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お菓子とエールの街(28〜)
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ドアの向こうにあった食堂は、静かな宿とは別世界だった。
食堂といいつつ酒場らしき活気溢れる風情。冒険者と商人と職人とあらゆる人々が一緒になって、まるでアルベルムの賑わいを一室に押し込んだかのような光景である。
人間と亜人が十三卓ものテーブルとカウンター席をそれぞれに囲んで、ほとんど全員がエールの入った樽ジョッキを片手に持っている。あちこちで乾杯の音が連鎖しては止むを繰り返し、奥の小さなステージで演奏されている陽気な音楽に溶け込んでいく。どこのテーブルの上にもジャーキーや辛味たっぷりのピクルス、スパイスをたっぷり盛ったポテトなどがずらりと並んでいる。酒や料理を運ぶ者と移動しながら飲み食いする者、踊りながら酒の溢れた床をモップで掃除する者がいるが、誰もが楽しそうに言葉を交わしていて、もう誰が店員で誰が客かも見分けがつかない。
「わあ……!」
リュークがふらふらと食堂の真ん中まで進みながら思わず声を発すると、すぐ近くにいた巨躯のリザードマンが椅子に座ったまま振り向いた。
「おうおう、領主様と一緒に居た坊主じゃねえか。飯を食いに来たのか?」
縦長の瞳孔を持つ金色の目が興味深くリュークを見つめている。リザードマンに多い深緑色の鱗は美しく、滑らかな光沢を放っていて、「竜人族」に分類されるだけあってドラゴンにもよく似ている。リュークは男を見上げて「うん」と短く返事をした。
「一人でかあ? まあいいや。他のテーブルは満席なんだ、こっちの椅子に座れよ」
リザードマンが引いた木椅子を見て、リュークはまた「うん」と返事してそこへ座った。対し、リザードマンの方は自分で誘ったにも関わらず、一寸驚いた様子を見せた。
もぞもぞと小さな尻の納まりの良い位置を探し当てたリュークが改めてこのテーブルの面々を順番に見てみると、二人が人間の平均身長くらいの猫系獣人、一人はそれより若干小型の犬系獣人、一人は猫系より大きな牛系獣人、それと一番大きいのがリュークを招いたリザードマンで、五人とも鎧を身に着けていたり杖や剣を背負っている。つまり、このテーブルのメンバーは全員が冒険者ということである。
彼らは親切で、リュークの食事をわざわざ厨房前のカウンターまで取りに行ったり、飲みやすいジュースを用意したり、リュークの口の周りを拭いてやったりした。リュークは美味しいグラタンに夢中になりながらも辛うじて彼らへの興味を失わずに反応した。
リザードマンたちは時折リュークに質問を投げたが、上手く返ってきたものは殆どなかった。だが、彼らは酔っ払っていたのであまり気にせず、それよりも人間の子供とこれだけ近くで話すことが珍しくて嬉しくて、なんでもかんでも「そうかそうか」と受け入れて笑うのだった。
宿屋の女の名はエルザといった。エルザはリュークが少なくともここにある全てのものに関して何の偏見も抱いていないことを見て取り、心が温まるのを感じていた。
「変わった子だ」
丁度エルザがカウンターで空いた皿を重ねていたとき、すぐそこの席に座る白髪の老人が言った。それは誰に向けたものでもなかったが、近くに居た亜人と人間の客たちが拾って「そうだなあ」と一様に深く頷いた。
エルザも「本当にねえ」と同調し、穏やかな眼差しでリュークを見つめる。
「あの子、あれが普通だと思ってるみたいだわ。まるで差別なんてものを見たことがないような感じよ」
「アルベルムから来たからか? 向こうじゃ種族の違いなんて気にしないって聞いたことがあるが」
「そうねえ、確かに少し変わった街のようだけれど。同じアルベルム領なんだから、そこまでの違いはないでしょうよ。ここだって、他の領地から来た人からすれば変わってるって言われるもの」
「おい、あれ……あれを見ろよ。飯ぃ食い終わったあとは、おもちゃ屋のおもちゃでも触るみてえに亜人をベタベタ触ってやがる。ああ、でも尻尾と耳は触らねえんだなあ。ちゃんと誰かに教えられたんだろうなあ」
亜人の耳や尻尾を触らないことなどは常識であるが、それでもたいていの子供は触りたがるものだ。
それを保護者もいないところで──偉いなあ──良く出来た子だなあ──小遣いをやらねえとなあ──と感心しきりの客たち。果ては過保護寄りの思考に陥っていることにも気付かない。
いやあ、可愛らしいなあ──俺も同席させてもらうかなあ──まったく利口な坊っちゃんだよ──ほら、ちゃんと鞄も持って──おっ、スライムかぁ、懐かしい。そういや昔は戦闘訓練で──……スライム?
