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#29 流転する運命
#29ー1
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ミハイルが呼んだ救護隊と軍医によって、ミズキは尋問室から連れ出され、軍の施設の中にある病院に運び込まれた。
二人はともにすぐに手術が開始され、いまだ治療が行われている。
ミハイルは軍総長、ヴァリマンド・シェレンベルクのもとに呼び出され、事情を聞かれていた。
壁にはディスタンシアと接するクラリスの戦況が書き込まれた大きな地図がある。
戦況はクラリス優勢で、ディスタンシアの地図はほとんど黒く塗りつぶされていた。クラリスの焦土作戦の進行具合だ。
その地図の前には大きな執務机があり、ヴァリマンドはその机に肘をつき、険しい表情で指をくんで座っていた。
すでに還暦を超えたヴァリマンドは温厚な人柄で知られた人物で、クラウスやアルベルトの共通の友人でもあった。
新兵が入隊したらひとりひとりに声をかけて回るようなまめな男で、中堅の兵士たちには、軍の中にいる「親父」であり、新兵たちにとっては「祖父」のような存在だった。
ずっと軍に人生を捧げ、軍を統括する一番上の地位に上がれたのも、その人柄ゆえだった。
年齢相応の衰えはあるものの、きちんと背筋を伸ばし、鋭い視線で状況を見て的確な指示を出していく。
とはいえ、本人はけっこうやんちゃな性格だ。『椅子に座ってばかりは退屈だから戦場で暴れたい』とぼやいていたが、さすがにトップに何かあれば、組織が崩壊する。それを危惧したアルベルトが「頼むから大人しくしててくれ」とヴァリマンドに懇願したものだから、しぶしぶ本部に詰めている。
軍人らしく綺麗に整えられた髪は年と共に白髪が増え、いまやごま塩となってしまっている。
軍にいる以上、仲間を失う覚悟はしていたものの、アルベルトは行方不明だし、クラウスまで急に倒れた。
えもいわれぬ喪失感のようなものが色濃く顔に顕れていた。
軍の中で、しかも尋問室で起こった殺人未遂事件。ヴァリマンドは襲われたのがクラウスであるという事よりも、軍の人間が味方に銃を向けたことを重く見ていて、この取り調べにしても、もはやミハイルを犯罪者として裁くつもりのようだった。
とはいえ、状況を明らかにしないことには裁けない。ヴァリマンドは眉間の皺をさらに深くさせ、厳しい態度でミハイルから事情を聞いていた。
「して、君はなぜクラウス海軍大将を撃った?」
「彼が軍の規律違反を犯したからです」
「……君が規律に厳しい男なのは良く知っている。戦時中、仲間を粛清したことも。君がいつだって正しかったことを私はよく理解しているつもりだ。しかし、相手は君のカウンターパート。昨日今日入隊したケツの青い子供ではない。そんな高い地位にいる人間が、いったい何の軍務規定違反を犯したというんだ?」
ミハイルの脳裏に、衣服も与えられず、素裸のまま痩せ細っていたミズキの姿が浮かぶ。ミズキの名誉を思えば、真実を詳らかにすることが果たして正しいかはわからない。
「現在捕虜となっているディスタンシアのオッドアイスナイパーの取り扱いについて。彼は捕虜を……」
口に出そうとすると、感情的になってしまいそうだ。しかしそれでは何も解決にならない。
答えるのを一瞬逡巡したが、真実ははっきりさせておかなければ。
ミハイルは直立不動のまま背筋を伸ばし、ヴァリマンドの質問に答えた。
「彼は捕虜を……性的玩具にして尋問室に監禁していました」
ヴァリマンドは驚いて目を見開き、「なんと?」とミハイルに問い質す。
「すまない、ブライデン大将。君は今、なんと言った? クラウス大将は捕虜をどうしていたと?」
「性的……玩具です」
「性的……?」
ヴァリマンドは驚いて言葉を失った。
無理もない。クラウスは豪快が服を着て歩いているような男だ。
その男が捕虜に、しかも男色に走ったなど、生粋の軍人であるヴァリマンドには理解できないのだ。
「ブライデン大将。私はどうも頭が悪くて困る。もう一度確認をさせてくれ。あいつは……。クラウスは男を…抱いていたということなのか?」
「そうです」
ミハイルが答えると、ヴァリマンドは信じられないとばかりに力なく首を横に振った。
「ディスタンシアの狙撃手だと言ったな? それはわが軍の将校を片っ端から暗殺していった、あの狙撃手のことか?」
「そうです」
「その狙撃手の話はクラウスから聞いているが。……かつて各地で情報収集活動をしていた斥候、ハイネ・ブランケンハイムの息子だと。優しい笑顔が印象的な男だったのを記憶している。彼は、ディスタンシアを内部から潰す作戦を行っていたと聞いている。しかしハイネはもう長いこと……そうだな、消息不明になってから20年くらいになるか? 子どもがいるなんて話も聞いたことがない。本当にその狙撃手はハイネの息子なのか?」
ミズキの父親を知る人間は、必ず皆、同じように訊く。『本当にハイネの子なのか?』と。
ミハイルはヴァリマンドの目を真っ直ぐ見て答えた。
「間違いありません。ハイネ氏のことをご存じであれば、ミズキの顔をご覧になられたら面影を感じるかもしれませんね」
「じゃあ狙撃手はクラリス人ということか。それがなぜクラリスに対して引鉄を……」
「それを彼から聞き出すために、私は彼の心と体のケアを行っていたのです。彼を捕らえたときは疲弊の方が激しく、尋問できる状況ではなかった。彼自身の心の闇が深すぎたのです」
「心の闇?」とヴァリマンドが問い返す。
「それは、人を暗殺した罪の意識からくるものか?」
「違います」
「違う?」
「彼の性格を考えるに、殺人に快楽を見出すようなタイプではありません。おっとりのんびりしていて、世間知らずの子供のようなところがあります。しかし狙撃任務を遂行することは、彼にとって何より重要でした。彼は異様なほど、国を背負って戦う軍人であることにこだわった」
「しかし、戦場に赴く兵は皆、国のプライドを賭けて戦うじゃないか?」
どうにも腑に落ちないヴァリマンドに、ミハイルはうなづいた。
「普通なら、そうですね」
「では、彼は彼の国でどういう立ち位置にいたんだ? 我が軍の将校をかなりの数殺害している。ディスタンシアでも彼は相当な褒賞をもらっていたのではないのか?」
「彼は…ミズキ・ブランケンハイムは恒常的にディスタンシアにおいて、自らが錯乱してしまうような恐怖と苦痛の中にいた。彼の断片的な言葉をつなぎ合わせると、それはおそらくクラウス大将がしていたことと同じことかと推測されます」
ヴァリマンドは黙したまま、ミハイルの話を聞いている。ミハイルはそのまま先を続けた。
「尋問を開始しようとすれば、彼は過去の記憶が作り出す忌まわしい闇に捕らえられ、こちらの世界からディスタンシアへと意識と精神が引きずられていく。そんな状態で尋問らしいことは何ひとつできなかったのです」
「心の闇……」
ヴァリマンドは唸る。
「私は詳しく事情を知らないからわからないが、過去がフラッシュバックするということか」
「そういうことです」
ミズキの錯乱は日を追うごとに治まり、いつしか言葉のスイッチで自らを失くすことは少なくなった。
しかし、最初のうちはミハイルだって理解できなかったのだ。
軍人は常に、自分をしっかり持って、現実を直視して判断することが求められる。そうでなければ命を落としてしまう。
前線に臨む兵士たちの居場所は、いつだって恐怖と悲しみに満ちている。目を覆ってしまいたくなるような残酷な場面など、何度だって遭遇する。自分の隣にいた仲間が頭を吹き飛ばされる、あるいは敵陣へライフルを抱えて走り抜けている最中に浴びた一陣の銃弾の風に、全身を蜂の巣にされる、あるいは戦闘機の機銃や、空を切りながら落ちてくる一発の爆弾で声を出す間もなく四肢を吹き飛ばされる……。味方はバタバタと倒れ、補給支援もなく酸鼻極まる赤く凄惨な地獄の中を彷徨い歩くこともある。
それなのに、恐怖で錯乱? 死する以上の恐怖とはいったい?
