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1巻
1-2
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殿下の目つきがよりいっそう鋭くなるのを私は見逃さなかった。
どうするんだろう。怒り出したらどうしよう。
「いいだろう。エレシアと婚姻したあとは、アーツブルグ王家が一生彼女の面倒を見ると約束しよう。そちらには何も頼らせはしない。その代わり、今後いかなることがあってもエレシアを頼ることは許さん。侯爵が望んでいるのはそういうことなのだからな?」
低く威圧的な声色で殿下は父の出した条件を呑んだ。
殿下から感じるのは明らかな侮蔑。
父が娘よりも自らの保身に走ったことに対して、彼は快く思わなかったのだろう。
でも、良かった。レオン殿下が怒り出すかと思ったから。いえ、正確に言えば少しだけ怒っているのだが。
「ちょっと、あなた。大丈夫なのですか? 殿下がお怒りのようですけど」
「いいから、黙りなさい。無礼なことを申し上げたと思っておりますが、私はこのクルトナ王国に忠誠を誓った身であります。時には親という立場よりも優先せねばならぬこともございますゆえ」
父の言い分も分かる。
私がアーツブルグ王室の不興を買い、それをエルクトン家の責任だと追及されれば、下手すれば爵位の剥奪もあり得るのだ。
まさに石橋を叩いて渡るほど用心深い父のことだ、そう考えているのだろう。
「承知した、一筆入れよう。侯爵もそこまで申すのならば、二言はないとしてくれ。それこそ家名に誓って契約を交わしてもらう」
「かしこまりました」
殿下は護衛の兵士にアーツブルグ王家の紋章が入った紙を持ってこさせて、正式な契約を結ぶ手続きをした。
父はアーツブルグ王国とクルトナ王国の戦争を知っているからこそ、今は友好国であったとしても隣国に対して恐れの感情があるのかもしれない。
こうして、私はエルクトン家との縁が切れてしまった。正確には契約が効力を持つのは殿下との〝婚姻後〟なので、〝婚約中〟に破談すれば意味がなくなるのだが。
父と殿下が契約を終えると、私はアーツブルグ王国への旅支度を始めた。
とはいえ、持っていくものなど旅行鞄一つに収まってしまったけど。
「殿下、お待たせしました」
「荷物はそれだけなのか?」
「はい。お恥ずかしながら家に戻って日が浅いので、自分のものをそれほど持ち合わせていなかったのです。みすぼらしくて申し訳ありません」
元夫の屋敷に私物が残っていたりするのだが、それを持ち帰るほどの元気はない。だからといって新しいものを買う気分でもなかったので、自分の持ち物が極端に少なくなってしまったのだ。
殿下がわざわざ迎えにきてくださったにもかかわらず、こちらがあまりにも軽装だと、彼に恥をかかせてしまうことにならないかと、今さらながら私は心配になってきた。
しかし、彼は私の鞄を見ると機嫌が良さそうに笑って、護衛の兵士に手渡し馬車へ運ばせる。
「……恥ずかしいことなどない。ならば、私と新しいものを選ぶ楽しみが増えたな。結構なことじゃないか」
殿下との新しい生活……これがどうなるのか、私には想像がつかない。
この先、予想もつかない苦難があるかもしれないけど、乗り越えていけるように私も強くならねばならない。
そう意志を固めて、殿下にエスコートされながら馬車に向かったのだが、そんな時、タイミング悪く彼女が現れた……
「お、お姉様? そちらの殿方はどちら様でしょうか?」
従者を引き連れて屋敷の玄関に向かってくるレナだ。
まさか彼女がこのタイミングでエルクトン邸に帰ってくるとは。嫌な時に遭遇したものだと思う。この子にどうやって今の状況を説明しようか。
「アーツブルグ王国のレオン王子です。レナ、挨拶をなさい」
正直なところ、これ見よがしに誇らしげにお腹を擦るレナを見たくなかった。
でも、殿下の見ている前だ。彼女に挨拶をするように促す他ない。
彼女もレオン王子の名前を聞いて、ハッとした表情になった。
「……れ、レオン王子ですって⁉ これは失礼をしましたぁ。わたくし、レナ・ベルモンドと申します。エルクトン侯爵の次女でしてぇ」
「姉の元夫を掠め盗った女なのだろう。よく知っているぞ」
軽蔑したような眼差しを送りながら、殿下はそんな言葉をかけた。
初対面で突然そんなことを言われたレナは、顔を真っ赤にしてプルプルと震える。
「お姉様っ! 殿下に何か誤解を招くようなことを仰ったのですか? 酷いですぅ。いつもお姉様はわたくしに意地悪ばかり」
「エレシアは何も言っていないし、私は事実を言ったまでだ。あなたの厚顔無恥な行動のおかげで彼女を手に入れられた。エレシアには悪いが、半分くらいはあなたの行動に感謝している」
得意の涙目で、私が殿下に妹の悪口を吹きこんだことにしようとしたレナだったが、それが通じないことが分かると、彼女はキッと私を睨んだ。
「殿下がお姉様を手に入れたとはどういうことですの? まるで殿下とお姉様が結婚するように聞こえましたが」
「ええ、私はレオン殿下と婚約しました。今からアーツブルグへと向かうところです」
「はぁ? なんの冗談ですか?」
レナは素っ頓狂な声を上げたかと思うと、もっと険しい表情になって視線をこちらに向ける。
驚くのも無理はない。私だってまだ驚いているし、状況を全部把握しきれてないのだから。
「その言葉のままだ。悪いがこれから少々長旅となる。ゆっくりと別れの言葉を交わさせてやれず申し訳ない」
殿下はレナにそう一言伝えると、私をひょいと抱き上げてそのまま馬車へ向かった。
えっ? わ、私、殿下に抱きかかえられている?
