89 / 99
竜之助奔走
しおりを挟む
竜之助は走り回るが追手はしつこく食いついてくる。
「やべえ、もう持たねえ……」
追手は速度が落ちるのを見計らって、
「しゃああ! 絶世の美女で童貞卒業!」
自身もふらふらなのにも関わらず切りかかってしまう。
「はい、残念」
竜之助は振り返ると見え見えの切り込みをかわし、男の首を刎ねた。
速度を落としたのは当然はったり。
「あいつ、急に振り返りやがった!」
囲まずに追いかけ回したのは愚策も愚策。
ばらばらに追いかけたせいで包囲は出来ず、深追いした者は支援のない一騎打ちを強いられる。
それも眼前にニンジンをぶら下げられた馬のように体力の温存も考えずに走り回ってしまっている。
こうなってはもはや竜之助の相手ではない。
「おらおら、逃げろ逃げろ」
絶好の好機を逃すはずがない。逃げ遅れた海賊たち三人を足場が不均等な砂場も助かり続けざまに殺めた。
「ちぃ、いくら絶世の美女がご褒美とは言え先走りすぎだ! 俺が時間を稼ぐ! その間に囲め囲め!」
禿げ頭は陣形を整える時間を稼ぐために自らの手で切りかかる。
キン!
竜之助は受け止めて鍔迫り合いに持ち込む。
「ほう、頭でっかちとは思っていたがちゃんと中身が詰まっていたようだな!」
刃を交わることによって禿げ頭の実力は本物と知る。攻め過ぎず守り過ぎず、いつでも引ける心構えを持っていた。
「ふん!」
仕留められないと判断し、仙術で突き飛ばし間合いを取る。
包囲が完成する前に逃げようとするが遅かった。
走ろうとした先に二人が待ち構えていた。
ならばと右に走り抜けようとしても今度は三人。
最後の穴も禿げ頭が埋める。
「囲まれちゃったね~」
竜之助を中心に人の円が出来上がる。
「今度は芝居を打っても引っ掛からんぞ。怪しい動きをしてみろ、一斉に切りかかってやる」
「へえ、いいのか? 初物が逃げちまうぜ?」
「安い挑発はよせ。もう初物にこだわらないことにした。抱けるならそれでいい。妥協が肝心ってな」
じわりじわりと円は狭まっていく。抜け駆けはない。
「どうだ、真綿で首を締められる気分は……」
禿げ頭はにたりと笑う。
「そうだ、俺も鬼じゃない。手足の骨を砕くだけにして生かしてやらんでもない。そしたらほら、お前も姫様が乱れる姿が見られるだろう?」
これまでにない見え見えの挑発。
「あぁ…………?」
そうはわかっていても竜之助は怒りを抑えきれなさそうになる。乙姫を引き合いに出されては冷静さを失いかける。
(……なに一丁前に義憤に駆られてるんだ……俺は、そんな高潔な人間じゃないだろう……)
息を整え、我慢の限界の半歩手前で抑え込む。
円はじわりとじわりと狭まる。
「どうした、怖くて一歩も動けねえか」
違う。身動きができないのではない、動かないのだ。
(種は撒いた……一か八かだが、突破口にはなるはず、だ)
必ず好機は訪れると信じる。そしてそれは訪れる。
「いった!?」
突如囲んでいたうちの一人が声を荒げてひっくり返る。
「足が、いてえ!」
転げまわる男の足の裏には深くまでまきびしが突き刺さっていた。
竜之助はここぞとばかりに声を上げる。
「ひっかかりやがったな! そいつはお前らが寄越した密偵から頂戴した物だ! 他にも落ちてるぞ、気を付けろ!」
海賊たちは怯んでしまう。
「そういやあいつ、まきびしをいつも持ち歩いていたな!?」
「おっちんだのにまだ仲間の俺たちに迷惑かけるのかよ!」
海賊たちの視線は足元に行く。しかしいくら目で追っても夜。黒いまきびしを追うことを容易いことではない。
「馬鹿どもが! 獲物から目を離すな!」
言った側から隙を見せた一人の首の半分まで切り込む。
「あ、あああ……!」
打つ手はないがせめても道連れにしようと追いすがってくる相手を、
「死にぞこないが!」
胸を蹴飛ばして首から刀を抜く。切り傷から大量の血。男は力なく倒れる。
「どこだ、どこにまきびしがぁ!」
手ごろな距離に完全に竜之助から目を離す愚か者が一人。
「ほれほれ、足元に気を付けろ!」
次の一人は首ではなく目を狙う。
「目が、目がああああああああああ」
一太刀で仕留め、無力化する。
「へっ、これで足元の心配はしなくて済むな」
自由に動き回る竜之助を見て、男たちは慌てふためく。
「どうしてあいつ動けるんだ!?」
「まきびしが怖くないのか!?」
禿げ頭はすぐさま立て直しを図る。
「わからねえのか! それも嘘だ! 一瞬の間で何個もばらまけるわけがねえ! せいぜい一、二個が限界だ!」
これもまた嘘だった。口からの出まかせ。確証などない。しかし今は真偽はどちらでもよく、まずは海賊たちに戦わせることが先決。
「なるほど、そういうことか!」
「驚かせやがって! ちくしょうめ!」
海賊たちはすぐに足元を気にしなくなった。
(ちくしょう、もうバレちまった! もうあと二人はやれたのによ!)
