クリスタライズ~ある狙撃手へのレクイエム~

浅倉優稀

文字の大きさ
38 / 49
#31 真実は日記の中に

#31−2

しおりを挟む
******


 夜になり、ミズキは個室に移された。
 主治医となったシュラルドの計らいだ。
 意識が戻ったのと、ミズキを見ていて、脱走の危険はないと判断したらしい。とはいえ、ひどい怪我を負った患者ではあるから、集中治療室並みの看護体制にはなっている。
 個室にはシャワールームもトイレもあるし、食事は看護師らが運んでくる。
 着替えなども必要であればミハイルに取り次いでくれるので、至れり尽くせりの反面、ミズキが部屋から1歩でも出ようものなら、事態は大変面倒になる。
 シュラルドはミズキにその旨をきつく言い渡した。
「いいな、俺はおまえを信じる。ここから逃げるなよ。逃げたら……」
「逃げたら……?」
「逃げたら、俺、めっちゃ怒るからな!」
 大真面目に、だが子供みたいな口調で言うシュラルドに、ミズキは声を立てて笑い、「絶対に逃げません」と約束した。
 時折ガーゼや点滴を替える看護師が来る程度で、ミズキの部屋はとても静かだ。
 テレビは置いてあるが、音のない静かな空間に自分の身を置いてみたかった。
 上半身を起こして、ベッドの上でぼんやり過ごす。窓の外を見ると、雪が降っていた。
 しんしんと降る雪は、外の景色を白く染めていく。夜だというのに、どこか明るく感じるのは、そのせいかもしれない。
 そういえば、両親をこの手で殺したのも、こんな日の夜だった。
 どこかの地下室で、寒くて、淋しくて。
 やっと両親が迎えに来たかと思ったら、まさかそこで永遠の別れになるなんて。
 自分の両手は親に向かって引き金を引いたのだ。たぶんミズキ自身、ろくな死に方はしないだろうと思っていたが、それはどうやら当たりそうだ。
 シュトラウスはミズキを手酷く抱きながら、ひどい言葉をぶつけていたが、そもそも彼がいなければ、ミハイルに会えなかった。
 ディスタンシアにいるときは、シュトラウスやアルベルトにされることはつらくて嫌だったが、不思議と恨む気にはなれなかった。
 今になって考えると、狙撃手のスキルでもなければ、親なしの自分があの国で生きていけるとは到底思えない。
 シュトラウスなりに、ミズキの将来を案じてくれたのかなとふと思うが、ミズキを男たちに抱かせたのも彼だ。
 そのシュトラウスは、今、どうしているのだろう。
 戦争は終わった。今頃、あの国を立て直すために奔走しているのだろうか。
(おじさん、元気でいるのかな……)
 ひどいことをされたが、やはり気になる。
 ミズキの記憶の中でのシュトラウスが、すべてにおいてひどかったわけでもない。
 礼儀作法には特に厳しい人だった。
 少しでもだらしないと叱責され、部屋が散らかっていたり、洋服などを整えないと容赦なく殴られた。
 しかし、いい成績を取って帰ってくれば褒めてくれたし、シュトラウスは仕事の合間をぬって『物書き計算くらいできないと、なにもできないぞ』と、勉強も教えてくれた。
 運動会などの行事があると、朝早くから弁当を作ってくれた。いつも焦げてばかりで形も悪くバターの香りもしない、ただの塩味だけのプレーンオムレツがはさまったサンドイッチがミズキは大好きだった。
 ランチボックスを空にして帰ると、シュトラウスは「おいしかったか、そうか」と喜んでくれた。
 またシュトラウスはミズキが学校に上がったころから、狙撃手スナイパーとしての手ほどきもしてくれた。何度も怒られ、殴られながら狙撃銃スナイパーライフルを構えて標的を狙った。
 成長するほどに訓練はより専門的になり、また苛烈さも増していった。
 精神的、肉体的のストレスに耐える訓練も受けた。もう嫌だと泣きつくと『我慢ができない狙撃手など必要ない。そんな人間は死ぬだけだ』と、シュトラウスはミズキにハンドガンを向けた。
 本当に撃たれると思った。死ぬのも撃たれるのも怖くて、ミズキは泣きべそをかきながら、狙撃銃スナイパーライフルを構え、狙撃手スナイパーとしてのスキルを身に着けていった。
 そんな昔の事が、次々浮かんでは消える。
「ミズキ」という人間の基礎を作ってくれたのはやはりシュトラウスだ。
 しかし、ミハイルは犯罪者であるミズキを嫌がらずに受け入れ、ミズキの心を蝕む黒い恐怖の記憶を退けてくれた。
 だからこそ今、シュトラウスのことを冷静に考えられるのかもしれない。
 ちょくちょくミズキの様子を覗きにくるグスタフによると、ミハイルはクラウス殺しの容疑で、近く軍事裁判にかけられるかもしれないとのことだった。
『死刑になることはないだろう。ヒゲじじいの悪事が少しずつ露呈している。だが、どうなるのか俺にもわからない』
 グスタフは深刻な表情かおで、ため息混じりに話していた。
 クラウスに向かって凶弾を放ったのはミズキだ。
 だが、グスタフの話では、『兄貴は、自分がやったと言い張って、ろくに言い訳もしない。自分が悪いんだから、処分しろというばかりなんだと。だから結局のところ、本当にそれが真実なのか、兄貴にしかわからない』
グスタフはそう言ってため息をつく。『俺を一緒に連れて行っておけば良かったんだ』と。
 ミズキは黙って聞いていたが、実際のところ、そこにグスタフがいなくてよかったと思っている。あんなふうに性に爛れた姿など、グスタフには見られたくない。
 ミハイルにも見られたくなかったが、あそこでミハイルが来てくれなければ、ミズキはたぶん今頃生きてはいなかっただろう。
 助け出してくれたことをミズキは感謝している。
 その彼のためなら何でもしようと思うのに、こんな姿では何もできない。
 その時だった。
 ドアがコンコンとノックされ、小さな声で「ミズキ?」と呼ぶ声。
「ミハイルっ?!」
 嬉しくなってドアに向かって「ほんと?ほんと?」と子どもみたいに訊ねると、ドア向こうから「本当ですよ」と、くすくす笑い声が聞こえてくる。
 自分の想いが届いたのか。まさかミハイルがこのタイミングで来てくれるなんて。
「ミズキ、入ってもいいですか?」
「うん!」
 ドアが開き、ミハイルがそっと入ってきた。黒いノートのようなものを小脇に抱えている。
 夜間だからなるべく音を立てないようにしているのか。彼は病室に入る前に、顔だけを廊下に向け、誰もいないのを確かめる。
「ミハイル? どうしたの?」
 不思議に思ってミズキが訊くと、ミハイルは小さく笑った。
「今の私は罪人ですからね。妙な監視がついていないか、確かめたのです。あなたに大事な話があって来たものですから。できれば、他人に聞かれたくない」
「ごめんなさい……」
 それはミズキのせいだ。
 ミズキがミハイルの拳銃を奪ってクラウスを撃ったから、一緒にいたミハイルが疑われている。無理もない、セキュリティが飛んで来た時、銃を握っていたのはミハイルだった。
 状況証拠だけなら、どう見たってミハイルが犯人になってしまう。
 だが、真実はそうではない。いずれきちんと、この分の裁きも受けなければならない。
「僕、元気になったらちゃんと――」
「あなたではない。彼を殺したのは私です。彼はあなたの扱いにおいて、軍律も国際法も犯している。捕虜はあんな風に扱うものではないのです。だから粛清したまでの事。それよりもミズキ、あなたまだ横になっていなくていいのですか?」
「ずっと寝っ転がってたら、頭が痛くなるから……」
「確かに。ですが無理はいけませんよ」
 ミハイルは包帯が巻かれているミズキの目をそっと撫でた。
「あなたが退院するまでに、杖を準備しないといけませんね。最初は歩くのも大変でしょうから、なにか支えがあった方がいい。私で良ければエスコートしますが、いないときのことを考えなければ」
「いらないよそんなの、おじいちゃんじゃないんだもん」
「片目の感覚がないという事は、想像以上に不便なものです。つまづいてこけて骨折でもされたら、また歩けなくなります。余計な怪我をしないためにも、何か準備をしますからね?」