抱き上げる意味が分からないのだけれど……まさかレナに私との関係をアピールするため? それにしても、大胆すぎる気がする。
とても恥ずかしくて、顔が熱くなってきた。
恥ずかしさで頭が真っ白になりながら、私は殿下手ずから馬車に乗せられる。
その時、遠くからレナの叫びが耳に届いた。
「何よ! お姉様ばかり!」
まるで被害者の恨み節にも取れるこのセリフ。
私には妹が何を考えているのかまったく理解できなかった。
◆
「殿下、あのようなことはなるべく控えて頂けるとありがたいのですが……」
馬車に揺られて数分後のこと。まだ少し顔が熱い。
妹の見ている前で殿下が行きすぎたエスコートをするのだから、恥ずかしさでいっぱいだった。
でも、あんなに軽々と私を抱きかかえられるようになるとは、あのころの私は想像もできなかっただろう。
殿下は逞しくなられた。以前は私が彼を抱えていたというのに。
昔の記憶に思いを馳せた私は、私を抱き上げた殿下の腕の温もりを思い出す。まさか、あのころと立場が逆転するなんて思ってもみなかった。
「はっはっは、あのころの意趣返しをさせてもらったぞ。私もあなたにドキリとさせられたからな。一度、やってみようと思っていた」
「……そのような仕返しを考えておられたのですか? 殿下が私よりも大きくなられたから」
十三年前、どうしても私のもとから離れようとしない殿下を、抱きかかえて馬車までお連れしたことがある。
彼の護衛から何回もお礼を言われたような記憶があるから、周りもほとほと困っていたのだろう。
しかし、だからといって同じことをしなくてもいいではないか。
「それに、エレシアは随分と抱えやすそうに見えたんだ。あなたは私が大きくなったと言うが、そちらはあまり変わっていないな」
「し、身長のことは仰らないでください」
そう、私は身長が低い。
たしかに以前、殿下とお会いしたころと比べて、背丈はほとんど変わっていない。
妹にもすぐに追い抜かれ、久しぶりに会う親戚がレナと私を間違えるということが何度もあった。
――背が高いから年齢も上だと判断するのは安直ではないかしら? たとえ背が小さくとも、私は立派な大人なのに……
やはり成長期は私のもとには来てくれなかったのだ。昔はたくさんミルクを飲んでみたり、高い木にぶら下がったり、努力したのだけれど。
「あなたは年齢の差を気にしているが、おそらく見た目では誰も違和感を覚えないと思うぞ。さきほど私が驚いたのは、かの日のあなたと今のあなたがあまりにも変わっていなかったからだ」
「か、変わっております。ただ身長が伸びなかっただけで、皺もありますし、ほうれい線もほら、ここに!」
「ん~~? よく分からん」
十三年前と変わっていないはずがない。
やはり殿下は思い出を美化しすぎて、今の私をも美化しているに違いない。
というか真剣な顔をして、私の顔の皺を見つけようとしないでほしい。あまり顔を近づけて見られると恥ずかしいではないか。
「しかし、あなたの妹君のことだが。気になるな」
私が身長のことで頭を悩ませていると、レオン殿下は思い出したかのように呟く。
あの子は美人だから、殿下が目を惹かれるのは無理もない。ファルマンも彼女の美貌のせいで簡単に私を裏切ったのだ。
「そのような目をするな。私があなた以外の者に心変わりするはずがない」
「顔に出ていましたか?」
「表情豊かなのは結構だが、ポーカーフェイスも覚えたほうがいいかもしれんな」
傷心して何もかもつまらないと感情を失っていたと思っていたけれど、殿下と再会してから私の心の中は大きく変わっているみたいだ。
だけど、あまり感情を表に出さないタイプだと自分では思っていたし、周りからもよくそう言われていた。もしかして彼の感性が人一倍鋭いのだろうか。
「それではレナのことが気になるという言葉には、どのような意図がおありなのでしょう?」
「いや、なに。あなたのことを調べた時に、ついでに妹君のことも少々調べさせてもらった。そしてさきほどのあなたへの態度を見て確信した。あの女には何か後ろ暗いことがある」
後ろ暗いこと? それってどういう意味だろうか。
姉の夫と不倫する以上に後ろ暗いことなんて、想像もできない。
殿下が私の身辺を調べてどんなことを知ったのか、気になる。
「あの……殿下はレナの何を知って――」
「すまない。あなたにはもう関係のないことだったな。裏切り者たちがどうなろうと知ったことではないのだから」
殿下は私の言葉を途中で遮り、もはやファルマンもレナも私には関係ない人間だと断じた。
たしかに父と交わした契約上はそうなのかもしれないが、ここで話を切られると気になってしまう。
やっぱりもう一度、聞いてみたほうがいいような気がするのだけれど……
「それより、エレシア。大事な話がある」
「は、はい。どのようなお話でしょうか?」
妹の話はもうこれで終わりだと言わんばかりに殿下は話題を変えると、私に大事な話があると口にした。
これはレナの話を聞き出すのは無理そうだ。……それより大事なことってなんだろうか。
彼の青い瞳には力がこもっており、深呼吸をした彼は決意を固めているようにも見えた。
「……殿下と呼ぶのは、よそよそしくないか?」
「…………え?」
「レオンと呼んでくれ。殿下はつけなくていい、私たちは夫婦になるのだから」
何を言われるのかと思えば、彼の呼び方の話だった。
そんな気軽に殿下を名前だけで呼ぶなんて、できるはずがない。でも殿下は真剣な眼差しで私のことを見つめている。
どうしたらいいのか、分からない。レオンと呼び捨てにすることだけは絶対にダメということは分かる。