再び包囲の穴から飛び出して間合いを取る。
やけにべたつく手の感触が気になり、ちらりと視線を落とす。
刀身も柄も手も、深紅に染まっていた。本人は確かめようがないが顔の左半分も他人の血で染められていた。
惨い有様だったが自然と心は痛まなかった。
竜之助は戦いに慣れ、人斬りにも抵抗は薄れていた。
これまでもそうだったように、これからもそうなのだろう。
ただ心が痛むとするのであれば、
(子供も遊ぶ砂浜なのに穢しちまったな……)
悪いとは思いつつも背に腹は代えられぬと刀身を伝う血肉を振って飛ばす。
切った感触を振り返る。
(首を一刎しようとしたのに骨にひっかかっちまった……切れ味が落ちてきている……)
目を凝らすと刀身に刃こぼれ。
(この刀も限界だ……えんちゃんとすればまだ使えるが、それだと俺の身体がもたなくなる……!)
仙術は万能ではない。気は有限であり、限界は使い手の技量によって決まる。
竜之助は現在限りある気を徹底して体内に回している。切る時は筋力増強、切らない時は痛み止めと攻守場面毎に交互に切り替えている。
えんちゃんとを使えば武器の消耗を気にせずに戦えるがその場合は身体が消耗してしまう。
傾きすぎると倒れてしまう天秤の左右の皿をせわしなく行き来してるようなものでまさしく死に物狂いで均等を保っている。
(今でもこうして立てているだけでも奇跡、出来すぎなくらいだ……やれる、まだやれるぞ……)
手にこびりつく血を尻で拭い、刀を握り直す。
「手ごたえのねえやつばかりだな! タコ相手のほうがまだ手ごたえがあるぜえ!」
決して弱みは見せずに煽り倒す。
「くっ……調子に乗りやがって……!」
そうは言いつつも切りかからない。完全に怯んでいた。竜之助の剣技に圧倒されていた。
(そうだ……どんどん怖がれ……)
最初からやることは変わらない。
敵から戦意を削ぐ。
幸いにも戦意を失った敵はわざわざご丁寧に浦島が葬ってくれる。
逆に、決して付け入られる隙らしい隙を見せてはいけない。
釣りに出かける前に大雨が降っていると行く気は削がれるが中途半端に小雨になると後で本降りに戻るとわかっていながらもわずかな希望に身を任せて突き進んでしまうもの。
「切っても切っても切り足りねえ! そっちから来ないならこっちから行くぞ!?」
腰が引ける海賊たち。さらに一押しすれば目まで逸らしてしまいそう。
「っふっふっふっふ……」
唯一その中で笑う者がいた。
「……そろそろ頃合いか」
禿げ頭が自分の頭の肌を手のひらで拭い、竜之助の前に歩み出る。
「おっと、準備運動にちょうど良さそうなのが来たようだな」
「八左衛門だ」
「あ?」
「俺は八左衛門だ。覚えておくといい。お前を殺す男の中の男の名だ」
「へえ、てっきり名前は蛸入道だとばかり思ってたぜ」
「その達者な口ぶりも聞けなくなると思うと寂しくなるな……」
禿げ頭を揶揄しても余裕の姿勢を崩さない。
(こいつはそこらの海賊とは違う……仮にも俺と刃を交わっても生き残った男だ……)
竜之助は油断せずに出方を窺う。
非情ながらも指揮官としては有能。竜之助の奇策を何度も封じ込めている。
八左衛門は刀を構える。風体の割には癖のない基本に沿った構え。
(恐らくはあれがあいつの本来の戦法……だがそのあとはどう出る? 真正面から来る? それとも奇策を巡らすか?)
ざざんざざん、と海が波立つ。
そして一際高い波が龍神様のへそを打つ。
「俺も海の男だ。しめっぽいのはごめん。別れはさっくりといこうじゃあねえの!」
先に動いたのは八左衛門。
「真正面!」
奇策を警戒した竜之助は躱すのが遅れる。
「死ねええええ!!」
勢い任せに剣を振り下ろす。
「くっ……!」
もろに受け止めてしまう。
(やば、受け止める、これだけは、これだけは、やっちゃいけねえ!)
