クリスタライズ~ある狙撃手へのレクイエム~

浅倉優稀

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#31 真実は日記の中に

#31ー1

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 グスタフが持ってきてくれた手紙や小包。かなりの量に及ぶそれに、ミハイルは執務室で目を通していた。
 その中に一つだけ、グリーンゾーンからの郵便物が入っていた。
 終戦をむかえたとはいえ、情勢は依然不安定。クラリス側でも、国外からの荷物は検閲とまでいかなくても、危険物を疑って金属探知やX線での検査はかなり神経質に行われる。
 おそらくこの荷物もそうした検査を受け、国内にそのまま入ってきているのだから、危険はなしとの判断なのだろう。
 大きさはB5くらいで少し重い。
 荷物をひっくり返して調べてみるが、差出人の名前はどこにもなかった。
 いったい誰からなのか。ミハイルは荷物の麻ひもを解き、包みを開ける。
 その荷物は耐油ペーパーのようなものに厳重に包まれていた。それらを丁寧に取り除いていくと、中から出てきたのは、黒い合皮のような表紙のノート。
 そのノートには、金のメッキでタイトルが箔押しされているが、その箔押しもほぼ剥げてしまって、背表紙も取れかけて、網目のような繊維が見えている。
 箔押しのくぼみを指でたどると、そのノートのタイトルは「Diary」。日記帳だ。
 いったい誰からなのか。それとも中に何か仕込まれているのか。
 ミハイルは危険を疑って、ノートを振ってみたが、特に何も起こらなかった。
 日記帳とは日々の記録だけでなく、口に出せない、あるいは言葉にしきれないほどの人の本心がそこに綴られていたりすることもある。
 ミハイルは慎重に表紙をめくる。1ページ目にあるものをみて、ミハイルの全身が凍り付いた。
 1ページ目にあったのは、ディスタンシア軍のエンブレムだ。
 おそらく軍人らに支給された物なのだろう。部隊名は書かれていないが、日記帳の持ち主であろう名前が、美しい筆記体でエンブレムの下に記されている。
――E・シュトラウス。
「この名前は……」
 ミハイル自身にこの人物との接点はない。
 だが敵国の暗殺部隊の隊長で優秀な狙撃手であるということは情報として知っているが、それ以外では時折グリーンゾーンにやってきていた元の陸軍大将アルベルトからその名前と話をちらりと聞いたくらいだ。
 ディスタンシア軍の暗殺部隊・サンドストーム隊の隊長の名前。おそらくこのシュトラウスなる人物が、ミズキを狙撃手に育て上げたのだろうとミハイルは予想しているが、確証はない。
 ディスタンシアで狙撃手だったミズキなら知っているだろうか、この日記の持ち主のことを。
 ミハイルは日記をぱらぱらとめくる。
 その日付はずいぶんと古い。日付と日付の間が年単位で空いているページもある。どうやらこの日記の持ち主は、毎日まめに出来事を記録する性格ではなかったようだ。
 一番新しい日付は、今から10年くらい前。
 逆算すれば、ミズキが13歳の時だ。
 日記中にミズキの名前が出てきたのはたった1回。初めの方の日記に書かれていた。ぴしっと整った細くて几帳面な文字だ。その文字だけでも、かなり高い教養を持っているのがわかる。
 寒い寒い冬の日に生まれた赤ん坊の名前を「ミズキ」に決めたとある。名付け親はシュトラウス自身で、ミズキの父親はその名前をたいそう喜んでくれたらしい。しかもシュトラウスはミズキの父親に密かな恋情を抱いていたようだ。
 その恋は叶うことはないから、せめて彼の子どもに、自身の恋心を愛情に代えて注いでやりたいとある。
 胸を焦がす片恋の切なさと、新しい命が誕生した喜びが日記から読み取れた。
「ミズキの父親と言えば……行方不明のままの……」
――ハイネ・ブランケンハイム。
 あとの日記にミズキの名前はなく、代わりに「あの子」という表現が出てきていた。
 内容はシュトラウスが折に触れて綴った「あの子」の成長日記のようだった。それを読んでみる。
『今日はあの子が小学校に入学した。私の安い給金で立派な学用品を揃えられるか心配だったが、なんとか新しい服にカバン、教科書やノートを調えてやることができ、ほっとした。あの子は嬉しそうにカバンを抱え、私に礼を言った。学校に通えるのが嬉しいのか、教科書をめくっては目を輝かせ、これはなんて読むのか、この計算はどうするのか、そんなことをしきりに訊いてくる。私は将来、あの子を軍人にするつもりだ。軍に入れば、食うのに困ることはあまりないだろうし、この国では比較的自由が約束される。軍人と言っても私のような……ではなく、堂々と前を向いて誇りを持てるような、そんな立派な人になってほしいと願う。あの子から両親を奪った分、私はあの子が立派に大人になるまで償いをしなければ。あの子は両目で色の違う瞳を持つ。どちらの瞳の色もこの国に属さないあの子の道のりは、おそらく常にいらぬ謗りを受け、困難な人生となるだろう。だががんばりなさい。私は常に、君を信じて、その背中を見守っている』