ヴァリマンドはそれが理解できないのだろうが無理もない。ミハイルは心の中で小さく息を吐いた。
「なるほど……。では最初に彼を捕らえたのはブライデン大将、君なんだな?」
「そうです」
「私はずっとクラウスが捕らえたものだと思っていた。それならば、君が尋問室に行くのは些かおかしいと思っていたのだが」
「海軍大将は、私の部屋で養生していた捕虜を力づくで奪い、尋問室へ連行しました。尋問室に重装備の歩哨を立たせ、セキュリティコードも変え、誰も近寄れない密室を作りました。そこで捕虜に対し、ろくに食事も与えないまま麻薬を打って嬲り続けた。それ以前にも、捕虜に対し、かの国のプライドを持って処理を行えばいいと仰っておられました。とんでもないことだと御注進申し上げましたが」
「かの国のプライドだと?」
「――クリスタライズです」
「なんだと……?」
ヴァリマンドが絶句した。彼もクリスタライズのことはよく知っている。
「ディスタンシア兵が全員持たされる、あの自爆装置か」
「そうです」
「しかし皆、クラリスに連れてこられた時点で摘出手術を受けているはずだ。狙撃手も例外ではないのだろう?」
「ミズキのクリスタライズは、まだ彼の体内に残っています」
「なに!?」
ヴァリマンドが驚いて、思わず机を叩いてその場に立ち上がった。
机の上に置いてある彼のマグカップが振動で揺れ、中に入っていたコーヒーが波打ちながらわずかに零れる。
「クリスタライズの起爆方法は、確か……」
「本人による声の音声認識、もしくは本国からの信号受信」
「じゃあ彼がもしパスワードを口にしたら、ここの施設が吹き飛ぶじゃないか。ブライデン大将、いったいどういうことだ!?」
ヴァリマンドが激しく動揺しているのが、ミハイルを質す声に顕れている。
クリスタライズの正確な爆破規模はわからないが、それでも戦車1輌程度は吹き飛ばせると言われている。火器のある場所で起動されては、爆発が爆発を呼び、ついでに炎までくっついてきて破壊されつくしてしまう。
そうなれば、状況がどうであれ、最終的に責任を取るのは、軍のすべてを統率する立場のヴァリマンドだ。
「早く手術室に連絡しろ。摘出しなければまずい」
「お待ちください。どうか落ち着いて」
ミハイルはヴァリマンドの肩をそっと抑え、椅子に腰かけさせる。
「彼のクリスタライズは特殊です。起爆方法が従来とは違いました」
「違う、だと?」
「我々がこれまで見てきたものとは全く違うタイプです。彼のは小型のスイッチを押すことで起爆するもののようです。さらにミズキ本人は『本来の』クリスタライズ自体をよく知らなかった」
「ではそのスイッチは!?」
「スイッチ自体はすでに破壊されていますので、ミズキのクリスタライズを起爆する方法は事実上なくなった……だからそのままにしています」
「――本当に爆発はしないんだな?」
「おそらく。ですが、念には念を入れて、軽く細工もしました。クラウス大将はミズキのスイッチを私たちの目の前で押下しましたが、今までに爆発していないのでおそらく大丈夫かと」
「そうか――」
ヴァリマンドは安堵の息をつく。
「そういうことはもっと早くに教えてほしかったな、ブライデン大将」
「申し訳ございません」
ミハイルは深々と頭を下げる。
「そんなわけで、私が海軍大将を撃ったのは、捕虜に対する規定違反によるものです。あそこで撃っておかなければ、ミズキも私も、この施設も吹き飛んでいたのかもしれませんので」
「事情は分かった。だが――」
「失礼します!!」
ノックもそこそこにセキュリティの兵士が部屋に飛び込んできた。息を切らせながら、ミハイルとヴァリマンドの姿を認めると、姿勢を正し敬礼をする。
「お二方に申し上げます! クラウス海軍大将が先ほど……亡くなられました」
「なんだと!?」
ヴァリマンドは驚いていたが、ミハイルにとってこれはほぼ予測していたことだった。
正確に眉間を撃ち抜いたのだ。むしろ、手術室までよく持ったものだと、彼の執念に敬意を顕したいくらいだ。
もともとクラウスのやり方が好きではなかったし、ミズキを派手に傷つけたクラウスが亡くなったと聞いて、不謹慎にもミハイルの心は晴れている。
だが問題なのは、この罪の行方がミハイル自身で留まるかというところだった。
何かの間違いでミズキに罪がかぶせられれば、彼が生きていられる日数はもう長くない。
自分を凌辱した男のために、ミズキの死期が早まるのだけは、避けなければならないのだ。
「クラウス大将は確かに死亡したのですか?」
ミハイルが問うと、兵士は頷いた。
「間違いございません。先ほど、手術中に亡くなられたと」
「一緒に戦犯が手術室に運ばれたでしょう。そちらは?」
「こちらはまだ手術中ですが、一命はとりとめたようだと。ただ予断を許さない状況ではあります」
「そうですか。どうもありがとう。職務にお戻りなさい」
「はっ!」
兵士は踵をかつんと鳴らして再度敬礼をすると、きびきびした動作で部屋を出て行った。
「クラウスが……死んだか……」
「……」
力なく項垂れるヴァリマンドに、ミハイルはただ姿勢を崩さず、正面を凝視していた。
*******
軍病院の手術室の前の長椅子には、グスタフが腕を組んでどっかりと腰かけていた。
両脚を前に投げ出し、憮然として正面の壁を見つめている。
ミズキが撃たれたといううわさを聞き、グスタフは軍の人間を捕まえては、片っ端から詳細な情報を集めた。
クラウスがミズキを撃ったのかと思いきや、どうもそうではなく、さらに驚いたのは、兄のミハイルがどうも軍事裁判にかけられるのではないかという話だった。
聞けばミハイルは、海軍大将を射殺しかけたのだという。
ミズキも海軍大将も重体で、今はどうなるかわからないといったところだ。
まさかミハイルが二人を撃った……? ヒゲジジイはともかく、ミズキが兄に反抗でもして、兄がキレて射殺した?
