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8 それでも沈黙は訪れる。
しおりを挟む候補探しを引き受けたはいいが......はて、どうしたものだろう...。
俺は部室のノートPCで学生名簿と睨めっこする状態がしばらく続いていた。
学生名簿は確かに見られるのだが、どの学生がどのサークルや部活に所属しているかがまるで分からないのだ。
既に何処かに所属している者を誘う訳にもいかないので、そんな情報があればと名簿を覗いてみたはいいが、肝心な情報は載っていない。
「ダメじゃん...。」
はっきりいって全く役に立たたない...。
分かるのは名前、学年、所属している学部学科ぐらいだった。
天宮城はこれを知ってて勧めたんだろうか...。
そんな解決のしようもない疑問を抱いていても仕方がないので、俺はとりあえず校舎を見回ってみることにした。
ウェスト棟イースト棟と一通り回り、セントラルへと戻ってきたところで俺はある致命的な問題に気付く。
......俺に人望とか皆無じゃんーーー
人望も無ければ見知らぬ人に声をかける気概もない俺は、セントラル棟の出入口付近にある休息所の椅子にひとまず腰を掛けた。
「あー、帰りてぇ...。」
校舎を見回り始めてからもう40分ほどだが、誰にも声かけることなく投げ出したくなっていた。
俺の知り合いなんてこの学校に何人いるんだよ? ......はい、数えるのに片手で足りますね。
俺がやる気を無くしうつ向いていると後方からなにやら声が聞こえた。
「お? 紫月じゃん!」
なんだか間の抜けた声がするなぁ。
ん?あぁ、なんだ空耳か...。
「紫月...だよな...。おーい、紫月くーん。」
うつむく俺にこの空耳はやけにまとわりついてくる。
「しーづーきーくーん! ...ねてる?」
空耳は下に回り込み俺の顔を確認してくる。
「いや起きてんじゃん。なぁ、シカトしないでくれよー。」
無気力感に満ちた今の俺にとってこの空耳はひどく耳障りだ。
するとなにやら空耳は俺の周囲をうろちょろし始めた。
「しーづきー。なーあー、おいってばー。」
「ちっ...。」
「え、今舌打ちしたよな...。」
「なんだよ空耳。」
放っといても鬱陶しいだけなので、無気力ながらもこの空耳を相手してやることにした。
「空耳......俺ってそんな逃避したくなる存在か?」
「いや、それ以前に存在して欲しくない。」
「俺の存在全否定かよ。」
いつどこで会っても安定の鬱陶しさだなこいつは......。
声をかけてきたのは空耳にしたくもない奴こと王生 武彦だった。
「こんなとこでぐったりしてなにやってんの? 疲れてんの?」
そう思うなら声かけてくんなよ。お前との会話が一番疲れるんだよ。
「別に...。お前の方こそサークルは?」
もうとっくに始まってていい時間のはずだ。
「ん? あぁ、うちのサークルは結構フリーダムな感じだから。」
何がどうフリーダムなんだ......あぁ、頭か。
「あっそ。」
飲み会サークルだっけ? こいつのサークルには興味も無ければ知りたくもないのでスルー。
「そいえばさっき愛梨ちゃんに聞いたぜ。部活入ったんだってな!セイギ部っていったっけ?」
愛梨の奴...。
余計な奴に余計なことを...。
「今日はその部活ないのか?」
「今その部活中だ...。」
「は? お前今だらーーっと休んでるだけじゃん。もしかして校内でひたすらぐーたらするのが活動内容的な?」
そんな部活はそれ以前に部活として学校に許可されません。
