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レンタル彼氏
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「はい、こちらレンタル彼氏です。ご利用ありがとうございます!」
ある日、一本の電話がかかってきた。
彼女は何やら訳ありなようで……。
「……何でもありません。ただ、この空を目に焼き付けておきたくて、思わず立ち止まってしまいました」
彼女の行動一つ一つに意味があった。
この件に関わった後、俺はこの仕事を止めた。
そのきっかけとなった出来事のお話し。
『 』
「はい、こちらレンタル彼氏です。ご利用ありがとうございます!」
『 』
「そうですか、ありがとうございます。当店は、お客様のご要望にお答えできるように様々な彼氏をご紹介するサービスを行っております。どの様な彼氏をご要望ですか?」
『 』
「はい、あ、……かしこまりました。条件は優しい人ですね。お任せください。いつ頃のご予約にいたしましょうか」
『 ?』
「明日ですね。可能でございます。はい、大丈夫ですよ。では、決まり次第此方からご連絡を致しますので、このお電話番号でのご連絡でよろしいでしょうか」
『 』
「かしこまりました。では、当日。良い1日を…」
『 ? 』
『 』
『 』
『 』
『 』
『 』
『 』
「いえいえ、ご入金の方法ですか?その件に関しましては、資料を見た方が分かりやすいと思いますので、当日ご予約いただいた彼氏さんからご説明をお受けください。電話だけでのご説明は行っておりませんので、どうか御了承くださ……………あ…いえ。忘れておりました。今回、こちらではキャンペーンをやっておりまして、初回限定の方のみ一度だけ無料でご予約ご利用可能なキャンペーンがありますが、此方をご利用でよろしいでしょうか」
『 !? ?』
「かしこまりました。では、その様に致しますね」
『 … …』
「いえいえ、大丈夫ですよ。今回限りですので、是非ご利用ください。ですのでご入金はけっこうです。ただ、電話は繋がるようにしておいてください。万が一ということもありますから」
『 !』
「こちらこそ、レンタル彼氏のご利用ありがとうございます。はい。では、当日、良い1日をお過ごしください。では、失礼致します」
……………
「店長ー!おはようございます!
「おぅ、おはよう。お前良いところに来たな。ご指名だ」
「え!?珍しくないですか?!俺が??」
「そ。お前。今回は優しい人が条件だからな」
「優しい人、ねぇ…。もっと具体的な内容とかないの?」
俺は鞄を机の上に置き、ソファーに腰を掛けた。ギシッと音を立ててソファーに沈む。
「なかったな。…で、一つ頼まれてくれないか?」
「頼みですか?」
「そう。その子に、オプションーって言って、追加で聞いてみてくれないか?」
「うちのオプションって、追加料金発生するじゃないですか。それの何が頼みなんですか?」
「そうなんだけど……実は、今回のお客様からは料金を取らないことにしたんだ。初回限定の方のみのキャンペーンで最初だけ無料でご利用できるって言っちゃったし」
「はぁぁあ!?あの守銭奴の店長がどうしちゃったんですか!?滅多にそんなことしないのに今回珍しくないですか!?」
「うん…今回は、ね。かなり訳ありそうなお客様かなと思ってね。で、頼まれてくれるかな?」
「良いですけど…予約はいつなんです?」
「明日」
「明日ぁ!?こりゃまた急じゃないですか!」
「行けるよな?」
「行けそうかい?じゃなく、行けるよな?ですか…。パワハラですよパワハラ」
「給料up」
「お任せください!今から準備します!あ、先にご連絡ですよね!」
「(チョロいなぁ…心配だわ)あとは任せたよ、佐多くん」
「はい!お任せください!!」
俺は給料upに浮かれて、今回の(少し不思議な)件を軽い気持ちで引き受けた。
この件に関わった後、俺はこの仕事を止めた。
そのきっかけとなった出来事のお話し。
「こんにちは」
「こんにちは!初めまして、俺は、佐多 都成と言います。この度は、レンタル彼氏をご利用頂きありが」
「隣、さん?」
「アクセント?というか、漢字違いますね?都に成るで、となりですよ」
「となりさん?」
「あ…漢字もアクセントも違ったんですね」
「今日はよろしくお願いいたします。私は新野 拠(にいの より)、と申します」
「うん、よろしくね。で、これからどこに行こうか?どこか行きたいところある?」
彼女はダボッとした白いワンピースにグレーの丈の長いカーディガンを羽織っている。身体のラインが見えにくい服装が好みなのかな?肩下げの薄茶色の小さい鞄を一つという身軽な格好だ。色白の彼女の肌にとても似合っていた。
「どこ…そう、そうですよね。えっと、となりさんのお勧めのところをお願いします」
「いいの?他に行きたいところとか、普段行かない場所でもいいんだよ?」
キョロキョロと周りを見回して、「そうだなぁ、行くとしたら、女の子ってだいたい映画館とか?ショッピングとかもどう?」と訪ねると、全部首を横に振った。
「それは周りの女子の考えですよね?魅力的ではありますが、となりさんのお勧めではないですよね」
「そっかぁ…じゃあ、水族館とか動物園は?」
「水族館…動物園…」
おや?目がキラキラしているね。どうやらその内容で良さそうだな笑
「よし!水族館と動物園に行こうか!」
「え!?…良いの?二ヶ所行っても」
「いいよ行こうよ!あ!予算はいくらくらいか聞いてもいいかな?」
あまりお金無いって言ってたって店長から聞いてるし。
「一万円くらいです」
「帰りのバス代と電車代抜いておいてね」
「はい」
「よし、じゃあ行き…あ!忘れてた。何時までの希望とかあるかな?」
「16時…まででお願いします」
彼女はニコッと笑った。
「16時までね。了解です。それじゃ、行きますか!」
先に近くの動物園に向かった。
静かにはしゃぐ彼女。顔には出ないが雰囲気で分かるくらいのはしゃぎ様。
見て歩くところ全部新鮮なのか、彼女の目はずっとキラキラしっぱなしだった。
今、じぃっとハシビラコウと彼女はにらめっこ中。動かないハシビラコウと動かない彼女。どうしよう、全く埒が明かないんですけど…笑
笑いをこらえつつ、「お土産コーナーに行こうか」と声をかけた。
「はっ!!Σ( ̄□ ̄ )すみません!つい夢中に…。行きましょうか」
我に返った彼女は、キラキラした目のまま俺の方に向き直った。まるで子供のような人だな。
「何か買うの?」
お土産コ─ナ─に移動しながら、彼女に尋ねた。
「いえ、買わないです」
「そうなの?じゃあさ、俺とお揃いで買わない?今日の記念に」
「…………買わないです」
「そっかぁ…」
「あ、あっ、違うんです!嫌とかではなく、今日は記念に残る物ではなく、心に残る事をしたいなと思ってまして」
「心に残ること?」
「はい!景色の写真だったり、見て、目に焼き付けたり触って感じたりして、物として残るのではなく、思い出として記憶に残ることをしたいのです」
「写真も物でしょ」
「そうですが、人物を撮さないようにします」
「俺とうつるの嫌とか」
「そうではありません。うぅん…どうしたら伝わりますでしょうか……」顎に手を当てて悩む彼女の顔はどこか幼く見える。
「ごめんて。ちゃんと伝わってるから。同じ景色を撮せば一緒にいた思い出にもなるから、それでもいいと思うよ」
俺の言葉でパッと顔が少し明るくなった。
「良かった。ご理解頂き、ありがとうございます。それと、不快な思いをさせてしまい、すみませんでした」
丁寧にお辞儀をし、頭を深々と下げる。気にしてないのに、なんでそこまで丁寧なのか。
「大丈夫、気にしてないよ。でもお土産コ─ナ─は見るだけでも楽しいから、見に行かない?」
「行きます!」即答だった。
動物園を心ゆくまで堪能した様子の彼女は、胸を押さえて撫でる仕草をしていた。そして、頭を軽くゆっくり左右に振り、両手で頬をペチリと叩いた。
「なんの儀式?」
「?楽しかったですね!」
何事もなかったかのように、話す彼女の頬は、赤くなっていた。
「昼食、どんなもの食べたいとかありますか?」
「食べたいものですか?ん─…さっぱりした軽めのものが食べたいです」
「さっぱりした軽めのものね。この辺にあったかな」
携帯で検索をかけて探す。その間の彼女は、キョロキョロと周りを見て、興味津々の顔を周りに向ける。
俺はふと思った事を口にした。
「そういえば、俺たちまだそんなに名前で呼びあってないですよね。自己紹介の時に名乗ったことぐらいしか」
「…………あ、あの?」
「今日限りの恋人ですけど、ちゃんとした恋人になりたいので、名前でお互い呼び合いましょうよ。ね?ヨリちゃん?」
迷ったんだけど、彼女は“さん“というよりは行動が子供のような感じがしたから“ちゃん“と呼んだけど、良かったかな?
「!……っ…!」
彼女の顔がみるみる赤くなっていく。良かった、大丈夫みたいだ。
「ほら、俺の事も呼んでみてよ。となりだよ」
「と、と、と、と、と、と、と、と…」
「と 多いな笑 自己紹介の時はすんなり呼んでくれたのにぃ」残念そうに顔を向けると彼女は言葉に詰まってしまった。
「あ…っ……」
右手で顔を覆い、赤くなる顔を隠した。
「冗談ですよ。気が向いたときに呼んでください。待ってますから」
「……すみません。名前、慣れてないので…」
「会話のときとか、人の名前呼ぶことないの?」
「?たまにありますね?」
「ん??うん?」
「ん??」
「ん???」
お互いの頭には多分ハテナが浮かんでる。
会話が成り立ってない。
やめやめ、次の話題だ
俺はとりあえず話題を変えた。
「あ、そうだ。オプションとかつけられるけど、どうする?」
「オプション?」
「そう。なんでもいいけど、男女の関係とかは受け付けてないからだめね。あぁ、でもキスとかハグとかならいいよ」
「そこまでは求めてません!その他のも求めてはおりませんので、ご安心ください!!」
「でもオプションは必ず一つは入れてもらわないと…店の決まりなんですよね(嘘)」
「ぅぐっ…!じ、じゃあ、手…だ、けなら…」
「手?それだけでいいの?」
「ん…」
ほんとに?ともう一度聞くとこくこくと頷いた。
「わかったよ。じゃあ、はい!お手をどうぞ」
手を差し出すと、おずおずと指を伸ばして俺の小指の先端を小さく掴んでるのか掴んでないのかわからない力加減で触れてきた。
「……………」んあああああああー 可愛い過ぎる!!なにその仕草!
「指じゃなくて、手のひらでお願いします」
「………」
ゆっくり指が移動し、今度は俺の手のひらをちょこんとつついてゆっくり引っ込めようとする。
いやそういうことじゃないんだけど…(/^\)照笑
「もう触れたので、いいです」
「いやいや待って?俺が望んでるのは、こっちね」
「っ!、んぁ…んむぐっ」
するりと彼女の指の間の一本一本に俺の指をゆっくり絡ませて恋人繋ぎをする。
その間、彼女の指と全身はピクピクと動いて反応し、顔はゆでだこの様に真っ赤だ。途中、反応して変な声を出した彼女は、無理やり自分で口を押さえて声を殺したようだが、口から小さく漏れる喘ぎのような声は逆効果のようにも思える。なんと言うか、エロいです…。
「えっと…くすぐったかった、の、かな?」我慢だ俺。
「し、っ…ふ、知らない、こんなの知らない!」
口許押さえて涙目にその台詞もだめだってば…。俺が卑猥なことしてるみたいじゃん。手を繋いだだけだよな??