刀をずらし、力を逃がそうと画策するが、
「おっと、逃がすかよ」
八左衛門は巧みに力加減を変えてつばぜり合いを続ける。
「な……!」
「おおおう!? びびった!? 今びびったよな!? やはり見込み通り、これがお前にとってのいやなことなんだな!?」
飛んだ唾が目に入る。だが今は瞬きの余裕もない。
「ちょっと仙術の知識をかじっていればわかることさ! 本当に強い仙術使いなら奇策なんて使わずに真正面から戦えばそれでいい! そうしねえってことは何かしらの問題を抱えているってことだ! 問題、すなわち重傷を負ってるってことだ! 痛みを和らげる術を使ってるんだろ! だから力もめいっぱい出せない! そうだろ! なあ!?」
「ぐう……!」
「ぐうの音も出るってか!?」
勢いづき調子づく八左衛門の一太刀を竜之助は躱せずにいた。
カタカタ、と刀が鳴り始める。
「おっと!? 腕が震え始めたか!? 限界がちかいかな、こりゃ!」
言葉とは裏腹に力加減は精密そのもの。
(だめだ、刀を動かせねえ……! 筋力だけでなく技術も備わっている! こいつはただの海賊じゃねえ!?)
刃の向こうで目が合う。
八左衛門の目は凪のように静かだった。
「……俺はむかし、仙術に憧れていたんだ。猿のように木々を飛びまわり、トビウオのように海の上を飛びたかった。だが才能もなきゃコネもねえ。飢えに耐えながらその日を乗り越えることばかりを考えてたが憧れは捨てきれず心の奥にしまっていた。そんな若くて青い俺の前に自称仙人が現れたのさ。俺は深く考えずに飛びついた。弟子入りして住み込みで衣食住の世話をしたがなかなか仙術を教えてくれない。思い切って師匠に不満を打ち明けると修行が足りないといいやがる。しまいには金銭まで要求してきやがった。そして俺は言われたとおりに渡しちまった。そして俺は学ぶ。この世は糞で、人間は信じちゃあいけないってな」
「はは、さては持ち逃げされたか」
「はは、半分当たりで半分外れだ。一度は逃げられたがそのあときっちり回収したさ。金も尊厳も命もな」
八左衛門の刀が徐々に竜之助の眉間に落ち始める。
もはや竜之助に刀を躱すだけの体力はなく、受け止めるだけで限界だった。
「仙術は大嫌いだ。この不平等の世の中にも関わらず権力よりも稀有で恵まれた才。嫉妬なのははっきりわかるさ。だが、いつか切ってやりてえとずっと思ってたんだ」
憧れはとうの昔に裏返った。
「最高だぜ、この島は! 大将に乗って正解だった! 仙術使いを殺せて、犯せる! こんな最高なことがあっていいのか!?」
刃は竜之助の眉間に到達する。眉間から流れる鮮血が両目に流れ込むも瞬きの余裕は微塵もない。
「なあ、負け惜しみ一丁頼むよ!! 万全の状態だったら、とかよおおおお!!」
「……しかたねえな」
竜之助は力のない呼吸をした。
「死ねええええええええ!!」
八左衛門は力を込めた。
すとん。
大根を切るような爽快な音。
「ええええ……え?」
人生の絶頂にあった八左衛門の視界から竜之助が消える。
ズサッ。
足元に刀の刃先が突き刺さる。
「……あん?」
竜之助もいなければ自前の刀の刃先も消え失せた。
「ぐああ! ハア! はああ!」
八左衛門の後ろで竜之助が苦しそうに息を荒げる。
「おっと、仙術で逃げおおせたか? 苦しそうだな、いま楽にしてやるよ」
振り返ろうとする。
しかし視界は変わらない。
「あれ、あれ?」
異変はそれだけではない。
「あれ、俺の首の下に、なんで背中が?」
それが八左衛門の最後の言葉だった。
ごろり。
首から頭が転がり落ちる。
遅れて主を失った身体も倒れる。
何が起きたのか、どうして八左衛門があの状況から敗れたのか。
冷静に判断できたのは最も遠くから離れていた乙姫だった。
「使ったのか……えんちゃんとを……」
刃こぼれしたナマクラでも業物を両断する。
あまりの切れ味に斬られた者は斬られたと悟ることもできない。
邪竜剣技は見せかけとしてもえんちゃんとは本物の強さ。
ただし代償は高くつく。
天秤が傾き、倒れた。
「ぐうう、あああ、ああああ!」
竜之助の背中から止め続けていた血があふれ出す。薬や包帯、仙術、ありとあらゆる方法で先延ばしにしていた痛みが一気に畳みかけてくる。
気を失いそうになるほどの痛みに身体も傾く。そのまま倒れるこむすんでのところで右足が踏ん張る。
「ふーっ! ふーっ!」
痛みをこらえ、歯を食いしばる。
目には意思があった。憤怒の炎を灯していた。その目は明確にとある人物に対して向けていた。
全身を大物を釣り上げた竿のように勢いよく反り上げ、吠える。
「乙姫ええええええええええええええ!」
それは魂の絶叫。
「戦えええええええええええええええええええ」
「やべえ、もう持たねえ……」