 文面からは愛情があふれ出ていた。『あの子』の成長を頼もしく見守っている父親のようにすら思える。
(『あの子』はミズキなのか……? もしミズキの事であるなら、シュトラウス隊長がミズキの両親を奪ったとは一体……?)
 だとすれば、この日記帳は、ミズキの生い立ちを記した貴重なものになる。
 彼の心が悲鳴を上げて、目の前の現実をも遠ざけてしまうほどの『ミズキの過去』。
 ミズキが抱えた心の闇の真実もここにあるとするならば――。
 ほかのページをめくる。
 ずっとずっと前の日付。今から18年前の日付だ。
『彼の事が許せなくなった。私はあの子を守るために、彼を沈黙させなければならない』
 そんな始まりの日記。月日からするに、季節は冬。ミズキが5歳の時の記録。
 そういえば、グスタフの報告にもあがっていた。
 ミズキの両親が姿を消し、彼がディスタンシアの軍人に拾われたであろう年齢が――5歳か6歳くらいの時だと。
 この日記が記す物語が、ミハイルが持っている情報とリンクする。ばらばらだった情報の欠片が、この日記の内容と手を繋ぎ、ミズキの心の闇ブラックボックスが、少しずつ明らかにされていく。グスタフの報告書にあった内容を匂わすものが、この日記にはおおざっぱに記されていた。
「この日記、いったい誰が……」
 梱包をもう一度見るが、やはり差出人の名前はない。差出人の手掛かりが欲しくて、さらにノートをめくっていると、日記の古い紙質とは違う、比較的新しい白い封筒が挟まっているのを見つけた。
「手紙……?」
 日記の持ち主か、それとも差出人か。どちらがしたためたものだろうか。
 引き出しからペーパーカッターを取り出し、慎重に封を切ると、その中から出てきたのは白い便せん。しかし紙が少し厚く、模様が入っている。かなり上質な紙を使っているが、あの物資不足の国において、こういうものを手に入れられる人間は限られた数しかいないはずだ。
 封筒から便せんを引き出して開くと、そこには「よう、ブライデン上級大将」と砕けた書き出しで始まっている。
 ただの便せんなのに、彼の声まで聞こえてきそうだ。
 ミハイルの事をこう呼ぶ人は、ひとりしかいない。
「ハノン大将……っ!」
 慌てて手紙の文字を追う。
『ミズキは元気にしているか? あいつはまだ生きているか?』
「ええ、ええ。生きていますよ……」
 懐かしさが涙と一緒に込み上げてくる。手紙に返事をしながら、ミハイルは必死に彼のメッセージを読む。
 まるで彼と世間話をしているような気分になる。
 手紙にはミズキのことを中心に、ミハイルやグスタフのこと、そしてジュリアのことが綴られている。
『戦争は間もなく終わる。大人が始めた戦争だ。俺たちが幕引きをする。この包みが届くころには、俺たちもどこかでのんびり隠居生活をしていることだろう。もう俺は、おまえたちの元には戻らない。あいつと一緒に添い遂げるつもりだ。ジュリアには変な期待を持たせず、俺は死んだと伝えてくれ。爆音が近くなった。焦土作戦が完了コンプリートするまで、もうまもなくだ。ディスタンシアはそれだけのことをクラリスにした。灰と瓦礫の国になるのはもはや避けられない。だがすべて焼き尽くされる前に、この日記をお前に託すことにした。これをミズキに渡してほしい』
「ミズキに……これを?」
 この日記、内容からしてアルベルトが書いたものではない。
『これはあいつが書いた、ミズキの育児日記のようなものだ。ミズキに悲しみと恨みだけを背負わせて天国そらへ送るな。せめて、あいつの優しさをミズキに持たせてやってくれ。それくらいなら処刑台でも邪魔にはならないはずだ。ミズキにあいつを恨ませたまま、旅立たせないでくれ』
「あいつとは、やはり……」
 グリーンゾーンで出会った際に、アルベルトはよく『あいつがな』と言って笑っていた。何度も『あいつとは、シュトラウス隊長ですか?』と訊ねたが、アルベルトは否定も肯定もしなかった。
 だからこの日記の持ち主である「あいつ」が誰なのか、ミズキに訊くしかない。
 過去を尋ねることを、ミズキは嫌がるかもしれないが、躊躇している時間はない。
 ミハイルも、海軍大将殺しの容疑を掛けられている身だ。この執務室にいられるのもあとどれくらいかわからない。下手をすれば、ミズキと仲良く並んで銃殺なんてこともあり得るのだ。
 ミハイルが死ぬのは、ミズキの運命を見届けてからだと決めている。
 時間はあまりない。ミズキにもミハイルにも。
 だけどもう少しだけ時間が欲しかった。せめてこの日記の真偽を彼に質すまでは。
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