彼女のまさかの反応にゾクゾクした気持ちを抑えつつ、どうやら彼女の照れが移ったらしい顔を空いてる手で覆い隠して、自然とにやける顔も隠した。
「?」
不思議そうな顔でこっち見るなよ、君のが移ったんだよ。
「ん゛ん゛ッ!さて、行きましょうか」
「え!?手は!?」
「しばらくこのままで♡」作り笑いで誤魔化し、再び歩き出す。
すたすたすたすたすたすたすたすたすたすたすた…
「…………………」
「…………………あのさ」
「はい(?)」
「手、落ち着こうか」
「?…!!あ!すみません!」
落ち着かなかったのか、歩いてる最中ずっと無意識に指を小さく動かしている。正直、くすぐったい。
「もしかして、嫌だった?」
「嫌とかではないのですが、その、……慣れてなくてですね…手を握られたことがないんです」
「え?」
「私から家族と手を握ることがあっても、相手から手を握られたことがなくて、どうしたらいいのかわからなくて…すみません」
つまり、押しに弱いと…。
「じゃあ、俺が初?」
「…………」
「この無言は肯定ですか?」
「……………違います」
違うなら俺の目を見なさいよ。
視線を横に逸らし、こちらを見ようとしない。指は落ち着かないのか、小さく動かしている。
「やっぱり今日はずっと、このままで」
ウソつくの下手なんだな。
「!!?」
何で!?と言う顔をこちらに向けた。やっとこっち見た。
リンゴのように真っ赤になった頬が彼女をどこか幼く見せ、可愛く見えて仕方なかった。直視できなくなって、今度は俺が彼女の方を見れなくなってしまった。…参った。
気を取り直して、お昼を食べた。
彼女は軽めの物を食べた。つけうどんとサラダだけだった。俺は少しガッツリめに海鮮丼を食べた。
「それだけで足りる?大丈夫?💦」
「大丈夫です。足ります。あ、ちょっとお手洗いに行ってきますね」
「は─い」
彼女がお手洗いに行ってる間に、二人分のお会計を済ませた。後は彼女が戻ってくるのを待つだけだ。
「あれ?」
彼女が座っていた席がぐっしょり濡れている。
まさか漏らし…いやいやいやまさかね!笑
もしかして水でも溢したのかもしれない。うん。きっとそうだ。うん。
彼女が暫くして戻ってきた。
「お待たせして申し訳ありません…では、行きましょうか」
「あの…ヨリちゃん。席濡れてたけど、服とか大丈夫かい?」
「え、あっ、はい!大丈夫です。ちょっとドジしてしまいました。あはは…」
「あまり目立つところは濡れてないみたいだし、歩いてたら乾くかな。寒かったら言ってね、上着貸すから」
「ありがとうございます…すみません💦」
「いいよ、もっと頼って。さ、行こっか」
「もっと頼って…か。できたらいいのに」
彼女が小さい声で何かを言ったような気がして振り向いた。その声は、周りの雑音でうまく聞き取れなかった。
「ん?どうかした?」
「いいえ、何も。さぁ、行きましょう」
「うん…」
一瞬見せた彼女の悲しそうな寂しそうな瞳と切なげな表情が頭から離れなかった。彼女はすぐに表情を変えて笑顔で俺と一緒に外に出た。
彼女のあの表情は、一体何だったんだろうか…。
バスで移動して、水族館に到着した。
一通り回って満喫し、写真も撮った。
彼女の瞳がキラキラと輝いていて、楽しそうに水槽を覗き込んで、魚たちに話しかけている。
「こんにちは、お魚さん。水の中気持ち良さそうだね」
電波少女みたいなことになってるけど、小声で話してるし、まだ電波じゃないギリセーフ?なのかな?
「魚たちは何て?」
「気持ちいいって。飼育員さんが頑張ってお世話している綺麗な水だもん。住み心地は最高だよきっと」
「そっか。良かったね。綺麗だよね、魚たち」
どうしよう、彼女の言葉についていけてないんだけど。
とりあえず当たり障りの無いことを言う。
もしかしなくても不思議ちゃん?だよね、ヨリちゃんって。もしくは天然かな。
青白い幻想的な世界感が広がる部屋に、海月が水槽の中でふわふわと気持ち良さそうに泳いでいる。
「あ、海月さんだ。綺麗ですね」
「そうだね、あ、ベンチあるよ。座らない?」
「もう少し見てからにします。ありがとうございます」
「わかった。ごめん、俺座っていい?」
「はい…もしかして疲れてしまいましたか?」
「違うよ。ちょっと連絡きたから、確認したくて」
「そうだったんですね、すみません。あの…もう少ししたら、私も座ります」
「わかったよ。ゆっくり見ていいからね?」
「はい」
俺はゆっくり後ろに下がり、ベンチに腰かけた。
水槽を眺める彼女の横顔を見る。本当に楽しそうだ。
「どこに行ってもこんなに楽しそうに笑う人、初めてかも。ヨリちゃんみたいな人と毎日一緒にいたら、きっと楽しいんだろうな…」あ。
ぽそっと声が漏れたけど、彼女に聞こえてなくてよかった。安堵のため息も漏れる。
メールの確認をした後、俺は携帯を少し上に傾けて彼女をカメラの画面に映した。
本当に、楽しそうだな。可愛いな。
俺は彼女をカメラの画面に映したまま、そのままシャッターボタンをゆっくり押した。
彼女はベンチに座り、ふぅ と胸を押さえて撫でる仕草をしていた。そして、頭を軽くゆっくり左右に振り、両手で頬をペチリと叩いた。
さっきも見た、その仕草。
「それ、な…」
「あの!」
「!はい!」
それ、なんの儀式?と聞こうとしたのと同時に、彼女が何かを決心したみたいに、声をだして振り向き、じっとまっすぐに俺を見つめてきた。
「今日、私といて楽しかったでしょうか…」
「ん?」
質問がおかしいのかな?聞き間違いかな?と思い、もう一回と言った。
「ですから、今日は私といて楽しかったでしょうか」
聞き間違いじゃなかった。彼女は真剣な眼差しをこちらに向けている。何をそんなに不安になってるんだろう。
「楽しいよ!すっごい楽しい!」
「本当ですか?ウソ…ついてませんか?」
泣きそうになるのをこらえている顔。ヨリちゃんは、一体何が不安なの?
「本当だ!ウソじゃないよ。だってヨリちゃん、何処に連れていっても、何処もかしこも新鮮に見えるみたいにキラキラした目で周りを見るから、俺も連れてきた甲斐あるし、一緒にいて楽しいよ。それに見てて飽きないし行動は面白いしさ」
「そ、そうですか。良かったです」
「何をそんなに不安なの?」
「とととなりさんに何もしてあげられてなくて、楽しい話題も持ってませんし…私といて楽しいのかなって思いまして…」
「なるほどね。そんな不安にならないでよ。俺は側にいるだけでも楽しいよ」
涙目の彼女を慰めたくて、彼女の腰に手を回し、抱き寄せようとぐっと力を込めた。
「!!いっ、いや!触らないで!!」
「え!あっ、ごめん!!」
まさかの彼女の反応に驚いて、腰に当てていた手を勢いよく離した。
「あ…ちがっ!違うの!ごめんなさい!」
泣きながら謝る彼女は、両腕で自分の体を抱き締めるように包み、震えていた。
「えっと…」
俺はとりあえず黙ることにした。彼女が何か言いたそうな顔をしていたから。
「あの…すみませんでした!触られたことに驚いてしまって、あのようなことを言ってしまい、本当にすみませんでした」
深々と頭を下げて俺に謝る彼女は、まだ小さく震えていた。
「いやいいんだ。俺こそ急に触れてごめん。反省してます…」
「いえ!となりさんは悪くないです。私が悪いんです」
「何も言わずに触れた俺も悪いよ」
「先に言った私が悪いです」
「俺も悪い!」
「私が悪いです!」
「・・・・・」
「・・・・・」
「「ふっ」」
「あはははは笑」
「ふふ、…っけほけほけほ」
「大丈夫?笑 そんなむせるほど笑っちゃった?」
「けほっげほっ……っはい。ふふ」
ハンカチで口許を丁寧に拭いている。
そんなに笑ったのか。
「あの、お願いがあるんです。…なるべく体に触れないで欲しいんです。人に触れられるの苦手なので…」
「わかった。でも、やむ終えない時は、ごめんだけど触れるかもしれないから、そこは許してね」
「………はい」
お互いニコッと笑って、この話は終了した。
水族館を出ると、もうすっかり夕方になっていた。
「空が赤いですね。綺麗です」
「今日の夕日は綺麗だね。写真撮っておこうっと」
「私も撮ります」
二人で並んで、太陽に近い赤く染まった空にカメラを向けて、シャッターをきった。
「今日のいい思い出だね」
「そう、ですね」
彼女の顔が少し暗くなったように見えた。それもそうだろうな。だって、約束の16時まであと10分をきったのだから。
携帯のカメラ機能を切り、携帯をポケットにしまう。
「…さて、ヨリちゃん!どうでしたか?俺の彼氏っぷりは。こんなこと聞くのもアレなんだけど、…感想聞きたいなって思いまして」
「素敵でしたよ、とっても楽しかったです」
「そうかな(照)変なとこ無かった?」
「ええ。どこも変なところなんて無かったですよ。となりさんは、人を楽しませることも一緒になって楽しむこともできる素敵な方です。だから、大丈夫。もっと自分に自信を持ってくださいね」
「なんか、照れるね。えへへ、ありがとうヨリちゃん」
「ふふ、どういたしまして」
もう16時になる。別れの刻。
「もう、16時になりますね」
「あの、最後までいさせてください。駅まで送ります!」
「最後まで…っふふ、ありがとう、ございます。よろしくお願いいたします」彼女は口許を手で押さえて笑いながら俯いた。
「では、行きましょうか」
俺たちの声は、意識して聞いていないと簡単に搔き消されてしまうほど、ガヤガヤと人通りが多くなってきた帰りのラッシュ時間。俺たちは地下鉄駅を目指して歩きだす。
彼女と一緒に歩きだしたと思っていたけど、歩きだして歩いていたのは俺だけだった。彼女は途中で歩くのをやめて立ち止まっていた。二歩歩いた時に、彼女が隣にいないことに気が付いた。
「………………………………………」
「あれ?ヨリちゃん?どこ行っ…あ、いた。どうしたの?」
俺をじっと見つめる彼女の元に戻る。
「……何でもありません。ただ、この空を目に焼き付けておきたくて、思わず立ち止まってしまいました」
空を見上げてふわりと小さく笑う彼女。無理して笑っているのがわかるくらい寂しそうな目をして、空を見上げていた。
「いい色だよね」俺も空を見て呟く。本当に綺麗な赤い色の空。
「そうですね。…すみませんでした。行きましょうか」
「はい。あ、足元気をつけてね」
彼女を地下鉄の改札口まで送った。
「今日はありがとうございました。またの御利用お待ちしてます。ヨリちゃん、気をつけて帰ってね」彼女に手を振ると、切符を通した後に彼女は振り返って小さく手を振ってくれた。そして、「ありがとうございました」と深々と頭を下げて、帰っていった。
「楽しい一日だったな。っと、終了したら店長に連絡忘れずに」
連絡しようと携帯のロック画面を解除すると、閉じたはずのカメラ機能がまだついていた。しかも録音機能が稼働している。
「あれ?ボタン間違ったのかな…あー、録音されてる」
10分間の録音がされていた。俺はとりあえず録音を停止し、店長に電話をかけた。
ピッピッピッピッピッ ピッ トゥルルル ブッ
『おー、どした?』
「店長、お疲れ様です。佐多です。無事終了しましたので、帰りますね」
『おー、お疲れ様。……彼女、何か言ってたかい?』
「?いえ、特には何も。どうかしたんですか?」
『ん?あぁいや、なんでもないんだ。んじゃ、お疲れ!ゆっくり気をつけて帰ってこいよ』
「はーい」
ブツ ツーツーツー
「さて、帰りますか」
俺は店長の待つ店に向かった。
「はぁ…あの子大丈夫かね………」
佐多からの電話を受け取った後、店長は昨日の電話の内容を思い出していた。
『げほげほっ…もしもし、新野と申します』
「はい、こちらレンタル彼氏です。ご利用ありがとうございます!」
『こんにちは…。SNSを見て電話をかけました』
「そうですか、ありがとうございます。当店は、お客様のご要望にお答えできるように様々な彼氏をご紹介するサービスを行っております。どの様な彼氏をご要望ですか?」
『えっと、要望は特にはないで、あ…優しい人がいいで、す』
「はい、あ、……かしこまりました。条件は優しい人ですね。お任せください。いつ頃のご予約にいたしましょうか」
『明日は可能ですか?』
「明日ですね。可能でございます。はい、大丈夫ですよ。では、決まり次第此方からご連絡を致しますので、このお電話番号でのご連絡でよろしいでしょうか」
『はい、この電話番号でお願いします』
「かしこまりました。では、当日。良い1日を…」
『あの…お金はどうお支払したらよろしいでしょうか?あ…、すみませんちょっと失礼します』ガサッゴソゴソ…
『新野さん、あと10分後に点滴のお時間となりますので、お部屋に戻りましょう』
『あの、今電話してて、あと少しで終わりますのでまだここにいてもいいでしょうか』
『あら、すみませんお電話中でしたか💦なら、今9時50分だから、そうですね…9時56分には部屋に戻って来てくれますか?私は薬を取りに行ってますから』
『あっ、ふふ、分かりました。ありがとうございます』
『大丈夫ですよ。また来ますね』ツカツカツカツカ
ガサッ ザッザザザッザザッ
『すみませんでした』
「いえいえ、ご入金の方法ですか?その件に関しましては、資料を見た方が分かりやすいと思いますので、当日ご予約いただいた彼氏さんからご説明をお受けください。電話だけでのご説明は行っておりませんので、どうか御了承くださ……………あ…いえ。忘れておりました。今回、こちらではキャンペーンをやっておりまして、初回限定の方のみ一度だけ無料でご予約ご利用可能なキャンペーンがありますが、此方をご利用でよろしいでしょうか」
『え!?本当にいいんですか?』
「かしこまりました。では、その様に致しますね」
『すみません…、ありがとうございます…』
「いえいえ、大丈夫ですよ。今回限りですので、是非ご利用ください。ですのでご入金はけっこうです。ただ、電話は繋がるようにしておいてください。万が一ということもありますから」
『分かりました。ありがとうございます!』
「こちらこそ、レンタル彼氏のご利用ありがとうございます。はい。では、当日、良い1日をお過ごしください。では、失礼致します」
初めから電話越しに聞こえてくる聞いたことのある音。沢山の人の声とアナウンスで名前を呼ぶ声。薬の名前やカラカラカラカラと何かを引いて歩く音と車輪の音。
話の内容からして、彼女が誰と話していたのかも検討はついていた。
そう、彼女が電話をかけている場所は、きっと病院だ。
点滴の時間ということは、入院しなければならない程、身体の何処かが悪いということ。それと咳の仕方がなんだか変だった。何がと言われたら説明が難しくて出来ないが、聞いてておかしいと感じるくらいに彼女の様子が電話越しでも多少わかるほど体調がよくないということ。
「…なんかあるな、こりゃ……。はぁ、調べるか」
そう言って、彼は知り合いに電話を一本入れた。
後に知った悲しい事実に、店長は片手で両目を覆う。「そんな…」
『新野さんは今日の17時02分、眠るように亡くなった。享年23歳、病名は脳腫瘍』と。
「店長、おはようございます!今日は天気が曇ってますねぇ」
どんよりとした空を眺めがら、いつものように店長に挨拶をした俺は、急に店長に喪服を渡された。
「ん?店長、誰か親戚の方が亡くなられたのですか?」
「………あ、あぁ、まぁな。お前も参列してくれ。急いで支度」
「わ、分かりました。すぐします」
俺は言われるがままに渡された喪服を着て、支度をし、車に乗り込んだ。
入り口前の名前を見て、俺は愕然とした。
そこに彼女の名前が記されていたから……
「おい!どこ行く!」
「店長すみません!すぐに戻りますから!!」
俺はその場から走っていた。真っ白になった頭をなんとか働かそうと周りを見た。考えろ!考えろ!と暗示をかけて。
考えろ!俺は何故走ったのか今どこへ向かうべきか!