ありえない想像がグスタフの中でぐるぐると渦巻いては、悪い予感ばかりがむくむくと大きくなる。
ついさっき、看護師たちが血相を変えて手術衣のまま走り出してきた。
クラウスがどうのこうのと聞こえてきたが、何か良くない報せなのだろう。
「兄貴の奴……」
ミズキのことも気になるが、やはり兄のことが許せない。
「一緒にミズキを助けに行こうって約束したじゃねえかよ……」
彼はグスタフを置いてひとりで特攻をかけ、そして今はどこかで海軍大将に対する傷害事件の事情を聞かれている。
軍の規律を何よりも遵守するミハイルが、凶弾を放ったのだ。
今までも自らの権限で敵を処刑し、仲間を粛清することはあったが、今回は理由はどうあれ、相手が悪すぎる。
そしてミズキだ。
噂によれば、尋問室から運び出されたミズキは、衣服を一切身に着けていなかったという。
罪人を素裸にするのは、身体検査の時くらいのはず。
「あのヒゲじじい、いったいミズキに何をしてたんだ……」
「ブライデン少尉、ここにいたか」
名前を呼ばれ、グスタフが顔を向けると、そこには白い軍服をかっちりと着たヴィルヘルムが立っていた。
「ちっす、永久二番。音も無く俺の横を取るなんて、あんたスゲーな」
機嫌の悪さも手伝って、憮然と言い放つと、ヴィルヘルムは腰に手を当て、呆れてため息をついた。
「仮にも私は君より階級は上なんだぞ。もう少し敬ったらどうだ」
「サーセン。俺、相手をちゃんと選ぶんです。好みはうるさいほうで」
「まったく君ときたら……相変わらずだな」
ヴィルヘルムはグスタフの横を「座っていいか」と指さす。グスタフが横にずれると、ヴィルヘルムはそこに腰かけた。
「ミハイルは結局ひとりで尋問室に行ったんだな」
「ああ」
「その結果、海軍は大騒ぎになっている。殺人未遂から殺人へと罪名が切り替わってしまった」
「なんだそりゃ。殺人ってなんだよ」
「知らないのか? おそらく今、軍全体が混乱しているぞ」
ヴィルヘルムは嘘だろうとばかりに目を瞠る。
「ミハイルがクラウス大将を射殺したのだ。理由は、捕虜の取り扱いに対する規則違反。海軍大将が亡くなってしまったことで、傷害から殺人になってしまったのだ」
悪い予感が現実になったと、ヴィルヘルムは俯いた。
「私はクラウス大将のことはあまり好きではないが、あの方には恩がある。士官学校在籍時に私の両親が相次いで亡くなってしまって、あの方は「卒業だけはしろ。出世払いでいい」と、私の学費を立て替えてくれた。入隊に関しても便宜を図ってくれた。亡くなったと聞けばやはり心中は複雑だ。それに海軍の中には彼の信奉者もいる。この騒動が火種になって、海軍と陸軍でつまらない対立が増えなければいいが」
「あのヒゲじじいが死んだってことは、あんたが上になるのかよ、永久二番」
「君の言う通りなら、私は永久ではなくなるな」
ヴィルヘルムはどこか複雑そうな表情をした。
「早々に上級大将の地位を決めなければならないだろうが、ひとまず暫定では私が指揮を執るのだろう。面倒だが」
「よかったじゃん。兄貴に追いつけてさ。あんた、兄貴と同じ地位になりたかったんだろ」
「嬉しいものか」
グスタフがからかうと、ヴィルヘルムは長椅子の背に身体を預けた。いつも姿勢正しくしている彼にしては珍しい。天井を見上げて、足を投げ出してやるせない溜息をつく。
「暫定にしろなんにせよ、私はただの代理でそこにおさまるのだ。自分の力が認められたわけではない」
「ふうん、じゃ兄貴とおんなじか」
「ミハイルはアルベルト大将直々に、その地位を戴いたのだろう」
「そうだけど、そうでもないらしい」
「なに?」
ヴィルヘルムは顔だけをグスタフに向けた。
「意味が分からないぞ」
「兄貴が言うには、自分の実力で今の地位になったんじゃないって言ってた。詳しいことは知らないけど」
「ミハイルくらいの男なら、アルベルト大将は喜んで後を任せられただろう。やはりあいつの実力だ」
「だけど、ちょうどディスタンシアとの戦闘が激しくなってきて、将軍クラスの人間が次々暗殺されて、クラリスは混乱の中にあった。そんな中、ジュリアの親父が行方不明。早く上を立てないと組織が崩れると感じた軍のえらーい人が、今日からおまえが大将やれって、兄貴に押し付けたって言ってた。ジュリアの親父が一番かわいがっていたのが兄貴だったから、なんかはずみでやられたって」
「ほう……」
「ついに公式に辞令が発表されることはなく、陸軍の中じゃ未だに兄貴が上級大将になったのを知らないやつもいる」
「じゃあ兵たちの中に、ミハイルのことを中将と呼ぶのがいるのは、そういう理由か」
「そういうこと。兄貴が面倒臭がって訂正すらしないから」
グスタフは腕を上げて、うーんと伸びをする。身体がずいぶん固まっていたらしい。足のつま先まで伸ばすと、軽く眩暈を起こしてしまう。
軽く頭を振ってぼやけた景色を追い出すと、グスタフはヴィルヘルムに身体を向けた。
「なあ、なんであんた、ミズキを助け出すのに協力したんだ?」
「?」
横目で睨んでいるようなグスタフの質問の意図がわからなかったのか、ヴィルヘルムが目を丸くする。
「なぜそのようなことを聞く?」
「俺、疑ってんだよ、あんたのこと。ヒゲじじいの手引きだったんじゃないかって」