 いう事を聞きなさいと、腰を折ってミズキの顔を覗き込んで、がしっと頭を掴まれた。 「いいですね?」と言うミハイルに、もはや抵抗する気もなく。ミズキが大人しくはいと言うと、ミハイルは「よろしい」と鷹揚に頷いた。
「それでミハイル、こんな遅くにどうしたの?」
「あなたにぜひ、目を通してほしいものがあって来たのです」
「僕に?」
「ええ。これは、私の上官であったアルベルト・ハノン上級大将の御意思でもあります」
「アルベルト……」
 その名前をきいて、懐かしさと辛さが一緒にこみ上げる。
 クラウスもなにやらミズキに「アルベルトといっしょだったか」と訊ねた。
 アルベルトという名はミズキの記憶の中にひとりしかいない。あの国では彼にも抱かれていたが、ミズキはアルベルトのフルネームを知らないままだ。
 だからクラウスやミハイルの言う「ハノン大将」とやらが、ミズキの知る人かどうか、断定ができない。
 ミハイルはベッドのそばにある椅子に腰かけると手を伸ばして、包むようにミズキの頬に触れる。冷たい手だ。そのせいか、ミハイルの手が少し震えている。
「大変答えづらいかもしれませんが、あえてミズキに伺います。あなた、ディスタンシアでハノン大将と身体の関係を持っていましたよね?」
「えっ……」
「ハノン大将と言っても分かりませんか。では言い方を変えましょう。アルベルトという名前の男性がいませんでしたか。恰幅がよく、飄々とした態度の男性。いたでしょう?」
 記憶の中の彼の姿と、ミハイルの説明が合致する。ミズキはこくりと頷いた。
「その人かどうかはわからないけど、アルベルトはいつもおじさんと一緒にいた人だよ。ミハイルの説明にそっくりな人だった」
「おじさんとは、誰?」
「名前がシュトラウスってだけしか覚えてなくて……。親なしの僕を育ててくれた人」
「なぜあなたは親なしになったのですか?」
「僕……僕は……」
 脳裏にあの冬の日が蘇る。
 いきなり暗くなった部屋、ガラスの割れる音、誰かにひょいと担がれ、泣いて暴れて放り込まれた場所は暗い地下室。親が迎えに来てくれたと思ったら、ふたりとも兵士に拘束されていた。
 そして、そのあとは……。
「パパ……ママ……」
 ミズキの意識が凍りつく。自分の血流の音が頭のなかで響いて、周りの音を遮断する。
 過去の渦に引き込まれる。
 5歳のあの冬の日に。
「僕はパパとママを……」
 喉が張り付いて声をうまく出せない。運命が変わったあの日。
 意識が急激な拒否反応を起こしそうになる。ミズキは全身に力を籠め、なんとか抑え込んだ。恐怖が鋭い刃のように、ミズキの心をズタズタにする。怖くて、痛くて、寒い思い出……。
「や……っ!」
「ミズキ、大丈夫。ここには私がいますよ。怖いことは何もない」
 ミハイルがミズキの額に、自分のそれをぴたりとくっつける。
「つらいでしょうけど、教えてください。あなたのご両親はどうなったのです?」
「僕……僕は……パパとママを殺した……」
「殺した? それはなぜ?」
「パパとママは、嘘つきだからって……。ディスタンシアからたくさんのものを盗んだ泥棒なのに、それを返しもしない悪い人……。僕はパパたちと一緒にいたかったけど、世界中の人に嫌われるぞって繰り返し言われた。小さかった僕はどうすればいいのかわからなくて……。おじさんに言われるまま、僕は……」
「ご両親を……殺した?」
「うん……」
 淡々と尋ねるミハイルに、ミズキは震えながら頷いた。
「パパとママの血を引いている僕は汚い人間だって言われた。それを浄化し、両親の罪を償うには、僕の身体の中に……御国のために戦地で戦う兵士たちの精液いのちを注がなければならないって言われた。だから僕は、おじさんに言われるまま、パパとママが犯した罪を償うために……」
「男に抱かれ続けていた……そう言うことですか?」
「うん……」
「シュトラウス隊長やハノン大将にも?」
「うん……あの二人から、男に抱かれる方法を手ほどきされた。うまくできないと……ば、罰、を受けるから……」
 罰という言葉に、全身が凍り付く。
 しかし、前のように自分を失うことが無くなったのは、ミハイルのおかげだ。心臓を跳ね上げる精神の呪縛に抗いながら、ミズキはゆっくりと、だがはっきりと答えた。
 ミハイルは何も言わずただじっとミズキの話を聞いていたが、ミズキを嘲ったりするのではなく、むしろ彼もミズキの歩んだ歴史に同調しているのか、痛みをこらえるようにつらそうな表情だ。
「よく言えましたね、ミズキ」
 ミズキの身体がミハイルの胸の中に抱き止められる。優しく暖かい黒衣の悪魔の腕の中。ここがいまのミズキには一番安心できる場所。
「僕は……汚いんだ……」
 どんなに罪を灌いでもその枷は外れない。自らの身体の中を流れる血もなにも変わらない。
 ハイネに良く似た淫乱。ずっとシュトラウスにそう言われ続けてきた。
 だがどんなに性の快楽に沈んで、自我が白くドロドロと濁っても、過去は鮮明に蘇り、さらには残酷な色彩までのせて、ミズキを苦しめる。
 頭の中で渦巻く、暗く血なまぐさい記憶も、快楽に喘いで男たちに抱かれていたことも。全部、全部。
 こんな自分なんか、誰も必要としていない。
 だけど、この人にだけは軽蔑されたくない。
「お願いミハイル……僕を嫌いにならないで……」
「ミズキ?」
「僕が汚いんだってわかったでしょう? でも僕、あなただけには嫌われたくない。どうせ僕はもうすぐいなくなるから、せめてそれまでの間だけでも、僕を突き放さないで」
「ミズキ……」
「お願いだから、あなただけは僕を嫌わないで……!」
 ついに感情が堰を切って溢れだした。
 他の誰に否定されても構わない。
 思えばあの雪の日、スコープ越しにかち合った視線を無視できなかった。ターゲットごと、まとめて殺してやるつもりでいたのに、ミズキは躊躇してしまった。
 そのわずかな時間で隙を取られ、こうして黒衣の悪魔のそばにいる。
 きっとミズキがミハイルのことを好きなのは、黒衣の悪魔だなんて物騒な二つ名を持つくせに、その中身の優しさなのだろう。
『戦犯でなかったら、あなたとずっと一緒にいますよ』――孤独だったミズキにとって、この言葉がどれほど嬉しかったことか。
 だからこそ怖い。
 ミハイルに、この身体の中に染み付いている数多の男たちの臭いを嗅ぎとられてしまうことが――怖くてたまらない。
 命の営みと逆行する行為に耽り、その果ての悦楽を欲するミズキの正体を知ったなら、きっと変な目で見られてしまう。
 ミハイルだけには、そんな風に思われたくなかった。
「お願い……。僕、僕……」
「安心して。あなたの事を嫌いになんてなりません。むしろ、それは私のほう」
「ミハイル……?」
「あなたが泣くほど嫌がる告白を、私は無理矢理させている。どんな拷問よりも、あなたには堪えることでしょう。ですが、これはあなたへの嫌がらせとかではなく、どうしてもあなたの口から聞いておきたかった」
「きいて……どうするの?」
 しゃくりあげながらミハイルに尋ねる。
 ディスタンシアでの過去なんか思い出したくない。できれば無かったことにしたいくらいだ。
「これを見てください。これは、ディスタンシアから私のところに届いたものです」
 ミハイルは持っていた黒いノートをミズキに見せる。
「このノートに覚えは?」
「……わからない」
「このノートは、ディスタンシア軍サンドストーム隊のシュトラウス隊長の日記帳です。その日記と一緒にハノン大将からの手紙が入っていました。あなたへこの日記を渡すように。そう書かれていました」
「え……?」
「失礼ながら、日記には先に軽く目を通しました。あなたがどんな道のりを歩んだのか、だいたいわかりました」
「じゃあ僕に昔の事なんか聞かなくても……」
 話したくないのだ。自分の恥を晒すから。
 だがミハイルは首を横に振った。