考えろ!彼女のことを…!
ぐっと地面を睨み付けると、俺の上が急に暗くなったり明るくなったりした。
何だ?と空を見上げると、丁度俺の上を大きな雲が通りすぎていった。
ふと彼女の言葉を思い出す。
「……何でもありません。ただ、この空を目に焼き付けておきたくて、思わず立ち止まってしまいました」
「空……しゃしん…写真!」
俺は写真が現像できる場所を探した。
走ってカメラ屋を目指し、店内に入るなり急いで携帯の写真を現像した。昨日撮った写真全部。
何枚も。
現像が終わり、写真を握り締めた俺はまた走って彼女の家に向かった。
汗だくのまま門をくぐり、部屋に入った。
丁度親戚の人たちが彼女にお別れの花を棺桶の入れて話をかけているところだった。
「ま…げほげほ……まにあっ、た!」
「お前何してたの!?遅いぞ!あの人で最後だから、棺桶を閉められてしまうぞ。早く行ってこい!」
「はい!」
俺は店長に背中をトンと押されて、彼女の棺桶まで少し小走りでかけよった。
「あら?貴方誰ですか?」
「えっと…彼女の、ヨリちゃんの…と、友達、です」
「そうなの?あの子から聞いたこと無いけど…ふん、まぁいいわ、まだ出棺まで時間少しありますし、最後にどうぞ」
嫌な感じのご婦人だ。ご婦人を少し睨んで、彼女が眠っている棺桶に近づいた。まだ生きているかのようにそこに眠っている。
「ヨリちゃん…ごめんね、来ちゃった。一日だけだったけど、楽しかったね。動物園でも水族館でも、ずっと物珍しそうにキラキラと輝いてた目、今日は見せてくれないんだね…ヨリちゃん」
呼んでも返事は返ってこず、閉じた目も開くことはない。
「また行こうよ、今度はプラネタリウムとかさ」
彼女の手の甲に触れる。
昨日まで感じていた温い体温は、すっかり冷たくなって、温かさを失っていた。
「ヨリちゃん」
彼女の頬に触れる。冷たい。
りんごのように赤く染まった頬で、恥ずかしそうに笑うあの笑顔がまた見たいのに、白い肌に頬紅でうっすらお化粧された頬に触れている。やっと触れられたのに、嘘の赤く染まった頬なんて…。
泣きそうになって、背を少し丸めてグッと堪える。
「ぅ………っ、あ…」
ふと、左手で握り締めてグシャグシャになってしまった写真の束を思い出した。シワを伸ばすため棺桶の縁でゆっくりしわを伸ばす。
「ヨリちゃんこれ…、昨日撮った写真。…ご、ごめんね、形に残るものにしちゃった…ふ……ぐっ、…ぅ」
一枚一枚シワを伸ばしていると、まだグシャグシャのままの写真が擦っている間に滑り落ちてしまい、俺が持っている写真一枚だけを残して、彼女の上に全部落ちてしまった。
バサッ
「あ………」
彼女の上に落ちた写真を手で伸ばしながら彼女の周りに並べていく。
「ヨリちゃんこれ…動物園で撮った空だよ。これはハシビロコウ。ヨリちゃん、夢中でにらめっこしてたよね。これは水族館で撮った海月だよ、綺麗だったね」
写真を一枚一枚並べながら、話しかけていく。どんどん彼女は写真で埋め尽くされていった。
「これは、あの時一緒に撮った夕日の写真。本当に綺麗だったよね。ヨリちゃん、俺、ヨリちゃんは空に思い焦がれてるのかなって思ってたけど、そうじゃなくて、君はこうなることを分かってたんだ。その悲しみや寂しさを誰にも言えなくて、…空を見て、気を紛らわせてたんだって、走ってるとき気付いたんだ。……きみが、君があまりにも上手に自分を、隠す、から、気付かなかった、よ…」
手に持っていた最後の一枚を彼女の手の甲の上に置いた。
俺が水族館で隠し撮りした、彼女が海月を眺めながら嬉しそうに笑う姿が写った写真。
「ヨリちゃん、笑ってよ…昨日みたいにさ…もっと、俺と色んな所行こうよぉ…………より…ちゃ…………ぅぅっううううっぅっ……………」
抑えていた涙が止まらなくなった。後から後から流れてきてどうやって止めたらいいのか分からなくて、ただただ棺桶を掴む手に力を込めて、彼女の細く固くなって動かない手を掴んで泣いた。
「ちょっとあんた!早く退いてよ!みっともないでしょ!!」
その声に顔をあげると、彼女にそっくりな顔の女の人がいつの間にか隣にいて、俺の腕を掴んで怒っていた。
「ヨリ…ちゃん?」
「違うわよ!私は妹のユリ!一緒にしな、い…で………」
怒りながら棺桶で眠る彼女の顔を見た妹だと言う女の人は、目を見開いて驚いていた。
俺も思わず彼女の方に目を向けると、眠っている彼女の目から一つの涙がこぼれ落ちていた。透明で綺麗な雫が目尻からつぅ……っと流れていた。
「おねぇちゃん…」
妹は何かを堪えるようにグッと顔をしかめた。
「来なさい!」と俺を無理やり引っ張って、バタバタと部屋を出ていった。
「何すんだよ!」
「あんた!レンタル彼氏っていう胡散臭い会社の社員なんだって?」
「胡散臭いって…確かに店長は胡散臭いかもしれないけど、俺は違う!」
「じゃあ、何でお姉ちゃんがレンタル彼氏なんか利用してんのよ!!きっと騙したんだわ!」
「それは違うよ、ユリさん」
「店長…」
「お前、俺をフォローする気ぐらい持ちなさいよ。胡散臭いは余計だわ」
「だって…」
「ユリさん、レンタル彼氏のご利用は、彼女本人から電話をしてきたんだよ。こちらからの勧誘は一切していない。本当だ」
「お姉ちゃんが自分で…何で?」
「それは、後で話そう。そろそろ出棺の時間だと親戚の人たちが呼んでいたよ」
「………分かりました。では改めて、後日そちらにご連絡いたしますので、失礼します」
妹はペコリと頭を下げて、部屋に戻っていった。
「店長…ありがとうございます」
「ん。いいってことよ。だけど、お前はもう帰んなさい」
「何で!?」
「お前、公衆の面前であんなことしたから、親戚の人たちから反感かってんだよ。フォローすんの大変だったんだから。あの写真は回収されそうだったから、一枚だけ彼女の所に忍ばせておいたからさ。残りは俺がもらっておいた。ほれ」
「あ…ありがとうございます」
「だから、今日はもう帰りなさい。また、明日来てくれよ、な?」
「は、い」
「あああもうー泣くな泣くな。いい男が台無しだぞ?」
「だって…ぅうう…っ」
「ほらほら、ティッシュやるから、泣き止め」
「でんぢょー」
「んー」
「だぎじめでもいいでずがぁー」
「……ちょっとだけな。ほら、こい」
「うわぁぁぁぁぁぁぁー!うっぐっ…うううぅっ…ひっ…ぅああああああああー」
俺は店長の腕の中で、無理やり抑えていた感情が爆発していまい、大人げなく泣きじゃくった。
「あーあー、大の大人がそんな泣きじゃくりやがって、おーよしよし。全部吐き出してしまえ、な」
店長は優しく頭や背中を撫でて慰めてくれた。
彼女が火葬場に運ばれていくギリギリの時間まで俺を抱き締めてくれた。
3日後。
ユリさんから電話で、家に来てほしいと連絡が来た。
「「お邪魔します」」
「どうぞ」
彼女は、ユリさんの住むアパートに引き取られていた。
仏間に案内されると、彼女が静かに笑っている写真が飾られていた。祭壇に待ってきたお菓子をお供えして、手を合わせた。店長がりんを叩く。
チーン…
「ヨリちゃん、お邪魔します」
写真を見つめていると、ユリさんが「どうぞ、こちらへ」と居間へ案内してくれた。
「この度はお悔やみ申し上げます…先日は失礼を致しました」
「いえ…いいんです。あの…姉のことなんですが」
「彼女がレンタル彼氏を利用したことについてですよね」
俺は彼女のことをここに来る前に店長から聞いた。
おかしいと感じた店長が、知り合いに調査を依頼したらしい。
彼女は、厳しい母の元で育ち、長男と次女は可愛がり、ヨリちゃんには厳しく当たり、暴言を吐いていたこと。
彼女には自由がなく、常に母の監視が付いていたこと。
病気と分かった途端、見舞いは愚か連絡すら無かったことなど、ひどく、理不尽な人生を歩んでいたことを聞いた。
自分とは正反対な人生を歩んでいたのだ。
「じゃあ、何でレンタル彼氏なんて頼んだんだろう」
俺は疑問を口にした。
「彼女が医者に話していたそうだ。一日だけ外出許可がほしい、だから、一日だけ過ごせる分の薬をくださいって」
「薬?」
「あぁ、ガンの抗がん剤と痛み止めだよ。治療の副作用で立てないほどひどい痛みと頭痛、発熱などがあったらしいけど、彼女はそれを薬を飲んで、大丈夫かのように上手に隠し通したんだ」
「じゃあ、胸を撫で下ろして頭を軽く振って頬を叩いていたのは」
「意識が飛ばないように、ちゃんと自分はまだここにいるという確認を、毎日やっていた彼女のおまじないのような行動だったらしい」
「身体に触れたとき、ひどく拒絶したのは」
「身体中の痛みが酷かったらしいから、痛かったんじゃないかな」
「椅子がぐっしょり濡れていたのは」
「多分、そうとう我慢してた時の汗だろうな。彼女、頻繁にトイレに行かなかったか?」
「行ってた…」
「やっぱり。彼女、トイレに行く度、気が狂いそうな痛みや薬の副作用と戦ってたんだろうよ。それを見られたくなくて、頻繁にトイレに行ってたんだろう」
「そんな…」
「彼女、外出するとき言ってたんだと。家族のために自分の時間と人生全部あげてきたんだから、最期くらい、自分のために時間と自由を使ったって、バチは当たらないでしょ、だとさ」
「最期くらい…」
「あぁ。彼女はすごい人だよ」
「……うん」
「はい。姉の携帯の写真のフォルダに風景と空の写真が沢山納められていました。調べたんです。姉の携帯に当時の会話が録音されてて…料金を取らなかったそうですね。電話越しとはいえ、姉の状況を把握しての対応だと私は感じました。胡散臭いと言って、すみませんでした」
「いえ、いいんですよ。まぁ、怪しい感じの名前ですしね笑」
「そこで、お願いがあるんです」
「お願い?」
「はい。姉が辿ったデートプランを私にもやって頂きたいのです。そっくりそのまま」
「え…」
「それは、ご予約ですか?」
「はい、そうです。料金はしっかり払いますので」
店長は少し考えてから、ユリさんに言った。
「料金は結構ですよ」
「え?」
「言ったじゃないですか。初回限定の方のみ一度だけ無料でご予約ご利用可能なキャンペーンがありますって」
「そう、ですね。では、そちらでお願いします」
ふわりと笑ったユリさんは、笑顔まで彼女に似ている。
「ご予約はいつになさいますか?」
「明日は可能ですか?」
「明日ですか」
店長は俺の方をチラリと見た。
「俺可能です」アイコンタクトで空いてると頷いて返事をした。
「では、明日ですね。了承致しました」
「お願いします。何時に集合したんですか?」
「8時30分に◯◯駅の二番出口前です」
「病院から近い駅…分かりました」
「では、明日」契約成立。
ユリさんとはその後もしばらく話をして帰った。
次の日。
「お待たせしました。では、行きましょう」
「今日はよろしくお願いいたします」
「はい」
お互い頭を深々と下げてお辞儀をした後、バスで移動し、はじめに動物園に向かった。
全部を回ってハシビロコウを見て、お土産屋を見て、彼女と過ごした時と同じようにユリさんと過ごす。
「あのキラキラした目は、もう見られないんですね…」
「え?」
ポツリと思ったことが口に出ていた。ユリさんは彼女にそっくりだけど、全然違うから…。
「いえ、なんでもないです。そろそろお昼にしましょうか」
「はい」
彼女が頼んだメニューを教えると、「これだけなんですね……すみませんが、私は足りないので追加で別なものも頼みたいです」
「どうぞ」(でもうどんは食べるんだな)
お昼を食べた後、水族館に移動した。
その間、彼女にしたオプションの話をユリさんに話すべきなのだろうけど、何故かそれが出来なかった。
水族館に着き、一通り回った。お土産屋コ─ナ─も見た。ユリさんは、海月のキーホルダーを二つ買っていた。
水族館を出ると、あの時と同じ様に、もうすっかり夕方になっていた。
「綺麗な空ですね」
「そうですね」
「そろそろ16時になってしまいますね」
「はい。あ、ここで彼女と空の写真を撮ったんですよ」
「そうなんですか?私も撮りたいです」
「俺も……」
カメラの機能を押す前に、写真フォルダを見た。今の空も綺麗だけど、あの時の空の方がなんか特別に綺麗だった気がしたから。フォルダの中に録音したものもあった。
「あ。そういえば、録音したやつ聞いてないな」
「録音?何を録音したんですか?」
「いや、ここで写真撮った後、カメラ機能切ったはずなんだけど、いつの間にか録音機能に切り替わってて。彼女と分かれた後に気付いたんだ…よ……ね」たしか10分くらい入ってたはず………
「お姉ちゃんの声、入ってるかもしれません!私も聞きたいです!お願いいたします!」
「そう、そうだよね!聞いてみよう!」
俺は嬉しくなって、ユリさんと近くの公園に移動し、ベンチに座ってユリさんと片耳ずつイヤホンをした。
ヨリちゃんに会える!