「なぜそう思う?」
「わかんねえ。カンかな。違ってたら謝るけど」
「謝る気もさらさらないような言い草だがな」
グスタフは返事を返さなかった。その代わり、いったいどうなんだと横目だけでヴィルヘルムに圧力をかける。
「――わかった、白状しよう」
ヴィルヘルムは参ったとばかりに、両手を肩の位置にあげた。
「実はあれは海軍大将の命令だ。彼の食事に薬でも盛って拉致すればどうだとも提案した。その時の私は海軍大将に嫌味を言われ続けていた。苛立っていたんだ。戦犯がどうなろうが知ったことではない。しかし、これだけは信じてくれ。私自身、海軍大将に対して不可解な思いを持っていた。海軍大将はミハイルが狡猾で忌々しいからだと零していたが、ミハイルとて、筋を通して戦犯に会わせろと言えばさすがに拒否はしないだろう。それなのに、彼の部屋から戦犯を拉致してこいだなんて……。どう考えてもおかしいだろう?」
「まあな」
「だからもし君たち兄弟の推測通りであるならば、海軍大将を告発しようと考えていた。だから大将の考えにのったのだ。私は、何が正しいのか、真実を知りたかった」
「ちなみにヒゲじじいの手引き通りなら、俺たちは死ぬ予定だった?」
「わからん。だが、ただでは済まなかったろうな。しかし、君たちなら突破できるだろうとも考えた。大将の企みを明らかにするために、君たちを利用しようとした。そこは謝る。本当に済まなかった」
ヴィルヘルムは姿勢を正し、深々とグスタフに頭を下げた。
「ついでに言うと、ミハイルの部屋に1度目の襲撃を掛けたのは、大将の命を受け、私が指揮した部隊だ。狙撃手を拉致できなかったと、私は大将から叱責を受けたよ。だが、ミハイルには嘘をついた。私の頭の上を超えて行った話だから何も知らない、と。そこも謝っておく」
「物事軽く考えてんのか。おかげでミズキさらわれたんだぞ。謝って済む問題じゃーー」
「しかし、今となっては謝るしかない」
「だったら兄貴の部屋の割れたガラスと、あんたの部下が壊していったもん、次の海軍大将であるあんたがなんとかしてくれよ」
クラリスの冬は寒い。割れたガラスから吹き込む風は身を切るような冷たさだ。
「あれじゃ兄貴が風邪をひく」
「早急に手配しよう」
そんな話をしていると、手術室の上部の赤いランプがふっと消えた。
「――少尉、終わったようだぞ」
「ああ」
どちらからともなく、二人はその場に立ち上がり、手術室のドアを凝視する。
互いに何も話さず、息をのんで待っていると、ドアの向こうがざわめいたのと同時にドアが開いた。
手術衣に身を包んだ女性看護師たちがストレッチャーを引っ張ってきた。点滴スタンドからはたくさんの薬剤とルート類が伸びている。
「ミズキ」
グスタフとヴィルヘルムは看護師たちをかき分け、運ばれていくストレッチャーに縋りつくようについていく。
ミズキは目を閉じ、穏やかに眠っているようだった。頭から右目にかけては、白い包帯が厚く巻かれている。
「あの、ミズキは……助かったんですよね」
グスタフが周囲の看護師に訊ねると、看護師たちは無言で首を左右に振った。予断を許さないという事か。
しかしミズキのけがは思ったよりも重そうだ。クラウスは一体ミズキに何をしたのか。
クラウスが生きていればこのまま殴り込みに行きたいところだが、すでに彼は死んでいる。しかも殺したのはミハイル……。
あんな姿にしたミズキの敵討ちをしたのなら、兄貴よくやったと礼を言わなければならない。
ヴィルヘルムもミズキの様相を見て、言葉を失っていた。
ふたりはストレッチャーに寝かされたミズキについて行っていたが、やがて集中治療室にストレッチャーが入り、二人はそこで足を止められる。
「あの、ミズキは……」
「24時間監視を付けて完全看護です」
「監視……」
「命の危険と隣り合わせなので目を離せない意味での監視です。あなたたちの監視とは違います。命に敵も味方もありませんからね。今日はもうお引き取りください」
女性看護師は有無を言わせない強い口調で二人に告げ、集中治療室のドアの向こうに消える。
戦後、医療スタッフを罵るものが多くなってきた。なぜ殺すような戦犯の命を救うのだと。罵る者は、寧ろ味方ばかりだ。
彼らもまた、敵に報復したいと思う本心と、命を救う職務に携わる自らの矜持の間で戦っているのだ。
敵国の人間とはいえ、命に識別タグはついていない。目の前に苦しんでいる人がいれば、手を差し伸べて苦痛を取り除こうとするのが医療に携わる者たちだ。
「人の命に敵も味方もない、か……」
看護師の言葉を反芻するグスタフに、ヴィルヘルムが「しかしだ」とグスタフの肩に手を置いた。
「彼がしたことで、クラリス国内に悲しんでいる人がいるならば、彼は敵だ」
「……ああ」
「そして罪は裁かれなければならない。彼は生きて、それを全うしなければならないんだ」
わかっている、そんなこと。
突き放すようなヴィルヘルムの冷たい言葉は、なにも間違ってない。
しかしーー悔しさや悲しみをどこまで引きずっていけば、本当の平和はやってくるのか?
戦争は終わった。
敗戦国ディスタンシアの罪を背負えるのは、今、ミズキひとりだけだ。彼が死ねば、クラリスにおいての戦争は幕を下ろすだろう。
しかし、ディスタンシアでは?