「興味本意ではなく、真実はミズキ、あなただけが知っている。このノートは所詮、他人が綴ったものであり、その内容が本当かどうかなんて判定、私にはできないのです。だから話してほしかった。あなた自身から」
「でも……」
「あなたの真実と違えば、このノートは処分するつもりでした。ですが、あなたの話からどうもそうではないらしい。ならば私は、あなたにぜひ読んでほしいと思いました。このノートに記録された真実ことを」
「……その黒いノートは、本当にアルベルトが送ってきたの?」
「ええ」
「アルベルト……本当に?」
 ミズキにとってアルベルトという人は、不思議な存在の人だ。男をより気持ちよくさせられるための性技や隠語は叩き込まれたが、白濁に塗れ、疲れきったミズキのケアをしてくれた人でもある。
 ミッションから帰ってくれば、ミズキを出迎え、その働きを労ってくれた。たまにシュトラウスも一緒になることがあり、そのときはアルベルトが簡単な料理を作ってくれ、帰還報告デブリーフィングを兼ね、3人で戦闘計画を立てたりもした。
 セックスさえなければ、アルベルトもシュトラウスもそれなりにミズキの面倒をみてくれた人だ。
 だが未だに、アルベルトは味方なのか敵なのかわからない。
 しかし彼はミズキにとってはある意味恩人でもある。
 彼は、ミズキを軍人にしてくれた。戦場で戦う兵士なら誰もが持つ軍人の証クリスタライズをミズキにくれた。
 その彼がミハイルを通して、ミズキに渡してほしいと送って来たものとは。
 気にはなるが……。
「アルベルトは……僕のことを何か手紙に書いてた?」
 手酷くミズキを抱いていた人だ。どうせろくなことは書いていないだろうと思う。
「僕は馬鹿だったし、いつもおじさんには怒られてた。きっとアルベルトだって呆れてたと思う。書いてあるとしたら、立派に早く死ねとかそういうこと?」
 恐る恐る聞いてみると、ミハイルは静かに首を横に振る。
「ハノン大将はそういうタイプの人ではありませんよ。あなたのことをとても心配していたようです」
「心配? 僕を?」
 驚いた。心配される様なこと、今までに一度もなかったのに。
「グスタフの手引きがうまくいったなら、あなたはいま私のところにいるだろう、と。クラリスここに捕まっているあなたは、遅かれ早かれ処刑台に送られる。その時に、あなたに必ず持たせてほしいものがある。そう書いてありました」
「えっ……?」
 不思議だ。
 まるでアルベルトは、グスタフとのミッションの『結果』を知っていたかのようだ。
 出撃前、シュトラウスは『おまえの実力なら、観測手スポッターなど邪魔なだけだと思うのだが』と苦虫を噛み潰していた。
 それでもひとりより二人の方が成果が大きいと無理やりグスタフを同行させたのはアルベルトだった。
 あの時だけだ。自分意外の誰かがついてきたのは。
 しかもグスタフのことはクリスタライズを埋め込まれたときにアルベルトから知らされたものの、出発当日まで互いに顔を合わせることもなかった。
『おまえにもそろそろ友達が必要だ。おまえの目で外の世界を見てきなさい』
 出来るだけ生き延びろと言って、アルベルトはミズキにクリスタライズのスイッチを渡した。
 「この手紙の内容では、ハノン大将の目的はどのような方法であれ、とにかくあなたをディスタンシアから出国させるためだったような気がします」
「僕を? どうしてだろう」
 グスタフはミズキをクラリスに売り飛ばしたと言っていた。ここクラリスに連れてくるために騙したのだと。
 拘束されたときだって、最初からミズキを捕まえる手はずになっていたのだと、ミハイルも言っていた。
 だが、本当にミハイルとグスタフだけの作戦だろうか?
 アルベルトは本当に、作戦の効果だけを狙ってグスタフを同行させたのか?
 ミズキがクラリス軍に捕まったのは本当にグスタフの策略によるものか、それとも?
「見せて。僕、読みたい」
「いいですよ。でもミズキ、あなた読めますか?」
「僕、頭は良くないけど、文字くらいわかるもん」
「頭の良しあしではありませんよ。片目で文字が見えるかどうかです。いまもあなたは眉間に皺を寄せている。正直、目が疲れているのでしょう?」
「う……」
「首や肩に重みは? 凝り過ぎて痛みのようなものを感じたりもしているでしょう?」
「……うん」
 どうしてミハイルは、ミズキの事が良くわかるのだろう。確かに片目だけでは、すぐに見るものがぼやけてしまって、肩は凝るし、疲れ果ててしまって眠るのも早くなった。
 怪我人だからベッドの上でぼんやりしているだけなのに、疲労感が半端ない。
「でも僕、頑張って読むよ」
「読めなかったら遠慮なく。私が代読しますからね」
「ありがとう」
 片手が使えないミズキが受け取りやすいよう、ミハイルが手紙を広げて渡してくれる。
 ミズキはそれを受け取って、手紙に目を走らせる。その文字を見た瞬間、ミズキは懐かしさに目を細めた。
 確かにそれはアルベルトの書いたものだった。彼の字には癖がある。若干斜めに傾いた字を書く。よく3人でクラリスの地図を広げ話し合っていたが、アルベルトは地図にポイントを書き込みながら説明をしていたから、彼の字を覚えている。
 間違いない。差出人の名前などなくても、これはアルベルトの筆跡だ。
 手紙には、ミズキのことが多く書かれていた。捕まって怖がってはいないか、判決は出たのか、処刑はいつか。そして、まだミズキは生きているのか。
 大人たちは好き放題にミズキを抱いたくせに、こんなにも心配を露わにさせて、逆にそれが本心からかどうか、疑いたくもなる。
 時間を掛けてすべて読み終えたとき、ミズキの頬にははらはらと涙が伝っていた。
 この手紙の思いやりと、彼らがミズキにしたことでは、あまりにも温度差がありすぎる。
「どうして……?」
 自分が残してきた家族でも、部下の事でもなく、手紙の大部分はミズキへの心配だ。
「おじさんにもアルベルトにも、僕は嫌われてるって思ってた。罪人の子だから、そういう扱いなんだって、ずっと思ってた……」
「そういう扱い? それはミズキどういう?」
「セックスだよ。僕はあの国でたくさんの男に……」
 辛さを思い出して言葉が詰まる。
 最終的には快楽が勝るあの時間は、ミズキにとって地獄だった。女のように足を広げて喘がされ、もっともっとと刺激をねだる。射精が許されなかったから、そうでもしなければ気が狂いそうになってしまう。
 その痴態を見て、シュトラウスもアルベルトも冷笑を浮かべていた。
 乱れた宴に耽るくらいなら、爆弾を抱えて死ねと言われた方がどんなに良かったか。
「でもミズキ、あなたは逃げ出そうと思えばいつだって逃げ出せたはず。ミッションはひとりで行っていたのでしょう?」
「うん」
「なぜ、逃げなかった?」
「僕の帰るところは、おじさんのところしかなかったから」
「ではやはり、あなたはシュトラウス隊長に育てられた?」
「うん。そうだよ」
「わからないですね。あなたのような目に遭っていたら、私ならきっと逃げてしまう」
「おじさんは僕の事大嫌いだっただろうけど、僕にとって、家も家族もおじさんだけだったもん」
 ひとたびミッションに出れば、無事にシュトラウスの元に帰ることだけを念頭に置いていた。無理やり抱かれる「お仕置き」や「罰」は本当に嫌だった。 
 時には誰か殺してくれないだろうかと思うほどつらかった。
 でもシュトラウスに恨みを持ったことはなかった。
 ただ、この悪夢のような爛れた時間が過ぎ去ればいい。そう思ってじっと耐えて、快楽に身を任せていた。
  だが幼心に残る風景がある。
「僕ね、小さいころに見たことがあるんだ」
「なにをです?」
「おじさんがパパの写真を胸に抱いて、肩を震わせて泣いていた。その理由はわからないけど、嫌いな人の写真なんか胸に抱いて泣かないでしょう? 大人が泣くのって、なんていうか、気持ちが壊れそうなときなんじゃないのかな……。あれを見たら、僕、おじさんのそばにいなくちゃって思ったんだ」
「なるほど。あなたは優しい人ですね」
「そんなことないよ……」