「そ、それではせめて、レオン様、と呼ばせてください」
「……ふむ。エレシアがそうしたいのなら、それで我慢しよう。仕方ない」
ほんの少しだけ殿下――レオン様は不満を顔に浮かべる。
それはあの日、私が「十八歳になった時にもう一度プロポーズしてほしい」と告げた時に見せた表情とそっくりで、無礼とは思いつつも、可愛らしい、と思ってしまった。
その後も、他愛のない会話をし続ける私たちを乗せて、馬車は国境を目指して走り続けていた。
クルトナ王国を出ることになるなんて、つい数刻前までは思いもよらなかったのに、人生は分からないものだと、揺れる車内で私はそう実感していた。
◆
クルトナ王国から馬車で西へ西へと移動して峠を越えると、そこはすでにアーツブルグ王国の領土だった。
領内に入り、北西に進むことさらに数時間。ようやくアーツブルグ宮殿の見える王都へと辿り着く。
こちらの国、というより国外に出ることが初めての私は、周りの見知らぬ風景に少なからず興奮を覚えた。
「長旅ご苦労。馬車の中というのはやはり窮屈だ。こうして外に出て背を伸ばすと、地面と空のありがたさを実感するな」
「ここがアーツブルグ王国の王都……美しいですね」
故郷とはまた異なった建築様式の建物。街路樹は綺麗に手入れされており、王都はそれ自体が一つの芸術作品のように見えた。
隣国の王都がこんなに素敵だったなんて。噂では聞いていたけど、聞くのと実際に見るのとでは全然印象が違う。
これからの人生をずっとここで過ごす……私にはまだその実感がない。来たばかりなのだから当たり前だけど。
しかし、実家やファルマン、レナと距離を置けたという実感がこの景色を目にした瞬間に急激に湧いてきて、胸の奥が軽くなったようにも思えた。
――私はずっと逃げたかったのかもしれない。
これだけ心が軽くなったのだから、それは疑いようのない事実なのだろう。
私は綺麗に植えられた街路樹に視線を向けた。等間隔に植えられたそれらは、丁寧に手入れされているのか、青々とした葉っぱを風になびかせている。
「先代の国王――つまり私の祖父が、クルトナ王国との戦争が終わった日にあの街路樹を植えた。悠久の平和の象徴としてな。今ではすべての国民から愛されている樹だ」
平和の象徴か。レオン様はもちろん、私も両国が争っていた時代を知らない。
かなり大きな戦が何年も続いていたという歴史は知っているし、双方の国にたくさんの死者が出たことも学んだ。
父はその歴史を目の当たりにしたはずだから、もしかしたらレオン様というよりも、アーツブルグ王国を恐れているのかもしれない。
アーツブルグ王国と再び戦争になることを何よりも怖がっているのだ。さらに言うなら、自分の家がその発端になることだけは絶対に避けたいのだろう。
それでも、普通なら王族との婚姻は歓迎されるべきだろう。反対されたのは、私が結婚に失敗したというよりも、子を成すことができなかったことが大きいのだと思っている。
レオン様はそれでもいいと受け入れてくれたけど、それでも私は少しだけ不安だった。
彼が良くても、彼の周りは良しとしないかもしれないし、父もそれがトラブルの原因となることを懸念したのだと思う。
「エレシア、面倒だと思うが休むのは少しだけ待ってもらえるか? 国外から帰ってきた者は皆、健康診断を受けることになっている。特に王族は念入りにチェックされる決まりだ」
「健康診断、ですか?」
「案ずるな。エレシアも王族と同じようにこの国で一番……いや、世界で最も有能な宮廷鑑定士がチェックすることになっている」
鑑定士とは目に宿る特殊な力で、人や物の状態を見極める方々。
クルトナ王国では医療の現場にはおらず、もっぱら特殊な技能を持った人材を集める王立ギルドにいるのだけど、少なくともこういうところで健康診断をすることはない。
宮廷鑑定士とはどんな人なのだろうか。
「健康面で何か問題があればすぐに分かる。アーツブルグの宮廷鑑定士はそれだけ優秀でな。文字どおり、その者のすべてを知ることができるのだ」
――それはそれで、かなり怖い話のような気がする。
ともすると、私が子供を成し難い体だということもすぐにバレてしまうのか。
隠すつもりはないけど、事実を突きつけられると私はショックを受けると思う。
本当は子供が欲しかった。小さなころから可愛い子供に囲まれている幸せな結婚生活に憧れていたから。
でも、私はこれからアーツブルグの人間になるのだから、ルールには従わなくてはならない。
私は小さな勇気を胸に秘めて、一歩を踏み出した。
◆
「殿下、おかえりなさぁい。あらぁ、そちらが殿下が十三年も片思いしていたお相手ですか~?」
先に向かったレオン様を追いかけるように健康診断を行う診療室に向かうと、白衣を身に纏ったウェーブがかった茶髪の女性が、独特のトーンで彼に話しかけていた。
彼女が宮廷鑑定士なのだろうか? 想像していた方と全然違う……
何だか、とっても妖艶な感じがする。そして大きな魔力を感じる。
私も魔術師の端くれだから、それくらいは分かる。
この女性が宮廷鑑定士らしいけれど、とんでもない魔術師に違いない。
「エレシア、紹介しよう。彼女は宮廷鑑定士のイリーナだ」
「初めまして、エレシア・エルクトンです。よろしくお願いします」
レオン様が私をイリーナさんに紹介したので、私も彼女に挨拶した。
彼女の見た目から察するに私よりもかなり若く見える。レオン様と同じくらいだろうか。
でも、そんな見た目とは裏腹に……威圧感というか、得体のしれない感じがする。魔力が大きいだけじゃなくて、上手く言えないけれど……ミステリアスな感じ。
