西からきた少年について

ねころびた

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アーカス侯爵領(99〜)

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 天井は遥か高く、夜を塗り込めたように黒い。



 ──ポチャン、という音と低い飛沫を上げた小石が水底へ沈んだのを見て、リュークは悲しげに眉尻を下げた。

「もっと低いところから、水面に対して平行に、鋭く投げるようにして──」

 グランツの助言を聞いて、もう一度河原から薄めの小石を探すリューク少年。すぐそこを流れる広い川では、大きな魔狼リンが思いきり跳ね回ったり、泳いだり、潜ったり、魔物を捕まえて食べたりしている。

 此処は半径1キロメートル程の円柱状の空間らしく、ぐるりと一周見渡すと暗い天井まで続く岩壁に囲まれているのが分かる。壁の下の方や、岩場や、川の中や地面や、あちらこちらに青っぽく光る鉱石が生えていて程よく明るい。
 川に抉られて崖となっている向こう岸の奥には、天井と同じくぽっかりと影に支配されたような森があって、リュークたちの後ろには海岸や渓谷に見られるような巨大な岩がひしめく岩場がある。リューク、リン、グランツがこの階層に至ってから三時間ほどが経ったが、この河原で食事をし、岩場や川で遊び始めたまま次へ移動する様子はない。

「おっ! 薄くて良い感じの石を見つけたな! 水切りというのは、力が強ければ強い程よく跳ねるぞ!」

 小石を見せに来たリュークに言ったグランツは、ちょっとしたローテーブルほどの大きさの岩を難なく持ち上げると、「こうするんだ」と岩を水平に振りかぶって思い切り川へ投げた。

 大きな岩は、激しい音と飛沫を上げながら恐ろしい速度で水面を跳ね、向こう側の崖を派手に破壊して砕け散った。川が驚いたように波を立てたが、その後には何事もなかったかのように穏やかな表情に戻って流れ続けた。

 リュークはとびきり目を輝かせ、グランツの真似をして小石を放り投げた。どんくさいような動作だったが、小石はいつぞやの泥団子と同く凄まじい勢いで飛び、ついに一度も水面に着くことなく対岸をさらに派手に打ち壊した。

「おお、凄いぞリューク! 確かに、投石としては今のが最も美しい形だ! 水切りではないがな! ははは!」

「ははは」

「ははは!」

 真似をして笑うリュークが可笑しくて、グランツがさらに笑い、それをまたリュークが真似て、二人は暫く笑い続け、やがて笑い疲れると、並んで仰向けに寝転んだ。

 真っ黒な天井には、今にも星が瞬きそうに見えた。
 リュークは、一目でこの場所を気に入った。川も森もあって色んな遊びが出来るし、特にそこいらに生えている光る鉱石は、ユフラ婆さんの住まう〈ユフラの洞窟〉に生えているものと似ていて心が落ち着くのだった。

 この光る鉱石の正体は、特殊な金属に集まる魔力が金属ごと結晶化したもので、通称〈魔石〉と呼ばれる。
 魔石は、魔力を引き寄せて溜め込む特性を持つ〈魔鉄鋼まてっこう〉を含む岩や土のある場所で、濃密な魔力が長い年月の間同じところに留まることにより徐々に大きくなる。例えば、魔力の逃げ場のないユフラの洞窟のような場所ではいくらでも採れるが、魔力の流動する平野などでは見かけることすら殆ど無い。生成に好条件となる場所が少ないことから貴重な鉱石とされているものの、今や人々の生活に欠かせない素材として、多くの貴族がせわしなく鉱山の所有権を争っている。

 つまり、それなりの広さのある空間にも関わらず魔石が大量に生えているこの階層には、よほど膨大な魔力が溜まっているということである。




 少し眠っていただろうか。リュークは、もふもふの尻尾に顔を撫でられて目を覚ました。

「おはよう、リン」

 リュークの胸に擦り寄ってきた大きな頭を撫でてやると、リンは嬉しくてすぐに仰向けになった。リュークはリンを撫でながら、いつの間にか隣に立っていたグランツを見上げる。

 グランツは剣の柄に手をかけたまま、じっと対岸を見つめている。

 対岸の森の奥に何かが潜んでいる。
 小さな手で腹を撫でられているリンは、身をよじりながら息を切らして喜んでいる。リュークはグランツを気にしている。

「やはり、階層主フロアボスが居るな」

「階層主?」

「うむ」グランツは鋭い眼光をフッと柔らげて少年を見下ろした。「そういえば、リュークはダンジョンに入るのは初めてか?」

「ダンジョン? 初めてじゃないよ。ダンジョンには魔物がいて、階段があるんだ」

「そうだな。大抵は、階段一つを降りるごとに一階層を降りることになる。例えば、我々は地下一階層から階段を降りて地下二階層へ、そしてまた階段を降りて地下三階層、また降りて地下四階層──そうやってずっと降りてきた訳だが、さてリューク、今居るここは地下の何階層だ?」

 唐突な質問に、リュークは驚いて手を止めた。それから寂しげな目を向けてくるリンに気づくことなく、おもむろに左手の指を一本ずつ折り曲げていき、次は右手の指も全部使って数え、また左手、今度は右手と、順々に指折り数えた。

「三階層」

 リュークは数えるのが苦手である。一の次は二、二の次は三、三の次は七で、その次は四か三。そのまた次は十か四で、いくつか飛ばしたあとは五。で、また三が来て十が来て、何個かあとに三が来るはずだと仮定して、とりあえず何度か三を続けておく。──リュークの数え方とは、大方このような具合なのだ。中でも「三」という数字はおやつの時間という概念が印象を強め過ぎており、指に割り当てられる頻度が高い。

 グランツは大いに吹き出した後、「そうか、そうか、もうそんなに降りてきたか」と満面の笑みで言った。

(本当に地下三階層なら、どんなに良かっただろう)

 再び対岸を見据えたグランツ。太い首筋を汗が滑り落ちていく。

 森の木々がざわめいている。それも少しの間だった。ざわめきは、あるときにピタリと止んだ。

「リューク、リン、怪我をしないでくれよ」

 半分祈るように言ったグランツが、スラリと剣を抜き放った。

 

 
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