 ミズキが照れると、ミハイルはくすっと笑った。
「しかしシュトラウス隊長は、あなたのお父さんの写真をずっと持っていた。なら、彼はミズキのお父さんのことが、好きだったのかもしれませんね」
「そうなのかな。いや……きっとそうだよね。僕だってミハイルに嫌われたら、悲しくて苦しくて泣いてしまいそう」
「しかし、その黒いノートに書かれている内容はミズキ、あなたの事ばかりです。シュトラウス隊長はあなたのことを心底心配していたようです。嫌がるあなたを無理やり男たちにあてがったのも、そこに理由があるかもしれません」
「ミハイルは……中身を読んだの?」
「差出人を探るために少しだけ。ですがほとんど読んでいません」
 ミハイルは言いながら席を立った。
「本当はあなたの目の代わりをして差し上げたいのですが、そのノートは、私がいない方が落ち着いて読めるでしょう。私は帰りますから、ミズキ、ゆっくり読むといいですよ」
「待って」
 ミズキはミハイルの服の袖を掴んだ。
「一緒にいて。僕と一緒にこれを読んで」
 シュトラウスが残したノート。何が書かれているのか読みたい気持ちもあるけれど、同時になんとも言い難い怖さも感じる。
「お願い。僕と一緒にこれを読んで」
「私がここにいるのは構いませんが、もしかしたらこのノートの内容は、あなたにとっては、誰にも知られたくなかったことかもしれません。それでも?」
「……うん」
 ミズキは頷いた。どうせならミハイルには知っておいてほしかった。
 淫らで汚れた自分も含め、全部を。
 そのうえでミハイルにまた訊いてみたいと思う。
『僕と一緒にいてくれる?』と。
「お願いミハイル。このノート、一緒に読んで」
「わかりました」
 ミハイルが椅子に座りなおし、ミズキはノートをそっと開く。古いノートは少しでも雑に扱えばあっさりばらけてしまいそうなほどぼろぼろだ。
 適当なページを開いて読み始めると、『頭の上を飛ぶ戦闘機がうるさいので、夜の闇に銃弾を放って撃墜してやった』との書き出しで始まっていた。
 さらにこの戦闘機に乗っていたのは、ディスタンシアの教科書にも出てくる非道の陸軍将軍だという。運よくパラシュートで脱出したらしいその将軍を殺したのかと言えば、そうでもなかったようだ。
『話してみれば、非道の将軍は割と人道的だった。彼は私にクリスタライズがないことに驚いていた』
 ミズキが首を傾げた。
「僕、これ学校で習ったよ。極悪非道のクラリスの将軍」
「それがアルベルト・ハノン大将の事です。ちなみに教科書にはどんな顔で描かれていましたか?」
「でっかいブルドッグみたいな顔で、舌が長くて、片手に長剣、片手にバズーカ抱えて、口から火を噴いていたよ」
 それを聞いて、ミハイルは一瞬目を瞠った。
「……おおよそ人間の描写ではありませんね。そんな子供の落書きみたいなものを教科書に載せるなんて。ディスタンシアという国は、本当に不思議でユニークだ」
 そんなものを本気で信じていたのですかねぇと、ミハイルは腹を抱えて笑う。
 だがミズキはふるふると首を横に振る。
「でも僕は信じてたよ。だから将来、戦地へ出ても、クラリス軍には捕まるなって言われてた。この将軍が生きたまま捕虜のお腹を裂いて、どくどく動く心臓をつんつんつつきながら、犠牲者の悲鳴を肴に、内臓を食べちゃうって」
「なんとも、ハノン大将はグルメでいらっしゃる」
 ミハイルがさらに笑う。
「で、ミズキ。あなたいつまでその話を信じていたんですか」
「……アルベルトの正体がわかるまで。だから……ついさっきまで」
「本気ですか、ミズキ」
「うん」
 力強く頷くミズキに、ミハイルが絶句する。
「……ディスタンシアの教育とは恐ろしいものですね。そんなものを大の大人が信じるような教え方をするなんて、ほぼ洗脳だ。それともミズキ、あなたが騙されやすいだけなんですかね」
「騙されやすい方じゃないと思うよ、僕」
「でもあなた、ミッションに同行したグスタフを信じたんでしょう?」
「うん」
「あの子はそんなに演技が上手な方ではありませんけど、ミッション中におかしいなと思うことはなかったんですか?」
「全然。グスタフはいい人だし、面白かった」
 ミズキは胸を張って目を輝かせている。そこに一片の疑いもない。ミズキはグスタフとのミッションを心から楽しく感じていたのだ。
 それにグスタフのおかげでトラップも何もなく、安全に敵地へ潜入できた。
「普通騙すのなら、途中になんかしかけるでしょう?」
「だめだこりゃ」
 ミハイルが呆れたようにため息をつく。
「逆です。普通は何もなければ、簡単すぎると疑うものです。ミズキ、あなたは大変騙されやすいお人よしだ」
「そんなこと……ないと……思うんだけどな」
 掛布をめくって中に逃げようとするミズキの手をミハイルがそっと握る。
「逃げてはだめ。日記の続きを読んで」
「ぷぅ……」
 頬を膨らませ、日記に目を戻す。
 飛ばしてしまった最初の方のページをめくる。日付は書いていないが、シュトラウスは誰かと出会ったようだ。
『若いカップルに道を尋ねられた。聞けばクラリスからディスタンシアに来たという。彼らが言うには、クラリスでは混血に対する非難や差別が激しくて、生活するのもやっとだという。その点、ディスタンシアならそのような差別も少ないと聞いたというが、差別に関してはディスタンシアの方が顕著だ。それに彼らの目つき、あれはただの移民ではなさそうだ。彼らはこの道案内の礼を後日するといい、私の名前や職業を聞いて立ち去った。彼らが一般市民ではないと感知して、牽制のつもりで軍の関係者だと教えたが、やはり軽率だったろうか』
 ミズキは次のページをめくる。今度は日付が書いてある。ミズキが生まれる前の日付。
 ミズキにとっては想像もできない遠い遠い昔だ。ミハイルにも訊ねたが、彼も『覚えていないくらい幼いころだ』という。二人にとっては想像もつかない遠い昔、イメージだけで情景を推測する作業が始まった。
 日記の先を読み進める。
『道を尋ねてきた若者が礼に訪れた。職探しをしているというので、軍の入隊試験でも受けてみてはとアドバイスした。妙な輩であるなら、そこでメッキが剥げるだろうと思ったが、予想に反して彼は面接官に気にいられ、その日のうちに兵器開発部門に配属になったと報告を受けた。仕事が見つかってよかったと思う反面で、どこか不安を覚えるのはなぜだ』
『彼のことを好きになってしまった。あたりまえだが彼は男性だ。我が国では同性愛は禁じられている。とはいえ、私のような者がいるので、そんな規則も形骸化しているが。彼にはお腹の大きな妻がいる。身体の関係もご無沙汰だという。若者の燃え盛る性欲のはけ口にされるのはごめんだが、私も秘めたる想いを抑えきれなかった。私たちは今夜、一線を越えてしまった』
 ここまでの時系列は、そう間が空いている出来事ではなさそうだ。
 日記の持ち主が恋をした相手は、おそらく『道を尋ねてきた若い男性』だ。
 彼はミズキの父親だろうか。この若い男性の妻のお腹の中にいる子供はまだ生まれていない。
「おじさん、一線を越えたって……どういうことだろう」
「身体の関係を持ってしまったのでしょう。あなたと私のように」
「でもあれは身体検査じゃ」
「あれには3つの理由があります。ひとつは危ないものを本当に隠していないかのチェック。驚くかもしれませんが、男性にも女性にも隠せる場所がある以上、これは本当に中まで確認させていただくのです。クラリスでは捕虜が身体検査に応じない場合は、麻酔をかけ、強制的に検査を行うこともあります。だからといって、あなたにしたようなやり方では行いませんけどね」
 ミハイルは人差し指をたて、説明をしながら「次に」と中指を立てた。
「もうひとつは、私があなたのことを好きになってしまったから」
「え?」
 捕まったときのミハイルは、とても冷厳だった。友好的な雰囲気など、一切感じなかった。