「イリーナですわぁ。エレシア様、不安がらなくても大丈夫です~。レオン様ととてもお似合いですよ~。年齢の差なんて気になさらないでくださいな~」
「不安そうに見えますか?」
「宮廷鑑定士こと私クラスになると何でも分かるのですよぉ。感情の揺らぎから、健康状態、本人の資質までも、何もかもすべて」
気づくと、イリーナさんの目には青い炎のようなものが宿っていた。
これは見られているのではなく、診られているということだろうか。
この青い炎の目は鑑定眼と言い、目に魔力を集中させて見えざるものを見て、物の本質を見抜く力なのだ。
十秒ほどすると、彼女の目に映っていた炎が消えた。これは鑑定が終わったということだろうか。そんなイリーナさんはどうやら息切れしているようだった。
「はぁ、はぁ……年々これを使うのが辛くなってきてましてねぇ。私もそろそろ引退すべきでしょうかぁ?」
「祖父の代から鑑定士をしているからな、無理もないだろう。その若い見た目を保つ魔法を使い続けるのをやめれば、そんなに力を消耗せずにいられるんじゃないか?」
「まぁ、殿下ったら。若く見えるだなんてお上手ですわ。私は特別なことなど何もしておりませんよぉ。野暮なことは言わないでくださいな」
あれ? レオン様は祖父の代と言っていたが、どういうことだろうか。
イリーナさんの年齢の割に見た目が若いとか、そんな次元ではないような気がする。
だってどう見ても十八歳以下にしか見えない。でも、レオン様の口ぶりだと五十歳以上だと言っているように聞こえる。
「エレシア様の診断結果は――おめでとうございます! びっくりするくらい健康ですよ~。引退とか言いましたけど~、殿下のお子様の代まで頑張るつもりですからぁ。期待して待ってますね」
――宮廷鑑定士のイリーナさんは健康体だと告げた。
レオン様の子供の代まで、ということは、私は子を成すにあたって身体的に問題がないということだろうか。
となると、ファルマンとの結婚生活で私が子供を成し得なかったのは、単なる不運によるものということだ。
だって、彼はレナを妊娠させたのだから。
鑑定士の言うことがどれほど信頼できるのか分からないけど、王国随一のお墨付きをもらい、私は無事に健康診断を終えたのだった。
そして、私はレオン様と一緒に診療室を出た。
「その、イリーナがすまなかったな」
健康診断が終わり王宮へと向かう道中で、レオン様は気まずそうな顔をしてイリーナさんのことを謝罪した。
彼女が何か私に悪いことをしたのか、まったく身に覚えがない。
息を切らせるくらい頑張って鑑定してくれたし、楽しそうにお話ししてくれたし。悪い印象はまるでなかったはずなのだが。
「イリーナさんが何かされましたか? 特に気になるようなことは仰ってなかったと思うのですが」
「いや、子供をどうとか、言っていただろう? 私はエレシアさえ側に入ればいい。あなたに余計なプレッシャーをかけてしまったのではないかと思ったのだが」
たしかに、私とレオン様の子供の代までとか何とか、言ってましたね。でもそんなことまったく気にしていなかったから、一瞬だけ返答に困った。
宮廷鑑定士の方から健康体だとお墨付きを頂けたし、ただそれが嬉しいだけだったのだけど。
「レオン様が気になさらずとも、周りの方々は気にされるかもしれません。でもイリーナさんからお墨付きを頂けたことは幸運です」
ただでさえレオン様よりも八歳も年齢が上であり、それに加えて一度別の男性と離縁しているのだ。さらに子供も成せないとなると、やはり快く思わない方がいるのも致し方ないと思う。
レオン様はこの国の第三王子なのだから、それを避けられないのは薄々勘づいていた。
だから、さきほどの健康診断の結果は私の気分をかなり楽にした。
「それならいいが。しかし、決心してはくれたが、やはり私との結婚や自分の体のことなどいろいろと気にしているみたいだな」
「当然です。レオン様のような方はきっと多くのお嬢様方との縁談がありましたでしょうし、その中には私などよりも魅力的な方がいらっしゃったはずですから」
彼はとても魅力的な人だ。
その容姿から身のこなし、立ちふるまい、さらにはアーツブルグ王族という身分まで。わざわざ隣国に来なくとも引く手あまたのはずなのだ。
私を選んで頂いたことは光栄だが、これからの生活を考えるとプレッシャーを感じざるを得ない。
「何年か前まではその手の縁談がたしかにあったのだ。だが、すべて拒否した。エレシア以外と結婚するなど考えられなかったから」
「でも、私には全然特筆すべき長所がありませんし」
「そんなことはない。学業は優秀、あらゆる教養を身に着け、それに魔法も高い実力を示していたと聞いている。あなたは自分が思っているよりも魅力的だ」
そう言って、レオン様は私のことを褒めてくれた。
どれもこれも良家と結婚するために努力したことだけど、こうして面と向かって言われると照れてしまう。
「魔法は特に頑張りましたけど、イリーナさんを見て自信をなくしました。あんなに大きな魔力を持ち合わせてはいません」
「はは、イリーナは何十年も修行して、あそこまでの実力を身に着けたのだ。張り合う必要はない。ほら、あなただって前に風を起こす魔法を見せてくれただろう? あれは私を誘拐しようとした賊を吹き飛ばすくらいの威力だった。十分すごいよ」
そういえば、私が行方不明になっていた彼を見つけた時、そんな出来事があった気がする。
ああ、思い出した……不審者が幼いレオン様を攫おうとしたので、私ったらその人を覚えたての魔法で壁まで吹き飛ばしたんだった。
