そこだけ確かに屈強な歩哨が一人立っている。歩哨に当たっている兵士はこんな場所に不似合いな重装備だ。
クラウスから誰も通すなと厳命を受けているのだろう。いざとなれば武力でもって侵入者を粛清させるつもりのようだ。とはいえ、耳鳴りがするほどの静寂だ。見張りの兵は少し前のめり気味になって、微睡の海で舟をこいでいた。
「おやおや……職務熱心な見張りがいますね。」
「ミハイル、見るところはそこか? わが軍の尋問室は、歩哨を別につけなければならないほど脱走が容易ではないはずだぞ。なんであんなのがいるのか、疑問に思わないのか」
「老獪が何かをそこに隠しているんでしょう? 疑問どころか、その疑問の答えが出ているじゃないですか」
ほかの部屋に入るふりをして、突き当たりの様子をうかがう。おそらく、そこがミズキのいる部屋だ。防音設備が万全なので、悲鳴などが漏れ聞こえることはないが、3人とも自然と耳と神経を突き当たりの部屋に集中させる。
当然だが何も聞こえない。静寂だけがこの空間に漂っている。
「さてそろそろ行きますか。兄貴たち、いい芝居を頼むよ」
「ええ」
「まかせておけ、少尉もびっくりの展開をご覧にいれる」
年長者2名がそろってガッツポーズをする。その乱れなきタイミングと示し合わせたようなしぐさにグスタフは思わずふきだした。
「兄貴と永久2番は妙なところで息が合うよな」
「グスタフ、それは違います。私がヴィルヘルムのレベルに合わせているのです」
「ミハイルがようやく私のレベルに追いついたということだ。よかったな、少尉」
真顔で返され、グスタフは呆れてため息をつく。
「なんでもいいよ。さあ歩哨を何とかしてくれ」
「まかせなさい」
「見ていろ」
二人が歩き出した時、背後からかつかつと靴音が聞こえてきた。どことなくゆっくりゆっくりとその音が近づいてくる。ヴィルヘルムがはっと顔を上げ、そばの部屋のドアを開けた。
「少尉とミハイルはちょっとそこの尋問室に入れ」
「なぜです?」
「あの足音はクラウス大将だ。3人でいれば怪しまれる」
半ばヴィルヘルムはミハイルとグスタフを部屋に押し込むと、「声をたてるな、やりすごす」と言い置き、ドアを閉めた。
ミハイルはドアに耳をつけて外の様子をうかがってみるが、聞こえるのは話し声のようなかすかな物音だ。ドアを開けて外の様子を確認することもできない。いったい誰がここに近づいてきたのか。本当に老獪か。
ミハイルとグスタフはヴィルヘルムに運命を託すしかない。
「兄貴はどう見てる? 永久二番の奴、本当に味方してくれるのかな」
「そう思いたいですけどね」
「へえ兄貴、一応信用してるんだ」
「完全にではありませんが」
グスタフが壁に凭れ掛かって訊ねると、ミハイルはドアに耳をつけたまま答えた。
「ヴィルヘルムとは長い付き合いですが、彼は軍の中で一番嘘が下手な男です。思ったことをオブラートにも包まずにストレートに言うから、海軍ではヴィルヘルムを嫌っている人間の方が多い。ナンバー2に上がれたのは奇跡。そして困ったことに、彼はそれを自覚していないうえ、自分は何でもスマートにこなすエリートだと思っている」
「自覚ないとか、それってバカ……」
「本当のことを口にするもんじゃありませんよ、グスタフ」
ミハイルが弟の失言を軽く戒めた。
「そこが彼の長所でもあるのです。でも何かが引っかかる」
「引っかかる?」
「ナンバー2たる自分が知らずに、使い捨ての襲撃部隊にミズキ拉致の指示が飛んだ。さらにミズキを捕らえているのに、自分の権限では尋問室に入れない。エリートだと思っているおバカさんはそれが許せないのでしょう。だから老獪の腹を本気で探る気ではいる。しかし、どうもなにかがしっくりこない……」
「兄貴もあいつのこと、バカって言った」
「本当の事ですからね」
ミハイルが言い終わらないうちに、重いドアがゆっくりと開いた。
「二人とも出てきていいぞ。クラウス大将は突き当たりの尋問室に行った」
「歩哨はどうしていますか?」