ガガガッ ザザザザザ ザザッ
『…さて、ヨリちゃん!どうでしたか?俺の彼氏っぷりは。こんなこと聞くのもアレなんだけど、…感想聞きたいなって思いまして』
『素敵でしたよ、とっても楽しかったです』
『そうかな(照)変なとこ無かった?』
『ええ。どこも変なところなんて無かったですよ。となりさんは、人を楽しませることも一緒になって楽しむこともできる素敵な方です。だから、大丈夫。もっと自分に自信を持ってくださいね』
『なんか、照れるね。えへへ、ありがとうヨリちゃん』
『ふふ、どういたしまして』
もう16時になる。別れの刻。
『もう、16時になりますね』
『あの、最後までいさせてください。駅まで送ります!』
『最後まで…っふふ、ありがとう、ございます。よろしくお願いいたします』
『では、行きましょうか』
ガヤガヤ…(人の歩く音と会話がごちゃごちゃとしている)
『………………………………………』
『あれ?ヨリちゃん?どこ行っ…あ、いた。どうしたの?』
タッタッタッ(俺が彼女に近づくために歩いた音)
『……何でもありません。ただ、この空を目に焼き付けておきたくて、思わず立ち止まってしまいました』
『いい色だよね』
『そうですね。…すみませんでした。行きましょうか』
『はい。あ、足元気をつけてね』
(地下鉄の改札口の音が聞こえる)
『今日はありがとうございました。またの御利用お待ちしてます。ヨリちゃん、気をつけて帰ってね』
『ありがとうございました』
ここで録音が終了していた。俺が切ったから。
カチッ
「お姉ちゃんだ…」
「ヨリちゃんだ…」
二人で感動し、空を見上げた。
「ねぇ」
「んー?」
「ちょっと聞き取れなかった部分があったんだけど、もう一度流してくれる?」
「いいけど、何処だろう?」
もう一度流して、「あ!ここ!!」とユリさんが言ったところで止めた。
「この人混みの中でなんか言ってる気がするんだよね。でも、雑音が酷すぎてよく聞き取れない」
「俺には何も聞こえないけど…」
「私、耳が良いの!だから、お姉ちゃんは何か言ってたのよ!」
「分かった。でも、俺の携帯じゃこのノイズを取り除くのは無理…あ」
できる人、いる!
「?」
「店長ならなんとかしてくれるかもしれない!」
「店長!」
俺たちは勢いよくベンチから立ち、店長のいる事務所に走って急いで向かった。
バァン!
勢いよく店のドアを開けて店長のいる部屋にバタバタと上がった。店長、いた!!
「店長!」
「店長さん!」
「うおっ!何だ!?」
パソコンのキーを打っていた店長が驚いた顔でこちらを見た。
「店長!パソコン!パソコン貸してください!」
「店長さん!パソコン!パソコン貸してください!」
「待て待て待て!なんだ!?佐多が二人いるみたいだぞ!?どちらが佐多ですか?」
「俺です!」
「よし!で?ユリさんどうしたんですか?」
「彼の携帯に姉の声が録音されているのですが、雑音が酷くてよく聞き取れないので、取り除くことはできないかと!」
「そういうことなら、手伝いますよ」
カタッ ガタッ!とパソコンのエンターキーを勢いよく叩くと、画面が変わり、音声波形が表示された。
マイクのアイコンを消した。波形が消えた。
ケーブルを取り出し、俺の携帯に繋げて音声を流す。
「あ!ここです!!」
ユリさんはさっきと同じ場所を指差し、店長はそこで止めた。
「ん」
「どうですか?」
「なんか喋ってたね」
「でしょ!そうでしょ!!」
「ここを、こうしてっと」
カタカタカタカタカタ
「と………んにであ………………た……………で……………も……」
「少し聞き取れますけど、まだまだですね」
「じゃあ、もう少しかな」
カタカタカタカタカタ
「あ!」
「あ!」
「おっ」
やっと聞き取れた。
「となりさんに会えて、本当に良かったです。素敵な思い出を、ありがとうございました」
「ヨリちゃん…っ」
「お姉ちゃん…うぅ」
「おーよしよし。泣くな泣くな」
店長は、俺の頭を撫でて慰める。俺は店長の肩に顔を埋めて泣いた。
「店長さん…私もお願いじまずぅ」
「…はいはい」
店長はユリさんの頭を優しく撫でると、ユリさんは店長の肩に顔を埋めて静かに泣き出した。
「お姉ちゃんは…!ドジで、天然で、子供っぽくって、バカで、精神的に弱くてすぐ寝ちゃうし、阿保みたいなことばかりして私を笑わせてくるけど…誰よりも努力家で我慢強くて、誰にも弱音を吐かないから、おかげで私、最期まで気付かなかった……だってお姉ちゃん、私が来るといつも元気に出迎えてくれるから…今回も大丈夫なんだって思えてしまうくらいいつも通りに話すんだよ……。会いたいよぉ…本当はあの人に言いたい!強い意志を持った自慢のお姉ちゃんなんだって!っ…ぅうう………」
「全部。全部ここで吐き出していきな、ちゃんと受け止めるからさ。俺も佐多も。な?」
「う゛ん゛」俺は泣きながら頷いた。
─────────・・・・・・
両肩に二人分の涙を受け止めた店長は、「気ぃ済んだかい?」と笑っていた。
「「すみませんでした…」」
「いいってことよ笑 そうだ、ユリさん。この音声、コピーするから、持っていきなさい」
「え、良いんですか?」
「いいよ、な?佐多」
「そうだな、これでいつでもヨリちゃんに会えるね」
「ありがとうございます」
ユリさんは深々と頭を下げて、涙を拭った。
「一時間くらいかかりますが、お時間大丈夫ですか?」
「はい、大丈夫です」
「良かった。では、下の階でお待ちください。佐多、お茶お願いしても良いかな?」
「はーい」
とんとんとん
カチャカチャ こぽぽぽぽぽ カチャッ
「どうぞ」
「ありがとうございます。あの…佐多さんは店長さんと随分親しいんですね」
お茶を一口飲んだユリさんがカップを見つめながら俺に質問をしてきた。
「あーうん。まぁね。店長、俺の育ての親なんです」
「え…」
「俺の両親、交通事故で亡くなったんだ。父さんの親友の店長がその時葬式に来てて、俺を二つ返事で引き取ってくれたんだ」
「そうだったんですね…あの、すみません」
「あぁ、いいんだ。店長と一緒に暮らしてて楽しいし、慣れるまでいろいろあったけど、店長がさ、寂しいなんて感じさせないくらい俺が傍にいてやる!って言われた時は、プロポーズかよって思ったけど、実際言葉通り一緒に居てくれたから、俺は今こうして、幸せを感じてるよ」
「そう…うらやましいわ」
「?」
「何でもないです」
ユリさんと話していると上からトントンと階段を降りてくる音が聞こえて、店長が笑いながら降りてきた。
「なになにぃ?佐多、もう仲良くなったの?店長、焼きもちやいちゃうー笑」
「何でだよ笑」
店長は俺をからかいながら手に持っていたチップをユリさんに渡した。
「お待たせ致しました。彼女によろしくお伝えください。では、またの御来店を…と言いたいところですが、もうここには来ない方がよろしいかと思います」
「え、どうして?」
ユリさんは驚いた顔をして店長の顔を見た。
「ここはご予約のあるお客様しか招いていないからです。気軽に来て良い所ではないですし、それに…」
「では!予約します!予約すれば良いんですよね!」
「え!?あ、はい!そうですけど…そんな勢いで予約しますか?💦」
「します!」
「そう、ですか。では、どのような彼氏をご要望ですか?」
「店長さん!あなたを指名したいです」
「かしこまり…は!??」
「ええええええええ!!?嘘ぉ!?」
俺も店長もお互いにびっくりしてしまった。
ユリさんは顔を真っ赤にして店長を指名したのだ。
ユリさんもしかして、店長のこと……。
6ヶ月後
あれからユリさんの必死の猛アタックに店長が折れてしまい、二人は只今交際中。
俺はというと…
「ヨリちゃん、来ちゃった!今日も暑いねー」
ユリさんにお墓の場所を教えてもらい、週に1回、お墓参りに訪れている。
「ヨリちゃん、見て見て!この場所、すごく綺麗な空だったんだよ!今度は違うところの…あ、ここに行くんだ。その時また来るね。それでね」
旅行雑誌を開いて見せて、ヨリちゃんに話かける。もはや日課となってしまった。
俺は今、旅行会社に就職し、下見に行ったり企画を立てたりして忙しく働いている。
もちろん店長の所にまだ住んでて、離れたときも毎日連絡は欠かせない。店長との約束だからな。
まだまだ彼女も作る気ないし、今はこれでも幸せを感じている。
あ、そうそう。店長の経営しているレンタル彼氏、今は廃業して、カフェを経営している。店長の夢で、やっと叶えられると喜んでいたよ。ユリさんも手伝っているらしい。
俺は多分心の何処かで待っているのかもしれない。
ヨリちゃんみたいな子が現れるのを。
「ヨリちゃん、また来るね」
好きだよ
ずっとね。
ある日、一本の電話がかかってきた。
彼女は何やら訳ありなようで……。
「……何でもありません。ただ、この空を目に焼き付けておきたくて、思わず立ち止まってしまいました」
彼女の行動一つ一つに意味があった。
この件に関わった後、俺はこの仕事を止めた。
そのきっかけとなった出来事のお話し。
『 』
「はい、こちらレンタル彼氏です。ご利用ありがとうございます!」
『 』
「そうですか、ありがとうございます。当店は、お客様のご要望にお答えできるように様々な彼氏をご紹介するサービスを行っております。どの様な彼氏をご要望ですか?」
『 』
「はい、あ、……かしこまりました。条件は優しい人ですね。お任せください。いつ頃のご予約にいたしましょうか」
『 ?』
「明日ですね。可能でございます。はい、大丈夫ですよ。では、決まり次第此方からご連絡を致しますので、このお電話番号でのご連絡でよろしいでしょうか」
『 』
「かしこまりました。では、当日。良い1日を…」
『 ? 』
『 』
『 』
『 』
『 』
『 』
『 』
「いえいえ、ご入金の方法ですか?その件に関しましては、資料を見た方が分かりやすいと思いますので、当日ご予約いただいた彼氏さんからご説明をお受けください。電話だけでのご説明は行っておりませんので、どうか御了承くださ……………あ…いえ。忘れておりました。今回、こちらではキャンペーンをやっておりまして、初回限定の方のみ一度だけ無料でご予約ご利用可能なキャンペーンがありますが、此方をご利用でよろしいでしょうか」
『 !? ?』
「かしこまりました。では、その様に致しますね」
『 … …』
「いえいえ、大丈夫ですよ。今回限りですので、是非ご利用ください。ですのでご入金はけっこうです。ただ、電話は繋がるようにしておいてください。万が一ということもありますから」
『 !』
「こちらこそ、レンタル彼氏のご利用ありがとうございます。はい。では、当日、良い1日をお過ごしください。では、失礼致します」
……………
「店長ー!おはようございます!