クラリスで下ろしたはずの幕が、ディスタンシアではまた上がるかもしれない。
クラリスはディスタンシアの街をことごとく焼き払った。生きている人間に火炎放射器を浴びせて殺した。
次に幕が上がるとすれば、タイトルには『報復』とついているだろう。
クラリスがやったことだって、立派な『罪』だ。
戦争に勝ったから、正当化されているだけの話。
ディスタンシアが再び立ち上がれば、また同じ悲劇が繰り返される。結局ミズキが処刑されても、また戦争が始まれば、そんなものは何の意味も持たなくなる。
グスタフは集中治療室のドア向こうのミズキに思いを馳せながら、どうにもならない現実に唇を噛んだ。
二人はともにすぐに手術が開始され、いまだ治療が行われている。
ミハイルは軍総長、ヴァリマンド・シェレンベルクのもとに呼び出され、事情を聞かれていた。
壁にはディスタンシアと接するクラリスの戦況が書き込まれた大きな地図がある。
戦況はクラリス優勢で、ディスタンシアの地図はほとんど黒く塗りつぶされていた。クラリスの焦土作戦の進行具合だ。
その地図の前には大きな執務机があり、ヴァリマンドはその机に肘をつき、険しい表情で指をくんで座っていた。
すでに還暦を超えたヴァリマンドは温厚な人柄で知られた人物で、クラウスやアルベルトの共通の友人でもあった。
新兵が入隊したらひとりひとりに声をかけて回るようなまめな男で、中堅の兵士たちには、軍の中にいる「親父」であり、新兵たちにとっては「祖父」のような存在だった。
ずっと軍に人生を捧げ、軍を統括する一番上の地位に上がれたのも、その人柄ゆえだった。
年齢相応の衰えはあるものの、きちんと背筋を伸ばし、鋭い視線で状況を見て的確な指示を出していく。
とはいえ、本人はけっこうやんちゃな性格だ。『椅子に座ってばかりは退屈だから戦場で暴れたい』とぼやいていたが、さすがにトップに何かあれば、組織が崩壊する。それを危惧したアルベルトが「頼むから大人しくしててくれ」とヴァリマンドに懇願したものだから、しぶしぶ本部に詰めている。
軍人らしく綺麗に整えられた髪は年と共に白髪が増え、いまやごま塩となってしまっている。
軍にいる以上、仲間を失う覚悟はしていたものの、アルベルトは行方不明だし、クラウスまで急に倒れた。
えもいわれぬ喪失感のようなものが色濃く顔に顕れていた。
軍の中で、しかも尋問室で起こった殺人未遂事件。ヴァリマンドは襲われたのがクラウスであるという事よりも、軍の人間が味方に銃を向けたことを重く見ていて、この取り調べにしても、もはやミハイルを犯罪者として裁くつもりのようだった。
とはいえ、状況を明らかにしないことには裁けない。ヴァリマンドは眉間の皺をさらに深くさせ、厳しい態度でミハイルから事情を聞いていた。
「して、君はなぜクラウス海軍大将を撃った?」
「彼が軍の規律違反を犯したからです」
「……君が規律に厳しい男なのは良く知っている。戦時中、仲間を粛清したことも。君がいつだって正しかったことを私はよく理解しているつもりだ。しかし、相手は君のカウンターパート。昨日今日入隊したケツの青い子供ではない。そんな高い地位にいる人間が、いったい何の軍務規定違反を犯したというんだ?」
ミハイルの脳裏に、衣服も与えられず、素裸のまま痩せ細っていたミズキの姿が浮かぶ。ミズキの名誉を思えば、真実を詳らかにすることが果たして正しいかはわからない。
「現在捕虜となっているディスタンシアのオッドアイスナイパーの取り扱いについて。彼は捕虜を……」
口に出そうとすると、感情的になってしまいそうだ。しかしそれでは何も解決にならない。
答えるのを一瞬逡巡したが、真実ははっきりさせておかなければ。
ミハイルは直立不動のまま背筋を伸ばし、ヴァリマンドの質問に答えた。
「彼は捕虜を……性的玩具にして尋問室に監禁していました」
ヴァリマンドは驚いて目を見開き、「なんと?」とミハイルに問い質す。
「すまない、ブライデン大将。君は今、なんと言った? クラウス大将は捕虜をどうしていたと?」
「性的……玩具です」
「性的……?」
ヴァリマンドは驚いて言葉を失った。
無理もない。クラウスは豪快が服を着て歩いているような男だ。
その男が捕虜に、しかも男色に走ったなど、生粋の軍人であるヴァリマンドには理解できないのだ。
「ブライデン大将。私はどうも頭が悪くて困る。もう一度確認をさせてくれ。あいつは……。クラウスは男を…抱いていたということなのか?」
「そうです」
ミハイルが答えると、ヴァリマンドは信じられないとばかりに力なく首を横に振った。
「ディスタンシアの狙撃手だと言ったな? それはわが軍の将校を片っ端から暗殺していった、あの狙撃手のことか?」
「そうです」
「その狙撃手の話はクラウスから聞いているが。……かつて各地で情報収集活動をしていた斥候、ハイネ・ブランケンハイムの息子だと。優しい笑顔が印象的な男だったのを記憶している。彼は、ディスタンシアを内部から潰す作戦を行っていたと聞いている。しかしハイネはもう長いこと……そうだな、消息不明になってから20年くらいになるか? 子どもがいるなんて話も聞いたことがない。本当にその狙撃手はハイネの息子なのか?」
ミズキの父親を知る人間は、必ず皆、同じように訊く。『本当にハイネの子なのか?』と。
ミハイルはヴァリマンドの目を真っ直ぐ見て答えた。
「間違いありません。ハイネ氏のことをご存じであれば、ミズキの顔をご覧になられたら面影を感じるかもしれませんね」
「じゃあ狙撃手はクラリス人ということか。それがなぜクラリスに対して引鉄を……」
「それを彼から聞き出すために、私は彼の心と体のケアを行っていたのです。彼を捕らえたときは疲弊の方が激しく、尋問できる状況ではなかった。彼自身の心の闇が深すぎたのです」
「心の闇?」とヴァリマンドが問い返す。
「それは、人を暗殺した罪の意識からくるものか?」
「違います」
「違う?」
「彼の性格を考えるに、殺人に快楽を見出すようなタイプではありません。おっとりのんびりしていて、世間知らずの子供のようなところがあります。しかし狙撃任務を遂行することは、彼にとって何より重要でした。彼は異様なほど、国を背負って戦う軍人であることにこだわった」
「しかし、戦場に赴く兵は皆、国のプライドを賭けて戦うじゃないか?」
どうにも腑に落ちないヴァリマンドに、ミハイルはうなづいた。
「普通なら、そうですね」
「では、彼は彼の国でどういう立ち位置にいたんだ? 我が軍の将校をかなりの数殺害している。ディスタンシアでも彼は相当な褒賞をもらっていたのではないのか?」
「彼は…ミズキ・ブランケンハイムは恒常的にディスタンシアにおいて、自らが錯乱してしまうような恐怖と苦痛の中にいた。彼の断片的な言葉をつなぎ合わせると、それはおそらくクラウス大将がしていたことと同じことかと推測されます」
ヴァリマンドは黙したまま、ミハイルの話を聞いている。ミハイルはそのまま先を続けた。
「尋問を開始しようとすれば、彼は過去の記憶が作り出す忌まわしい闇に捕らえられ、こちらの世界からディスタンシアへと意識と精神が引きずられていく。そんな状態で尋問らしいことは何ひとつできなかったのです」
「心の闇……」
ヴァリマンドは唸る。
「私は詳しく事情を知らないからわからないが、過去がフラッシュバックするということか」
「そういうことです」
ミズキの錯乱は日を追うごとに治まり、いつしか言葉のスイッチで自らを失くすことは少なくなった。
しかし、最初のうちはミハイルだって理解できなかったのだ。
軍人は常に、自分をしっかり持って、現実を直視して判断することが求められる。そうでなければ命を落としてしまう。
前線に臨む兵士たちの居場所は、いつだって恐怖と悲しみに満ちている。目を覆ってしまいたくなるような残酷な場面など、何度だって遭遇する。自分の隣にいた仲間が頭を吹き飛ばされる、あるいは敵陣へライフルを抱えて走り抜けている最中に浴びた一陣の銃弾の風に、全身を蜂の巣にされる、あるいは戦闘機の機銃や、空を切りながら落ちてくる一発の爆弾で声を出す間もなく四肢を吹き飛ばされる……。味方はバタバタと倒れ、補給支援もなく酸鼻極まる赤く凄惨な地獄の中を彷徨い歩くこともある。
それなのに、恐怖で錯乱? 死する以上の恐怖とはいったい?