「クラリス軍の要人を片っ端から暗殺しているのは異色光彩の狙撃手オッドアイスナイパーであると噂にはなっていましたが、実際にあなたを見るまで、目の色が違う異色光彩オッドアイなる瞳など、私は信じられなかった」
「どうして?」
「世間を知らなかった私には、人間の瞳が片方ずつで色が違うなんて、想像ができなかったのです。近所の子猫くらいでしかオッドアイは見たことがなかった。だからオッドアイはネコにしか出てこないものだと、ずっと思い込んでいました」
「ネコちゃんにでるんだ……」
「だけど、あなたの裸の瞳ネイキッドアイを見た瞬間、私は宝石のような美しさに心を掴まれた。あなたの瞳の深い青と黒。その奥にあなたを捕らえた私に対する激しい憎悪が燃え盛っていた。あなたは兄だけでなく、クラリスの軍人を殺した暗殺者。なのに、あなたの純粋な瞳の輝きを目の前にして、私の心が揺らいだ。瞳に心を奪われるなんて、ドラマの中の作り話だと思っていましたが……違った」
 ミハイルは、ミズキの瞳をまっすぐに覗き込む。
「自らの気持ちを激しく動かす運命的な存在に出会ったと思った。だがあなたは罪人。あなたの手をつないで一生添い遂げることができない。ならあなたが裁きを受けるとき、あなたの命を奪うのは私だと……そのときに決めたのです」
 ミハイルの独白は続く。
「あなたを誰にも触らせたくない。あなたの絶命の最期の一瞬まで、あなたの瞳に映るのは私だと」
「最後の……一瞬?」
 ミズキの心臓がとくんと切なく震えた。目を閉じて、命の炎が消えるその瞬間に、彼のことを考えていられるなら、こんなに幸せなことはない
 ミハイルは淡々と話しているが、こんなにも激しい熱情でもってミズキのことを見つめてくれる。ミズキはずっとミハイルになら殺されてもいいと思っている。それは今も変わらない。
 ミハイルが与えてくれるものに、ミズキを殺す毒が入っていても、それが彼の意思であるなら、ミズキは喜んでそれを飲み干すだろう。
 最後の一瞬まで、記憶も生命も、ミハイルにコントロールされて死ねるのなら。
 理由は3つだと言った。そしていま、2つは出揃った。
「もう、ひとつは……?」
 ミズキは息をのんでミハイルの答えをじっと待つ。
「あなたに、私のことを嫌いになってほしかった。だから私はあえてあなたの嫌がることをしました」
「僕が、嫌がる……?」
「ええ。あなたには大変失礼ですが、あなたの反応を見て、男に抱かれ慣れていると思いました。しかしその割には、セックスを苦痛や恐怖に感じるような表情をみせたりもして、それ自体を嫌悪しているようにも思ったのです。しかしあなたは一度快楽に堕とせば、その瞳がとてつもなく妖艶な光を放ちだす。声も吐息も、あなたのすべてが甘く色づいて、蒼い瞳なのに、その奥底にルビーのように赤く淫らな炎が揺らめきだす。そこを詰って抱いてやれば、あなたは自身をますます嫌悪し、そのような行為を強いた私のことを軽蔑するだろう。そう思いました」
「どうしてわざと僕が嫌がることを?」
 ミズキにとってセックスとは罰だ。ミハイルの指摘は当たっている。
 だが、大罪人であるミズキを苦しめる方法など、ほかにいくらでもあるはずなのだ
 しかしミハイルは、ミズキを苛烈な拷問にかけなかった。
 そしてミズキのことを好きだという割には、嫌われたかったというミハイルの真意がわからない。ミズキが首を傾げると、ミハイルはミズキの頬にそっと触れた。
「あなたの闇に触れたうえ、叶わない恋なら、いっそとことんまで嫌われてしまえばいいかと思ったのですけどね。そうすればもはやそこに望みはない。恋に苦しむことはないけれど、あなたを苦しめるために私は躊躇しなくてもよくなる。あなたが私のことを嫌えば、私の印象は最悪になるでしょう?」
「恋を諦めるために、僕を抱いたの?」
「ええ」
「諦め……られたの……?」
 おそるおそるミハイルに訊ねる。
 かつて銃口を向けたとはいえ、今のミズキにとって、ミハイルは自分の心を甘く締めつけてやまない大事な人だ。
 その人がミズキを諦めようとしていると聞かされた。
 今、ミハイルの心の中に、ミズキはいるのだろうか……?
 ミハイルのことを真っ直ぐ見られなくて、でも彼の心の中に自分の影があるのかどうかも確かめたくて。
 答えを待っていると、ミハイルが苦笑し、降参したように天井を見上げた。
「初めてですよ。自分の読みが外れたのは」
「えっ?」
「あなたを諦めるどころか、あなたがいないと私は不安で仕方がない。老獪に攫われている間、あなたのことが気が気でなかった。恨むどころか、私はあなたを忘れられなかった。それどころか瀕死の怪我を負ったあなたから告白までされ、私はもうあなたを手放せなくなってしまった」
「告白?」
 そんなものをいつしただろうか。正直、あの時は痛みの記憶しかない。
 クラウスの銃弾から自分の身を守ろうとして、とっさに手で顔をかばったけれど、まさか銃弾が手のひらを貫通してくるとは思わなかった。手のひらと顔に焼けた杭で突き刺されたような熱感と刺激を感じた。
 クラウスは次に、ミハイルを撃ってくると本能的に思ったから、激痛の中、無我夢中でミハイルを守ろうとした。
 クラウスを撃ったところまでは覚えているけれど、告白なんてものをしたかどうかは記憶にない。
「僕、ミハイルに告白なんてした?」
「告白というには少し違うかもしれませんが、あなたは私に『ごめんなさい。嫌いになれなかった』と謝っていた。その瞬間、私の恋は壊れていないことがわかった。あなたを好きになってもいい希望がまだあるのだと。私にはあれが十分あなたからの告白ですよ」
「ミハイル……」
「今、もう一度あなたにお尋ねします。私のこと、嫌いになりましたか?」
「ううん……」
「では、どう思ってる?」
「好き……。大好き。大好きのもう少し上。なんて言っていいのかわからないけど、僕、ミハイルとずっと一緒にいたいって思う……」
 どのみちいつかは処刑台だ。ミズキの中に芽生えた「好き」の気持ちを育むことは困難でしかない。罪人である以上、ミハイルの手を取れないのだ。
 こんなにも彼にそばにいたいのに。心も身体も彼に繋がれていたいのに。
 手をつなぐだけじゃ、抱きしめられるだけじゃ、全然足りない。
 ミズキの中で、自分の本心が欲してやまないものではあるが、ミズキにとってその行為は罰でしかないのに、ミハイルとならそれをしたいと考えていた。
「……どうして人は、裸で抱きあうんだろう……」
 ミズキがずっと抱えていた疑問だ。男に抱かれたことしかないが、どうしてもわからない。
 痛くて苦しくて、気持ちよくなったら自制なんか利かないのに、なぜ人はこんなつらいことをしたがるのか。
「ミハイルはどうしてか知ってる?」
「セックスする理由ですか?」
「うん」
「それは……その人を愛しているからですよ。確かな絆が欲しくて、身体も心も繋げたくなる。そう、それは……」
 ミハイルが言葉を切り、ミズキの唇に自分のそれでそっと触れる。
「独占して印をつけ、相手がどこにも行かないように、その心を鎖で縛りたくなるのです。この人は、私だけの人だと、ね」
「ミハ……」
 ミズキの頬がぽっと熱を持つ。
「ぼ、僕、続きを読むね」
 照れ隠しであわてて日記に目を戻す。次の日記でミズキの心臓が凍り付いた。
『彼の意見が通り、我が国の兵士は新しい武器を抱え、戦場に出ることになるそうだ。それは兵士一人一人が武器になるという。彼がいったい上層部に何を提案したのかわからないが、おおよそろくな兵器ではなさそうだ。久しぶりに指名が掛かり、私は軍の大将に抱かれ、褥で兵器の名を聞いた。その兵器の名はクリスタライズ。さらに将軍は言った。男に抱かれることが仕事の私には必要のない武器だから、心配せずともいい、と。将軍は欲求不満だったようで、久しぶりに私は玩具や薬まで使われ、声がかれるまで夜通し相手をさせられた。しかし、何度も達かされ、私の意識と身体がドロドロになるまで続けられるこの行為は、成り行きに身を任せるのが最善のやり過ごし方だが、彼――ハイネと身体の関係を持ってしまってから、他の男に身をゆだねるたびに、私の中でなにかしらの不協和音が響くようになってしまった。おそらく、私はハイネの事を愛してしまったのだろう。人から優しくされたことも、頼られたこともなかった私に、彼は人並みの『普通』を与えてくれた。彼と話していると、毎日が楽しい。だが私の恋は叶わぬものだ。ならばせめて私の恋情は、彼と彼の家族に対して、最大限の便宜を図ってやることで花を開かせていこう。彼らが、そしてなにより彼が幸せなら、私はそれでいい』