なんか、そのあとのほうが衝撃的すぎて忘れてしまっていた。
「だから安心しろ。あなたはあなた自身が思ってるよりも、ずっと魅力的な人間だ」
「レオン様……」
どうするんだろう。怒り出したらどうしよう。
「いいだろう。エレシアと婚姻したあとは、アーツブルグ王家が一生彼女の面倒を見ると約束しよう。そちらには何も頼らせはしない。その代わり、今後いかなることがあってもエレシアを頼ることは許さん。侯爵が望んでいるのはそういうことなのだからな?」
低く威圧的な声色で殿下は父の出した条件を呑んだ。
殿下から感じるのは明らかな侮蔑。
父が娘よりも自らの保身に走ったことに対して、彼は快く思わなかったのだろう。
でも、良かった。レオン殿下が怒り出すかと思ったから。いえ、正確に言えば少しだけ怒っているのだが。
「ちょっと、あなた。大丈夫なのですか? 殿下がお怒りのようですけど」
「いいから、黙りなさい。無礼なことを申し上げたと思っておりますが、私はこのクルトナ王国に忠誠を誓った身であります。時には親という立場よりも優先せねばならぬこともございますゆえ」
父の言い分も分かる。
私がアーツブルグ王室の不興を買い、それをエルクトン家の責任だと追及されれば、下手すれば爵位の剥奪もあり得るのだ。
まさに石橋を叩いて渡るほど用心深い父のことだ、そう考えているのだろう。
「承知した、一筆入れよう。侯爵もそこまで申すのならば、二言はないとしてくれ。それこそ家名に誓って契約を交わしてもらう」
「かしこまりました」
殿下は護衛の兵士にアーツブルグ王家の紋章が入った紙を持ってこさせて、正式な契約を結ぶ手続きをした。
父はアーツブルグ王国とクルトナ王国の戦争を知っているからこそ、今は友好国であったとしても隣国に対して恐れの感情があるのかもしれない。
こうして、私はエルクトン家との縁が切れてしまった。正確には契約が効力を持つのは殿下との〝婚姻後〟なので、〝婚約中〟に破談すれば意味がなくなるのだが。
父と殿下が契約を終えると、私はアーツブルグ王国への旅支度を始めた。
とはいえ、持っていくものなど旅行鞄一つに収まってしまったけど。
「殿下、お待たせしました」
「荷物はそれだけなのか?」
「はい。お恥ずかしながら家に戻って日が浅いので、自分のものをそれほど持ち合わせていなかったのです。みすぼらしくて申し訳ありません」
元夫の屋敷に私物が残っていたりするのだが、それを持ち帰るほどの元気はない。だからといって新しいものを買う気分でもなかったので、自分の持ち物が極端に少なくなってしまったのだ。
殿下がわざわざ迎えにきてくださったにもかかわらず、こちらがあまりにも軽装だと、彼に恥をかかせてしまうことにならないかと、今さらながら私は心配になってきた。
しかし、彼は私の鞄を見ると機嫌が良さそうに笑って、護衛の兵士に手渡し馬車へ運ばせる。
「……恥ずかしいことなどない。ならば、私と新しいものを選ぶ楽しみが増えたな。結構なことじゃないか」
殿下との新しい生活……これがどうなるのか、私には想像がつかない。
この先、予想もつかない苦難があるかもしれないけど、乗り越えていけるように私も強くならねばならない。
そう意志を固めて、殿下にエスコートされながら馬車に向かったのだが、そんな時、タイミング悪く彼女が現れた……
「お、お姉様? そちらの殿方はどちら様でしょうか?」
従者を引き連れて屋敷の玄関に向かってくるレナだ。
まさか彼女がこのタイミングでエルクトン邸に帰ってくるとは。嫌な時に遭遇したものだと思う。この子にどうやって今の状況を説明しようか。
「アーツブルグ王国のレオン王子です。レナ、挨拶をなさい」
正直なところ、これ見よがしに誇らしげにお腹を擦るレナを見たくなかった。
でも、殿下の見ている前だ。彼女に挨拶をするように促す他ない。
彼女もレオン王子の名前を聞いて、ハッとした表情になった。
「……れ、レオン王子ですって⁉ これは失礼をしましたぁ。わたくし、レナ・ベルモンドと申します。エルクトン侯爵の次女でしてぇ」
「姉の元夫を掠め盗った女なのだろう。よく知っているぞ」
軽蔑したような眼差しを送りながら、殿下はそんな言葉をかけた。
初対面で突然そんなことを言われたレナは、顔を真っ赤にしてプルプルと震える。
「お姉様っ! 殿下に何か誤解を招くようなことを仰ったのですか? 酷いですぅ。いつもお姉様はわたくしに意地悪ばかり」
「エレシアは何も言っていないし、私は事実を言ったまでだ。あなたの厚顔無恥な行動のおかげで彼女を手に入れられた。エレシアには悪いが、半分くらいはあなたの行動に感謝している」
得意の涙目で、私が殿下に妹の悪口を吹きこんだことにしようとしたレナだったが、それが通じないことが分かると、彼女はキッと私を睨んだ。
「殿下がお姉様を手に入れたとはどういうことですの? まるで殿下とお姉様が結婚するように聞こえましたが」
「ええ、私はレオン殿下と婚約しました。今からアーツブルグへと向かうところです」
「はぁ? なんの冗談ですか?」
レナは素っ頓狂な声を上げたかと思うと、もっと険しい表情になって視線をこちらに向ける。
驚くのも無理はない。私だってまだ驚いているし、状況を全部把握しきれてないのだから。
「その言葉のままだ。悪いがこれから少々長旅となる。ゆっくりと別れの言葉を交わさせてやれず申し訳ない」
殿下はレナにそう一言伝えると、私をひょいと抱き上げてそのまま馬車へ向かった。
えっ? わ、私、殿下に抱きかかえられている?