食堂はまだ賑わっている。寧ろ段々と祝祭のような盛り上がりを見せている。何故こんなにも騒いでいるのか──考えるだけ無駄というものだ。何となれば、この盛り上がりがアルベルム領主の来訪によるものかといえばそうであろうし、いつものことかといえばそれもそうなのである。
とにかく、この食堂の夜は長い。これを常連の客に言えば、「そりゃそうさ。なにせ夜ってのは朝まで続くんだからなあ」と笑ってエールを一口飲み下し、また新たなエールを注文するだろう。そして、朝が来る頃には皆アンデッドのように床で呻きながら寝る羽目になる。
これがいつもの不健康な街テルミリア名物とも言うべきありがちな光景なのだった。
──そのはずだった。
食堂といいつつ酒場らしき活気溢れる風情。冒険者と商人と職人とあらゆる人々が一緒になって、まるでアルベルムの賑わいを一室に押し込んだかのような光景である。
人間と亜人が十三卓ものテーブルとカウンター席をそれぞれに囲んで、ほとんど全員がエールの入った樽ジョッキを片手に持っている。あちこちで乾杯の音が連鎖しては止むを繰り返し、奥の小さなステージで演奏されている陽気な音楽に溶け込んでいく。どこのテーブルの上にもジャーキーや辛味たっぷりのピクルス、スパイスをたっぷり盛ったポテトなどがずらりと並んでいる。酒や料理を運ぶ者と移動しながら飲み食いする者、踊りながら酒の溢れた床をモップで掃除する者がいるが、誰もが楽しそうに言葉を交わしていて、もう誰が店員で誰が客かも見分けがつかない。
「わあ……!」
リュークがふらふらと食堂の真ん中まで進みながら思わず声を発すると、すぐ近くにいた巨躯のリザードマンが椅子に座ったまま振り向いた。
「おうおう、領主様と一緒に居た坊主じゃねえか。飯を食いに来たのか?」
縦長の瞳孔を持つ金色の目が興味深くリュークを見つめている。リザードマンに多い深緑色の鱗は美しく、滑らかな光沢を放っていて、「竜人族」に分類されるだけあってドラゴンにもよく似ている。リュークは男を見上げて「うん」と短く返事をした。
「一人でかあ? まあいいや。他のテーブルは満席なんだ、こっちの椅子に座れよ」
リザードマンが引いた木椅子を見て、リュークはまた「うん」と返事してそこへ座った。対し、リザードマンの方は自分で誘ったにも関わらず、一寸驚いた様子を見せた。
もぞもぞと小さな尻の納まりの良い位置を探し当てたリュークが改めてこのテーブルの面々を順番に見てみると、二人が人間の平均身長くらいの猫系獣人、一人はそれより若干小型の犬系獣人、一人は猫系より大きな牛系獣人、それと一番大きいのがリュークを招いたリザードマンで、五人とも鎧を身に着けていたり杖や剣を背負っている。つまり、このテーブルのメンバーは全員が冒険者ということである。
彼らは親切で、リュークの食事をわざわざ厨房前のカウンターまで取りに行ったり、飲みやすいジュースを用意したり、リュークの口の周りを拭いてやったりした。リュークは美味しいグラタンに夢中になりながらも辛うじて彼らへの興味を失わずに反応した。
リザードマンたちは時折リュークに質問を投げたが、上手く返ってきたものは殆どなかった。だが、彼らは酔っ払っていたのであまり気にせず、それよりも人間の子供とこれだけ近くで話すことが珍しくて嬉しくて、なんでもかんでも「そうかそうか」と受け入れて笑うのだった。
宿屋の女の名はエルザといった。エルザはリュークが少なくともここにある全てのものに関して何の偏見も抱いていないことを見て取り、心が温まるのを感じていた。
「変わった子だ」
丁度エルザがカウンターで空いた皿を重ねていたとき、すぐそこの席に座る白髪の老人が言った。それは誰に向けたものでもなかったが、近くに居た亜人と人間の客たちが拾って「そうだなあ」と一様に深く頷いた。
エルザも「本当にねえ」と同調し、穏やかな眼差しでリュークを見つめる。
「あの子、あれが普通だと思ってるみたいだわ。まるで差別なんてものを見たことがないような感じよ」
「アルベルムから来たからか? 向こうじゃ種族の違いなんて気にしないって聞いたことがあるが」
「そうねえ、確かに少し変わった街のようだけれど。同じアルベルム領なんだから、そこまでの違いはないでしょうよ。ここだって、他の領地から来た人からすれば変わってるって言われるもの」
「おい、あれ……あれを見ろよ。飯ぃ食い終わったあとは、おもちゃ屋のおもちゃでも触るみてえに亜人をベタベタ触ってやがる。ああ、でも尻尾と耳は触らねえんだなあ。ちゃんと誰かに教えられたんだろうなあ」
亜人の耳や尻尾を触らないことなどは常識であるが、それでもたいていの子供は触りたがるものだ。
それを保護者もいないところで──偉いなあ──良く出来た子だなあ──小遣いをやらねえとなあ──と感心しきりの客たち。果ては過保護寄りの思考に陥っていることにも気付かない。
いやあ、可愛らしいなあ──俺も同席させてもらうかなあ──まったく利口な坊っちゃんだよ──ほら、ちゃんと鞄も持って──おっ、スライムかぁ、懐かしい。そういや昔は戦闘訓練で──……スライム?
食堂はまだ賑わっている。寧ろ段々と祝祭のような盛り上がりを見せている。何故こんなにも騒いでいるのか──考えるだけ無駄というものだ。何となれば、この盛り上がりがアルベルム領主の来訪によるものかといえばそうであろうし、いつものことかといえばそれもそうなのである。
とにかく、この食堂の夜は長い。これを常連の客に言えば、「そりゃそうさ。なにせ夜ってのは朝まで続くんだからなあ」と笑ってエールを一口飲み下し、また新たなエールを注文するだろう。そして、朝が来る頃には皆アンデッドのように床で呻きながら寝る羽目になる。
これがいつもの不健康な街テルミリア名物とも言うべきありがちな光景なのだった。
──そのはずだった。
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