ヴァリマンドはそれが理解できないのだろうが無理もない。ミハイルは心の中で小さく息を吐いた。
「なるほど……。では最初に彼を捕らえたのはブライデン大将、君なんだな?」
「そうです」
「私はずっとクラウスが捕らえたものだと思っていた。それならば、君が尋問室に行くのは些かおかしいと思っていたのだが」
「海軍大将は、私の部屋で養生していた捕虜を力づくで奪い、尋問室へ連行しました。尋問室に重装備の歩哨を立たせ、セキュリティコードも変え、誰も近寄れない密室を作りました。そこで捕虜に対し、ろくに食事も与えないまま麻薬を打って嬲り続けた。それ以前にも、捕虜に対し、かの国のプライドを持って処理を行えばいいと仰っておられました。とんでもないことだと御注進申し上げましたが」
「かの国のプライドだと?」
「――クリスタライズです」
「なんだと……?」
ヴァリマンドが絶句した。彼もクリスタライズのことはよく知っている。
「ディスタンシア兵が全員持たされる、あの自爆装置か」
「そうです」
「しかし皆、クラリスに連れてこられた時点で摘出手術を受けているはずだ。狙撃手も例外ではないのだろう?」
「ミズキのクリスタライズは、まだ彼の体内に残っています」
「なに!?」
ヴァリマンドが驚いて、思わず机を叩いてその場に立ち上がった。
机の上に置いてある彼のマグカップが振動で揺れ、中に入っていたコーヒーが波打ちながらわずかに零れる。
「クリスタライズの起爆方法は、確か……」
「本人による声の音声認識、もしくは本国からの信号受信」
「じゃあ彼がもしパスワードを口にしたら、ここの施設が吹き飛ぶじゃないか。ブライデン大将、いったいどういうことだ!?」
ヴァリマンドが激しく動揺しているのが、ミハイルを質す声に顕れている。
クリスタライズの正確な爆破規模はわからないが、それでも戦車1輌程度は吹き飛ばせると言われている。火器のある場所で起動されては、爆発が爆発を呼び、ついでに炎までくっついてきて破壊されつくしてしまう。
そうなれば、状況がどうであれ、最終的に責任を取るのは、軍のすべてを統率する立場のヴァリマンドだ。
「早く手術室に連絡しろ。摘出しなければまずい」
「お待ちください。どうか落ち着いて」
ミハイルはヴァリマンドの肩をそっと抑え、椅子に腰かけさせる。
「彼のクリスタライズは特殊です。起爆方法が従来とは違いました」
「違う、だと?」
「我々がこれまで見てきたものとは全く違うタイプです。彼のは小型のスイッチを押すことで起爆するもののようです。さらにミズキ本人は『本来の』クリスタライズ自体をよく知らなかった」
「ではそのスイッチは!?」
「スイッチ自体はすでに破壊されていますので、ミズキのクリスタライズを起爆する方法は事実上なくなった……だからそのままにしています」
「――本当に爆発はしないんだな?」
「おそらく。ですが、念には念を入れて、軽く細工もしました。クラウス大将はミズキのスイッチを私たちの目の前で押下しましたが、今までに爆発していないのでおそらく大丈夫かと」
「そうか――」
ヴァリマンドは安堵の息をつく。
「そういうことはもっと早くに教えてほしかったな、ブライデン大将」
「申し訳ございません」
ミハイルは深々と頭を下げる。
「そんなわけで、私が海軍大将を撃ったのは、捕虜に対する規定違反によるものです。あそこで撃っておかなければ、ミズキも私も、この施設も吹き飛んでいたのかもしれませんので」
「事情は分かった。だが――」
「失礼します!!」
ノックもそこそこにセキュリティの兵士が部屋に飛び込んできた。息を切らせながら、ミハイルとヴァリマンドの姿を認めると、姿勢を正し敬礼をする。
「お二方に申し上げます! クラウス海軍大将が先ほど……亡くなられました」
「なんだと!?」
ヴァリマンドは驚いていたが、ミハイルにとってこれはほぼ予測していたことだった。
正確に眉間を撃ち抜いたのだ。むしろ、手術室までよく持ったものだと、彼の執念に敬意を顕したいくらいだ。
もともとクラウスのやり方が好きではなかったし、ミズキを派手に傷つけたクラウスが亡くなったと聞いて、不謹慎にもミハイルの心は晴れている。
だが問題なのは、この罪の行方がミハイル自身で留まるかというところだった。
何かの間違いでミズキに罪がかぶせられれば、彼が生きていられる日数はもう長くない。
自分を凌辱した男のために、ミズキの死期が早まるのだけは、避けなければならないのだ。
「クラウス大将は確かに死亡したのですか?」
ミハイルが問うと、兵士は頷いた。
「間違いございません。先ほど、手術中に亡くなられたと」
「一緒に戦犯が手術室に運ばれたでしょう。そちらは?」
「こちらはまだ手術中ですが、一命はとりとめたようだと。ただ予断を許さない状況ではあります」
「そうですか。どうもありがとう。職務にお戻りなさい」
「はっ!」
兵士は踵をかつんと鳴らして再度敬礼をすると、きびきびした動作で部屋を出て行った。
「クラウスが……死んだか……」
「……」
力なく項垂れるヴァリマンドに、ミハイルはただ姿勢を崩さず、正面を凝視していた。
*******
軍病院の手術室の前の長椅子には、グスタフが腕を組んでどっかりと腰かけていた。
両脚を前に投げ出し、憮然として正面の壁を見つめている。
ミズキが撃たれたといううわさを聞き、グスタフは軍の人間を捕まえては、片っ端から詳細な情報を集めた。
クラウスがミズキを撃ったのかと思いきや、どうもそうではなく、さらに驚いたのは、兄のミハイルがどうも軍事裁判にかけられるのではないかという話だった。
聞けばミハイルは、海軍大将を射殺しかけたのだという。
ミズキも海軍大将も重体で、今はどうなるかわからないといったところだ。
まさかミハイルが二人を撃った……? ヒゲジジイはともかく、ミズキが兄に反抗でもして、兄がキレて射殺した?