「部員候補探しだよ...。部活をしようにもまともに部員がいないんだ。」
「ふーん、なるほどー...。」
武彦は何かを察したように口角を上げた。
「要するに部員候補を探しに出張ったはいいが、友達もいなければ知らない人に声をかける勇気も出ない紫月君は、やる気を無くし歩き回るのも面倒になってここに座り込んでいたというわけだ。」
「ぐっ...。」
完璧なまでに俺の今置かれている状況を的中させやがった...。
長い付き合いというのは実に厄介なものだ。僅かなヒントで近況を気取られてしまう。
「図星って顔だ。ほんとお前は相変わらずだなー。」
武彦のニヤついた顔を見て俺は先日の昼休憩でこいつに陥れられたことを思い出しさらなる苛立ちを感じた。
「チャラ武の分際で馬鹿にしてんじゃねえよ。そもそもテメェがあん時ハメたから入る気もねぇのにあの部活に入ることになったんじゃねぇか。」
「いや、あれだってお前に少しでも友人が出来ればと気を遣ってやったんだぞ?」
「嘘つけ、ただ面白がってただけだろ...。」
「まぁまぁそう怒んなって、な?」
なんだよ少し友達が多いからって馬鹿にしやがって。
だいたいお前だって、人望=電話帳=女っていう、およそモラルというものを感じさせないただのチャラ男だろうが。それならまだ健全である俺の方が社会的に労われるべき存在のはずだ。
そもそも人望の大きさがそのままヒエラルキーに直結するなんて理念は、群れることでしか自我同一性を獲得できない哀れな人間の愚考でしかないんだ。ネットが普及し尽くした現在の情報化社会なら人望なんてのがなくたって十分に鞏固な人生を歩むことが出来るんだよ。故に俺には友達なんて必要ない!
......落ち着け俺、相手はあのチャラ武だ。
こんなことでいちいちイライラしてたら今後こいつとは付き合っていけんだろ。まぁ出来れば金輪際付き合いたくはないんだが。
「朝霧君?」
俺が武彦への苛立ちをクールダウンさせていると、先ほどまで耳に残していた麗らかな声がする。
「天宮城っ?」
出入口の方へ顔を向けると小さめのビニール袋を手に提げた天宮城の姿があった。
部室で別れてからもう一時間半は経っている。確かにそろそろ帰って来てもおかしくない時間ではあった。
「ここでなにをしているの? 作業は順調なのかしら。」
語りかけながらも天宮城は武彦を少し警戒する様子を見せている。
「あ、あぁ......実はちょっと難航してる。」
「そう...。」
やはり武彦のことを警戒しているようで、俺が返答すると一言だけ返して背を向けた。
「先に部室で待ってるわ。」
そう言って30秒ほど立ち止まって俺たちの前を去っていった。
天宮城が武彦を警戒するのも無理はないか。こいつの見てくれもあるだろうが、あの部活は存在こそ知られてはいるがその実態は基本的に機密、無駄な会話は避けたかったのだろう。
「なぁ、もしかしてお前んとこのもう一人の部員ってのは天宮城さんなのか?」
天宮城が遠くまで行ったのを見て武彦が訪ねてきた。
「お前天宮城を知ってるのか?」
確かにルックスがいい女性ならこの学校のほとんどを把握しているような男だ、知っていてもおかしくはないが...。
「そんなもんここの学生なら誰だって知ってるだろ。」
「確かに名前が名前だから知ってる奴がいても不思議じゃないが...。」
それにしても誰もが知ってるってのは少し言い過ぎじゃないか?
実際、俺はつい2日前に知ったんだし。
「お前のことだからどうせ覚えてないんだろうけどあの人、入学式で入学生代表で挨拶してたぞ?」
なんだと?