追手は速度が落ちるのを見計らって、
「しゃああ! 絶世の美女で童貞卒業!」
自身もふらふらなのにも関わらず切りかかってしまう。
「はい、残念」
竜之助は振り返ると見え見えの切り込みをかわし、男の首を刎ねた。
速度を落としたのは当然はったり。
「あいつ、急に振り返りやがった!」
囲まずに追いかけ回したのは愚策も愚策。
ばらばらに追いかけたせいで包囲は出来ず、深追いした者は支援のない一騎打ちを強いられる。
それも眼前にニンジンをぶら下げられた馬のように体力の温存も考えずに走り回ってしまっている。
こうなってはもはや竜之助の相手ではない。
「おらおら、逃げろ逃げろ」
絶好の好機を逃すはずがない。逃げ遅れた海賊たち三人を足場が不均等な砂場も助かり続けざまに殺めた。
「ちぃ、いくら絶世の美女がご褒美とは言え先走りすぎだ! 俺が時間を稼ぐ! その間に囲め囲め!」
禿げ頭は陣形を整える時間を稼ぐために自らの手で切りかかる。
キン!
竜之助は受け止めて鍔迫り合いに持ち込む。
「ほう、頭でっかちとは思っていたがちゃんと中身が詰まっていたようだな!」
刃を交わることによって禿げ頭の実力は本物と知る。攻め過ぎず守り過ぎず、いつでも引ける心構えを持っていた。
「ふん!」
仕留められないと判断し、仙術で突き飛ばし間合いを取る。
包囲が完成する前に逃げようとするが遅かった。
走ろうとした先に二人が待ち構えていた。
ならばと右に走り抜けようとしても今度は三人。
最後の穴も禿げ頭が埋める。
「囲まれちゃったね~」
竜之助を中心に人の円が出来上がる。
「今度は芝居を打っても引っ掛からんぞ。怪しい動きをしてみろ、一斉に切りかかってやる」
「へえ、いいのか? 初物が逃げちまうぜ?」
「安い挑発はよせ。もう初物にこだわらないことにした。抱けるならそれでいい。妥協が肝心ってな」
じわりじわりと円は狭まっていく。抜け駆けはない。
「どうだ、真綿で首を締められる気分は……」
禿げ頭はにたりと笑う。
「そうだ、俺も鬼じゃない。手足の骨を砕くだけにして生かしてやらんでもない。そしたらほら、お前も姫様が乱れる姿が見られるだろう?」
これまでにない見え見えの挑発。
「あぁ…………?」
そうはわかっていても竜之助は怒りを抑えきれなさそうになる。乙姫を引き合いに出されては冷静さを失いかける。
(……なに一丁前に義憤に駆られてるんだ……俺は、そんな高潔な人間じゃないだろう……)
息を整え、我慢の限界の半歩手前で抑え込む。
円はじわりとじわりと狭まる。
「どうした、怖くて一歩も動けねえか」
違う。身動きができないのではない、動かないのだ。
(種は撒いた……一か八かだが、突破口にはなるはず、だ)
必ず好機は訪れると信じる。そしてそれは訪れる。
「いった!?」
突如囲んでいたうちの一人が声を荒げてひっくり返る。
「足が、いてえ!」
転げまわる男の足の裏には深くまでまきびしが突き刺さっていた。
竜之助はここぞとばかりに声を上げる。
「ひっかかりやがったな! そいつはお前らが寄越した密偵から頂戴した物だ! 他にも落ちてるぞ、気を付けろ!」
海賊たちは怯んでしまう。
「そういやあいつ、まきびしをいつも持ち歩いていたな!?」
「おっちんだのにまだ仲間の俺たちに迷惑かけるのかよ!」
海賊たちの視線は足元に行く。しかしいくら目で追っても夜。黒いまきびしを追うことを容易いことではない。
「馬鹿どもが! 獲物から目を離すな!」
言った側から隙を見せた一人の首の半分まで切り込む。
「あ、あああ……!」
打つ手はないがせめても道連れにしようと追いすがってくる相手を、
「死にぞこないが!」
胸を蹴飛ばして首から刀を抜く。切り傷から大量の血。男は力なく倒れる。
「どこだ、どこにまきびしがぁ!」
手ごろな距離に完全に竜之助から目を離す愚か者が一人。
「ほれほれ、足元に気を付けろ!」
次の一人は首ではなく目を狙う。
「目が、目がああああああああああ」
一太刀で仕留め、無力化する。
「へっ、これで足元の心配はしなくて済むな」
自由に動き回る竜之助を見て、男たちは慌てふためく。
「どうしてあいつ動けるんだ!?」
「まきびしが怖くないのか!?」
禿げ頭はすぐさま立て直しを図る。
「わからねえのか! それも嘘だ! 一瞬の間で何個もばらまけるわけがねえ! せいぜい一、二個が限界だ!」
これもまた嘘だった。口からの出まかせ。確証などない。しかし今は真偽はどちらでもよく、まずは海賊たちに戦わせることが先決。
「なるほど、そういうことか!」
「驚かせやがって! ちくしょうめ!」
海賊たちはすぐに足元を気にしなくなった。
(ちくしょう、もうバレちまった! もうあと二人はやれたのによ!)