ありえない想像がグスタフの中でぐるぐると渦巻いては、悪い予感ばかりがむくむくと大きくなる。
ついさっき、看護師たちが血相を変えて手術衣のまま走り出してきた。
クラウスがどうのこうのと聞こえてきたが、何か良くない報せなのだろう。
「兄貴の奴……」
ミズキのことも気になるが、やはり兄のことが許せない。
「一緒にミズキを助けに行こうって約束したじゃねえかよ……」
彼はグスタフを置いてひとりで特攻をかけ、そして今はどこかで海軍大将に対する傷害事件の事情を聞かれている。
軍の規律を何よりも遵守するミハイルが、凶弾を放ったのだ。
今までも自らの権限で敵を処刑し、仲間を粛清することはあったが、今回は理由はどうあれ、相手が悪すぎる。
そしてミズキだ。
噂によれば、尋問室から運び出されたミズキは、衣服を一切身に着けていなかったという。
罪人を素裸にするのは、身体検査の時くらいのはず。
「あのヒゲじじい、いったいミズキに何をしてたんだ……」
「ブライデン少尉、ここにいたか」
名前を呼ばれ、グスタフが顔を向けると、そこには白い軍服をかっちりと着たヴィルヘルムが立っていた。
「ちっす、永久二番。音も無く俺の横を取るなんて、あんたスゲーな」
機嫌の悪さも手伝って、憮然と言い放つと、ヴィルヘルムは腰に手を当て、呆れてため息をついた。
「仮にも私は君より階級は上なんだぞ。もう少し敬ったらどうだ」
「サーセン。俺、相手をちゃんと選ぶんです。好みはうるさいほうで」
「まったく君ときたら……相変わらずだな」
ヴィルヘルムはグスタフの横を「座っていいか」と指さす。グスタフが横にずれると、ヴィルヘルムはそこに腰かけた。
「ミハイルは結局ひとりで尋問室に行ったんだな」
「ああ」
「その結果、海軍は大騒ぎになっている。殺人未遂から殺人へと罪名が切り替わってしまった」
「なんだそりゃ。殺人ってなんだよ」
「知らないのか? おそらく今、軍全体が混乱しているぞ」
ヴィルヘルムは嘘だろうとばかりに目を瞠る。
「ミハイルがクラウス大将を射殺したのだ。理由は、捕虜の取り扱いに対する規則違反。海軍大将が亡くなってしまったことで、傷害から殺人になってしまったのだ」
悪い予感が現実になったと、ヴィルヘルムは俯いた。
「私はクラウス大将のことはあまり好きではないが、あの方には恩がある。士官学校在籍時に私の両親が相次いで亡くなってしまって、あの方は「卒業だけはしろ。出世払いでいい」と、私の学費を立て替えてくれた。入隊に関しても便宜を図ってくれた。亡くなったと聞けばやはり心中は複雑だ。それに海軍の中には彼の信奉者もいる。この騒動が火種になって、海軍と陸軍でつまらない対立が増えなければいいが」
「あのヒゲじじいが死んだってことは、あんたが上になるのかよ、永久二番」
「君の言う通りなら、私は永久ではなくなるな」
ヴィルヘルムはどこか複雑そうな表情をした。
「早々に上級大将の地位を決めなければならないだろうが、ひとまず暫定では私が指揮を執るのだろう。面倒だが」
「よかったじゃん。兄貴に追いつけてさ。あんた、兄貴と同じ地位になりたかったんだろ」
「嬉しいものか」
グスタフがからかうと、ヴィルヘルムは長椅子の背に身体を預けた。いつも姿勢正しくしている彼にしては珍しい。天井を見上げて、足を投げ出してやるせない溜息をつく。
「暫定にしろなんにせよ、私はただの代理でそこにおさまるのだ。自分の力が認められたわけではない」
「ふうん、じゃ兄貴とおんなじか」
「ミハイルはアルベルト大将直々に、その地位を戴いたのだろう」
「そうだけど、そうでもないらしい」
「なに?」
ヴィルヘルムは顔だけをグスタフに向けた。
「意味が分からないぞ」
「兄貴が言うには、自分の実力で今の地位になったんじゃないって言ってた。詳しいことは知らないけど」
「ミハイルくらいの男なら、アルベルト大将は喜んで後を任せられただろう。やはりあいつの実力だ」
「だけど、ちょうどディスタンシアとの戦闘が激しくなってきて、将軍クラスの人間が次々暗殺されて、クラリスは混乱の中にあった。そんな中、ジュリアの親父が行方不明。早く上を立てないと組織が崩れると感じた軍のえらーい人が、今日からおまえが大将やれって、兄貴に押し付けたって言ってた。ジュリアの親父が一番かわいがっていたのが兄貴だったから、なんかはずみでやられたって」
「ほう……」
「ついに公式に辞令が発表されることはなく、陸軍の中じゃ未だに兄貴が上級大将になったのを知らないやつもいる」
「じゃあ兵たちの中に、ミハイルのことを中将と呼ぶのがいるのは、そういう理由か」
「そういうこと。兄貴が面倒臭がって訂正すらしないから」
グスタフは腕を上げて、うーんと伸びをする。身体がずいぶん固まっていたらしい。足のつま先まで伸ばすと、軽く眩暈を起こしてしまう。
軽く頭を振ってぼやけた景色を追い出すと、グスタフはヴィルヘルムに身体を向けた。
「なあ、なんであんた、ミズキを助け出すのに協力したんだ?」
「?」
横目で睨んでいるようなグスタフの質問の意図がわからなかったのか、ヴィルヘルムが目を丸くする。
「なぜそのようなことを聞く?」
「俺、疑ってんだよ、あんたのこと。ヒゲじじいの手引きだったんじゃないかって」
「なぜそう思う?」
「わかんねえ。カンかな。違ってたら謝るけど」
「謝る気もさらさらないような言い草だがな」
グスタフは返事を返さなかった。その代わり、いったいどうなんだと横目だけでヴィルヘルムに圧力をかける。
「――わかった、白状しよう」
ヴィルヘルムは参ったとばかりに、両手を肩の位置にあげた。