抱き上げる意味が分からないのだけれど……まさかレナに私との関係をアピールするため? それにしても、大胆すぎる気がする。
とても恥ずかしくて、顔が熱くなってきた。
恥ずかしさで頭が真っ白になりながら、私は殿下手ずから馬車に乗せられる。
その時、遠くからレナの叫びが耳に届いた。
「何よ! お姉様ばかり!」
まるで被害者の恨み節にも取れるこのセリフ。
私には妹が何を考えているのかまったく理解できなかった。
◆
「殿下、あのようなことはなるべく控えて頂けるとありがたいのですが……」
馬車に揺られて数分後のこと。まだ少し顔が熱い。
妹の見ている前で殿下が行きすぎたエスコートをするのだから、恥ずかしさでいっぱいだった。
でも、あんなに軽々と私を抱きかかえられるようになるとは、あのころの私は想像もできなかっただろう。
殿下は逞しくなられた。以前は私が彼を抱えていたというのに。
昔の記憶に思いを馳せた私は、私を抱き上げた殿下の腕の温もりを思い出す。まさか、あのころと立場が逆転するなんて思ってもみなかった。
「はっはっは、あのころの意趣返しをさせてもらったぞ。私もあなたにドキリとさせられたからな。一度、やってみようと思っていた」
「……そのような仕返しを考えておられたのですか? 殿下が私よりも大きくなられたから」
十三年前、どうしても私のもとから離れようとしない殿下を、抱きかかえて馬車までお連れしたことがある。
彼の護衛から何回もお礼を言われたような記憶があるから、周りもほとほと困っていたのだろう。
しかし、だからといって同じことをしなくてもいいではないか。
「それに、エレシアは随分と抱えやすそうに見えたんだ。あなたは私が大きくなったと言うが、そちらはあまり変わっていないな」
「し、身長のことは仰らないでください」
そう、私は身長が低い。
たしかに以前、殿下とお会いしたころと比べて、背丈はほとんど変わっていない。
妹にもすぐに追い抜かれ、久しぶりに会う親戚がレナと私を間違えるということが何度もあった。
――背が高いから年齢も上だと判断するのは安直ではないかしら? たとえ背が小さくとも、私は立派な大人なのに……
やはり成長期は私のもとには来てくれなかったのだ。昔はたくさんミルクを飲んでみたり、高い木にぶら下がったり、努力したのだけれど。
「あなたは年齢の差を気にしているが、おそらく見た目では誰も違和感を覚えないと思うぞ。さきほど私が驚いたのは、かの日のあなたと今のあなたがあまりにも変わっていなかったからだ」
「か、変わっております。ただ身長が伸びなかっただけで、皺もありますし、ほうれい線もほら、ここに!」
「ん~~? よく分からん」
十三年前と変わっていないはずがない。
やはり殿下は思い出を美化しすぎて、今の私をも美化しているに違いない。
というか真剣な顔をして、私の顔の皺を見つけようとしないでほしい。あまり顔を近づけて見られると恥ずかしいではないか。
「しかし、あなたの妹君のことだが。気になるな」
私が身長のことで頭を悩ませていると、レオン殿下は思い出したかのように呟く。
あの子は美人だから、殿下が目を惹かれるのは無理もない。ファルマンも彼女の美貌のせいで簡単に私を裏切ったのだ。
「そのような目をするな。私があなた以外の者に心変わりするはずがない」
「顔に出ていましたか?」
「表情豊かなのは結構だが、ポーカーフェイスも覚えたほうがいいかもしれんな」
傷心して何もかもつまらないと感情を失っていたと思っていたけれど、殿下と再会してから私の心の中は大きく変わっているみたいだ。
だけど、あまり感情を表に出さないタイプだと自分では思っていたし、周りからもよくそう言われていた。もしかして彼の感性が人一倍鋭いのだろうか。
「それではレナのことが気になるという言葉には、どのような意図がおありなのでしょう?」
「いや、なに。あなたのことを調べた時に、ついでに妹君のことも少々調べさせてもらった。そしてさきほどのあなたへの態度を見て確信した。あの女には何か後ろ暗いことがある」
後ろ暗いこと? それってどういう意味だろうか。
姉の夫と不倫する以上に後ろ暗いことなんて、想像もできない。
殿下が私の身辺を調べてどんなことを知ったのか、気になる。
「あの……殿下はレナの何を知って――」
「すまない。あなたにはもう関係のないことだったな。裏切り者たちがどうなろうと知ったことではないのだから」
殿下は私の言葉を途中で遮り、もはやファルマンもレナも私には関係ない人間だと断じた。
たしかに父と交わした契約上はそうなのかもしれないが、ここで話を切られると気になってしまう。
やっぱりもう一度、聞いてみたほうがいいような気がするのだけれど……
「それより、エレシア。大事な話がある」
「は、はい。どのようなお話でしょうか?」
妹の話はもうこれで終わりだと言わんばかりに殿下は話題を変えると、私に大事な話があると口にした。
これはレナの話を聞き出すのは無理そうだ。……それより大事なことってなんだろうか。
彼の青い瞳には力がこもっており、深呼吸をした彼は決意を固めているようにも見えた。
「……殿下と呼ぶのは、よそよそしくないか?」
「…………え?」
「レオンと呼んでくれ。殿下はつけなくていい、私たちは夫婦になるのだから」
何を言われるのかと思えば、彼の呼び方の話だった。
そんな気軽に殿下を名前だけで呼ぶなんて、できるはずがない。でも殿下は真剣な眼差しで私のことを見つめている。
どうしたらいいのか、分からない。レオンと呼び捨てにすることだけは絶対にダメということは分かる。
「そ、それではせめて、レオン様、と呼ばせてください」