再び包囲の穴から飛び出して間合いを取る。
やけにべたつく手の感触が気になり、ちらりと視線を落とす。
刀身も柄も手も、深紅に染まっていた。本人は確かめようがないが顔の左半分も他人の血で染められていた。
惨い有様だったが自然と心は痛まなかった。
竜之助は戦いに慣れ、人斬りにも抵抗は薄れていた。
これまでもそうだったように、これからもそうなのだろう。
ただ心が痛むとするのであれば、
(子供も遊ぶ砂浜なのに穢しちまったな……)
悪いとは思いつつも背に腹は代えられぬと刀身を伝う血肉を振って飛ばす。
切った感触を振り返る。
(首を一刎しようとしたのに骨にひっかかっちまった……切れ味が落ちてきている……)
目を凝らすと刀身に刃こぼれ。
(この刀も限界だ……えんちゃんとすればまだ使えるが、それだと俺の身体がもたなくなる……!)
仙術は万能ではない。気は有限であり、限界は使い手の技量によって決まる。
竜之助は現在限りある気を徹底して体内に回している。切る時は筋力増強、切らない時は痛み止めと攻守場面毎に交互に切り替えている。
えんちゃんとを使えば武器の消耗を気にせずに戦えるがその場合は身体が消耗してしまう。
傾きすぎると倒れてしまう天秤の左右の皿をせわしなく行き来してるようなものでまさしく死に物狂いで均等を保っている。
(今でもこうして立てているだけでも奇跡、出来すぎなくらいだ……やれる、まだやれるぞ……)
手にこびりつく血を尻で拭い、刀を握り直す。
「手ごたえのねえやつばかりだな! タコ相手のほうがまだ手ごたえがあるぜえ!」
決して弱みは見せずに煽り倒す。
「くっ……調子に乗りやがって……!」
そうは言いつつも切りかからない。完全に怯んでいた。竜之助の剣技に圧倒されていた。
(そうだ……どんどん怖がれ……)
最初からやることは変わらない。
敵から戦意を削ぐ。
幸いにも戦意を失った敵はわざわざご丁寧に浦島が葬ってくれる。
逆に、決して付け入られる隙らしい隙を見せてはいけない。
釣りに出かける前に大雨が降っていると行く気は削がれるが中途半端に小雨になると後で本降りに戻るとわかっていながらもわずかな希望に身を任せて突き進んでしまうもの。
「切っても切っても切り足りねえ! そっちから来ないならこっちから行くぞ!?」
腰が引ける海賊たち。さらに一押しすれば目まで逸らしてしまいそう。
「っふっふっふっふ……」
唯一その中で笑う者がいた。
「……そろそろ頃合いか」
禿げ頭が自分の頭の肌を手のひらで拭い、竜之助の前に歩み出る。
「おっと、準備運動にちょうど良さそうなのが来たようだな」
「八左衛門だ」
「あ?」
「俺は八左衛門だ。覚えておくといい。お前を殺す男の中の男の名だ」
「へえ、てっきり名前は蛸入道だとばかり思ってたぜ」
「その達者な口ぶりも聞けなくなると思うと寂しくなるな……」
禿げ頭を揶揄しても余裕の姿勢を崩さない。
(こいつはそこらの海賊とは違う……仮にも俺と刃を交わっても生き残った男だ……)
竜之助は油断せずに出方を窺う。
非情ながらも指揮官としては有能。竜之助の奇策を何度も封じ込めている。
八左衛門は刀を構える。風体の割には癖のない基本に沿った構え。
(恐らくはあれがあいつの本来の戦法……だがそのあとはどう出る? 真正面から来る? それとも奇策を巡らすか?)