「またうつらうつらし始めた。今のうちにあの部屋の控室に移動しよう。マジックミラーであの部屋の様子が見られるだろう」
「ふむ……」
ドアから少しだけ顔を出し、突き当たりを見れば、確かに歩哨は立ったまま、またうとうとしているようにも見える。
「さあミハイル、行くぞ」
「いえ、今日はここまでにしていったん戻りましょう」
「どうしてだ。絶好のチャンスじゃないか。今なら簡単に入れるぞ」
「だからです」
ミハイルは険しい表情で答えた。
「老獪が中にいるのでしょう? であれば、今はミズキに危険が及びます。老獪がいないときにもう一度来ましょう」
言うや否や、ミハイルは踵を返し、なるべく足音を立てないようにその場を後にする。
「兄貴、なんでだよ。ミズキはそこにいるんだぞ。助けないと、本当に死んじまうぜ」
グスタフは周囲を気にして、声を抑えながら兄に追いすがる。
「尋問に耐えられるのは、もって1週間だって言ったじゃないか! もう時間がないんだぜ、兄貴!」
ミハイルは質問には答えず「帰ります」とだけ言い、速度を速めながらどんどんと歩いていく。
尋問室の外に出ても、ミハイルは黙ったままだ。
「兄貴ってば! せめて理由を聞かせろよ!」
グスタフはミハイルにまとわりつくように前後に回りつつ真意を質すが、彼は険しい顔を崩さず、口を真一文字に引き結んだままだ。
やがてミハイルの執務室の前に着いた。そこで漸く立ち止まり、鍵を開けながらやっと口を開く。
「グスタフ、あなたも職務に戻りなさい。また連絡します」
「兄貴!」
「……あなたは昔からそうでしたが――」
ミハイルは眉間に皺をよせ、うっとうしいとばかりにグスタフの軍服の襟首を掴み上げると、鼻先が当たってしまいそうなほどにぐっと自分に引き寄せる。
「何でも聞きたがる癖は治しなさい」
「ひえ、あに……」
「ここ最近の騒動で、私たちは間違いなく目をつけられている。どこで誰が私たちの行動を監視しているかわからないのです。理由はあとからきちんと教えてあげます。だから今は職務に戻りなさい。なるべく普通にしておくのです。いいですね」
音も無く地を這うような、静かなる恫喝に恐れをなしたか、グスタフはこくこくと高速で頷く。
それを確認すると、ミハイルは「よろしい」と言い、グスタフを解放した。
「そういうことです。いつでも連絡を取れるように準備しておきなさい。あなたも言った通り、ミズキには時間がありません。とはいえ、急いては事を仕損じる。本当はひとりの方が動きやすいのですが、それではあなたが納得できないのでしょう?」
「当たり前だろ。そんな面白そうなこと、俺だってやりたい!」
「遊びではありませんよ」
ミハイルがぴしゃりと釘をさす。
「行動は一両日中に起こします。いいですね」
そう言い置くと、ミハイルは中に入りドアを閉める。
むやみに大きな音を立てながら靴音が遠ざかり、ドア一枚隔てた向こう側の気配が無くなった。
潜入に失敗すれば、ミハイルとてただでは済まない老獪の懐。そこに飛び込むには、必要最低限で最大効果を出す作戦を立てるべきだ。
ミズキがたった一人でクラリス軍を混乱に陥れたように、作戦実行は信頼できる人間だけで行うのが一番いい。
万が一のことも考えると、本当はグスタフも連れて行きたくない。
「地獄に堕ちるなら、みんなで堕ちたほうがきっと楽しいはず……」
自分とグスタフ、そしてミズキの3人で。
ミハイルは窓の外に視線をうつす。もう夕暮れだ。茜色の空が徐々に夜に侵食されている。それはまるで、作戦実行までの残り時間を示す日時計のようにも見える。
「ミズキ、もう少しだけ待っていてくださいね」
空には一番星が顔を出していた。
「ミズキ……」
暮れ行く空を眺めながら、ミハイルはミズキの名前を呟く。
地下で辛い思いをしているミズキに、ミハイルの声が届くようにと願いながら。
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