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序章
4話.ヒース・ガルシオン
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「…扱いやすい、とは…?」
メイの呟きが、ぽそりと部屋に響いた。
どうやら俺の返答が意外だったようで、彼女は目を丸くさせている。
ここまできて鈍い反応しか示さない彼女に、俺はやれやれ、と肩をすくめた。
「お前も知っての通りこの家の奴らは全員、生まれた瞬間から兄弟に命を狙われる。だからその分当然警戒心も強い。そうだろ」
「…そう、ですね」
「でも、アイツは違う。一見そうには見えないが、他の奴らに比べれば油断も隙もありすぎる。利用するにはもってこいだろ」
「…」
「グレイス・ガルシオンは、俺の盾だ。この屋敷で生き残るためのな」
俺はそう吐き捨てると、くるりと彼女に背を向ける。
…そう、グレイスは俺の盾だ。
彼女の代わりに毒を飲んだのも、わざわざメイが犯人だということを暴いたのも、何もグレイスを心配してのことじゃない。
彼女が今死んでしまえば、今後更に苛烈さを増していくであろう継承戦で使える奴がいなくなるし、毒の正体を暴かなければ、俺にその毒が使われたれたときに対処できなくなるからだ。
俺は彼女の陰に隠れ、彼女を通して得た情報をもとに、この継承戦を生き残る。
だから多少候補者からの攻撃を受けど、現時点ではまだ死んでもらっては困るのだ。
メイを見ると、彼女は呆気に取られた表情をしていた。
そんな彼女を見て俺は、何を今更、という気持ちになる。
…こいつは、本気で俺が善人だとでも思っていたのか。
言っておくが、このガルシオンに善人など存在しない。
あるのは、死の恐怖に怯える、猜疑心にまみれた悪人だけだ。
「…ヒース様は、お嬢様を利用なさるおつもりなんですね」
「そうだが。悪いか?」
「いいえ、まったく。…ですが…」
「…?」
そこまで言って、メイは口籠った。
彼女は何か、口にするのを躊躇っている。
なんだ、と催促すると、メイはおずおず話し始めた。
「その、これは使用人の間で言われている噂ですので、大変恐縮なのですが…ヒース様は、お嬢様に亡くなったお兄様を重ねているとお聞きしましたので…てっきり、善意でお近づきになっているのかと」
「…」
…びき、と。
俺の中で、何かが壊れる音がした。
…駄目だ。今の話は聞くんじゃなかった。
俺は彼女に話題を催促したことを、今更ながら心底後悔した。
なぜならその話は俺にとって、紛れもなく逆鱗そのものだったのだから。
「…っ」
…脳裏に浮かぶのはいつだって、彼と初めて引き合わされた二年前の十四歳の自分。
どこか照れくさそうにはにかんでこちらに手を差し伸べる、忌々しいアイツの姿だ。
すべてを俺に押し付けたくせに、都合よく戻ってきては、俺からすべてを奪っていった男。
偽物の俺の全部を否定する、本物のディルガードの後継者。
俺はアイツが、殺したいほど憎たらしい。
―俺には昔、唯一血の繋がった兄がいたらしい。
名は、ノイズ・ガルシオン。
らしい、というのは、俺は実際に兄に会ったことがないからだ。
公爵家の次男、ガルシオンの三番目の子供として生まれた兄は優秀で、皇族の血を引く長男、由緒ある侯爵家を母に持つガルシオンの長女に続く、継承戦の有力候補者であったらしい。
しかし、十七年前。
兄は公爵家に恨みを持つ人攫いに拐され、消息を絶った。
当時捜索を行ったのは主に母のディルガード家だったが、大した手がかりも見つからず、数か月の捜索期間の後、とうとう兄は故人とみなされた。
候補者の事実的な死亡により、ディルガード伯爵家はそこで継承戦から脱落した。
そのはずだったのに。
俺の母、シーラ・ガルシオンは諦めなかった。
「…っ」
ぐっと拳を握る。
思い出したくもない劣等感が、腹の底からふつふつと全身へと込み上げてくるのがわかった。
ガルシオンでは、継承戦で各家門に公平性を期すため、一人の妻につき一人の子供しか設けられないという規則がある。
しかし母は、兄の失踪は不慮の事故であり、継承戦とは無関係な死であったと当主に訴え、挙句の果てに地に頭を擦り付けた。
そして。
兄、ノイズ・ガルシオンの代わりとして生まれたのが、この俺だ。
