PRESENT

浅倉優稀

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#3

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******

 20分ほど車を走らせて、郊外の時間貸しのガレージに車を止めた。
 ガレージの奥には灰色のコンクリートの壁がそびえたっている。綾樹に訊いたら、このコンクリートの壁の裏側に目的地があるという。
「ここから歩くぞ。ついてこい」
 言われるままに車を降り、綾樹はさっさと先に歩いていく。彼の歩幅ストライドは大きい。桜井がいつものペースで普通に歩いたのでは間に合わずに少し小走りになってしまう。
 いったい綾樹はどこに向かっているのか。
 綾樹は時折、立ち止まって桜井を待っている。
 桜井が追い付くとまた歩き出すのだが、ペースは変えないままだ。
 それでもまた少し歩いては、桜井が追いつくのを待っている。
 ちょっと小首をかしげてどこか嬉しそうな、それでいて少し困っているような。
 どこかぎくしゃくした散歩が数分続いた先で、綾樹は足を止めた。
「ここだ」
「……?」
 みればそこは眼鏡店だ。コンクリート打ちっぱなしの壁に、アルミの窓枠だけ。看板もモノクロで派手さはない。シックで落ち着いたデザインの店舗。
 通りに面したショーケースには、いろいろなブランドのフレームが並んでいる。リムの大きさ、太さ、色も様々。一目見て高価なのがわかるほど、上質なものがずらりと並んでいた。
 なるほど、綾樹は眼鏡が欲しいのか。
 桜井ほどではないにしろ、綾樹も毎日忙しい。字の小さい書類やPCのブルーライトで目がつらくなってきたのだろう。
 最近は社員たちへの風当たりもきつくなったような気もするし、その遠因に目の不調があるのかもしれない。
 口には出さないものの「目がぼやけて書類が読めなーい!」と心の中で静かにキレたに違いない。
 しかし綾樹は、コミュニケーションをとるのがあまり上手ではない。自分の好みや注文をスムーズにお店に伝えて満足する買い物をさせるために、桜井をフレーム選びにつき合わせたというわけか。
(綾樹ってば、最初からそう言えばいいのに)
 綾樹が亭主関白気質で不器用なのは、今に始まったことではない。
 入口の自動ドアのそばには、女性が細いフレームの眼鏡をかけ、さっそうと歩いているポスターが貼られている。眼鏡が彼女のビジネススタイルを際立たせ、有能で知的な雰囲気を醸し出している。
 眼鏡ひとつで、雰囲気とはこうも変わるのかと、桜井はポスターを見ながら感心していた。
 ずっと眼鏡をかけているメガネっ子だから、眼鏡はなくてはならない必需品だ。ないと生活に支障が出るから、眼鏡なんて見えれば何でもよかった。
 こんなふうにTPOを考えたことはあまりないなと思っていると、自動ドアが開き、中から店員が出てきた。
「いらっしゃいませ。今日はどのような眼鏡を……あ、新城じゃないか!」
「楠田、今日は世話になる」
 深々と頭を下げた綾樹を見て、楠田が「客なんだから畏まるなよ」と笑い、綾樹の後ろにいる桜井にも視線を向ける。
「今日はようこそいらっしゃいました」
「楠田君、この間はどうも」
「いや、俺も楽しかったよ。でもこんなに早く来てくれるなんて思わなかった」
「私は綾樹副社長の付き添いです。楠田君、綾樹に似合う眼鏡を選んであげてください」
 副社長、のあたりで綾樹が眉間に皺を寄せるが、同級生の面前で大人げないと思ったのだろう。綾樹はそのまま憮然と咳払いをし、それを見て楠田がぷっと噴出した。
「そうか、新城は副社長だっけか。しかもその呼ばれ方、めっちゃ気に入ってるようだな? 眉間に皺が寄って、誰もがビビって道を譲る、強面の男前になってるぜ?」
「気に入りすぎてどうにかなりそうだ。桜井との間に越えられない壁ができてしまった。なんだか桜井が冷たくなったようで、私は淋しくて仕方ない」
 拗ねたように呟く綾樹としては真剣な悩みなのだが、どうも楠田にはそれがおかしくて仕方ないらしい。『そうかぁ、桜井が冷たいかぁ』と腹を抱えて笑っている。
「仕方ないよ。それがサラリーマンってもんだ。まあとりあえず店内へどうぞ。二人とも忙しいんだろうからさ」
 楠田はそういうと、「早く早く」と綾樹と桜井の背中を押した。