 少し長めの独白。そこにあるのはハイネという名前と、クリスタライズの文字。
「クリスタライズって……これだよね。僕の胸に入っている、これ……」
 ミズキが自由に動く左手を胸に当てる。自らの鼓動と不自然な熱感がミズキの手のひらに伝わる。熱感はクリスタライズがちゃんと動いている証だとアルベルトが教えてくれた。
 ミズキの心臓のそばに埋まる自爆装置。そういえば、クラウスがスイッチを押したとき、なぜかミズキのクリスタライズは起動しなかった。
 あの瞬間、死は怖くなかった。
 怖いのは、ミハイルを道連れにすることだった。
 だけど幸いにして、ミズキはここに生きている。
 そのクリスタライズの話が、この日記に出てきているのだ。
「これ、どういうことだろう。クリスタライズってディスタンシアの兵士の誇りだと聞いたよ。昔からあったものじゃないの?」
「この日記を読む限り、あなたが生まれる少し前までのディスタンシアには、クリスタライズは存在していなかったようですね。しかもクリスタライズが開発され、実戦投入されたのは、どうやらこのハイネという人物が関わっているようにも読み取れます」
「この人、誰なんだろう……」
 シュトラウスとアルベルトの会話の中に頻繁に出てきた名前だ。その名前が出ると、ミズキはさらに激しく痛めつけられるのが常だった。ミズキとこのハイネなる人の間に何があるのかもわからないが、『おまえもあの男と同じだ』と詰られた。
「ミズキ、このハイネという人、あなたご存じないのですか」
「うん」
 頷くミズキに、ミハイルは目を丸くする。
「本当に? シュトラウス隊長から聞いたことは?」
「ううん」
「そうですか……まあ、あなたがまだ小さかった頃の話でしょうし、両親の名前を覚えていないのも無理はないか……」
 ミハイルはミズキの顔を覗き込んで「おそらくですが」と続けた。
「この日記に出てきているハイネなる人物の本名は、ハイネ・ブランケンハイム。ミズキ、あなたのお父様ですよ」
「えっ……?」
 ミズキは思わず顔を上げた。
「パパの……?」
「ええ。おそらく。私もご本人を存じ上げませんので、聞いた話になりますが、男性も女性も振り返らずにはいられないほどの大変秀麗な方だったと伺っています。クラリス軍所属の斥候だったと。私たちが生まれたころのクラリスとディスタンシアは激しい戦火を交えていました。まさに激戦の時代。あなたのお父様もハノン大将や海軍の老獪と同じ時代を生きた人です。ですが、あなたが生まれる少し前に行方不明になったと聞いています。軍でも方々探したそうですが、手掛かりはなかった……と」
「僕が……生まれる前?」
 ミズキは5歳まで家族と暮らした記憶がある。両親の記憶は薄いが、それでもミズキは父親のことが大好きだった。深夜遅くに家に帰ってきて、起きたときには出ていってるあとだったから、あまり顔を見た覚えがない。だが幼いミズキをよく抱っこしてくれた。
 父親の職業が何だったのかは知らない。
 父親は写真が趣味だったのか、たくさんのアルバムを作っていたのを知っている。だが父親は厳しい顔で「このアルバムを見てはいけないよ、ミズキ。これはパパの大切なものだからね」となぜか見ることを許してくれなかった。
 ミズキは父親のいない間にこっそり部屋に入り込んでは、父親の秘密のアルバムを見て目を輝かせていた。
 軍関連の写真、制服を着た兵士や戦車や戦闘機などの乗り物。銃や大砲、ミサイルなどの兵器。たくさんの軍人が出入りする大きな建物、コンピュータなどがたくさん並んだパネル……。
 家族の写真よりもたくさんあった秘密の写真。子供だったミズキは、その写真に写るものがどれもカッコよくて憧れた。
 だが、父親が斥候だとするなら、その秘密にも合点がいく。
 大抵は軍の施設など、機密を保持するために一般人を寄せ付けない。たとえ観光でも施設にカメラを向ければ兵士が飛んでくる。戦争中ならなおさらだ。
 しかし、父親が撮影した写真はどれも鮮明で、おそらく一般の人間では撮れないようなものばかりが並んでいる。大型兵器の写真などは形やコックピットだけではなく、装填されている補助武器サブウェポンや弾丸の種類、型番まで撮影されていたのを覚えている。
 しかしわからない。
 ただの斥候スパイが――本当に作ったのか? 『あれ』を
「それがどうしてこの日記の中に出てくるの? パパはクリスタライズを作った人なの?」
「ミズキ……」
「僕わからないよ! これどういうこと!? パパがクラリスの斥候スパイ!? そんなはずない、ディスタンシアの人間でしょう!? そうでなければ、クリスタライズを作ったりはできないよね!?」
 クリスタライズはディスタンシアの誇りだ。自らの死を決める爆薬を胸に抱いたことが嬉しかった。
 だが同時に、あの日の夜をミズキは鮮明に覚えている。
 自らが撃った弾丸を受け、血しぶきを上げながら頽れる『悪い』父親の姿を。
「おじさんは僕に言った……。おまえの両親は汚い奴だ、悪い奴だって。クリスタライズはディスタンシア軍人の誇りともいえる武器ものだよ!? 悪い人が国の誇りともいえるものを作る仕事ができる?」
「ミズキ」
「兵士はみんな、あれを抱いて戦場に行って戦って、最後は潔く散るんだ。みんなそれを身体に埋めて、喜んで戦場を駆けたんだ。国が義務付けるほどの兵器をパパが作ったのだとしたら、どうしてパパが悪い人になっちゃうの!?」
 シュトラウスは言ったのだ。『おまえの父親は悪い奴だ』と。
 大人たちの間に何があったのかは知らない。
 だが、国の誇りともいえる兵器ものを作ったのが父親なら、悪いはずがない。
――意味が、分からない。
「おかしいよ、ミハイル……こんなの、おかしいよ」
「ミズキ……」
「パパのどこが悪い人なんだよ。少なくとも僕は、ここに埋まっているこれクリスタライズを持てて嬉しかったんだ! パパが作ったのなら、僕はパパの想いを抱いているってことになるじゃないか。パパが生きていたらきっと、自慢の息子だって僕のことを褒めてくれるはず。ミハイル、違うの!?」
「――残念ながらミズキ、私はそうは思いません」
「なんで!?」
 ますます理解できない。軍人とは国を守るべき立場の人間だ。
 銃を持って敵と対峙する自分の背後には、国に残る国民の生活や命がある。
 それらを守るのが、軍に属する人間の仕事だ。
 男娼の真似事なんかするくらいなら、ディスタンシアにいる『誰か』の『何か』でも守って死ねたら一番いい。ミズキはずっとそう思っていた。
 だがミハイルは黙って首を横に振った。
「むしろそれは、人命を軽視している武器です。刃を交えて散るならともかく、クリスタライズはそうではない。自分の意思で起爆スタンドアップすることも可能ですが、軍本部の信号を受信しても爆発するよう設計セッティングされています。しかも戦略的側面ストラテジックもあり、爆発まで少しの時間が設けられている。一度起動してしまったら、起爆まで恐怖と絶望の時間を味わうことになります。それに」
「それに……。なに」
「全員が全員、喜んで戦場に赴いたわけではありません。中にはクリスタライズこれがあるばっかりに、逃げることも退くこともできず、死に怯えた人間もいるでしょう。無理やりクリスタライズを埋められ、戦地に引っ張り出された人間だっているはずです。無理やり家族と離され、生還など許されない環境に放り込まれるだけでもつらい。そのうえ、過酷な状況を戦い抜いても、本部の気まぐれでも起動できる機構を持つクリスタライズが、いつ爆発するかもわからない。誰しも死は怖いのです。全員が全員、銃を手にして戦場に行きたかったわけではない。それに、あなたのクリスタライズはあなたでしか起動できない、カスタマイズされた武器ものです。他の兵士たちのものとは違う。あなたは、ある程度自分の命をコントロールできる。しかし、大多数の彼らディスタンシア兵は違う」
