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無限の迷宮(110〜)
110 無限の迷宮
しおりを挟むギムナックは、新品のハンカチを差し出した。ハンカチを受け取ったヴンダーは、代わりに涙と鼻水でぐしょぐしょに濡れたハンカチをギムナックへ返した。
ぐしょぐしょに濡れたハンカチをそっと指先で摘んだギムナックはそれを洗濯物入れの麻袋へ落とし、背中に担いでいた大きなリュックへ麻袋を仕舞って、別の綺麗なハンカチで指先を拭いたあと、ヴンダーの肩を優しく叩いた。
迷宮の中は、今朝までと寸分変わらぬ様子の石造りの迷路が続いている。
「まあ、そう気を落とすなよ。もう地下四階層まで来てしまったんだから。だいたい、何故断らなかったんだ? ダンジョンに詳しいお前が居てくれれば俺達は助かるが、お前からしたら危険でしかないだろうに」
「うっ、うぅ、だって、可愛そうじゃないかぁ。あんなに純粋な子がぁ、不安だろうにぃ……。それに、フルルはリンちゃんに会いたいんだし、リンちゃんもフルルに会いたいだろぅ、うぅ」
「そうか、そうか。優しいな、お前は」
ギムナックは、心底呆れたような嬉しいような笑みを浮かべた。
ヴンダーが居てくれて助かるというのは本当だった。
ソロウ、ギムナック、ミハルは、地下迷宮の十階層、若しくは塔や城などに現れる地上迷宮の中層より上へ挑んだ経験が殆どない。これは珍しいことではなく、寧ろそれより奥へ挑もうとするのはA級以上の冒険者と、彼らが大型迷宮へ挑むため大人数パーティーを組む時に混ざる一握りのB級冒険者で、何れも迷宮の完全攻略を目的としている。
一方、それ以外の冒険者が迷宮に足を踏み入れる機会といえば、冒険者ギルドが管理する初心者向けの小さな迷宮へ遊びに行くか、浅い階層で依頼された素材を集めるときくらいのもので、身の丈に合った依頼を受ける限りは奥へ進む必要がないのである。
つまり、S級冒険者として数々の迷宮を実力で攻略してきたヴンダーの意見が今は何より貴重なのだ。
昼間の談話室で、ハンモックから降りてきたヴンダーが早速述べた見解では、この迷宮は〈無限の迷宮〉の可能性が高いという。
「無限の迷宮」と聞いて、ギムナックははたと得心がいった。これまで直に見たことはなかったが、冒険者ギルドに置いてある論文で読んだ覚えがある。非常に地味なくせに、未だ攻略されたことのない迷宮。確かに、この迷宮は論文に書いてあった通り地味で、気が狂いそうになるほど底の見える気配がしない。
普通、迷宮は奥へ行くほど強い魔物や、階層主や、最奥で待ち構える迷宮主の魔力で満ちていて、罠も段々と巧妙で酷いものへと進化していく。ところが、この迷宮ときたら、いくら進んでも魔力の濃度が上がらず、特に不穏な気配も罠の変化も感じられないのだ。これは、ハンターや魔法使いからすれば、何とも言語を絶する不気味さがある。
また、ギムナックに勝るとも劣らない大きさの荷物を担ぐレオハルトとアルベルム兵士らにも、同じく心当たりがあった。
実は、アルベルム城の秘密の地下にはこの迷宮と似た迷宮があるのだ。元はと言えば、その迷宮の底に辿り着けず攻略出来ないが為に、万が一迷宮が魔力暴走を起こしても封じられるよう真上に城を建てるしかなかったのである。
(ついでに無限の迷宮の謎が解ければ助かる)
このように、ひっそりと副産物を狙うレオハルトは、小さな情報も見逃すまいと一層目を光らせている。その後ろで、十名の兵士たちも同様に通路の隅までしっかりと観察している。
大荷物を担ぐのも慣れた様子で最後尾を歩くソロウとミハルは、すぐ前で足元に目を落としたまま歩くフルルの背中を黙って見つめている。
ずっと何かを考え込んでいるらしい華奢な背中。彼女の頭をぐるぐると巡っているのがリンやヨシュア・クリーク神官に纏わる内容であろうことは、簡単に想像がつく。
地下五階層への階段を目指すこと、すでに三時間。迷宮に足を踏み入れたのが夕方で、それから歩き通しだが、一行にはまだ疲れの色は見えない。地図があるという安心感が全員の歩調を正しく指揮できているようだ。
ミハルは、自分の肩掛けバッグから木の実を詰め込んだ小さな袋を出してフルルに渡した。驚いて顔を上げたフルルは、まるで寝起きのようにキョロキョロと周りを見回して、ほっと息をついた。
「ごめん、ぼうっとしてたよ。これ、ありがとう。丁度小腹が空いたとこだった」
「そうでしょう。ほんと、夜ご飯前と深夜ってお腹が空くのよね。食べちゃ駄目って分かってるのに、どうしても食べちゃう」
ミハルが悪戯っ子のような笑みで言うと、フルルは「全くだよ」と同意した。それからフルルは香ばしい木の実を一粒食べ、「ヨシュア様は──」と意を決して先程までの思考を打ち明ける。
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