*****

 店の隅では楠田と綾樹が何やら話している。綾樹が時折微笑を浮かべているので、なにか楽しい話をしているようだ。
 楠田と綾樹の間には、カタログやフレーム見本が並べられている。自分にどれが合うか、価格や納期などの説明を受けているのだろう。
 二人の会話を邪魔してはいけないと、桜井は店内をゆっくり見て回っていた。
 フランシスクライン、ストラックアイズ、アランミクリ……聞いたこともないメーカーのフレームが並んでいる。海外のフレームは細かいところのデザインに工夫を凝らしていて、それがキラリと光る特徴となっている。似たようなフレームでも、見る人が見れば全然違うこだわりの商品だというのがよくわかる。
 桜井はずっとメガネっ子だ。度が合わなくなるたび、眼鏡店で眼鏡を新調していた。
 レンズ交換だけを頼むと、フルセットがいくつか買えてしまう値段になってしまう。いつしか眼鏡は使い捨てのコンタクトみたいな扱いになっていた。
 だが綾樹が使うならそういうわけにはいかない。
 今は副社長だが、ゆくゆくは老舗大企業の社長になる。
 本人を際立たせ、相手の信頼を得るためにも、それなりのものを身につけないといけないのだ。
 綾樹ならどんなものが似合うだろう。しかし、ただでさえ鬼と恐れられている副社長だ。
 眼鏡というのは、時にかけている人をクールに見せる効果がある。綾樹の場合は、クールというより、冷酷とか冷血のほうがあっているかもしれない。
 いろんなフレームを脳内の綾樹にあてはめながら考えていると。
「桜井、ちょっといいか」
 綾樹が呼ぶ。
 早速桜井の出番というわけだ。綾樹の注文をスムーズに楠田に伝えるお手伝いの時間がやってきた。小走りで綾樹のもとに行く。
「はいはい副社長、どうされましたか?」
「……綾樹と呼べ」
 綾樹はそういうと、自分の左側にある椅子を引き出し、そこに座れとばかりに指をさし、桜井は椅子に腰かけた。
「何かいいフレームは見つかりましたか?」
「ああ、これなんかどうだ?」
 綾樹が差し出したのは、銀色の細いチタンフレームの眼鏡だ。マットカラーのそのフレームはヒンジの意匠が特徴的だった。
 金属をクルクル巻いた感じで、丸みのある長方形のリムに組み付けている。
 普通の眼鏡なら、ヒンジの部分に小さい金属の部品があり、それがテンプルとリムを繋げているが、このフレームにはそのような組み付けがない。少なくとも桜井の眼鏡と比べて重さも違う。かなり軽い。

