公爵家のデスゲーム~たった一人しか生き残れない公爵家で、悪女は当主になる~

茶々

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序章

3話.ヒース・ガルシオン

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「ジークとの婚約は破棄する。…今から、その話をしに行くのよ」


 そう言って、俺の姉、グレイス・ガルシオンが部屋を出た直後。

「…ッ!」
「‼」


…俺は、水の入ったグラスを勢いよく床に叩きつけた。


 ガシャンッとガラスの割れる鋭い音が、静かな部屋に響き渡る。
 後ろに控えていたメイドが、何事かと目を見開くが。
 そんな彼女を、俺はぎっと睨みつけた。

「…お前、なんのつもりだ?」
「えっ…?」
「なんのつもりかと聞いている」

 俺の問いに、彼女―グレイスの専属侍女、メイ・リリアンヌは、何を言っているのかわからない、といった表情を浮かべた。
 だが語気を強め、さらに睨みをきかすと、彼女は察したのだろう。


徐々に、そのわかりやすい戸惑いの表情を剥がし始めた。


「…どういう意味でしょう。私には、まったく…」
「お前、姉ちゃんに毒を飲ませようとしただろ」
「…」
「俺が気づかないとでも思ったか?」

 ぴたり、と彼女の動きが静止した。
 俺は近くにあった容器を手に取ると、メイの前に突き出す。

「今朝、お前が姉ちゃんに渡したこの水。これには僅かだが、毒が混入していた」
「…」
「あれは、なんの毒だ?…ただの毒じゃねえだろ」

 俺は凄みを利かせ彼女を問い詰めるが、メイは動じなかった。
 随分肝の据わった奴だなと、俺は心底感心する。
 ぱっと容器から手を離すと、再びガラスが砕ける音が部屋に響き、びしゃりと中の液体が床に飛び散った。
 その液体は陽光に照らされ、薄い紫の色を放っている。


 あの時…メイがグレイスにこの水を渡した時。
 俺はそのグラスの底が、僅かに薄紫色を帯びていることに気がついた。
 とっさに飲み込み、すぐさまそれが微量な毒だとわかったのだが。
 しかし。


毒だという以外、何もわからなかった。


 正確に言えば、「何の毒か分からなかった」のだ。
 俺はこの家で生き残るため、幼い頃から母の家であるディルガード家より、ある程度毒の耐性がつけられている。
 一般的な毒なら、わからないはずがないのだが。

「…」

 俺は床に溜まった毒に目を向けた。
 …そう。一般的な毒ならば、わからないはずがないのだ。
 であるならば、考えられる場合は、ただ二つ。
 他国からの輸入品か。
 もしくは。

「なあ。…これ、自作の毒薬だろ」
「…お気づきでしたか」
「舐めるなよ。俺だって、伊達にこの家で生きてきたわけじゃない」

 潔くも、メイはあっさりと認めた。
 ふぅ、と俺は息を吐く。
 自作の毒薬は、解毒の仕方が作った本人しかわからないため、厄介この上ない代物だ。
 考えうる限り、最悪の殺害方法と言っても過言ではないだろう。
 俺は彼女に向き直った。

「…で、誰の指示だ?」
「…」
「答えろ」

 幸い、グラスに入っていた毒は、耐性のない人間が飲んでも人体に影響がないほど微量なものだった。
 恐らく、少ない毒を長いこと繰り返し飲ませ、体内備蓄で殺すつもりだったのだろう。
 道理でグレイスが気づかないわけだが、しかし、その毒を一介の使用人であるメイに作れるとも思えない。
 彼女の主人は、また別にいるのだろう。
 しかし俺の予想に反して、彼女は強情にもふるふると首を振ってみせた。

「…それは、私の口から言うことはできません」
「何?」
「処罰は甘んじて受け入れます。ですが、私がお教えできることは何もありません」
「…」
「これ以上詮索なさるようでしたら、私は…ここで、舌を噛み切ります」

 …驚いた。
 まさかこの屋敷に、ここまで忠義の厚い人間が存在したとは。
 彼女が主人に陶酔しているのか、はたまた報復が怖いだけなのかは不明だが、メイの瞳には強い意志が宿っていた。
 俺は腰から剣を引き抜き、彼女の喉元に押し当てる。

「命を賭けてもか?」
「…はい。この命を以てしても、主人の名を出すことはできません」

 メイの真っ直ぐな瞳が、俺を貫く。
 その忠誠深さは、まるで騎士のような義理堅さだ。
 はっと、俺は笑みをこぼした。


…こいつは、使えるかもしれない。


「…盲目的な忠誠ほど、厄介なものはねえな」
「…」
「わかった。お前の主については、もう言及しない。処罰の話も、なかったことにしてやる」
「…!よろしいのですか?」
「あぁ」

 俺は剣を鞘に戻した。
 ほっと、メイは僅かに安堵を顔に滲ませ胸を撫で下ろす。
 だが。
 間髪入れずに、俺は彼女に続けた。

「だけど、流石にタダでってわけじゃない」
「!」
「当然だろ?ここをどこだと思ってんだ」

 彼女の顔が一瞬凍りつく。
 …しかし。
 やはり彼女も、ガルシオン家に雇われた人間なのだろう。
 状況を察知し、すぐさま表情を切り替えた。

「…私に、何をお望みですか?」
「ははっ、そんな畏まるなよ。簡単な話さ」

 俺はそう言うと、ぐいっとメイに自分の顔を近づけた。
 その距離はもはや、目と鼻の先だ。
 彼女の揺れる黄色い瞳を見つめながら、俺は囁く。


「姉ちゃんの一挙一動を、俺に報告しろ。それだけでいい」


 俺の要求に、メイは息を飲んだ。

「お嬢様の…ですか…?」

 俺は頷く。

「姉ちゃんの専属の使用人のお前なら、できるはずだろ?」
「それは、そうですが…」
「お前は主の命令を遂行できるし、俺は欲しい情報が手に入る。悪い話じゃないと思うけどな?」
「いえ、そうではなく…」

 どこか煮え切らないメイの態度に、俺は眉をぴくりと動かした。
 好条件を提示してやったつもりだが、不満だったのだろうか。
 思案してみるがそれよりも早く、お言葉ですが…と彼女は言いづらそうに切り出した。

「ヒース様は何故そこまで…お嬢様に執着されるのですか?」
「は?」

 彼女の質問に、今度は俺が目を瞬いた。
 想像以上に予想外な質問に、しぱしぱと瞼の開閉をなんども繰り返す。
 そして。

「…っふ」


あぁなんだそんなことか、と。


 あまりに分かりきった問いに、俺は思わず吹き出した。
 くつくつと声を殺して肩を震わせるも、笑みは零れて止まらない。
 まさかこの家で生を受けて十六年目にして、こんな質問をされるとは思ってもみなかった。
 突如口を吊り上げた俺を見て、メイは硬直している。

「ヒース様…?」
「俺が姉ちゃんに執着する理由?そんなの決まってんだろ」

 猫を被って、可愛い弟を演じるのも。
 彼女の代わりに毒を飲み干したのも。
 メイに監視をさせるのも。
 あれも、これも、それも。
 全部、全部、全部。


「―アイツがこの家で一番、扱いやすいからだよ」
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