だから俺には春が来ない。

入巣 八雲

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9 そして免故地 愛梨は腕をふるう。

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 人が生きる上で七つの大罪と呼ばれる欲求がある。
 唐突だが、ここで俺はその大罪の一つとされている「色欲」について異議を唱えたい。
 そもそもこの色欲というのは性欲のことだが、それは人が生きる上で抗うことのできない生理的欲求なのだ。
 それなら同じ大罪の一つである「暴食」も生理的欲求に含まれるんじゃないかと思う者もいるかもしれないが、あれはあくまで必要以上に食すこと、つまり食べ過ぎを罪としているのであって、「食欲」という生理的欲求を指している訳ではない。
 話を戻すが色欲とは生理的欲求だ。
 生理的欲求とは人が生きる上で至極当然で仕方のないものである。
 そして人によって形作られたこの世界では人があって法があり、法があって罪があるのだ。故に人があって罪があると言える。
 そこで俺はこう思う...。
 人があっての罪なのだから、人が生きる上で当たり前の生理的欲求、つまり「色欲」を罪とするのは間違っているのではないのだろうかと...。


「という訳で俺は何も悪いことはしていない。」

「いやどういう訳だよ変態。」

 俺は今、我が幼馴染に軽蔑の眼差しを送られていた。

 授業もない日曜日の今日、贅沢にも朝から暇を持て余していた俺は、最寄りの本屋に足を運び最近売れている小説を買い、それを握りしめ帰路を歩いていた。
 するとその道中、なんと道端にピンク色のオーラを発している本が落ちているではないか。
 それを視界にとらえた俺は思わずその本の横で立ち止まってしまい、不覚にも眺めてしまっていた。
 だがその時、背後に人の気配を感じ、気恥ずかしさを隠しつつ振り返ってみると、そこには見慣れたポニーテール姿があったのだ。

 そして現在に至る...。

「いや、これは違くて...。」

「何がどう違うの?」

 愛梨は厳粛な威圧感をもってじと目で俺を問いただしてくる。

「まぁ、あれだ...。俺も男の子ということだ。」

「......その潔さは認める。」

 おぉ、流石は俺の幼馴染だ。理解が早くて助かる。

「でも日曜日の昼下がりに、路上で堂々とエロ本眺めてた事実は変わらないからね。」

 理解者とはかくも厳しいものだろうか...。

 幼馴染の手厳しさに不服を感じながら彼女の手元に目線をやってみると、長ネギが飛び出したビニール袋をぶら下げていることに気づく。

「お前の方こそ、こんな時間から買い物か?」

「うん、特にすることもなくてね...。」

 こいつも俺と同じか...。
 まぁ大学生の休日なんてのは大体こんなものなのだ。
 課題が終わってしまえば、有り余った時間の使い道を模索し、結局見つからない。そんなプライベートをこれから繰り返していくのだと最近気づいた。

「あんた昼食まだでしょ? せっかくだしウチくる?」

 ふむ、ありがたい提案だな。いつもコンビニ弁当とかファストフードだし、何よりこいつの料理はなかなかのものなのだ。

「それは願ってもないな。でもいいのか?」

「いいわよ手間は変わらないし。たまにはあんたにまともな食事とらせないとね。」

 ここまでくるとほぼお母さんである。
 そういえばそんなにアパートも離れてないのにこっちに越してきてからはまだ一度も愛梨の料理を食べてないな...。

 大学生の場合は一人暮らしをするにあたって引っ越す時に、学校に徒歩で行ける住居をどうしても求める。そのため同じ大学の人間は俺たちも然り、大抵近所同士になるのだ。

 という訳で遠慮なく好意に甘えさせてもらい、愛梨の部屋に上がらせてもらうことになった。



「やっぱしっかり片付いてんなー。」

 いざ上がってみると愛梨の部屋は、まだ越してきて一月程だとは思えないほどコンフィギュレーションされていた。
 シンプルなレイアウトではあるが、所々に女の子っぽさのあるインテリアも置かれている。

 俺は愛梨の収納センスに感心しながらテーブルの置かれたカーペットに座った。

「何か食べたいものあるー?」

 キッチンの方から冷蔵庫を開ける音と共に愛梨の声が聞こえてくる。

「おまかせでー。」

 特にリクエストもなかったので俺はそう返す。
 そう、愛梨の料理レパートリーは俺も数知れず、リクエストを聞く余裕がある程の料理スキルを持っているのだ。

 15分ほども経てばもう食欲をそそる香りが立ち込めてくる。
 これは......オイスターソースか?