「でも……」
「人の考えはそれぞれです。人の数だけ疑問も結論もある。確かな答えがないものだってある。しかしミズキ、あなたはクリスタライズを持てて嬉しかったと言っていますが、クリスタライズこの兵器は間違っていると私は考えます。こんなふうに命を駒としか考えない武器は存在してはならない」
 それは正論だろう。ミハイルは間違っていない。
 ただ――彼は何も知らない。
「男娼として、淀んだ苦痛にこの身を堕とすよりずっといい!」
 ミズキはついに感情を吐き出した。
 ミズキがディスタンシアでどんな目に遭っていたかなんて、彼は知らない。
 だからきれいごとが言えるんだ。
「世の中、死ぬ方が楽だって、思うような道を歩んだ人だっているんだよ! あなたのような人にはわからないかもしれないけど」
「ほう?」
 ミハイルの眉が片方わずかに上がる。
「先ほどの話ですか?」
「……そうだよ」
 ミズキは吐き捨てるように言った。
人形セックスドールであった僕が、初めてクリスタライズをもらって、ちゃんと軍人としてミッションに出られた。僕はクリスタライズを埋め込まれた日を覚えているよ。とても嬉しかった。アルベルトは出来るだけ生き延びて、外の世界を見てきなさいって言ったけど……」
 ミズキは左手でクリスタライズが埋まっているあたりをそっとおさえた。
「僕はそんなことより、戦場でやっと死ねることが許されたことが、なにより嬉しくて仕方なかった……」
「ミズキ」
 ミズキは顔を上げ、まっすぐ前を見据える。
「クリスタライズは国の誇り。軍人の矜持。そして僕が軍人であるという証」
 ゆっくりと発せられる言葉は、自分への確認だ。
「僕は欲情を満たす人形セックスドールなんかじゃない。ディスタンシア軍の軍人なんだ……。そう、僕はクラリスに多大な損害を与えて母国に貢献したんだ。そうでしょう、ミハイル」
 ミハイルに『そうだ』と言ってほしかった。
 ミズキはディスタンシア軍の軍人なのだと。クラリスでは何人もの将校を殺した非道な狙撃手なのだと。
 それでミズキの尊厳は保たれる。あの淫らな罰を受けた日々を否定できる。
「ミズキ、あなたは立派な軍人です。それ以上でも以下でもない」
「凶悪な、はつけないの? 僕は国のために喜んで人を殺したんだよ」
「人を殺して嬉しかった? あなたはそんな凶人ではない」
「えっ……」
「戦いに明け暮れるこんなおかしな時代が、あなたを殺人者へと変貌させた。ですが、本当のあなたは違う」
「でも僕はっ……!」
「本当のあなたはとても穏やかで純粋で優しく、そして清らかで強い人です。その証拠に、あなたは老獪が銃を私に向けたとき、身を挺して私をかばった。だから私は今、ここに生きている」
「僕は……そんなんじゃ」
 ミハイルの言葉の一つ一つが、ミズキの心を激しく揺さぶる。自分はそんな人間なんかじゃない。きれいな身体でもないし、強くなんてない。
 ミハイルの言う事を心の中で否定するたびに、ミズキの目から涙があふれてくる。言葉とは裏腹に、心は「そうじゃない、違う」のだと悲鳴を上げている。
 頬を伝う涙が止まらない。泣きべそをかきながらミハイルの評価を否定し続けていると、急にミズキはミハイルに抱きしめられた。
「ミズキ、お願いだから、そんな悲しいことを言わないで」
「ミハ……」
「あなたは、私が好きになった人なのです。素敵なあなたを、私はたくさん知っています」
「うぐ……」
 しゃっくりが止まらない。こんなにつぶれた瞳でも、涙が出るのかわからないけど、怪我をした右目がとても痛かった。
 焼けた火掻き棒で眼球ごとかき回されているような刺激。目も痛いけれど、それ以上に自分を否定する心が痛かった。
「僕自身がわかっていないのに、僕がどんな人間かなんて、ミハイルにわかるの?」
 明日の命すらわからないのに。自分がどんな人間なのかなんて……
「わかりますよ」
「ミハイル……?」
「あなたがわからないというなら、いくらだって素敵なあなたを教えてあげます。それに私は、あなたの残りの命を預かっています。あなたが生きている間はせめて、あなたの瞳を悲しみではなく、楽しさや嬉しさで満たしてあげたいのです」
「嬉しさ…? それって」
 どうせ死にゆく人間に、幸せを感じさせてどうしようというのだろう。
「僕は大罪人だよ? ミハイルやジュリアを悲しませた悪魔だよ。それなのに」
「軍人として死ぬなんて嘯くあなたに、生きていてよかったと感じてほしい」
「どゆこと……」
「あなたは私が愛した人。だから、運命がどうであれ、あなたには簡単にその命を放り出さないで、最後まで前を向いて、精いっぱい生きてほしい。あなたに残されたわずかな時間の中で、笑顔でいる時間をたくさん作ってほしい。あなたにとってはこんな話、酷か滑稽かのどちらかでしょうけど、私はあなたに悲しい顔をさせたまま逝かせたくない」
「だって僕のパパはクリスタライズを作ったし、僕もこの国に対して悪いことしかしていないじゃないか。どうやって笑顔でいろって言うのさ」
 無理だ。こんな境遇に置かれて笑顔なんて作っていたら、頭がおかしいと思われてしまう。
 だがミハイルは力強く、ミズキの言葉を否定した。
「お父様はお父様、あなたはあなたです」
「えっ……?」
「何度だって教えてあげます。あなたは私が愛した人。その人に笑顔でいてほしいというのは、私の願いです」
「ミハイル……」
「どのみち私も地獄へ落ちるしか道がない。あなたをひとりにはさせません」
「でもそれじゃ、僕はどうやって」
 どうやって罪を償えばいい?
 どうすれば、この両手で奪った命に対して謝罪ができる?
 天国の駅のプラットホームに立つのは、どう考えてもミズキ一人だ。
 罪はこの身体にすべて背負う。誰かに「少し持って」なんて言えない。
「僕、どうすればいいんだろう……」
「さてね……」
 ミハイルは席を立った。
「こんな状態では冷静にはなれないですね」
 ミハイルはミズキの手から日記帳をすっと抜き取ると、それをぱたんと閉じ、ベッドサイドのテーブルに置いた。
「続きはまた、明日読みましょう。今日はもう休んだ方がいい」
 そう言ってミハイルは背を向ける。
「ミハイル、僕……」
「現実は、なるようにしかなりません」
「えっ……」
「ひとまず今は休みましょう。あなたの回復が先です」
 ミハイルはそう言って病室を出て行った。ばたんとドアの閉まる音が夜の静寂を引き裂いたが、また急速に静けさが部屋を包む。
 大人たちの勝手でミズキの運命はかき回された。自分が誇りだと信じたものは、父親の作った兵器だった。
 ミハイルはそれを真っ向否定したのだ。人命を軽視する兵器だと。
 戦いに赴く自国の兵士全員が身体に埋め込んだ自爆装置クリスタライズ。だが、父親はクラリスの斥候。敵国の情報をかき集める立場の父親は、本当にディスタンシアへと寝返って、かの国の勝利を確信してクリスタライズを作ったのか、それとも別の意図があったのか。
 ミズキが信じた国を背負う軍人の誇りは、兵士を単なる駒としてみたものだったのか。
 混乱する思考の渦はうねりを増すばかりだ。そんな父親から生まれた自分はどちらの国にとっても罪人でしかない。
 色の違う二色の瞳は、今やクラリスにもディスタンシアにも仇なす色だ。
 この身体の中を流れる血はどこまで汚れているのか。考えるほどに怖くなる。
「ミハイル……」
 この国で頼れる唯一の人の名を呼ぶ。だがその声は、夜のしじまに消えた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