「…」
…俺は「母親が頭を下げてまで産ませた子」というレッテルを両家から貼られ、今の歳まで生きてきた。
勉学にしても、剣術にしても優秀な兄と比べられ、何をしても「ノイズ様のほうができた」、「ノイズ様なら生き残れただろうに」と言われ続けて育ってきたのだ。
顔も知らない兄と比較され、惨めな出生だった挙句、「兄が生きてれば良かったのに」と後ろ指を指される始末。
それでも尚、今まで必死に生きてきた。
兄の代わりを務めた。
それなのに。
「………本当に、死んでくれてればよかったのにな」
声にならない本音が、口からぽろりとこぼれ落ちる。
え…?とメイが聞き返すが俺は、いや、こっちの話だと軽くあしらう。
「…」
黙ったメイを他所に壁によりかかり窓を見下ろすと、中庭でグレイスと茶髪の男―確か、グレイスの婚約者だったか―が揉めているのが見えた。
今朝、彼との婚約は解消すると言っていたが、まさか本当に実行するとは。
あのジークに執着していた姉に、とんだ心変わりがあったものだ。
しばらくすると、見慣れたあの陰気な黒いフードが現れ、彼は二人の仲裁に入った。
チッと俺は舌を打つ。
「あーあ、アイツ…目立つことはするなって言ったはずなんだけどな。顔、覚えられちまったじゃねえか。ったく面倒なこと増やしやがって」
俺は毒づくと、メイの真横を通り過ぎ、部屋のドアノブに手をかけた。
慌ててメイが俺に尋ねる。
「ヒース様、どちらへ?」
「姉ちゃんのとこ。あのジークとかいう奴に絡まれてたみたいだからさ。…可愛い弟が、助けに行ってあげなきゃだろ?」
俺がにっと口角を上げると、メイは渋々、左様ですかと頷く。
別に本気で助けるわけじゃない。
ただ心配なふりをして、グレイスのちょろい信頼を高めたいだけだ。
実際、あの婚約者の厄介払いはゼロニスがしてくれるだろう。
部屋を出る直前、俺は振り向き、メイに念を押した。
「お前が今後どうするかは任せるぜ、メイ・リリアンヌ。…主にも、よろしく伝えておいてくれよ」
びくりとメイの表情が強ばる。
未だ決めかねているようだが、あの調子なら、そう時間がかからずとも近いうちに結論を出すだろう。
「…はい」
メイのか細い返事を背に、俺は中庭へ向かった。
メイの呟きが、ぽそりと部屋に響いた。
どうやら俺の返答が意外だったようで、彼女は目を丸くさせている。
ここまできて鈍い反応しか示さない彼女に、俺はやれやれ、と肩をすくめた。
「お前も知っての通りこの家の奴らは全員、生まれた瞬間から兄弟に命を狙われる。だからその分当然警戒心も強い。そうだろ」
「…そう、ですね」
「でも、アイツは違う。一見そうには見えないが、他の奴らに比べれば油断も隙もありすぎる。利用するにはもってこいだろ」
「…」
「グレイス・ガルシオンは、俺の盾だ。この屋敷で生き残るためのな」
俺はそう吐き捨てると、くるりと彼女に背を向ける。
…そう、グレイスは俺の盾だ。
彼女の代わりに毒を飲んだのも、わざわざメイが犯人だということを暴いたのも、何もグレイスを心配してのことじゃない。
彼女が今死んでしまえば、今後更に苛烈さを増していくであろう継承戦で使える奴がいなくなるし、毒の正体を暴かなければ、俺にその毒が使われたれたときに対処できなくなるからだ。
俺は彼女の陰に隠れ、彼女を通して得た情報をもとに、この継承戦を生き残る。
だから多少候補者からの攻撃を受けど、現時点ではまだ死んでもらっては困るのだ。
メイを見ると、彼女は呆気に取られた表情をしていた。
そんな彼女を見て俺は、何を今更、という気持ちになる。
…こいつは、本気で俺が善人だとでも思っていたのか。
言っておくが、このガルシオンに善人など存在しない。
あるのは、死の恐怖に怯える、猜疑心にまみれた悪人だけだ。
「…ヒース様は、お嬢様を利用なさるおつもりなんですね」
「そうだが。悪いか?」
「いいえ、まったく。…ですが…」
「…?」
そこまで言って、メイは口籠った。
彼女は何か、口にするのを躊躇っている。
なんだ、と催促すると、メイはおずおず話し始めた。
「その、これは使用人の間で言われている噂ですので、大変恐縮なのですが…ヒース様は、お嬢様に亡くなったお兄様を重ねているとお聞きしましたので…てっきり、善意でお近づきになっているのかと」