全く覚えがない......っていうか入学式自体の記憶がうろ覚えだ。眠かったしな。
「そうだったのか。」
しかしそうなるとあいつの存在をここの全学生が知っていてなおあの部活には部員が他にいないということになるよな...。
ほんとに友達いないんじゃねぇか?あいつ...。まぁ俺が言えた義理じゃないんだが。
「で? どうなんだよ、お前あの娘とどんなお熱い仲なわけ?」
武彦は目を爛々と輝かせながら見るからに鬱陶しい顔をしている。
「悪いな、今は詳しく話せん。」
「そりゃねぇだろ......そのうち話せよな。」
俺が少し声を低くして返すとその微妙なトーンの変化を感じ取ったのだろう、武彦はいつものようにしつこくはしてこなかった。
「じゃ俺部室戻るわ。」
「おぅ、頑張りたまえよー!」
お前は俺の何なんだよ...。
俺はの太い声の激励を背にして早足で再び部室へと向かった。
俺がきちんと閉めたはずの部室の戸は少し空いていた。
中へ入ると天宮城が先程提げていたビニール袋の中身を確認しているとこだった。
「一体どこまで行ってきたんだ?」
大手の日用雑貨店ならこの大学から徒歩20分くらいのとこに一つある。しかしこのキャンパスから出ているバスを使えば5分程で行ける距離だ。
「駅の方よ。」
駅って......雑貨店とは真逆の方向じゃないか...。あっちの方にそういった店あったかな?
「それより先ほどの彼は?まさか部員候補?」
いやなにもそんなあからさまに嫌そうな顔しなくても...。まぁそうなるのもわかるけど。
「いや、あれはただの......なんだろう?」
俺はアレを友人と呼ぶのを躊躇った。
「......そういうところは少し似てるわね...。」
似てる?一体誰にだ?
彼女の謎の言動におれは疑問符を浮かべたが、彼女が出した袋の中身が目に入りその疑問は何処かへ消えた。
「なぁ、その立派な缶はなんだ?」
「紅茶の茶葉ね。」
ふむ。
「じゃあその包はなんだ?」
「お茶請けね。」
ふむふむ。
「んー......質問を変えよう、お前は何を買い出しに行ってきたんだ?」
「は? 今答えたじゃない。なぞなぞでも始めようというの? あまり馴れ馴れしくされると不愉快なのだけれど...。」
なんでそうなる。俺だってお前となぞなぞ勝負なんかしたかねぇよ。勝てる気しないもん。
「いや、そうじゃなくて...。 お前が言ってた買い足さなきゃいけない備品ってのはそこの紅茶と菓子のことだったのか?」
「だからさっきから言ってるじゃない、くどいわ。」
ツッコミたい、すごくツッコミたいがそうしたら何か名状しがたい敗北感を味わってしまう気がする...。
そういえばこいつ弁当食ってる時ティーカップで紅茶らしきものを飲んでたな...。
先程までは気付かなかったがよく見たら窓際の棚の上にティーポットも置いてある...。
「......ティータイムは部活動に入るのか?」
俺は若干遠回し目に質問をしてみた。
「......んんっ、貴方が言いたいことは分かるわ。」
彼女は咳払いをして続ける。
「そうか、ならどういうことか説明してくれ。」
言いたいことが分かるんならさっきは全力でシラを切る気でいたことになるがな。
「この茶葉は駅前にある専門店でしか手に入らないのよ。」
知らねぇよ!そこは聞いてねぇよ!
「質問の答えになってないな。」
俺が聞いてるのは何故その紅茶なんぞを買いに行くことが活動内容に含まれているかということなのだが。
「はぁ......黙っていたことは謝るわ。これといって他にやることがなかったのよ...。」
天宮城も観念したようで、正直に答えた。
おそらくこいつは部活へ顔を出した俺に、特にやることがないと言い出すのは申し訳ないと思って事実を隠そうとしたのだろう。
「百歩譲ってそれは許してもいい、だが俺一人に候補探しを押し付けたことだけはいただけないな。」
そう、こいつは自分だけ呑気にショッピングして俺一人に部員候補探しを押し付けた。これはいくら紳士な俺でも憤りを感じざるを得ない。
「それについては私がいたところで状況は何も変わらないと思ったからよ...。」
「言い訳にしか聞こえんが。」
「......。」
俺はこの時初めて天宮城の悔しそうな表情を拝むことができた。そして内心ほくそ笑んでいた。
何者でもないこの俺がこの冷酷魔人を顰めさせたことが何より喜ばしかった、誇らしかった、晴れ晴れしかった。
......俺、小せぇなぁ。
ふと我に返りこの状況を冷静に鑑みてみると、大の男が可憐な美少女に遺憾なく質問責めしているという、見様によってはいかがわしくも思える状況だということに気づく。
「言い訳じゃないわ、事実よ...。」
「ほぅ、じゃあ証明出来るのか?」
こいつも往生際が悪いな。
「えぇ......。自慢じゃないけど私はこの学園で超有名人なのよ...。」
いや、これでもかってぐらい自慢じゃね?