「……ふむ。エレシアがそうしたいのなら、それで我慢しよう。仕方ない」
ほんの少しだけ殿下――レオン様は不満を顔に浮かべる。
それはあの日、私が「十八歳になった時にもう一度プロポーズしてほしい」と告げた時に見せた表情とそっくりで、無礼とは思いつつも、可愛らしい、と思ってしまった。
その後も、他愛のない会話をし続ける私たちを乗せて、馬車は国境を目指して走り続けていた。
クルトナ王国を出ることになるなんて、つい数刻前までは思いもよらなかったのに、人生は分からないものだと、揺れる車内で私はそう実感していた。
◆
クルトナ王国から馬車で西へ西へと移動して峠を越えると、そこはすでにアーツブルグ王国の領土だった。
領内に入り、北西に進むことさらに数時間。ようやくアーツブルグ宮殿の見える王都へと辿り着く。
こちらの国、というより国外に出ることが初めての私は、周りの見知らぬ風景に少なからず興奮を覚えた。
「長旅ご苦労。馬車の中というのはやはり窮屈だ。こうして外に出て背を伸ばすと、地面と空のありがたさを実感するな」
「ここがアーツブルグ王国の王都……美しいですね」
故郷とはまた異なった建築様式の建物。街路樹は綺麗に手入れされており、王都はそれ自体が一つの芸術作品のように見えた。
隣国の王都がこんなに素敵だったなんて。噂では聞いていたけど、聞くのと実際に見るのとでは全然印象が違う。
これからの人生をずっとここで過ごす……私にはまだその実感がない。来たばかりなのだから当たり前だけど。
しかし、実家やファルマン、レナと距離を置けたという実感がこの景色を目にした瞬間に急激に湧いてきて、胸の奥が軽くなったようにも思えた。
――私はずっと逃げたかったのかもしれない。
これだけ心が軽くなったのだから、それは疑いようのない事実なのだろう。
私は綺麗に植えられた街路樹に視線を向けた。等間隔に植えられたそれらは、丁寧に手入れされているのか、青々とした葉っぱを風になびかせている。
「先代の国王――つまり私の祖父が、クルトナ王国との戦争が終わった日にあの街路樹を植えた。悠久の平和の象徴としてな。今ではすべての国民から愛されている樹だ」
平和の象徴か。レオン様はもちろん、私も両国が争っていた時代を知らない。
かなり大きな戦が何年も続いていたという歴史は知っているし、双方の国にたくさんの死者が出たことも学んだ。
父はその歴史を目の当たりにしたはずだから、もしかしたらレオン様というよりも、アーツブルグ王国を恐れているのかもしれない。
アーツブルグ王国と再び戦争になることを何よりも怖がっているのだ。さらに言うなら、自分の家がその発端になることだけは絶対に避けたいのだろう。
それでも、普通なら王族との婚姻は歓迎されるべきだろう。反対されたのは、私が結婚に失敗したというよりも、子を成すことができなかったことが大きいのだと思っている。
レオン様はそれでもいいと受け入れてくれたけど、それでも私は少しだけ不安だった。
彼が良くても、彼の周りは良しとしないかもしれないし、父もそれがトラブルの原因となることを懸念したのだと思う。
「エレシア、面倒だと思うが休むのは少しだけ待ってもらえるか? 国外から帰ってきた者は皆、健康診断を受けることになっている。特に王族は念入りにチェックされる決まりだ」
「健康診断、ですか?」
「案ずるな。エレシアも王族と同じようにこの国で一番……いや、世界で最も有能な宮廷鑑定士がチェックすることになっている」
鑑定士とは目に宿る特殊な力で、人や物の状態を見極める方々。
クルトナ王国では医療の現場にはおらず、もっぱら特殊な技能を持った人材を集める王立ギルドにいるのだけど、少なくともこういうところで健康診断をすることはない。
宮廷鑑定士とはどんな人なのだろうか。
「健康面で何か問題があればすぐに分かる。アーツブルグの宮廷鑑定士はそれだけ優秀でな。文字どおり、その者のすべてを知ることができるのだ」
――それはそれで、かなり怖い話のような気がする。
ともすると、私が子供を成し難い体だということもすぐにバレてしまうのか。
隠すつもりはないけど、事実を突きつけられると私はショックを受けると思う。
本当は子供が欲しかった。小さなころから可愛い子供に囲まれている幸せな結婚生活に憧れていたから。
でも、私はこれからアーツブルグの人間になるのだから、ルールには従わなくてはならない。
私は小さな勇気を胸に秘めて、一歩を踏み出した。
◆
「殿下、おかえりなさぁい。あらぁ、そちらが殿下が十三年も片思いしていたお相手ですか~?」
先に向かったレオン様を追いかけるように健康診断を行う診療室に向かうと、白衣を身に纏ったウェーブがかった茶髪の女性が、独特のトーンで彼に話しかけていた。
彼女が宮廷鑑定士なのだろうか? 想像していた方と全然違う……
何だか、とっても妖艶な感じがする。そして大きな魔力を感じる。
私も魔術師の端くれだから、それくらいは分かる。
この女性が宮廷鑑定士らしいけれど、とんでもない魔術師に違いない。
「エレシア、紹介しよう。彼女は宮廷鑑定士のイリーナだ」
「初めまして、エレシア・エルクトンです。よろしくお願いします」
レオン様が私をイリーナさんに紹介したので、私も彼女に挨拶した。
彼女の見た目から察するに私よりもかなり若く見える。レオン様と同じくらいだろうか。
でも、そんな見た目とは裏腹に……威圧感というか、得体のしれない感じがする。魔力が大きいだけじゃなくて、上手く言えないけれど……ミステリアスな感じ。
「イリーナですわぁ。エレシア様、不安がらなくても大丈夫です~。レオン様ととてもお似合いですよ~。年齢の差なんて気になさらないでくださいな~」
「不安そうに見えますか?」
「宮廷鑑定士こと私クラスになると何でも分かるのですよぉ。感情の揺らぎから、健康状態、本人の資質までも、何もかもすべて」
気づくと、イリーナさんの目には青い炎のようなものが宿っていた。
これは見られているのではなく、診られているということだろうか。
この青い炎の目は鑑定眼と言い、目に魔力を集中させて見えざるものを見て、物の本質を見抜く力なのだ。
十秒ほどすると、彼女の目に映っていた炎が消えた。これは鑑定が終わったということだろうか。そんなイリーナさんはどうやら息切れしているようだった。
「はぁ、はぁ……年々これを使うのが辛くなってきてましてねぇ。私もそろそろ引退すべきでしょうかぁ?」
「祖父の代から鑑定士をしているからな、無理もないだろう。その若い見た目を保つ魔法を使い続けるのをやめれば、そんなに力を消耗せずにいられるんじゃないか?」
「まぁ、殿下ったら。若く見えるだなんてお上手ですわ。私は特別なことなど何もしておりませんよぉ。野暮なことは言わないでくださいな」
あれ? レオン様は祖父の代と言っていたが、どういうことだろうか。
イリーナさんの年齢の割に見た目が若いとか、そんな次元ではないような気がする。
だってどう見ても十八歳以下にしか見えない。でも、レオン様の口ぶりだと五十歳以上だと言っているように聞こえる。
「エレシア様の診断結果は――おめでとうございます! びっくりするくらい健康ですよ~。引退とか言いましたけど~、殿下のお子様の代まで頑張るつもりですからぁ。期待して待ってますね」
――宮廷鑑定士のイリーナさんは健康体だと告げた。
レオン様の子供の代まで、ということは、私は子を成すにあたって身体的に問題がないということだろうか。
となると、ファルマンとの結婚生活で私が子供を成し得なかったのは、単なる不運によるものということだ。
だって、彼はレナを妊娠させたのだから。
鑑定士の言うことがどれほど信頼できるのか分からないけど、王国随一のお墨付きをもらい、私は無事に健康診断を終えたのだった。
そして、私はレオン様と一緒に診療室を出た。
「その、イリーナがすまなかったな」
健康診断が終わり王宮へと向かう道中で、レオン様は気まずそうな顔をしてイリーナさんのことを謝罪した。
彼女が何か私に悪いことをしたのか、まったく身に覚えがない。
息を切らせるくらい頑張って鑑定してくれたし、楽しそうにお話ししてくれたし。悪い印象はまるでなかったはずなのだが。
「イリーナさんが何かされましたか? 特に気になるようなことは仰ってなかったと思うのですが」
「いや、子供をどうとか、言っていただろう? 私はエレシアさえ側に入ればいい。あなたに余計なプレッシャーをかけてしまったのではないかと思ったのだが」
たしかに、私とレオン様の子供の代までとか何とか、言ってましたね。でもそんなことまったく気にしていなかったから、一瞬だけ返答に困った。
宮廷鑑定士の方から健康体だとお墨付きを頂けたし、ただそれが嬉しいだけだったのだけど。
「レオン様が気になさらずとも、周りの方々は気にされるかもしれません。でもイリーナさんからお墨付きを頂けたことは幸運です」
ただでさえレオン様よりも八歳も年齢が上であり、それに加えて一度別の男性と離縁しているのだ。さらに子供も成せないとなると、やはり快く思わない方がいるのも致し方ないと思う。
レオン様はこの国の第三王子なのだから、それを避けられないのは薄々勘づいていた。
だから、さきほどの健康診断の結果は私の気分をかなり楽にした。
「それならいいが。しかし、決心してはくれたが、やはり私との結婚や自分の体のことなどいろいろと気にしているみたいだな」
「当然です。レオン様のような方はきっと多くのお嬢様方との縁談がありましたでしょうし、その中には私などよりも魅力的な方がいらっしゃったはずですから」
彼はとても魅力的な人だ。
その容姿から身のこなし、立ちふるまい、さらにはアーツブルグ王族という身分まで。わざわざ隣国に来なくとも引く手あまたのはずなのだ。
私を選んで頂いたことは光栄だが、これからの生活を考えるとプレッシャーを感じざるを得ない。
「何年か前まではその手の縁談がたしかにあったのだ。だが、すべて拒否した。エレシア以外と結婚するなど考えられなかったから」
「でも、私には全然特筆すべき長所がありませんし」
「そんなことはない。学業は優秀、あらゆる教養を身に着け、それに魔法も高い実力を示していたと聞いている。あなたは自分が思っているよりも魅力的だ」
そう言って、レオン様は私のことを褒めてくれた。
どれもこれも良家と結婚するために努力したことだけど、こうして面と向かって言われると照れてしまう。
「魔法は特に頑張りましたけど、イリーナさんを見て自信をなくしました。あんなに大きな魔力を持ち合わせてはいません」
「はは、イリーナは何十年も修行して、あそこまでの実力を身に着けたのだ。張り合う必要はない。ほら、あなただって前に風を起こす魔法を見せてくれただろう? あれは私を誘拐しようとした賊を吹き飛ばすくらいの威力だった。十分すごいよ」
そういえば、私が行方不明になっていた彼を見つけた時、そんな出来事があった気がする。
ああ、思い出した……不審者が幼いレオン様を攫おうとしたので、私ったらその人を覚えたての魔法で壁まで吹き飛ばしたんだった。
なんか、そのあとのほうが衝撃的すぎて忘れてしまっていた。
「だから安心しろ。あなたはあなた自身が思ってるよりも、ずっと魅力的な人間だ」
「レオン様……」
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