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アーカス侯爵領(99〜)
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しおりを挟む魔力を失いし天才魔法使いヴンダー・トイは、自分と並んで馬にまたがる十名のアルベルム兵士らと同じ動作で宿屋の看板を見上げ、次いで扉にかかった「休業」の看板を見て、がっくりと肩を落とした。
〈ウェルカ村〉は、アーカス侯爵領内で最も西に位置する村である。古くから冒険者や行商人、物好きな旅人のための宿場町として存続してきたウェルカ村には、〈ギルド支所〉なる施設が置かれている。
ギルド支所とは、冒険者ギルド、商業ギルド、工業ギルド、魔法ギルドなど多くのギルドの支部を一つの会館に集約した施設である。各ギルドが人件費などの費用節約を目的として合同で建てる支所は、とくに都市から離れた地域に多く見られる。
という訳なので、ふつう広範囲の過疎地域の中心の町村に置かれる支所は最低限の造作で済ませた簡素な建物で、パーティーの会議やメンバー探しの際によく使われるテーブルすら取っ払った味気ないロビーでは朝から晩まで閑古鳥が鳴いているものだ。
ところが、ウェルカ村のギルド支所は見栄っぱりなアーカス侯爵のせいで、なんということでしょう──あれほど小さかった土地面積は約二倍、建物面積は四倍超にまで増やされ、さらに外壁は美しい白い煉瓦で整えられ、ロビーの床は少なくとも冒険者ギルドとしては有るまじき一面大理石。生粋の貴族向けの幅広い螺旋階段を上がった二階と三階には、完全に空気を読み違えた深紅の高級絨毯が敷き詰められていて、南側は全て最新のガラス窓が採用されており、極めつけは屋上に監視塔と砲台まで取り付けられ、一目で豪邸か要塞か判断に悩む外観へと生まれ変わりました。
このアーカス侯爵による寛大な処置に、当初苦情を申し入れようとしていた各ギルドであったが、蓋を開けてみると存外に人の往来が増えていることに気付いた。
これが何ごとかと言えば、職員が各支部に責任を丸投げできる支所という場所では、報告書等の重要な一部を除いてあらゆる手続きが簡略化されるため、手軽に依頼の受注や精算が出来、ギルドを掛け持ちする者にとっては非常に勝手が良く、また、大理石の床の広々としたロビーも慣れてみると意外に居心地が良く、これまで単なる関所前の宿場町に過ぎなかったウェルカ村を本格的な活動拠点とする者も出てきて、収益は伸びる一方。その上、村の若者が支所に雇用されることで人材流出による人口減少も防ぎ、良いこと尽くめの大改造となっていたのである。
「いやあ、流石は侯爵様だ。我々のような平民とは頭の出来が違う」
と、昔は貴族嫌いだった村人が、今では口癖のように侯爵を褒め称えるようになった。この村では、道端でも飯屋でも、昼夜そういう洗脳じみた声が聞こえてくる。
ただ、今日のウェルカ村はいつもの活気がない。宿屋を含めた店という店は全て閉まっており、ギルド支所も「本日は、依頼に関わる全ての業務を終了致しました。緊急の報告は入口横のベルを鳴らしてください」という張り紙をして入口の扉を閉めている。
ヴンダーたちは、既にソロウやレオハルトに言われた通りに関所と支所へ報告を終えている。
ウェルカ村までは、テヌート伯爵領とアーカス伯爵領の両方の関所から馬を借りて四時間かけて来た。それからすぐに支所入口のベルを鳴らしてダンジョン発生の報告を終え、宿を探して歩き回ること現在に至るわけだが、もう村をきっかり二周し終えたにも関わらず、一軒も開いている宿屋が見つからない。
「ダンジョンまで戻ろう。ダンジョンへ入った捜索組が誰も戻らなければ、テヌート伯爵領の関所でもう一泊させてもらい、明朝に物資を調えてダンジョンへ潜る。ヴンダーは、そのまま関所で待機だ」
兵士の中の一人が言った。ウェルカ村の宿屋が開いていればヴンダーだけ村に滞在させる予定だったが、こうなれば仕方がない。ヴンダーは悲しげな顔で兵士らとともに馬の向きを変えた。
まだ全面の小石を除けて均しただけで舗装されきっていない半端な道が村の出口まで続いている。乾いた風に土埃が舞う無人の道がなんとも寂しい村の風景だ。せめて、どんな情報の一つでも手に入れることが出来ないものかと願ったが、この様子では到底無理だろう。
「どうして、こうも不運ばかり……」
嘆いたところで口に砂が入るだけだ。ヴンダーは、ローブの襟元を引き上げて口元を覆った。
タタッ、と耳慣れない足音が聞こえたのはその時だった。
「あっ!」
驚くほどの速さで走ってきた影が、ヴンダーたちを一瞬横目にとらえたかと思うと、砂に足を滑らせながら急停止した。
短めの髪の毛と同じ淡い栗色の長い耳が、何かを思案しているようにゆらゆらと揺れている。
ツンと尖った鼻、真っ赤な瞳。革のベストに白いシャツ、細身の黒いパンツ、腰には使い易そうな短剣。茶色のブーツは、どれだけ砂を蹴立てて走ってきたのか、すっかり汚れてしまっている。
十名のアルベルム兵らは、砂埃が薄まるにつれて目を見開き、やがて声を揃えて彼女の名を叫んだ。
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