「けれどこの学園には私が友人と呼べる者はおろか話し相手すら未だ一人としていないわ...。」
彼女は俺に顔を向けずに証明を続け、俺も黙ってそれを聞く。
「私が持つ理念と性格上難しいのよ、そういったコミュニティの中で馴れ合うのって...。」
話を続ける彼女は、ここではないどこかを見つめるような、そんな目をしていた。
「だから今まで部員は私一人だけだった。誘える相手も誘う意思もなかったから......。そんな私が居たところで状況は何も変わらなかったと思うわ。これで質問の答えになったかしら?」
そう言ってこちらを見た彼女からは空虚な瞳は消え、いつも通りの冷徹な表情にもどっていた。
「なんだそれ、ただの自虐じゃねぇか。」
「そうとってくれても構わないわ、でもちゃんと証明にはなったはずよ。」
自虐込みの証明なんて俺だったら悶絶ものだっつーの...。ほんと面倒な性格してるよな...。
「まぁ、そうだな...。俺もちょっと大人げなかった気はするしな...。」
紳士な俺は美少女に質問責めしたことを 真摯に反省した。
別にふざけて言ってるんじゃないよ?いたって真面目だよ?
「大人げなかっただなんて随分上からものを言うのね。部に入った以上貴方と私は対等な関係なのだけれど。」
「そうなのか?」
「いえ、むしろ私の方があなたより上位の存在ね。」
こいつ調子に乗りやがって、ちっとは自重というものを覚えろ。
「おい、勝手に決めんな。俺は認めんぞ。」
「だってそうでしょ? ここは私のために作られた部なのだから。」
「うっ...。」
そう言って彼女は悪戯な笑みを浮かべた。
こいつ...。
それを言われちゃ何も言えねぇじゃねぇか。権力を全力で振り翳すとかほんと容赦ねぇな。
「そんなだから話相手の一人もできねぇんじゃねーのかよ。」
「お生憎と暇つぶし術なら免許皆伝よ。」
そんな誇った顔をして言うことか。
しかしどこか楽しげに話す彼女の表情を見ると、何故か皮肉の一つも返せなかった...。
「その暇つぶしもこれからは少なくなるだろうよ。」
「は?」
彼女が疑問符を浮かべると、もう慣れつつある数秒の沈黙が俺たちを包み込んだ。
「......貴方じゃ暇つぶしにもならないけどね。」
こいつの辞書にはどうやら遠慮の二文字はないらしい。
だがまぶたを閉じてそう言った彼女の口元は柔らかく緩んでいた。
「はいはい、左様ですか。」
俺は彼女の悪態を聞き流すと鞄から本を取り出し粛々と読書をし始める。それを見た天宮城も買ってきたばかりの紅茶を卸して湯を沸かし始める。次第に各々の特異的空間が形成されると、再び部室に長い沈黙が訪れた。
部室の窓からは、うつろいやすく、傷つきやすい穏やか陽気の中で、ひしひしと熱気がこもっているグラウンドの様子が窺える。うら若き活気に満ちたアンサンブルは、遥か上にあるこの部室にまで響いて来る。
そんな青春の音色に囲まれたこの部屋は、青々とした外の光景とは裏腹に、湿気こもった黄昏色の空気に包まれていて、その中にいる俺は、まるで世界からこの空間だけ隔離されてしまったのではないかという錯覚すら覚える。
だがそこで過ごす時間は初めて訪れた時ほど心地の悪いものではなかったーーー
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