「おぅ、おはよう。お前良いところに来たな。ご指名だ」
「え!?珍しくないですか?!俺が??」
「そ。お前。今回は優しい人が条件だからな」
「優しい人、ねぇ…。もっと具体的な内容とかないの?」
俺は鞄を机の上に置き、ソファーに腰を掛けた。ギシッと音を立ててソファーに沈む。
「なかったな。…で、一つ頼まれてくれないか?」
「頼みですか?」
「そう。その子に、オプションーって言って、追加で聞いてみてくれないか?」
「うちのオプションって、追加料金発生するじゃないですか。それの何が頼みなんですか?」
「そうなんだけど……実は、今回のお客様からは料金を取らないことにしたんだ。初回限定の方のみのキャンペーンで最初だけ無料でご利用できるって言っちゃったし」
「はぁぁあ!?あの守銭奴の店長がどうしちゃったんですか!?滅多にそんなことしないのに今回珍しくないですか!?」
「うん…今回は、ね。かなり訳ありそうなお客様かなと思ってね。で、頼まれてくれるかな?」
「良いですけど…予約はいつなんです?」
「明日」
「明日ぁ!?こりゃまた急じゃないですか!」
「行けるよな?」
「行けそうかい?じゃなく、行けるよな?ですか…。パワハラですよパワハラ」
「給料up」
「お任せください!今から準備します!あ、先にご連絡ですよね!」
「(チョロいなぁ…心配だわ)あとは任せたよ、佐多くん」
「はい!お任せください!!」
俺は給料upに浮かれて、今回の(少し不思議な)件を軽い気持ちで引き受けた。
この件に関わった後、俺はこの仕事を止めた。
そのきっかけとなった出来事のお話し。
「こんにちは」
「こんにちは!初めまして、俺は、佐多 都成と言います。この度は、レンタル彼氏をご利用頂きありが」
「隣、さん?」
「アクセント?というか、漢字違いますね?都に成るで、となりですよ」
「となりさん?」
「あ…漢字もアクセントも違ったんですね」
「今日はよろしくお願いいたします。私は新野 拠(にいの より)、と申します」
「うん、よろしくね。で、これからどこに行こうか?どこか行きたいところある?」
彼女はダボッとした白いワンピースにグレーの丈の長いカーディガンを羽織っている。身体のラインが見えにくい服装が好みなのかな?肩下げの薄茶色の小さい鞄を一つという身軽な格好だ。色白の彼女の肌にとても似合っていた。
「どこ…そう、そうですよね。えっと、となりさんのお勧めのところをお願いします」
「いいの?他に行きたいところとか、普段行かない場所でもいいんだよ?」
キョロキョロと周りを見回して、「そうだなぁ、行くとしたら、女の子ってだいたい映画館とか?ショッピングとかもどう?」と訪ねると、全部首を横に振った。
「それは周りの女子の考えですよね?魅力的ではありますが、となりさんのお勧めではないですよね」
「そっかぁ…じゃあ、水族館とか動物園は?」
「水族館…動物園…」
おや?目がキラキラしているね。どうやらその内容で良さそうだな笑
「よし!水族館と動物園に行こうか!」
「え!?…良いの?二ヶ所行っても」
「いいよ行こうよ!あ!予算はいくらくらいか聞いてもいいかな?」
あまりお金無いって言ってたって店長から聞いてるし。
「一万円くらいです」
「帰りのバス代と電車代抜いておいてね」
「はい」
「よし、じゃあ行き…あ!忘れてた。何時までの希望とかあるかな?」
「16時…まででお願いします」
彼女はニコッと笑った。
「16時までね。了解です。それじゃ、行きますか!」
先に近くの動物園に向かった。
静かにはしゃぐ彼女。顔には出ないが雰囲気で分かるくらいのはしゃぎ様。
見て歩くところ全部新鮮なのか、彼女の目はずっとキラキラしっぱなしだった。
今、じぃっとハシビラコウと彼女はにらめっこ中。動かないハシビラコウと動かない彼女。どうしよう、全く埒が明かないんですけど…笑
笑いをこらえつつ、「お土産コーナーに行こうか」と声をかけた。
「はっ!!Σ( ̄□ ̄ )すみません!つい夢中に…。行きましょうか」
我に返った彼女は、キラキラした目のまま俺の方に向き直った。まるで子供のような人だな。
「何か買うの?」
お土産コ─ナ─に移動しながら、彼女に尋ねた。
「いえ、買わないです」
「そうなの?じゃあさ、俺とお揃いで買わない?今日の記念に」
「…………買わないです」
「そっかぁ…」
「あ、あっ、違うんです!嫌とかではなく、今日は記念に残る物ではなく、心に残る事をしたいなと思ってまして」
「心に残ること?」
「はい!景色の写真だったり、見て、目に焼き付けたり触って感じたりして、物として残るのではなく、思い出として記憶に残ることをしたいのです」
「写真も物でしょ」
「そうですが、人物を撮さないようにします」
「俺とうつるの嫌とか」
「そうではありません。うぅん…どうしたら伝わりますでしょうか……」顎に手を当てて悩む彼女の顔はどこか幼く見える。
「ごめんて。ちゃんと伝わってるから。同じ景色を撮せば一緒にいた思い出にもなるから、それでもいいと思うよ」
俺の言葉でパッと顔が少し明るくなった。
「良かった。ご理解頂き、ありがとうございます。それと、不快な思いをさせてしまい、すみませんでした」
丁寧にお辞儀をし、頭を深々と下げる。気にしてないのに、なんでそこまで丁寧なのか。
「大丈夫、気にしてないよ。でもお土産コ─ナ─は見るだけでも楽しいから、見に行かない?」
「行きます!」即答だった。
動物園を心ゆくまで堪能した様子の彼女は、胸を押さえて撫でる仕草をしていた。そして、頭を軽くゆっくり左右に振り、両手で頬をペチリと叩いた。
「なんの儀式?」
「?楽しかったですね!」
何事もなかったかのように、話す彼女の頬は、赤くなっていた。
「昼食、どんなもの食べたいとかありますか?」
「食べたいものですか?ん─…さっぱりした軽めのものが食べたいです」
「さっぱりした軽めのものね。この辺にあったかな」
携帯で検索をかけて探す。その間の彼女は、キョロキョロと周りを見て、興味津々の顔を周りに向ける。
俺はふと思った事を口にした。
「そういえば、俺たちまだそんなに名前で呼びあってないですよね。自己紹介の時に名乗ったことぐらいしか」
「…………あ、あの?」
「今日限りの恋人ですけど、ちゃんとした恋人になりたいので、名前でお互い呼び合いましょうよ。ね?ヨリちゃん?」
迷ったんだけど、彼女は“さん“というよりは行動が子供のような感じがしたから“ちゃん“と呼んだけど、良かったかな?
「!……っ…!」
彼女の顔がみるみる赤くなっていく。良かった、大丈夫みたいだ。
「ほら、俺の事も呼んでみてよ。となりだよ」
「と、と、と、と、と、と、と、と…」
「と 多いな笑 自己紹介の時はすんなり呼んでくれたのにぃ」残念そうに顔を向けると彼女は言葉に詰まってしまった。
「あ…っ……」
右手で顔を覆い、赤くなる顔を隠した。
「冗談ですよ。気が向いたときに呼んでください。待ってますから」
「……すみません。名前、慣れてないので…」
「会話のときとか、人の名前呼ぶことないの?」
「?たまにありますね?」
「ん??うん?」
「ん??」
「ん???」
お互いの頭には多分ハテナが浮かんでる。
会話が成り立ってない。
やめやめ、次の話題だ
俺はとりあえず話題を変えた。
「あ、そうだ。オプションとかつけられるけど、どうする?」
「オプション?」
「そう。なんでもいいけど、男女の関係とかは受け付けてないからだめね。あぁ、でもキスとかハグとかならいいよ」
「そこまでは求めてません!その他のも求めてはおりませんので、ご安心ください!!」
「でもオプションは必ず一つは入れてもらわないと…店の決まりなんですよね(嘘)」
「ぅぐっ…!じ、じゃあ、手…だ、けなら…」
「手?それだけでいいの?」
「ん…」
ほんとに?ともう一度聞くとこくこくと頷いた。
「わかったよ。じゃあ、はい!お手をどうぞ」
手を差し出すと、おずおずと指を伸ばして俺の小指の先端を小さく掴んでるのか掴んでないのかわからない力加減で触れてきた。
「……………」んあああああああー 可愛い過ぎる!!なにその仕草!
「指じゃなくて、手のひらでお願いします」
「………」
ゆっくり指が移動し、今度は俺の手のひらをちょこんとつついてゆっくり引っ込めようとする。
いやそういうことじゃないんだけど…(/^\)照笑
「もう触れたので、いいです」
「いやいや待って?俺が望んでるのは、こっちね」
「っ!、んぁ…んむぐっ」
するりと彼女の指の間の一本一本に俺の指をゆっくり絡ませて恋人繋ぎをする。
その間、彼女の指と全身はピクピクと動いて反応し、顔はゆでだこの様に真っ赤だ。途中、反応して変な声を出した彼女は、無理やり自分で口を押さえて声を殺したようだが、口から小さく漏れる喘ぎのような声は逆効果のようにも思える。なんと言うか、エロいです…。
「えっと…くすぐったかった、の、かな?」我慢だ俺。
「し、っ…ふ、知らない、こんなの知らない!」
口許押さえて涙目にその台詞もだめだってば…。俺が卑猥なことしてるみたいじゃん。手を繋いだだけだよな??