ざざんざざん、と海が波立つ。
そして一際高い波が龍神様のへそを打つ。
「俺も海の男だ。しめっぽいのはごめん。別れはさっくりといこうじゃあねえの!」
先に動いたのは八左衛門。
「真正面!」
奇策を警戒した竜之助は躱すのが遅れる。
「死ねええええ!!」
勢い任せに剣を振り下ろす。
「くっ……!」
もろに受け止めてしまう。
(やば、受け止める、これだけは、これだけは、やっちゃいけねえ!)
刀をずらし、力を逃がそうと画策するが、
「おっと、逃がすかよ」
八左衛門は巧みに力加減を変えてつばぜり合いを続ける。
「な……!」
「おおおう!? びびった!? 今びびったよな!? やはり見込み通り、これがお前にとってのいやなことなんだな!?」
飛んだ唾が目に入る。だが今は瞬きの余裕もない。
「ちょっと仙術の知識をかじっていればわかることさ! 本当に強い仙術使いなら奇策なんて使わずに真正面から戦えばそれでいい! そうしねえってことは何かしらの問題を抱えているってことだ! 問題、すなわち重傷を負ってるってことだ! 痛みを和らげる術を使ってるんだろ! だから力もめいっぱい出せない! そうだろ! なあ!?」
「ぐう……!」
「ぐうの音も出るってか!?」
勢いづき調子づく八左衛門の一太刀を竜之助は躱せずにいた。
カタカタ、と刀が鳴り始める。
「おっと!? 腕が震え始めたか!? 限界がちかいかな、こりゃ!」
言葉とは裏腹に力加減は精密そのもの。
(だめだ、刀を動かせねえ……! 筋力だけでなく技術も備わっている! こいつはただの海賊じゃねえ!?)
刃の向こうで目が合う。
八左衛門の目は凪のように静かだった。
「……俺はむかし、仙術に憧れていたんだ。猿のように木々を飛びまわり、トビウオのように海の上を飛びたかった。だが才能もなきゃコネもねえ。飢えに耐えながらその日を乗り越えることばかりを考えてたが憧れは捨てきれず心の奥にしまっていた。そんな若くて青い俺の前に自称仙人が現れたのさ。俺は深く考えずに飛びついた。弟子入りして住み込みで衣食住の世話をしたがなかなか仙術を教えてくれない。思い切って師匠に不満を打ち明けると修行が足りないといいやがる。しまいには金銭まで要求してきやがった。そして俺は言われたとおりに渡しちまった。そして俺は学ぶ。この世は糞で、人間は信じちゃあいけないってな」
「はは、さては持ち逃げされたか」
「はは、半分当たりで半分外れだ。一度は逃げられたがそのあときっちり回収したさ。金も尊厳も命もな」
八左衛門の刀が徐々に竜之助の眉間に落ち始める。
もはや竜之助に刀を躱すだけの体力はなく、受け止めるだけで限界だった。
「仙術は大嫌いだ。この不平等の世の中にも関わらず権力よりも稀有で恵まれた才。嫉妬なのははっきりわかるさ。だが、いつか切ってやりてえとずっと思ってたんだ」
憧れはとうの昔に裏返った。
「最高だぜ、この島は! 大将に乗って正解だった! 仙術使いを殺せて、犯せる! こんな最高なことがあっていいのか!?」
刃は竜之助の眉間に到達する。眉間から流れる鮮血が両目に流れ込むも瞬きの余裕は微塵もない。
「なあ、負け惜しみ一丁頼むよ!! 万全の状態だったら、とかよおおおお!!」
「……しかたねえな」
竜之助は力のない呼吸をした。
「死ねええええええええ!!」
八左衛門は力を込めた。
すとん。
大根を切るような爽快な音。
「ええええ……え?」
人生の絶頂にあった八左衛門の視界から竜之助が消える。
ズサッ。
足元に刀の刃先が突き刺さる。
「……あん?」
竜之助もいなければ自前の刀の刃先も消え失せた。
「ぐああ! ハア! はああ!」
八左衛門の後ろで竜之助が苦しそうに息を荒げる。
「おっと、仙術で逃げおおせたか? 苦しそうだな、いま楽にしてやるよ」
振り返ろうとする。
しかし視界は変わらない。
「あれ、あれ?」
異変はそれだけではない。
「あれ、俺の首の下に、なんで背中が?」
それが八左衛門の最後の言葉だった。
ごろり。
首から頭が転がり落ちる。