「実はあれは海軍大将の命令だ。彼の食事に薬でも盛って拉致すればどうだとも提案した。その時の私は海軍大将に嫌味を言われ続けていた。苛立っていたんだ。戦犯がどうなろうが知ったことではない。しかし、これだけは信じてくれ。私自身、海軍大将に対して不可解な思いを持っていた。海軍大将はミハイルが狡猾で忌々しいからだと零していたが、ミハイルとて、筋を通して戦犯に会わせろと言えばさすがに拒否はしないだろう。それなのに、彼の部屋から戦犯を拉致してこいだなんて……。どう考えてもおかしいだろう?」
「まあな」
「だからもし君たち兄弟の推測通りであるならば、海軍大将を告発しようと考えていた。だから大将の考えにのったのだ。私は、何が正しいのか、真実を知りたかった」
「ちなみにヒゲじじいの手引き通りなら、俺たちは死ぬ予定だった?」
「わからん。だが、ただでは済まなかったろうな。しかし、君たちなら突破できるだろうとも考えた。大将の企みを明らかにするために、君たちを利用しようとした。そこは謝る。本当に済まなかった」
ヴィルヘルムは姿勢を正し、深々とグスタフに頭を下げた。
「ついでに言うと、ミハイルの部屋に1度目の襲撃を掛けたのは、大将の命を受け、私が指揮した部隊だ。狙撃手を拉致できなかったと、私は大将から叱責を受けたよ。だが、ミハイルには嘘をついた。私の頭の上を超えて行った話だから何も知らない、と。そこも謝っておく」
「物事軽く考えてんのか。おかげでミズキさらわれたんだぞ。謝って済む問題じゃーー」
「しかし、今となっては謝るしかない」
「だったら兄貴の部屋の割れたガラスと、あんたの部下が壊していったもん、次の海軍大将であるあんたがなんとかしてくれよ」
クラリスの冬は寒い。割れたガラスから吹き込む風は身を切るような冷たさだ。
「あれじゃ兄貴が風邪をひく」
「早急に手配しよう」
そんな話をしていると、手術室の上部の赤いランプがふっと消えた。
「――少尉、終わったようだぞ」
「ああ」
どちらからともなく、二人はその場に立ち上がり、手術室のドアを凝視する。
互いに何も話さず、息をのんで待っていると、ドアの向こうがざわめいたのと同時にドアが開いた。
手術衣に身を包んだ女性看護師たちがストレッチャーを引っ張ってきた。点滴スタンドからはたくさんの薬剤とルート類が伸びている。
「ミズキ」
グスタフとヴィルヘルムは看護師たちをかき分け、運ばれていくストレッチャーに縋りつくようについていく。
ミズキは目を閉じ、穏やかに眠っているようだった。頭から右目にかけては、白い包帯が厚く巻かれている。
「あの、ミズキは……助かったんですよね」
グスタフが周囲の看護師に訊ねると、看護師たちは無言で首を左右に振った。予断を許さないという事か。
しかしミズキのけがは思ったよりも重そうだ。クラウスは一体ミズキに何をしたのか。
クラウスが生きていればこのまま殴り込みに行きたいところだが、すでに彼は死んでいる。しかも殺したのはミハイル……。
あんな姿にしたミズキの敵討ちをしたのなら、兄貴よくやったと礼を言わなければならない。
ヴィルヘルムもミズキの様相を見て、言葉を失っていた。
ふたりはストレッチャーに寝かされたミズキについて行っていたが、やがて集中治療室にストレッチャーが入り、二人はそこで足を止められる。
「あの、ミズキは……」
「24時間監視を付けて完全看護です」
「監視……」
「命の危険と隣り合わせなので目を離せない意味での監視です。あなたたちの監視とは違います。命に敵も味方もありませんからね。今日はもうお引き取りください」
女性看護師は有無を言わせない強い口調で二人に告げ、集中治療室のドアの向こうに消える。
戦後、医療スタッフを罵るものが多くなってきた。なぜ殺すような戦犯の命を救うのだと。罵る者は、寧ろ味方ばかりだ。
彼らもまた、敵に報復したいと思う本心と、命を救う職務に携わる自らの矜持の間で戦っているのだ。
敵国の人間とはいえ、命に識別タグはついていない。目の前に苦しんでいる人がいれば、手を差し伸べて苦痛を取り除こうとするのが医療に携わる者たちだ。
「人の命に敵も味方もない、か……」
看護師の言葉を反芻するグスタフに、ヴィルヘルムが「しかしだ」とグスタフの肩に手を置いた。
「彼がしたことで、クラリス国内に悲しんでいる人がいるならば、彼は敵だ」
「……ああ」
「そして罪は裁かれなければならない。彼は生きて、それを全うしなければならないんだ」
わかっている、そんなこと。
突き放すようなヴィルヘルムの冷たい言葉は、なにも間違ってない。
しかしーー悔しさや悲しみをどこまで引きずっていけば、本当の平和はやってくるのか?
戦争は終わった。
敗戦国ディスタンシアの罪を背負えるのは、今、ミズキひとりだけだ。彼が死ねば、クラリスにおいての戦争は幕を下ろすだろう。
しかし、ディスタンシアでは?
クラリスで下ろしたはずの幕が、ディスタンシアではまた上がるかもしれない。
クラリスはディスタンシアの街をことごとく焼き払った。生きている人間に火炎放射器を浴びせて殺した。
次に幕が上がるとすれば、タイトルには『報復』とついているだろう。
クラリスがやったことだって、立派な『罪』だ。
戦争に勝ったから、正当化されているだけの話。
ディスタンシアが再び立ち上がれば、また同じ悲劇が繰り返される。結局ミズキが処刑されても、また戦争が始まれば、そんなものは何の意味も持たなくなる。
グスタフは集中治療室のドア向こうのミズキに思いを馳せながら、どうにもならない現実に唇を噛んだ。
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