「…」
…びき、と。
俺の中で、何かが壊れる音がした。
…駄目だ。今の話は聞くんじゃなかった。
俺は彼女に話題を催促したことを、今更ながら心底後悔した。
なぜならその話は俺にとって、紛れもなく逆鱗そのものだったのだから。
「…っ」
…脳裏に浮かぶのはいつだって、彼と初めて引き合わされた二年前の十四歳の自分。
どこか照れくさそうにはにかんでこちらに手を差し伸べる、忌々しいアイツの姿だ。
すべてを俺に押し付けたくせに、都合よく戻ってきては、俺からすべてを奪っていった男。
偽物の俺の全部を否定する、本物のディルガードの後継者。
俺はアイツが、殺したいほど憎たらしい。
―俺には昔、唯一血の繋がった兄がいたらしい。
名は、ノイズ・ガルシオン。
らしい、というのは、俺は実際に兄に会ったことがないからだ。
公爵家の次男、ガルシオンの三番目の子供として生まれた兄は優秀で、皇族の血を引く長男、由緒ある侯爵家を母に持つガルシオンの長女に続く、継承戦の有力候補者であったらしい。
しかし、十七年前。
兄は公爵家に恨みを持つ人攫いに拐され、消息を絶った。
当時捜索を行ったのは主に母のディルガード家だったが、大した手がかりも見つからず、数か月の捜索期間の後、とうとう兄は故人とみなされた。
候補者の事実的な死亡により、ディルガード伯爵家はそこで継承戦から脱落した。
そのはずだったのに。
俺の母、シーラ・ガルシオンは諦めなかった。
「…っ」
ぐっと拳を握る。
思い出したくもない劣等感が、腹の底からふつふつと全身へと込み上げてくるのがわかった。
ガルシオンでは、継承戦で各家門に公平性を期すため、一人の妻につき一人の子供しか設けられないという規則がある。
しかし母は、兄の失踪は不慮の事故であり、継承戦とは無関係な死であったと当主に訴え、挙句の果てに地に頭を擦り付けた。
そして。
兄、ノイズ・ガルシオンの代わりとして生まれたのが、この俺だ。
「…」
…俺は「母親が頭を下げてまで産ませた子」というレッテルを両家から貼られ、今の歳まで生きてきた。
勉学にしても、剣術にしても優秀な兄と比べられ、何をしても「ノイズ様のほうができた」、「ノイズ様なら生き残れただろうに」と言われ続けて育ってきたのだ。
顔も知らない兄と比較され、惨めな出生だった挙句、「兄が生きてれば良かったのに」と後ろ指を指される始末。
それでも尚、今まで必死に生きてきた。
兄の代わりを務めた。
それなのに。
「………本当に、死んでくれてればよかったのにな」
声にならない本音が、口からぽろりとこぼれ落ちる。
え…?とメイが聞き返すが俺は、いや、こっちの話だと軽くあしらう。
「…」
黙ったメイを他所に壁によりかかり窓を見下ろすと、中庭でグレイスと茶髪の男―確か、グレイスの婚約者だったか―が揉めているのが見えた。
今朝、彼との婚約は解消すると言っていたが、まさか本当に実行するとは。
あのジークに執着していた姉に、とんだ心変わりがあったものだ。
しばらくすると、見慣れたあの陰気な黒いフードが現れ、彼は二人の仲裁に入った。
チッと俺は舌を打つ。
「あーあ、アイツ…目立つことはするなって言ったはずなんだけどな。顔、覚えられちまったじゃねえか。ったく面倒なこと増やしやがって」
俺は毒づくと、メイの真横を通り過ぎ、部屋のドアノブに手をかけた。
慌ててメイが俺に尋ねる。
「ヒース様、どちらへ?」
「姉ちゃんのとこ。あのジークとかいう奴に絡まれてたみたいだからさ。…可愛い弟が、助けに行ってあげなきゃだろ?」
俺がにっと口角を上げると、メイは渋々、左様ですかと頷く。
別に本気で助けるわけじゃない。
ただ心配なふりをして、グレイスのちょろい信頼を高めたいだけだ。
実際、あの婚約者の厄介払いはゼロニスがしてくれるだろう。
部屋を出る直前、俺は振り向き、メイに念を押した。
「お前が今後どうするかは任せるぜ、メイ・リリアンヌ。…主にも、よろしく伝えておいてくれよ」
びくりとメイの表情が強ばる。
未だ決めかねているようだが、あの調子なら、そう時間がかからずとも近いうちに結論を出すだろう。
「…はい」
メイのか細い返事を背に、俺は中庭へ向かった。
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