遅れて主を失った身体も倒れる。
何が起きたのか、どうして八左衛門があの状況から敗れたのか。
冷静に判断できたのは最も遠くから離れていた乙姫だった。
「使ったのか……えんちゃんとを……」
刃こぼれしたナマクラでも業物を両断する。
あまりの切れ味に斬られた者は斬られたと悟ることもできない。
邪竜剣技は見せかけとしてもえんちゃんとは本物の強さ。
ただし代償は高くつく。
天秤が傾き、倒れた。
「ぐうう、あああ、ああああ!」
竜之助の背中から止め続けていた血があふれ出す。薬や包帯、仙術、ありとあらゆる方法で先延ばしにしていた痛みが一気に畳みかけてくる。
気を失いそうになるほどの痛みに身体も傾く。そのまま倒れるこむすんでのところで右足が踏ん張る。
「ふーっ! ふーっ!」
痛みをこらえ、歯を食いしばる。
目には意思があった。憤怒の炎を灯していた。その目は明確にとある人物に対して向けていた。
全身を大物を釣り上げた竿のように勢いよく反り上げ、吠える。
「乙姫ええええええええええええええ!」
それは魂の絶叫。
「戦えええええええええええええええええええ」
0
あなたにおすすめの小説
運命の秘薬 〜100年の時を超えて〜 [完]
風龍佳乃
恋愛
シャルパド王国に育った
アリーリアはこの国の皇太子である
エドアルドとの結婚式を終えたが
自分を蔑ろにした
エドアルドを許す事が出来ず
自ら命をたってしまったのだった
アリーリアの魂は彷徨い続けながら
100年後に蘇ったのだが…
再び出会ってしまったエドアルドの
生まれ変わり
彼も又、前世の記憶を持っていた。
アリーリアはエドアルドから離れようと
するが運命は2人を離さなかったのだ
戸惑いながら生きるアリーリアは
生まれ変わった理由を知り驚いた
そして今の自分を受け入れて
幸せを見つけたのだった。
※ は前世の出来事(回想)です
おじさんと戦艦少女
とき
SF
副官の少女ネリーは15歳。艦長のダリルはダブルスコアだった。 戦争のない平和な世界、彼女は大の戦艦好きで、わざわざ戦艦乗りに志願したのだ。 だが彼女が配属になったその日、起こるはずのない戦争が勃発する。 戦争を知らない彼女たちは生き延びることができるのか……?
処刑された勇者は二度目の人生で復讐を選ぶ
シロタカズキ
ファンタジー
──勇者は、すべてを裏切られ、処刑された。
だが、彼の魂は復讐の炎と共に蘇る──。
かつて魔王を討ち、人類を救った勇者 レオン・アルヴァレス。
だが、彼を待っていたのは称賛ではなく、 王族・貴族・元仲間たちによる裏切りと処刑だった。
「力が強すぎる」という理由で異端者として断罪され、広場で公開処刑されるレオン。
国民は歓喜し、王は満足げに笑い、かつての仲間たちは目を背ける。
そして、勇者は 死んだ。
──はずだった。
十年後。
王国は繁栄の影で腐敗し、裏切り者たちは安穏とした日々を送っていた。
しかし、そんな彼らの前に死んだはずの勇者が現れる。
「よくもまあ、のうのうと生きていられたものだな」
これは、英雄ではなくなった男の復讐譚。
彼を裏切った王族、貴族、そしてかつての仲間たちを絶望の淵に叩き落とすための第二の人生が、いま始まる──。
婚約破棄のその場で転生前の記憶が戻り、悪役令嬢として反撃開始いたします
タマ マコト
ファンタジー
革命前夜の王国で、公爵令嬢レティシアは盛大な舞踏会の場で王太子アルマンから一方的に婚約を破棄され、社交界の嘲笑の的になる。その瞬間、彼女は“日本の歴史オタク女子大生”だった前世の記憶を思い出し、この国が数年後に血塗れの革命で滅びる未来を知ってしまう。
悪役令嬢として嫌われ、切り捨てられた自分の立場と、公爵家の権力・財力を「運命改変の武器」にすると決めたレティシアは、貧民街への支援や貴族の不正調査をひそかに始める。その過程で、冷静で改革派の第二王子シャルルと出会い、互いに利害と興味を抱きながら、“歴史に逆らう悪役令嬢”として静かな反撃をスタートさせていく。
『悪役令嬢』は始めません!