彼女のまさかの反応にゾクゾクした気持ちを抑えつつ、どうやら彼女の照れが移ったらしい顔を空いてる手で覆い隠して、自然とにやける顔も隠した。
「?」
不思議そうな顔でこっち見るなよ、君のが移ったんだよ。
「ん゛ん゛ッ!さて、行きましょうか」
「え!?手は!?」
「しばらくこのままで♡」作り笑いで誤魔化し、再び歩き出す。
すたすたすたすたすたすたすたすたすたすたすた…
「…………………」
「…………………あのさ」
「はい(?)」
「手、落ち着こうか」
「?…!!あ!すみません!」
落ち着かなかったのか、歩いてる最中ずっと無意識に指を小さく動かしている。正直、くすぐったい。
「もしかして、嫌だった?」
「嫌とかではないのですが、その、……慣れてなくてですね…手を握られたことがないんです」
「え?」
「私から家族と手を握ることがあっても、相手から手を握られたことがなくて、どうしたらいいのかわからなくて…すみません」
つまり、押しに弱いと…。
「じゃあ、俺が初?」
「…………」
「この無言は肯定ですか?」
「……………違います」
違うなら俺の目を見なさいよ。
視線を横に逸らし、こちらを見ようとしない。指は落ち着かないのか、小さく動かしている。
「やっぱり今日はずっと、このままで」
ウソつくの下手なんだな。
「!!?」
何で!?と言う顔をこちらに向けた。やっとこっち見た。
リンゴのように真っ赤になった頬が彼女をどこか幼く見せ、可愛く見えて仕方なかった。直視できなくなって、今度は俺が彼女の方を見れなくなってしまった。…参った。
気を取り直して、お昼を食べた。
彼女は軽めの物を食べた。つけうどんとサラダだけだった。俺は少しガッツリめに海鮮丼を食べた。
「それだけで足りる?大丈夫?💦」
「大丈夫です。足ります。あ、ちょっとお手洗いに行ってきますね」
「は─い」
彼女がお手洗いに行ってる間に、二人分のお会計を済ませた。後は彼女が戻ってくるのを待つだけだ。
「あれ?」
彼女が座っていた席がぐっしょり濡れている。
まさか漏らし…いやいやいやまさかね!笑
もしかして水でも溢したのかもしれない。うん。きっとそうだ。うん。
彼女が暫くして戻ってきた。
「お待たせして申し訳ありません…では、行きましょうか」
「あの…ヨリちゃん。席濡れてたけど、服とか大丈夫かい?」
「え、あっ、はい!大丈夫です。ちょっとドジしてしまいました。あはは…」
「あまり目立つところは濡れてないみたいだし、歩いてたら乾くかな。寒かったら言ってね、上着貸すから」
「ありがとうございます…すみません💦」
「いいよ、もっと頼って。さ、行こっか」
「もっと頼って…か。できたらいいのに」
彼女が小さい声で何かを言ったような気がして振り向いた。その声は、周りの雑音でうまく聞き取れなかった。
「ん?どうかした?」
「いいえ、何も。さぁ、行きましょう」
「うん…」
一瞬見せた彼女の悲しそうな寂しそうな瞳と切なげな表情が頭から離れなかった。彼女はすぐに表情を変えて笑顔で俺と一緒に外に出た。
彼女のあの表情は、一体何だったんだろうか…。
バスで移動して、水族館に到着した。
一通り回って満喫し、写真も撮った。
彼女の瞳がキラキラと輝いていて、楽しそうに水槽を覗き込んで、魚たちに話しかけている。
「こんにちは、お魚さん。水の中気持ち良さそうだね」
電波少女みたいなことになってるけど、小声で話してるし、まだ電波じゃないギリセーフ?なのかな?
「魚たちは何て?」
「気持ちいいって。飼育員さんが頑張ってお世話している綺麗な水だもん。住み心地は最高だよきっと」
「そっか。良かったね。綺麗だよね、魚たち」
どうしよう、彼女の言葉についていけてないんだけど。
とりあえず当たり障りの無いことを言う。
もしかしなくても不思議ちゃん?だよね、ヨリちゃんって。もしくは天然かな。
青白い幻想的な世界感が広がる部屋に、海月が水槽の中でふわふわと気持ち良さそうに泳いでいる。
「あ、海月さんだ。綺麗ですね」
「そうだね、あ、ベンチあるよ。座らない?」
「もう少し見てからにします。ありがとうございます」
「わかった。ごめん、俺座っていい?」
「はい…もしかして疲れてしまいましたか?」
「違うよ。ちょっと連絡きたから、確認したくて」
「そうだったんですね、すみません。あの…もう少ししたら、私も座ります」
「わかったよ。ゆっくり見ていいからね?」
「はい」
俺はゆっくり後ろに下がり、ベンチに腰かけた。
水槽を眺める彼女の横顔を見る。本当に楽しそうだ。
「どこに行ってもこんなに楽しそうに笑う人、初めてかも。ヨリちゃんみたいな人と毎日一緒にいたら、きっと楽しいんだろうな…」あ。
ぽそっと声が漏れたけど、彼女に聞こえてなくてよかった。安堵のため息も漏れる。
メールの確認をした後、俺は携帯を少し上に傾けて彼女をカメラの画面に映した。
本当に、楽しそうだな。可愛いな。
俺は彼女をカメラの画面に映したまま、そのままシャッターボタンをゆっくり押した。
彼女はベンチに座り、ふぅ と胸を押さえて撫でる仕草をしていた。そして、頭を軽くゆっくり左右に振り、両手で頬をペチリと叩いた。
さっきも見た、その仕草。
「それ、な…」
「あの!」
「!はい!」
それ、なんの儀式?と聞こうとしたのと同時に、彼女が何かを決心したみたいに、声をだして振り向き、じっとまっすぐに俺を見つめてきた。
「今日、私といて楽しかったでしょうか…」
「ん?」
質問がおかしいのかな?聞き間違いかな?と思い、もう一回と言った。
「ですから、今日は私といて楽しかったでしょうか」
聞き間違いじゃなかった。彼女は真剣な眼差しをこちらに向けている。何をそんなに不安になってるんだろう。
「楽しいよ!すっごい楽しい!」
「本当ですか?ウソ…ついてませんか?」
泣きそうになるのをこらえている顔。ヨリちゃんは、一体何が不安なの?
「本当だ!ウソじゃないよ。だってヨリちゃん、何処に連れていっても、何処もかしこも新鮮に見えるみたいにキラキラした目で周りを見るから、俺も連れてきた甲斐あるし、一緒にいて楽しいよ。それに見てて飽きないし行動は面白いしさ」
「そ、そうですか。良かったです」
「何をそんなに不安なの?」
「とととなりさんに何もしてあげられてなくて、楽しい話題も持ってませんし…私といて楽しいのかなって思いまして…」
「なるほどね。そんな不安にならないでよ。俺は側にいるだけでも楽しいよ」
涙目の彼女を慰めたくて、彼女の腰に手を回し、抱き寄せようとぐっと力を込めた。
「!!いっ、いや!触らないで!!」
「え!あっ、ごめん!!」
まさかの彼女の反応に驚いて、腰に当てていた手を勢いよく離した。
「あ…ちがっ!違うの!ごめんなさい!」
泣きながら謝る彼女は、両腕で自分の体を抱き締めるように包み、震えていた。
「えっと…」
俺はとりあえず黙ることにした。彼女が何か言いたそうな顔をしていたから。
「あの…すみませんでした!触られたことに驚いてしまって、あのようなことを言ってしまい、本当にすみませんでした」
深々と頭を下げて俺に謝る彼女は、まだ小さく震えていた。
「いやいいんだ。俺こそ急に触れてごめん。反省してます…」
「いえ!となりさんは悪くないです。私が悪いんです」
「何も言わずに触れた俺も悪いよ」
「先に言った私が悪いです」
「俺も悪い!」
「私が悪いです!」
「・・・・・」
「・・・・・」
「「ふっ」」
「あはははは笑」
「ふふ、…っけほけほけほ」
「大丈夫?笑 そんなむせるほど笑っちゃった?」
「けほっげほっ……っはい。ふふ」
ハンカチで口許を丁寧に拭いている。
そんなに笑ったのか。
「あの、お願いがあるんです。…なるべく体に触れないで欲しいんです。人に触れられるの苦手なので…」
「わかった。でも、やむ終えない時は、ごめんだけど触れるかもしれないから、そこは許してね」
「………はい」
お互いニコッと笑って、この話は終了した。
水族館を出ると、もうすっかり夕方になっていた。
「空が赤いですね。綺麗です」
「今日の夕日は綺麗だね。写真撮っておこうっと」
「私も撮ります」
二人で並んで、太陽に近い赤く染まった空にカメラを向けて、シャッターをきった。
「今日のいい思い出だね」
「そう、ですね」
彼女の顔が少し暗くなったように見えた。それもそうだろうな。だって、約束の16時まであと10分をきったのだから。
携帯のカメラ機能を切り、携帯をポケットにしまう。
「…さて、ヨリちゃん!どうでしたか?俺の彼氏っぷりは。こんなこと聞くのもアレなんだけど、…感想聞きたいなって思いまして」
「素敵でしたよ、とっても楽しかったです」
「そうかな(照)変なとこ無かった?」
「ええ。どこも変なところなんて無かったですよ。となりさんは、人を楽しませることも一緒になって楽しむこともできる素敵な方です。だから、大丈夫。もっと自分に自信を持ってくださいね」
「なんか、照れるね。えへへ、ありがとうヨリちゃん」
「ふふ、どういたしまして」
もう16時になる。別れの刻。
「もう、16時になりますね」
「あの、最後までいさせてください。駅まで送ります!」
「最後まで…っふふ、ありがとう、ございます。よろしくお願いいたします」彼女は口許を手で押さえて笑いながら俯いた。
「では、行きましょうか」
俺たちの声は、意識して聞いていないと簡単に搔き消されてしまうほど、ガヤガヤと人通りが多くなってきた帰りのラッシュ時間。俺たちは地下鉄駅を目指して歩きだす。
彼女と一緒に歩きだしたと思っていたけど、歩きだして歩いていたのは俺だけだった。彼女は途中で歩くのをやめて立ち止まっていた。二歩歩いた時に、彼女が隣にいないことに気が付いた。
「………………………………………」
「あれ?ヨリちゃん?どこ行っ…あ、いた。どうしたの?」
俺をじっと見つめる彼女の元に戻る。
「……何でもありません。ただ、この空を目に焼き付けておきたくて、思わず立ち止まってしまいました」
空を見上げてふわりと小さく笑う彼女。無理して笑っているのがわかるくらい寂しそうな目をして、空を見上げていた。
「いい色だよね」俺も空を見て呟く。本当に綺麗な赤い色の空。
「そうですね。…すみませんでした。行きましょうか」
「はい。あ、足元気をつけてね」
彼女を地下鉄の改札口まで送った。
「今日はありがとうございました。またの御利用お待ちしてます。ヨリちゃん、気をつけて帰ってね」彼女に手を振ると、切符を通した後に彼女は振り返って小さく手を振ってくれた。そして、「ありがとうございました」と深々と頭を下げて、帰っていった。
「楽しい一日だったな。っと、終了したら店長に連絡忘れずに」
連絡しようと携帯のロック画面を解除すると、閉じたはずのカメラ機能がまだついていた。しかも録音機能が稼働している。
「あれ?ボタン間違ったのかな…あー、録音されてる」
10分間の録音がされていた。俺はとりあえず録音を停止し、店長に電話をかけた。
ピッピッピッピッピッ ピッ トゥルルル ブッ
『おー、どした?』
「店長、お疲れ様です。佐多です。無事終了しましたので、帰りますね」
『おー、お疲れ様。……彼女、何か言ってたかい?』
「?いえ、特には何も。どうかしたんですか?」
『ん?あぁいや、なんでもないんだ。んじゃ、お疲れ!ゆっくり気をつけて帰ってこいよ』
「はーい」
ブツ ツーツーツー
「さて、帰りますか」
俺は店長の待つ店に向かった。
「はぁ…あの子大丈夫かね………」
佐多からの電話を受け取った後、店長は昨日の電話の内容を思い出していた。
『げほげほっ…もしもし、新野と申します』
「はい、こちらレンタル彼氏です。ご利用ありがとうございます!」
『こんにちは…。SNSを見て電話をかけました』
「そうですか、ありがとうございます。当店は、お客様のご要望にお答えできるように様々な彼氏をご紹介するサービスを行っております。どの様な彼氏をご要望ですか?」
『えっと、要望は特にはないで、あ…優しい人がいいで、す』
「はい、あ、……かしこまりました。条件は優しい人ですね。お任せください。いつ頃のご予約にいたしましょうか」
『明日は可能ですか?』
「明日ですね。可能でございます。はい、大丈夫ですよ。では、決まり次第此方からご連絡を致しますので、このお電話番号でのご連絡でよろしいでしょうか」
『はい、この電話番号でお願いします』
「かしこまりました。では、当日。良い1日を…」
『あの…お金はどうお支払したらよろしいでしょうか?あ…、すみませんちょっと失礼します』ガサッゴソゴソ…
『新野さん、あと10分後に点滴のお時間となりますので、お部屋に戻りましょう』
『あの、今電話してて、あと少しで終わりますのでまだここにいてもいいでしょうか』
『あら、すみませんお電話中でしたか💦なら、今9時50分だから、そうですね…9時56分には部屋に戻って来てくれますか?私は薬を取りに行ってますから』
『あっ、ふふ、分かりました。ありがとうございます』
『大丈夫ですよ。また来ますね』ツカツカツカツカ
ガサッ ザッザザザッザザッ
『すみませんでした』
「いえいえ、ご入金の方法ですか?その件に関しましては、資料を見た方が分かりやすいと思いますので、当日ご予約いただいた彼氏さんからご説明をお受けください。電話だけでのご説明は行っておりませんので、どうか御了承くださ……………あ…いえ。忘れておりました。今回、こちらではキャンペーンをやっておりまして、初回限定の方のみ一度だけ無料でご予約ご利用可能なキャンペーンがありますが、此方をご利用でよろしいでしょうか」
『え!?本当にいいんですか?』
「かしこまりました。では、その様に致しますね」
『すみません…、ありがとうございます…』
「いえいえ、大丈夫ですよ。今回限りですので、是非ご利用ください。ですのでご入金はけっこうです。ただ、電話は繋がるようにしておいてください。万が一ということもありますから」
『分かりました。ありがとうございます!』
「こちらこそ、レンタル彼氏のご利用ありがとうございます。はい。では、当日、良い1日をお過ごしください。では、失礼致します」
初めから電話越しに聞こえてくる聞いたことのある音。沢山の人の声とアナウンスで名前を呼ぶ声。薬の名前やカラカラカラカラと何かを引いて歩く音と車輪の音。
話の内容からして、彼女が誰と話していたのかも検討はついていた。
そう、彼女が電話をかけている場所は、きっと病院だ。
点滴の時間ということは、入院しなければならない程、身体の何処かが悪いということ。それと咳の仕方がなんだか変だった。何がと言われたら説明が難しくて出来ないが、聞いてておかしいと感じるくらいに彼女の様子が電話越しでも多少わかるほど体調がよくないということ。
「…なんかあるな、こりゃ……。はぁ、調べるか」
そう言って、彼は知り合いに電話を一本入れた。
後に知った悲しい事実に、店長は片手で両目を覆う。「そんな…」
『新野さんは今日の17時02分、眠るように亡くなった。享年23歳、病名は脳腫瘍』と。
「店長、おはようございます!今日は天気が曇ってますねぇ」
どんよりとした空を眺めがら、いつものように店長に挨拶をした俺は、急に店長に喪服を渡された。
「ん?店長、誰か親戚の方が亡くなられたのですか?」
「………あ、あぁ、まぁな。お前も参列してくれ。急いで支度」
「わ、分かりました。すぐします」
俺は言われるがままに渡された喪服を着て、支度をし、車に乗り込んだ。
入り口前の名前を見て、俺は愕然とした。
そこに彼女の名前が記されていたから……
「おい!どこ行く!」
「店長すみません!すぐに戻りますから!!」
俺はその場から走っていた。真っ白になった頭をなんとか働かそうと周りを見た。考えろ!考えろ!と暗示をかけて。
考えろ!俺は何故走ったのか今どこへ向かうべきか!
考えろ!彼女のことを…!
ぐっと地面を睨み付けると、俺の上が急に暗くなったり明るくなったりした。
何だ?と空を見上げると、丁度俺の上を大きな雲が通りすぎていった。
ふと彼女の言葉を思い出す。
「……何でもありません。ただ、この空を目に焼き付けておきたくて、思わず立ち止まってしまいました」
「空……しゃしん…写真!」
俺は写真が現像できる場所を探した。
走ってカメラ屋を目指し、店内に入るなり急いで携帯の写真を現像した。昨日撮った写真全部。
何枚も。
現像が終わり、写真を握り締めた俺はまた走って彼女の家に向かった。
汗だくのまま門をくぐり、部屋に入った。
丁度親戚の人たちが彼女にお別れの花を棺桶の入れて話をかけているところだった。
「ま…げほげほ……まにあっ、た!」
「お前何してたの!?遅いぞ!あの人で最後だから、棺桶を閉められてしまうぞ。早く行ってこい!」
「はい!」
俺は店長に背中をトンと押されて、彼女の棺桶まで少し小走りでかけよった。
「あら?貴方誰ですか?」
「えっと…彼女の、ヨリちゃんの…と、友達、です」
「そうなの?あの子から聞いたこと無いけど…ふん、まぁいいわ、まだ出棺まで時間少しありますし、最後にどうぞ」
嫌な感じのご婦人だ。ご婦人を少し睨んで、彼女が眠っている棺桶に近づいた。まだ生きているかのようにそこに眠っている。
「ヨリちゃん…ごめんね、来ちゃった。一日だけだったけど、楽しかったね。動物園でも水族館でも、ずっと物珍しそうにキラキラと輝いてた目、今日は見せてくれないんだね…ヨリちゃん」
呼んでも返事は返ってこず、閉じた目も開くことはない。
「また行こうよ、今度はプラネタリウムとかさ」
彼女の手の甲に触れる。
昨日まで感じていた温い体温は、すっかり冷たくなって、温かさを失っていた。
「ヨリちゃん」
彼女の頬に触れる。冷たい。
りんごのように赤く染まった頬で、恥ずかしそうに笑うあの笑顔がまた見たいのに、白い肌に頬紅でうっすらお化粧された頬に触れている。やっと触れられたのに、嘘の赤く染まった頬なんて…。
泣きそうになって、背を少し丸めてグッと堪える。
「ぅ………っ、あ…」
ふと、左手で握り締めてグシャグシャになってしまった写真の束を思い出した。シワを伸ばすため棺桶の縁でゆっくりしわを伸ばす。
「ヨリちゃんこれ…、昨日撮った写真。…ご、ごめんね、形に残るものにしちゃった…ふ……ぐっ、…ぅ」
一枚一枚シワを伸ばしていると、まだグシャグシャのままの写真が擦っている間に滑り落ちてしまい、俺が持っている写真一枚だけを残して、彼女の上に全部落ちてしまった。
バサッ
「あ………」
彼女の上に落ちた写真を手で伸ばしながら彼女の周りに並べていく。
「ヨリちゃんこれ…動物園で撮った空だよ。これはハシビロコウ。ヨリちゃん、夢中でにらめっこしてたよね。これは水族館で撮った海月だよ、綺麗だったね」
写真を一枚一枚並べながら、話しかけていく。どんどん彼女は写真で埋め尽くされていった。
「これは、あの時一緒に撮った夕日の写真。本当に綺麗だったよね。ヨリちゃん、俺、ヨリちゃんは空に思い焦がれてるのかなって思ってたけど、そうじゃなくて、君はこうなることを分かってたんだ。その悲しみや寂しさを誰にも言えなくて、…空を見て、気を紛らわせてたんだって、走ってるとき気付いたんだ。……きみが、君があまりにも上手に自分を、隠す、から、気付かなかった、よ…」
手に持っていた最後の一枚を彼女の手の甲の上に置いた。
俺が水族館で隠し撮りした、彼女が海月を眺めながら嬉しそうに笑う姿が写った写真。
「ヨリちゃん、笑ってよ…昨日みたいにさ…もっと、俺と色んな所行こうよぉ…………より…ちゃ…………ぅぅっううううっぅっ……………」
抑えていた涙が止まらなくなった。後から後から流れてきてどうやって止めたらいいのか分からなくて、ただただ棺桶を掴む手に力を込めて、彼女の細く固くなって動かない手を掴んで泣いた。
「ちょっとあんた!早く退いてよ!みっともないでしょ!!」
その声に顔をあげると、彼女にそっくりな顔の女の人がいつの間にか隣にいて、俺の腕を掴んで怒っていた。
「ヨリ…ちゃん?」
「違うわよ!私は妹のユリ!一緒にしな、い…で………」
怒りながら棺桶で眠る彼女の顔を見た妹だと言う女の人は、目を見開いて驚いていた。
俺も思わず彼女の方に目を向けると、眠っている彼女の目から一つの涙がこぼれ落ちていた。透明で綺麗な雫が目尻からつぅ……っと流れていた。
「おねぇちゃん…」
妹は何かを堪えるようにグッと顔をしかめた。
「来なさい!」と俺を無理やり引っ張って、バタバタと部屋を出ていった。
「何すんだよ!」
「あんた!レンタル彼氏っていう胡散臭い会社の社員なんだって?」
「胡散臭いって…確かに店長は胡散臭いかもしれないけど、俺は違う!」
「じゃあ、何でお姉ちゃんがレンタル彼氏なんか利用してんのよ!!きっと騙したんだわ!」
「それは違うよ、ユリさん」
「店長…」
「お前、俺をフォローする気ぐらい持ちなさいよ。胡散臭いは余計だわ」
「だって…」
「ユリさん、レンタル彼氏のご利用は、彼女本人から電話をしてきたんだよ。こちらからの勧誘は一切していない。本当だ」
「お姉ちゃんが自分で…何で?」
「それは、後で話そう。そろそろ出棺の時間だと親戚の人たちが呼んでいたよ」
「………分かりました。では改めて、後日そちらにご連絡いたしますので、失礼します」
妹はペコリと頭を下げて、部屋に戻っていった。
「店長…ありがとうございます」
「ん。いいってことよ。だけど、お前はもう帰んなさい」
「何で!?」
「お前、公衆の面前であんなことしたから、親戚の人たちから反感かってんだよ。フォローすんの大変だったんだから。あの写真は回収されそうだったから、一枚だけ彼女の所に忍ばせておいたからさ。残りは俺がもらっておいた。ほれ」
「あ…ありがとうございます」
「だから、今日はもう帰りなさい。また、明日来てくれよ、な?」
「は、い」
「あああもうー泣くな泣くな。いい男が台無しだぞ?」
「だって…ぅうう…っ」
「ほらほら、ティッシュやるから、泣き止め」
「でんぢょー」
「んー」
「だぎじめでもいいでずがぁー」
「……ちょっとだけな。ほら、こい」
「うわぁぁぁぁぁぁぁー!うっぐっ…うううぅっ…ひっ…ぅああああああああー」
俺は店長の腕の中で、無理やり抑えていた感情が爆発していまい、大人げなく泣きじゃくった。
「あーあー、大の大人がそんな泣きじゃくりやがって、おーよしよし。全部吐き出してしまえ、な」
店長は優しく頭や背中を撫でて慰めてくれた。
彼女が火葬場に運ばれていくギリギリの時間まで俺を抱き締めてくれた。
3日後。
ユリさんから電話で、家に来てほしいと連絡が来た。
「「お邪魔します」」
「どうぞ」
彼女は、ユリさんの住むアパートに引き取られていた。
仏間に案内されると、彼女が静かに笑っている写真が飾られていた。祭壇に待ってきたお菓子をお供えして、手を合わせた。店長がりんを叩く。
チーン…
「ヨリちゃん、お邪魔します」
写真を見つめていると、ユリさんが「どうぞ、こちらへ」と居間へ案内してくれた。
「この度はお悔やみ申し上げます…先日は失礼を致しました」
「いえ…いいんです。あの…姉のことなんですが」
「彼女がレンタル彼氏を利用したことについてですよね」
俺は彼女のことをここに来る前に店長から聞いた。
おかしいと感じた店長が、知り合いに調査を依頼したらしい。
彼女は、厳しい母の元で育ち、長男と次女は可愛がり、ヨリちゃんには厳しく当たり、暴言を吐いていたこと。
彼女には自由がなく、常に母の監視が付いていたこと。
病気と分かった途端、見舞いは愚か連絡すら無かったことなど、ひどく、理不尽な人生を歩んでいたことを聞いた。
自分とは正反対な人生を歩んでいたのだ。
「じゃあ、何でレンタル彼氏なんて頼んだんだろう」
俺は疑問を口にした。
「彼女が医者に話していたそうだ。一日だけ外出許可がほしい、だから、一日だけ過ごせる分の薬をくださいって」
「薬?」
「あぁ、ガンの抗がん剤と痛み止めだよ。治療の副作用で立てないほどひどい痛みと頭痛、発熱などがあったらしいけど、彼女はそれを薬を飲んで、大丈夫かのように上手に隠し通したんだ」
「じゃあ、胸を撫で下ろして頭を軽く振って頬を叩いていたのは」
「意識が飛ばないように、ちゃんと自分はまだここにいるという確認を、毎日やっていた彼女のおまじないのような行動だったらしい」
「身体に触れたとき、ひどく拒絶したのは」
「身体中の痛みが酷かったらしいから、痛かったんじゃないかな」
「椅子がぐっしょり濡れていたのは」
「多分、そうとう我慢してた時の汗だろうな。彼女、頻繁にトイレに行かなかったか?」
「行ってた…」
「やっぱり。彼女、トイレに行く度、気が狂いそうな痛みや薬の副作用と戦ってたんだろうよ。それを見られたくなくて、頻繁にトイレに行ってたんだろう」
「そんな…」
「彼女、外出するとき言ってたんだと。家族のために自分の時間と人生全部あげてきたんだから、最期くらい、自分のために時間と自由を使ったって、バチは当たらないでしょ、だとさ」
「最期くらい…」
「あぁ。彼女はすごい人だよ」
「……うん」
「はい。姉の携帯の写真のフォルダに風景と空の写真が沢山納められていました。調べたんです。姉の携帯に当時の会話が録音されてて…料金を取らなかったそうですね。電話越しとはいえ、姉の状況を把握しての対応だと私は感じました。胡散臭いと言って、すみませんでした」
「いえ、いいんですよ。まぁ、怪しい感じの名前ですしね笑」
「そこで、お願いがあるんです」
「お願い?」
「はい。姉が辿ったデートプランを私にもやって頂きたいのです。そっくりそのまま」
「え…」
「それは、ご予約ですか?」
「はい、そうです。料金はしっかり払いますので」
店長は少し考えてから、ユリさんに言った。
「料金は結構ですよ」
「え?」
「言ったじゃないですか。初回限定の方のみ一度だけ無料でご予約ご利用可能なキャンペーンがありますって」
「そう、ですね。では、そちらでお願いします」
ふわりと笑ったユリさんは、笑顔まで彼女に似ている。
「ご予約はいつになさいますか?」
「明日は可能ですか?」
「明日ですか」
店長は俺の方をチラリと見た。
「俺可能です」アイコンタクトで空いてると頷いて返事をした。
「では、明日ですね。了承致しました」
「お願いします。何時に集合したんですか?」
「8時30分に◯◯駅の二番出口前です」
「病院から近い駅…分かりました」
「では、明日」契約成立。
ユリさんとはその後もしばらく話をして帰った。
次の日。
「お待たせしました。では、行きましょう」
「今日はよろしくお願いいたします」
「はい」
お互い頭を深々と下げてお辞儀をした後、バスで移動し、はじめに動物園に向かった。
全部を回ってハシビロコウを見て、お土産屋を見て、彼女と過ごした時と同じようにユリさんと過ごす。
「あのキラキラした目は、もう見られないんですね…」
「え?」
ポツリと思ったことが口に出ていた。ユリさんは彼女にそっくりだけど、全然違うから…。
「いえ、なんでもないです。そろそろお昼にしましょうか」
「はい」
彼女が頼んだメニューを教えると、「これだけなんですね……すみませんが、私は足りないので追加で別なものも頼みたいです」
「どうぞ」(でもうどんは食べるんだな)
お昼を食べた後、水族館に移動した。
その間、彼女にしたオプションの話をユリさんに話すべきなのだろうけど、何故かそれが出来なかった。
水族館に着き、一通り回った。お土産屋コ─ナ─も見た。ユリさんは、海月のキーホルダーを二つ買っていた。
水族館を出ると、あの時と同じ様に、もうすっかり夕方になっていた。
「綺麗な空ですね」
「そうですね」
「そろそろ16時になってしまいますね」
「はい。あ、ここで彼女と空の写真を撮ったんですよ」
「そうなんですか?私も撮りたいです」
「俺も……」
カメラの機能を押す前に、写真フォルダを見た。今の空も綺麗だけど、あの時の空の方がなんか特別に綺麗だった気がしたから。フォルダの中に録音したものもあった。
「あ。そういえば、録音したやつ聞いてないな」
「録音?何を録音したんですか?」
「いや、ここで写真撮った後、カメラ機能切ったはずなんだけど、いつの間にか録音機能に切り替わってて。彼女と分かれた後に気付いたんだ…よ……ね」たしか10分くらい入ってたはず………
「お姉ちゃんの声、入ってるかもしれません!私も聞きたいです!お願いいたします!」
「そう、そうだよね!聞いてみよう!」
俺は嬉しくなって、ユリさんと近くの公園に移動し、ベンチに座ってユリさんと片耳ずつイヤホンをした。
ヨリちゃんに会える!
ガガガッ ザザザザザ ザザッ
『…さて、ヨリちゃん!どうでしたか?俺の彼氏っぷりは。こんなこと聞くのもアレなんだけど、…感想聞きたいなって思いまして』
『素敵でしたよ、とっても楽しかったです』
『そうかな(照)変なとこ無かった?』
『ええ。どこも変なところなんて無かったですよ。となりさんは、人を楽しませることも一緒になって楽しむこともできる素敵な方です。だから、大丈夫。もっと自分に自信を持ってくださいね』
『なんか、照れるね。えへへ、ありがとうヨリちゃん』
『ふふ、どういたしまして』
もう16時になる。別れの刻。
『もう、16時になりますね』
『あの、最後までいさせてください。駅まで送ります!』
『最後まで…っふふ、ありがとう、ございます。よろしくお願いいたします』
『では、行きましょうか』
ガヤガヤ…(人の歩く音と会話がごちゃごちゃとしている)
『………………………………………』
『あれ?ヨリちゃん?どこ行っ…あ、いた。どうしたの?』
タッタッタッ(俺が彼女に近づくために歩いた音)
『……何でもありません。ただ、この空を目に焼き付けておきたくて、思わず立ち止まってしまいました』
『いい色だよね』
『そうですね。…すみませんでした。行きましょうか』
『はい。あ、足元気をつけてね』
(地下鉄の改札口の音が聞こえる)
『今日はありがとうございました。またの御利用お待ちしてます。ヨリちゃん、気をつけて帰ってね』
『ありがとうございました』
ここで録音が終了していた。俺が切ったから。
カチッ
「お姉ちゃんだ…」
「ヨリちゃんだ…」
二人で感動し、空を見上げた。
「ねぇ」
「んー?」
「ちょっと聞き取れなかった部分があったんだけど、もう一度流してくれる?」
「いいけど、何処だろう?」
もう一度流して、「あ!ここ!!」とユリさんが言ったところで止めた。
「この人混みの中でなんか言ってる気がするんだよね。でも、雑音が酷すぎてよく聞き取れない」
「俺には何も聞こえないけど…」
「私、耳が良いの!だから、お姉ちゃんは何か言ってたのよ!」
「分かった。でも、俺の携帯じゃこのノイズを取り除くのは無理…あ」
できる人、いる!
「?」
「店長ならなんとかしてくれるかもしれない!」
「店長!」
俺たちは勢いよくベンチから立ち、店長のいる事務所に走って急いで向かった。
バァン!
勢いよく店のドアを開けて店長のいる部屋にバタバタと上がった。店長、いた!!
「店長!」
「店長さん!」
「うおっ!何だ!?」
パソコンのキーを打っていた店長が驚いた顔でこちらを見た。
「店長!パソコン!パソコン貸してください!」
「店長さん!パソコン!パソコン貸してください!」
「待て待て待て!なんだ!?佐多が二人いるみたいだぞ!?どちらが佐多ですか?」
「俺です!」
「よし!で?ユリさんどうしたんですか?」
「彼の携帯に姉の声が録音されているのですが、雑音が酷くてよく聞き取れないので、取り除くことはできないかと!」
「そういうことなら、手伝いますよ」
カタッ ガタッ!とパソコンのエンターキーを勢いよく叩くと、画面が変わり、音声波形が表示された。
マイクのアイコンを消した。波形が消えた。
ケーブルを取り出し、俺の携帯に繋げて音声を流す。
「あ!ここです!!」
ユリさんはさっきと同じ場所を指差し、店長はそこで止めた。
「ん」
「どうですか?」
「なんか喋ってたね」
「でしょ!そうでしょ!!」
「ここを、こうしてっと」
カタカタカタカタカタ
「と………んにであ………………た……………で……………も……」
「少し聞き取れますけど、まだまだですね」
「じゃあ、もう少しかな」
カタカタカタカタカタ
「あ!」
「あ!」
「おっ」
やっと聞き取れた。
「となりさんに会えて、本当に良かったです。素敵な思い出を、ありがとうございました」
「ヨリちゃん…っ」
「お姉ちゃん…うぅ」
「おーよしよし。泣くな泣くな」
店長は、俺の頭を撫でて慰める。俺は店長の肩に顔を埋めて泣いた。
「店長さん…私もお願いじまずぅ」
「…はいはい」
店長はユリさんの頭を優しく撫でると、ユリさんは店長の肩に顔を埋めて静かに泣き出した。
「お姉ちゃんは…!ドジで、天然で、子供っぽくって、バカで、精神的に弱くてすぐ寝ちゃうし、阿保みたいなことばかりして私を笑わせてくるけど…誰よりも努力家で我慢強くて、誰にも弱音を吐かないから、おかげで私、最期まで気付かなかった……だってお姉ちゃん、私が来るといつも元気に出迎えてくれるから…今回も大丈夫なんだって思えてしまうくらいいつも通りに話すんだよ……。会いたいよぉ…本当はあの人に言いたい!強い意志を持った自慢のお姉ちゃんなんだって!っ…ぅうう………」
「全部。全部ここで吐き出していきな、ちゃんと受け止めるからさ。俺も佐多も。な?」
「う゛ん゛」俺は泣きながら頷いた。
─────────・・・・・・
両肩に二人分の涙を受け止めた店長は、「気ぃ済んだかい?」と笑っていた。
「「すみませんでした…」」
「いいってことよ笑 そうだ、ユリさん。この音声、コピーするから、持っていきなさい」
「え、良いんですか?」
「いいよ、な?佐多」
「そうだな、これでいつでもヨリちゃんに会えるね」
「ありがとうございます」
ユリさんは深々と頭を下げて、涙を拭った。
「一時間くらいかかりますが、お時間大丈夫ですか?」
「はい、大丈夫です」
「良かった。では、下の階でお待ちください。佐多、お茶お願いしても良いかな?」
「はーい」
とんとんとん
カチャカチャ こぽぽぽぽぽ カチャッ
「どうぞ」
「ありがとうございます。あの…佐多さんは店長さんと随分親しいんですね」
お茶を一口飲んだユリさんがカップを見つめながら俺に質問をしてきた。
「あーうん。まぁね。店長、俺の育ての親なんです」
「え…」
「俺の両親、交通事故で亡くなったんだ。父さんの親友の店長がその時葬式に来てて、俺を二つ返事で引き取ってくれたんだ」
「そうだったんですね…あの、すみません」
「あぁ、いいんだ。店長と一緒に暮らしてて楽しいし、慣れるまでいろいろあったけど、店長がさ、寂しいなんて感じさせないくらい俺が傍にいてやる!って言われた時は、プロポーズかよって思ったけど、実際言葉通り一緒に居てくれたから、俺は今こうして、幸せを感じてるよ」
「そう…うらやましいわ」
「?」
「何でもないです」
ユリさんと話していると上からトントンと階段を降りてくる音が聞こえて、店長が笑いながら降りてきた。
「なになにぃ?佐多、もう仲良くなったの?店長、焼きもちやいちゃうー笑」
「何でだよ笑」
店長は俺をからかいながら手に持っていたチップをユリさんに渡した。
「お待たせ致しました。彼女によろしくお伝えください。では、またの御来店を…と言いたいところですが、もうここには来ない方がよろしいかと思います」
「え、どうして?」
ユリさんは驚いた顔をして店長の顔を見た。
「ここはご予約のあるお客様しか招いていないからです。気軽に来て良い所ではないですし、それに…」
「では!予約します!予約すれば良いんですよね!」
「え!?あ、はい!そうですけど…そんな勢いで予約しますか?💦」
「します!」
「そう、ですか。では、どのような彼氏をご要望ですか?」
「店長さん!あなたを指名したいです」
「かしこまり…は!??」
「ええええええええ!!?嘘ぉ!?」
俺も店長もお互いにびっくりしてしまった。
ユリさんは顔を真っ赤にして店長を指名したのだ。
ユリさんもしかして、店長のこと……。
6ヶ月後
あれからユリさんの必死の猛アタックに店長が折れてしまい、二人は只今交際中。
俺はというと…
「ヨリちゃん、来ちゃった!今日も暑いねー」
ユリさんにお墓の場所を教えてもらい、週に1回、お墓参りに訪れている。
「ヨリちゃん、見て見て!この場所、すごく綺麗な空だったんだよ!今度は違うところの…あ、ここに行くんだ。その時また来るね。それでね」
旅行雑誌を開いて見せて、ヨリちゃんに話かける。もはや日課となってしまった。
俺は今、旅行会社に就職し、下見に行ったり企画を立てたりして忙しく働いている。
もちろん店長の所にまだ住んでて、離れたときも毎日連絡は欠かせない。店長との約束だからな。
まだまだ彼女も作る気ないし、今はこれでも幸せを感じている。
あ、そうそう。店長の経営しているレンタル彼氏、今は廃業して、カフェを経営している。店長の夢で、やっと叶えられると喜んでいたよ。ユリさんも手伝っているらしい。
俺は多分心の何処かで待っているのかもしれない。
ヨリちゃんみたいな子が現れるのを。
「ヨリちゃん、また来るね」
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