邪神の祭壇へ無垢な筋肉を生贄として捧ぐ

BL
鍛えられた肉体、高潔な魂―― それは選ばれし“供物”の条件。 山奥の男子校「平坂学園」で、新任教師・高尾雄一は静かに歪み始める。 見えない視線、執着する生徒、触れられる肉体。 誇り高き男は、何に屈し、何に縋るのか。 心と肉体が削がれていく“儀式”が、いま始まる。

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

R指定

ヤミイ
BL
ハードです。

吊るされた少年は惨めな絶頂を繰り返す

五月雨時雨
BL
ブログに掲載した短編です。

鎖に繋がれた騎士は、敵国で皇帝の愛に囚われる

結衣可
BL
戦場で捕らえられた若き騎士エリアスは、牢に繋がれながらも誇りを折らず、帝国の皇帝オルフェンの瞳を惹きつける。 冷酷と畏怖で人を遠ざけてきた皇帝は、彼を望み、夜ごと逢瀬を重ねていく。 憎しみと抗いのはずが、いつしか芽生える心の揺らぎ。 誇り高き騎士が囚われたのは、冷徹な皇帝の愛。 鎖に繋がれた誇りと、独占欲に満ちた溺愛の行方は――。

創作BL短編集

さるやま
BL
短編まとめました。 美形×平凡、ヤンデレ、執着・溺愛攻め多め

BL団地妻-恥じらい新妻、絶頂淫具の罠-

おととななな
BL
タイトル通りです。 楽しんでいただけたら幸いです。

あなたと過ごせた日々は幸せでした

蒸しケーキ
BL
結婚から五年後、幸せな日々を過ごしていたシューン・トアは、突然義父に「息子と別れてやってくれ」と冷酷に告げられる。そんな言葉にシューンは、何一つ言い返せず、飲み込むしかなかった。そして、夫であるアインス・キールに離婚を切り出すが、アインスがそう簡単にシューンを手離す訳もなく......。

処理中です...