月親
恋愛
侯爵令嬢アデリシアは、日本から異世界転生を果たして十八年目になる。そんな折、ここ数年ほど抱いてきた自身への『悪役令嬢疑惑』が遂に確信に変わる出来事と遭遇した。
突き付けられた婚約破棄、別の女性と愛を語る元婚約者……前世で見かけたベタ過ぎる展開。それを前にアデリシアは、「これは悪役令嬢な自分が逆ざまぁする方の物語では」と判断。
と、そこでアデリシアはハッとする。今なら自分はフリー。よって、今まで想いを秘めてきた片想いの相手に告白できると。
アデリシアが想いを寄せているレンは平民だった。それも二十も年上で子持ちの元既婚者という、これから始まると思われる『悪役令嬢物語』の男主人公にはおよそ当て嵌まらないだろう人。だからレンに告白したアデリシアに在ったのは、ただ彼に気持ちを伝えたいという思いだけだった。
ところがレンから来た返事は、「今日から一ヶ月、僕と秘密の恋人になろう」というものだった。
そこでアデリシアは何故『一ヶ月』なのかに思い至る。アデリシアが暮らすローク王国は、婚約破棄をした者は一ヶ月、新たな婚約を結べない。それを逆手に取れば、確かにその間だけであるならレンと恋人になることが可能だと。
アデリシアはレンの提案に飛び付いた。
そして、こうなってしまったからには悪役令嬢の物語は始めないようにすると誓った。だってレンは男主人公ではないのだから。
そんなわけで、自分一人で立派にざまぁしてみせると決意したアデリシアだったのだが――
※この作品は、『小説家になろう』様でも公開しています。
【完結】前世の不幸は神様のミスでした?異世界転生、条件通りなうえチート能力で幸せです
yun.
ファンタジー
~タイトル変更しました~
旧タイトルに、もどしました。
日本に生まれ、直後に捨てられた。養護施設に暮らし、中学卒業後働く。
まともな職もなく、日雇いでしのぐ毎日。
劣悪な環境。上司にののしられ、仲のいい友人はいない。
日々の衣食住にも困る。
幸せ?生まれてこのかた一度もない。
ついに、死んだ。現場で鉄パイプの下敷きに・・・
目覚めると、真っ白な世界。
目の前には神々しい人。
地球の神がサボった?だから幸せが1度もなかったと・・・
短編→長編に変更しました。
R4.6.20 完結しました。
長らくお読みいただき、ありがとうございました。
【完結】奇跡のおくすり~追放された薬師、実は王家の隠し子でした~
いっぺいちゃん
ファンタジー
薬草と静かな生活をこよなく愛する少女、レイナ=リーフィア。
地味で目立たぬ薬師だった彼女は、ある日貴族の陰謀で“冤罪”を着せられ、王都の冒険者ギルドを追放されてしまう。
「――もう、草とだけ暮らせればいい」
絶望の果てにたどり着いた辺境の村で、レイナはひっそりと薬を作り始める。だが、彼女の薬はどんな難病さえ癒す“奇跡の薬”だった。
やがて重病の王子を治したことで、彼女の正体が王家の“隠し子”だと判明し、王都からの使者が訪れる――
「あなたの薬に、国を救ってほしい」
導かれるように再び王都へと向かうレイナ。
医療改革を志し、“薬師局”を創設して仲間たちと共に奔走する日々が始まる。
薬草にしか心を開けなかった少女が、やがて王国の未来を変える――
これは、一人の“草オタク”薬師が紡ぐ、やさしくてまっすぐな奇跡の物語。
※表紙のイラストは画像生成AIによって作られたものです。
氷の公爵は、捨てられた私を離さない
空月そらら
恋愛
「魔力がないから不要だ」――長年尽くした王太子にそう告げられ、侯爵令嬢アリアは理不尽に婚約破棄された。
すべてを失い、社交界からも追放同然となった彼女を拾ったのは、「氷の公爵」と畏れられる辺境伯レオルド。
彼は戦の呪いに蝕まれ、常に激痛に苦しんでいたが、偶然触れたアリアにだけ痛みが和らぐことに気づく。
アリアには魔力とは違う、稀有な『浄化の力』が秘められていたのだ。
「君の力が、私には必要だ」
冷徹なはずの公爵は、アリアの価値を見抜き、傍に置くことを決める。
彼の元で力を発揮し、呪いを癒やしていくアリア。
レオルドはいつしか彼女に深く執着し、不器用に溺愛し始める。「お前を誰にも渡さない」と。
一方、アリアを捨てた王太子は聖女に振り回され、国を傾かせ、初めて自分が手放したものの大きさに気づき始める。
「アリア、戻ってきてくれ!」と見苦しく縋る元婚約者に、アリアは毅然と告げる。「もう遅いのです」と。
これは、捨てられた令嬢が、冷徹な公爵の唯一無二の存在となり、真実の愛と幸せを掴むまでの逆転溺愛ストーリー。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる