十三回忌

佐倉島こみかん

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12年前の誕生日

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 ちょうど一回り年の離れた姉は、生まれつき心臓に疾患を抱えていた。
 左心房の弁に不具合があるせいで血流が滞る左心不全という病気だ。肺から心臓へ至る血管の弁らしく、呼吸器にも影響がある。発作が起きれば、両親は姉を病院へ連れて行っていた。姉の体調がすぐれなかったり、入院したりすれば、二人ともそれにかかりきりになることが多く、その度にまだ小さかった私は、当時まだ祖父が生きていて同居していなかった祖父母宅に預けられることが多かった。
 そんな重い疾患を抱えた姉を持つ両親は、元々、二人目を作るつもりはなかったらしい。
 しかし、姉が小学校の時にどうしても弟か妹がほしいと言って聞かなかったのだ。
 元々、その病気故に両親に引け目があったのか、子供らしいお願いをすることの少なかった姉の唯一の我儘と、姉に残された時間がそう長くはないだろうという医者の言葉によって、両親は二人目を決意したそうだ。
 だから、いわば、私は、姉の代替品なのだ。
 余命が少ないことを薄々感じていた姉が、残される両親の支えを残そうという涙ぐましい考えでお願いした、彼女の身代わり。
 こんなことを言えば父も母も絶対に否定するだろうが、私にはそうとしか思えなかった。
 両親は私よりも姉の方を愛していると、ずっと思っていた。姉の為に私を産んだことが、何よりの証左だ。
 まだ姉の生きていた頃、姉の体調が悪くなる度に、思ったのだ。
 なんでおねえちゃんばっかり、と。
 おねえちゃんがいなければ、おとうさんもおかあさんも、わたしのものなのに、と。
 姉がこんなに病院通いなのは病気のせいだということは教えられていた。仕方のないことなのだとも言われていた。だから表だってダダをこねることはしなかった。
 私を預かる度に、祖母は『お父さんもお母さんも、はるちゃんと同じくらい、ちぃちゃんのことが好きなんだよ』と私の気持ちを見透かしたように言い聞せていた。でも、それは嘘だと思っていた。
 いつだって姉が優先で、第一には姉のことで。私は当時、姉がどうしようもなく妬ましかった。
 そんな気持ちを知っていて、だろう。姉は私にとても優しかった。
 私が我儘を言っても、大抵のことは聞いてくれた。困ったように笑って、「仕方ないねえ。お母さんには内緒ね」と、頭を撫でながらそっと自分の分のお菓子をくれた。
 私を膝に乗せて、絵本も読んでくれた。姉の、本を読む声が好きだった。祖母や母より読むのが上手だったのをなんとなく覚えている。心臓病のため、姉は激しい運動は出来なかったから、姉と遊ぶのは室内でだった。高校生で勉強も忙しかっただろうに、よく付き合ってくれたものだと今は思う。だから私は、両親を一人占めにする姉でも、憎み切れなかったのだ。

 それでも、忘れもしない私の5歳の誕生日の夜。
 父と母と姉が私を笑顔で囲んで、私のために作られた大好きなハンバーグを前にして、冷蔵庫には誕生日ケーキが控えている状況で、それまでしばらく体調の良い状況が続いていた姉が、ひどい発作を起こした。
 さっきまでニコニコと私に微笑んでいた両親が血相を変えて、苦しんで蹲る姉に駆け寄っていった時の絶望をまだ覚えている。
『わたしのたんじょうびだったのに。こんなときまで、おねえちゃんは、おとうさんとおかあさんをとるんだ』
 そう考えたら、初めて明確に、『おねえちゃんなんてしんじゃえばいいのに』という思いが湧き上がった。
 居なくなればいい、なんて生易しいものではない、殺意にも似た衝動だった。
 その後、姉は父の運転する車で急ぎ病院へ運ばれ、母は祖母を家に呼んだ。祖父は母達と共に病院に行ったらしい。そして祖母が来るなり、母は『ごめんね、お誕生日のお祝いはまた今度しようね』と言って私を強く抱きしめ、病院へ向かった。
 私は何も言わず、泣きながら頷くことしかできなかった。そこでダダをこねれば、母から見限られるかもしれないという怖さと、これまでの姉の発作の度に培われてきた諦めがあった。玄関のドアが閉まってもその場に立ち尽くし、さめざめと泣きだす私を祖母は抱っこして居間に戻り、泣き止むまで抱っこしたままなだめてくれた。
 そうして、泣き止んでからすっかり冷めた私の誕生日祝いの料理を祖母が温めなおしてくれて、祖母と二人きりでの誕生日を迎えた。
 二人きりには広いテーブルで食べる大好きなはずのハンバーグは、ちっとも味気なかった。祖母が私を寂しくさせまいといつも以上に明るい素振りでハッピーバースデーの歌を歌ってくれたけど、誕生日ケーキのろうそくを吹き消す時、とても惨めだった。
 その晩は、結局、両親とも病院から戻ってこず、祖母と二人でお風呂に入って眠った。


 その翌朝、病院から家に電話があって、私は祖母の車で病院に向かった。
 姉がいよいよ死ぬかもしれないという電話の内容を聞いて、私はひどくうろたえた。
 姉の入院や発作はよくあることで、その時もまたしばらくすれば何事もなかったかのように家に帰って来るものだと信じて疑わなかったからだ。
『あんなことをおもってしまったから』
 そんな自責の念で、潰れてしまいそうだった。
 祖母に手を引かれて入った病室には、人工呼吸器に繋がれ、沢山のコードや点滴の管に繋がれた真っ青な顔色の姉がいた。
 こんなに具合の悪い姉を見るのは初めてで、まだ死んでいないのに死人のようで、ひどく恐ろしかった。
 何も言えずに固まる私に、薄っすらと目を開けた姉は、かすかに微笑んだ。
「ちぃちゃん、おいで」
 血の気のない唇からこぼれた囁くような姉の声は、聞いたことがない程、か細い声だった。
 竦んで動けない私の背を、祖母はそっと押して、傍に行くよう促した。
「ちぃちゃん、昨日は、本当に、ごめんね……」
 ようやくベッドの傍までたどり着くと、姉は苦し気な呼吸の合間に、言葉を絞り出した。
「せっかくの、お誕生日だったのに……こんな、ことに、なって……」
 姉の言葉に、私は涙目で首を横に振った。
「わたし、だいじょうぶだよ! だから、おねえちゃん、しんじゃヤダよ……!」
 たぶんその場の誰もが直接は言えなかったであろう言葉に、両親も、祖父母も目を伏せる。
 確かに『しんじゃえばいいのに』とは思った。でも、こうして本当に死ぬだなんて。
「ごめん。ごめんねぇ、ちぃちゃん……それはちょっと、難しそうかな……」
 姉の点滴に繋がれた手が、ベッドにしがみついていた私の頭に置かれた。
「やだっ、やだよぉ……! おねえちゃん、しんじゃやだあぁっ!」
 言ってしまえば、涙が止まらなくなった。声をあげて泣き出す私に、堪えきれなくなったように母が嗚咽をこぼすのが聞こえた。
「ごめんねぇ……その我儘は、叶えられそうに、ないなあ……でもね」
 姉が泣き続ける私の頭を弱々しくも優しく撫でて、言葉を切った。

「これでもう、全部、ちぃちゃんのものだからね」

 姉の言葉に、自分の心臓が止まるかと思った。
 驚きすぎて涙も止まって、姉の顔をこわごわと見れば、優しく微笑んでいた。
 姉さえいなければと思っていたこと、それ自体を見透かされた上で全く非難されなかったこと、その二つが私にはとても信じられないことだった。
「いっぱい、我慢させて……ごめんね……でも、もう、大丈夫だからね……」
 そう言った直後、姉の呼吸が激しく乱れて苦しみ出し、母が慌ててナースコールを押した。その後は医師や看護師が沢山駆けつけて騒然として処置していたけれども、私には何がなんだか分からないまま、姉は亡くなった。


 姉の贖罪は、5歳の私には重すぎた。
 姉が死んでしまったショックで、これでもう姉の発作によって色々なことを我慢しなくていいという喜びは、ほとんど湧き上がらなかったのだ。
 姉の通夜の時も、葬儀の時も、茫然とした気持ちで、病院であんなに泣いたのが嘘のように涙は出なかった。
『これでもう、全部、ちぃちゃんのものだからね』
 その言葉だけが、昏くリフレインしていた。
 葬祭場で行われた葬儀には姉のクラスメイトが全員参列して、無機質なパイプ椅子に座った真っ黒な喪服の参列者の中、夏服のカッターシャツと、襟とスカートだけ青灰色の白いセーラー服で、そこだけ白っぽく浮いていたことを覚えている。泣いている人、沈痛な面持ちの人、緊張した様子の人――姉のクラスメイトにも様々な表情の人がいた。でも皆一様に、暗い顔をしていたように思った。


 じっとしていなければならなくて窮屈だった葬儀の後は、火葬場に行って、姉の遺体が焼き上がるまでの間を、親戚一同と広間で精進料理を食べながら待った。
 お肉の入っていないお煮しめや豆腐の田楽などの料理はちっとも美味しくなくて、白ご飯と果物だけ食べた。
 食べ終わってから、お手洗いに行って母とまた元の部屋に帰る時に、入口近くの喫煙所で、親戚のおじさんたちが談笑していた姿を目撃したことを覚えている。
 会話の内容は聞き取れず、母も気づいていなかったが、私にはその姿が忘れられない程に衝撃的だった。
『おねえちゃんはしんじゃったのに、おかあさんも、おとうさんも、わたしも、こんなにかなしいのに、なんで、おじさんたちはわらってるの?』
 その親戚は祖母の弟大叔父達だった。怒りにも似た衝動と心からの疑問が、強く心に残って、それでも母には言えなかった。言っては母が余計に悲しくなるかもしれない、だから言ってはいけないと、幼心に配慮が生まれたのだった。
 今考えれば、近しくもない親戚の子供が亡くなったくらいで、大叔父達は大して悲しくなかったのだと分かる。それよりも、久しぶりに会った兄弟との話に花が咲くのは仕方ないことだとも思う。
 それでも、なまじ他人である姉のクラスメイトが神妙にしていた姿を見ていただけに、その時は信じられないものを見た気持ちになったのだ。


 そうして火葬が終わって、真っ白な灰と骨になった姉を見て、私はそこでようやく、もう二度と姉には会えないのだと実感が湧いて、泣きそうになった。
 それでも、その場で泣いている人はもう誰もいなかったので、必死で堪え、母に手助けされながら、長い箸でまだ熱い姉のおこつを骨壺に入れさせてもらった。
 そして、私より大きかった姉は、私より小さな骨壺に納まってしまった。
 私に呪いのような贖罪だけ残して、姉は墓地に眠ったのだった。
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