西からきた少年について

ねころびた

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元魔王城(142〜)

146 供物の価値

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 レオハルトは直ぐさま祭壇を降りるべく体の向きを変えようとしたが、それよりも素早く動いたリンに引き摺り降ろされた。
 祭壇には、死神の大鎌だけが取り残されている。

 レオハルトを咥えたリンは、祭壇を大回りしてリュークのもとへ走る。一瞬が連続して過ぎるたびに部屋の温度が下がっていくようだった。リンですら、よく分からない何かに突き動かされている気がして不安にかられた。
 まだ何も起こっていないのに、大人たちの胸は絶望に占められようとしている。

 そのうちに夜がやってきた。

 大人たちのうち、はじめは誰も気が付かなかった。何気なくリュークの視線を伝って上を見上げた兵士が「うん?」と不思議そうに零してから漸く、まるで夜の帳が降りるように、但しそれよりもずっと早い速度で天井の小さな光たちが端から消え始め、部屋がずんと暗くなりつつあることに彼らは気付き始めたのだった。

「あ……あれ!」

 ミハルが恐怖に怯えながら祭壇を指した。
 全員の目が祭壇に向く。大鎌を乗せた祭壇は、じっとそこにある。
 祭壇の上で何かが揺れ動いている──大人たちが目を凝らして思ったとき、その急に量を増して祭壇から床へ流れ出した。


 血だ。


 真っ赤な血。黒の祭壇と床を滾々こんこんと湧き出る赤が瞬く間に染め上げていく。

 リュークたちの周りにも赤が迫る。うわ、と情けない悲鳴を上げて逃れようとする大人たち。彼らは追い立てられてリュークやリンのそばへ集まった。

 それで、よくよく見ると深紅の流水はリュークとリンの近くを露骨に避けているようだった。一室は血の泉と化していながら、リュークたちの周りだけは十分な広さを保って一滴の赤の侵入も許してはいない。
 どういう仕掛けか。もしくはレオハルトの魔法だろうかと目を見合わせるが、レオハルトの蒼白な顔を見て不可解を察する大人たち。



 言葉を絶するおぞましい光景だった。


 祭壇から湧き出る血は涸れるどころか益々無尽蔵に湧き続け、嵩は既にリュークの腰ほどにまでなっている。

 リンは落ち着かない心地でレオハルトの周りを回っていたが、耳の後ろが痒くなったので後ろ足で掻かずにはいられなかった。

「なんなの……どうなっているの? リッチはボスじゃなかったの?」

 ミハルが恐怖からリュークを守るように抱きしめたまま、消え入りそうな声で言った。剣呑な顔つきのレオハルトは首を横に振る。それを見たソロウが悔しげに口を開く。

「分からねえ。レオハルトが分からねえなら、多分、誰にもな。……おい、ヴンダー! 聞こえるか!」

 ソロウが大声を張り上げると、壊れた扉側の結界の向こうで「ここに居ます! ぶ、無事ですか!」と焦燥と動揺にまみれた青年の返事があった。

「今んとこ無事だ! これ、どうなってるか分かるか! 何で結界が消えないんだ!」

「へっ、あっ、やっ……すみませぇん! 分かりましぇ……分かりませーん!」

 いっそ哀れなほど申し訳無さの滲んだ声が返ってきて、ソロウは「ほらな、誰にも分からねえさ」と肩を竦めた。

 ギムナックは両膝をついて両手を組み、一心に神へ祈りを捧げている。兵士たちは狼狽しつつも、いつでも剣を抜けるよう構えている。

「リューク、ねえ、リューク。あなた、何か知っているの? 一体何が起こっているの?」

 ミハルはリュークを離さずに尋ねた。期待して尋ねたというよりも、藁にも縋る思いで尋ねてみたというふうな声色だった。

 すると、少年が「買い物をするときは、お金をあげて、欲しいものを貰うんだよね」などと全く関係なさげなことを言ったもので、ミハルはつい「そうよ。よく覚えていて偉いわね」と褒めた。

 しかし、「いや、お前」とミハルの正気を疑うようなソロウの口ぶりにミハルはぎょっとしてリュークの肩を持ち、少し身を引いて見下ろす。

「あなた、まさか……祭壇と供物のことを言っているの……?」

 祭壇に供物を捧げると、一体何が起こるのか。


 リュークはあまり物事を知らないらしい大人たちに親切に教えてやろうとしたが、横から割り込んできたリンに舐められてそれはかなわなかった。

 今や祭壇と血の部屋は完全な闇に覆われ、木の部屋と洞窟の迷路の狭間に現れた黒い空間のようになっていた。ただそこと違うのは、リュークたちからだいぶ離れたところに先ほどまで部屋の壁に掛かっていたものと同じ松明があって、それが一団を取り囲むように円を描いてずらりとならんでいることだった。

 どうやら、部屋の広さや形状まで変わっている。

 無数の松明には火が灯っているが、発光していないように見える。これは奇妙だが、狭間の黒い空間と同様であり、松明の場合はくっきりと火の形状を保ったものが黒い空間に浮いて見えるだけで、この空間にあっては何処かに光源があって目が見えているといったような感覚とはならないのだ。


 リュークとリン、三人の冒険者とレオハルト、十人の兵士たちは、示し合わせた訳でもないのに同時にある一点を見つめた。

 祭壇。

 辺りに満ちていた血の泉から赤い糸のようなものが数本立ち上がったかと思うと、糸はたちまち収束し、竜巻の如くうねりながら祭壇の上方へ吸い上げられた。さらに大鎌も巻き込んで、血の球体が作り上げられていく。

 リュークは目を輝かせながら、リンは段々と嬉しくなりながら、大人たちは茫然自失で一連の様子を眺めた。

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