「これは素敵なデザインですね。かけてみてはどうです?」
「そうか。じゃかけてみるか」
 言うなり綾樹が、桜井の眼鏡に手をかける。
「失礼するぞ、桜井」
「え?」
 そのまま桜井の眼鏡をすっと外すと、今度はその細いフレームを広げ、テンプルを桜井の方に向けた。
「目を突くかもしれないから動くんじゃないぞ。どれ……」
 そのまま自分の手で桜井に眼鏡を掛けさせる。耳にかかっているか、位置はどうか、そんなことを確認しながら、綾樹は相変わらずの仏頂面で「ふむ」とか「うん」とか頷いている。
「いいじゃないか桜井。かけごこちはどうだ?」
「とても軽くてかけている感じがしませんけど……」
「鏡を見てみるといい」
 綾樹に続き、心得ておりますとばかりに、すかさずスッと楠田が手鏡を差し出す。
 それを受け取り、鏡に映る自分を見る。
 フレームが細い分、表情がすっきりして見えた。しかも光沢のないマット仕様なので、銀色といえど華美ではなく、ビジネススーツにマッチしている。人をスマートに見せる眼鏡だ。
 だがしかし。
「今日の目的は私ではなく、副社長では?」
「いや?」
 綾樹が首を横に振る。
「綾樹と呼べと言っているのに」
 桜井が聞きたいのはそれじゃない。
「副社長の眼鏡は? 必要なのはそちらではないんですか?」
「桜井が辛そうだったから、ここに連れてきた。より軽いフレームのものであれば、肩や首の負担も減るだろう?」
「負担だなんて。普通に仕事できますし、今の眼鏡で支障はありませんよ?」
「連日夜中近くまで仕事して、ホットタオルを首や目に当てて、頭痛薬をお菓子がわりにして飲んでいる奴がよく言う」
 言われて桜井はドキリとした。
 綾樹とはそもそも業務を行うフロアが違う。しかも綾樹の父と一緒に行動することが多いから、あまり社内で綾樹と絡むことはなかったのに。
「おまえひとりに負担を背負わせる気はない。おまえがつらいなら、私は喜んで手を貸す。だけどおまえは私に何も言わずに無理ばかりしている。そんなおまえを見ていると、私は辛くて仕方がない」
「副社長……」
「それにおまえは、父の我が儘でうちに入社したんだろう。あの父のことだ、おまえの可能性なんか全く無視して、自分の要求を通したに決まってる。うちでなければ、もしかしたらおまえがもっと活躍できるような素晴らしい世界があったかもしれない。だからおまえが何も言わず頑張っているのを見ると……私はありがたくもあり、申し訳なくなる」
「そんな……」
 桜井がブリリアント社に入社したのは、聡樹からの誘いもあったが、最終的には自分の意思だ。
 桜井こそが、自分の可能性を捨て、綾樹への恋心をとったのだ。
 聡樹の期待にどうしても応えたかった。それをこなしていくことが、将来、綾樹を支えることにつながるから。
 だから多少無理をしても、綾樹と共に立つための修行だと思っていた。
 桜井がしっかりしないと、綾樹と会社を支えられないから、仕事を苦だと思ったことはない。
 それは綾樹のそばにいられる大切な時間なのだから。
 それでも綾樹はずっと桜井を気遣ってくれていたのだ。
 泣いてしまいそうなくらい嬉しい。感激で胸がいっぱいだ。
「副社長……」
「どうだ桜井。私のわがままで申し訳ないが、受け取ってくれないか」
 自分の眼鏡をかけていないから、目の前の綾樹も楠田もぼんやりとしか見えない。
 それでも桜井には、困ったような不安そうな顔をしている綾樹の様子が手に取るようにわかる。
 桜井がどう返事するか、気になって仕方ないのだろう。
 カタブツで不器用。それを具現化したような綾樹が、他人を思って贈り物を送るなんて、きっと生まれて初めてに違いない。
 嬉しい。まるで婚約指輪でも貰ったかのように、舞い上がってしまいそう。
「副社長、私ごときにこんな素敵なフレーム、本当に宜しいのですか」
「もらってくれるのか」
「ええ、喜んで」
「そうか! そうと決まれば善は急げだ。楠田、桜井の視力検査を頼む。桜井が納得いくまで調整してやってくれ」
「かしこまりました。じゃあ桜井、視力検査するから、こちらにどうぞ」
 綾樹が楠田にあれこれ指示し、楠田も「はいはい」と笑いながら準備を始める。
「楠田君、視力検査は必要ないですよ。今の眼鏡を基準にして度を測ってもらえれば……」
「いやだめだ」
 言い終わらないうちに却下したのは綾樹だ。
 頑として首を横に振る。
「ちゃんと今の桜井に合うものを作ってもらいなさい。楠田、頼むぞ」
「だってさ桜井。ここ座って」
 楠田はにこにこ笑いながら、桜井を検査台に案内する。
「ああ緊張するなぁ。新城副社長直々のオーダーだもん。手が震えちまう」
「お気持ちわかりますよ楠田君、副社長は社内でも鬼より怖いと言われています。副社長が廊下を通ると、社員たちが両端に分かれて、まるで極道映画を見ているようです。その視線に捕らえられたら、石になるとも言われています」
「さすが副社長だな。どこでもだいたいナンバー2って恐いんだよな」
 軽口叩きながら検査をする二人をぎろりと睨み、その極道の鬼は左手で頬杖を突いて、ぶすりと呟いた。
「副社長はやめろ、綾樹と呼べ、ふたりとも」
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