「はい、おまたせー!」

 それから10分も経たない内にテーブルに料理が置かれた。

「おぉ! これは......焼きそば? にしては白いよなぁ...。」

 焼きそばと思われるその麺料理は一般的なそれとは違い茶色くなく、きのことボイルエビがふんだんに使われていた。

 「焼きそばは焼きそばなんだけど、海老と貝をメインに使ったからウスターソースじゃなくてオイスターソースで味付けしてあるんだよ。」
 
 なるほどそれでか...。
 それにしても美味そうだ。

「しづって細々とした料理よりこういうシンプルなやつの方が好きじゃん?」

「あぁ、そうだな。」

 ふむ、流石に俺の好みを把握しているな。
 特に昼食に関してはシンプルな料理に限る。

「いただきます。」

「はい、召し上がれ。」

 俺は先ほどから香りで食欲を刺激されていたせいか、一口また一口と夢中で食べ進める。

「どお?」

「めっちゃ美味い!」

「うん、良かった。」

 そう言って愛梨も料理にはしをつけ始めた

 うむ、文句のつけようもなく美味い。しっかり俺好みのちょい薄味だしな。
 お前は間違いなくいい嫁になれる。幼馴染である俺が太鼓判を押そう。
 怒るとすぐ拳を振るうことさえなければだかな...。



「ごちそーさまでした。」

「お粗末様。」

 俺は愛梨がまだ半分も食べない内に完食した。
 すると愛梨は改まった表情で尋ねてきた。

「ねぇ、そういえば生議部のもう一人の部員って結局なんて人なの? 流石にまだ名前を知らないなんてことはないでしょ?」

 さてどうしたものか。
 あの部活の詳細については機密事項だが、天宮城の名前は知られていることらしいし、それぐらいなら教えても問題はないか?

「うーん...。」

「なんで勿体振るのよ。もしかして女の人?」

 なぜ女だと勘づいた?

 俺は言い淀みながら天宮城が自分の待遇について語っていた時の表情を思い出す。

「悪いけど今は訳あって言えないわ。」

「何それ、ちょー怪しいんだけど...。」

 そりゃ確かに部員の名前も明かせない部活なんて怪しいこと極まりないだろうけど...。

 結局俺は天宮城の名を明かさなかった。

「まぁ、しづのことだから色恋沙汰って訳ではないんだろうけど...。」

 いやその前になんで女性と断定できる...?
 俺はまだヒントすら教えてないんだが。

今は・・って言うんならいずれ話してくれるの?」

「......あぁ、そう出来るように努力する...。」

「何を努力するんだか...。」

 俺の心境を何処となく察したのか、愛梨は追求することを踏みとどまってくれた。

「さて、っと。」

 話に一区切りついたところで愛梨は空いた皿を下げ始める。

「手伝うよ。」

 俺は食器の他に調理器具の洗浄もあるだろうと思ったので、馳走になった詫びに洗うのを手伝うつもりで立ち上がった。

「いいよ、シンク狭いし。」

「じゃあ机でも拭いとくから布巾。」

「うん、じゃあお願い。」

 俺は布巾を受け取るとモタついた手つきでテーブルを拭き、愛梨は洗練されたスピードで食器を洗っていった。





「じゃあそろそろおいとまするわ。」

 「そう...。」

 片付け終わって時計を見てみると午後の2時をまわっていた。
 俺はそれを確認すると玄関へ向かう。

「あのさ......」

 俺がちょうど靴に足を入れたところで愛梨が何か言いかけた。

「ん?」

「私もしづん家行ってもいい?」

 なにやら顔を赤らめて上目遣いにそう尋ねてきた。

「......なんで?」

 正直言うとできれば来てほしくない。
 別に隠してあるエロ本がバレる危険性があるとかじゃないよ? いやほんと。

「え? いや、あれだよ! しづのことだからどうせ未だに部屋片付いてないんだろうと思ってね! 抜きうちチェックだよ!」

 くっ、お見通しか...。
 ってかこいつほんとオカン、まじオカン。

「いやいいって! 片付けとかちょーやったし。まじピカだし。」

「ダメ!嘘っぽい。てかまじピカってなんだし...。」

 そんな理不尽な...。

 そんな弾圧的な理由をつけて愛梨は無理矢理に俺の家までついてくるのだった。
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