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22 私はね、怖いんだよ

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 恋人……?

 それは、思いがけない告白だった。一緒にいたいと思っていた。けれど、家政婦、もしくは友人という意味だと思っていた。
 恋人という言葉がクリスの中に染み渡るほどに、怖くなる。
 クリスの根幹にこびりついたような自尊心の低さは、十年以上にわたる根深い物だ。自分に価値がないと無意識に感じるその気持ちは、一朝一夕に消せる物ではない。

 クリスには、自分がライオネルに釣り合うとは、到底思えなかった。
 分不相応な幸せは、恐怖だ。
 うれしくてうれしくて、なのに絶対に駄目だと感じるのだ。こんな事、許されるわけがない。

「でも、僕、なんかじゃ、ライオネル様に釣り合わないと……」

 必死で絞り出した言葉は、困ったようなライオネルの言葉で、あっけなく否定される。

「平民同士で釣り合うもなにもないだろう……」

 確かに、ライオネルは騎士といっても平民の出だ。ただ、二十代で小隊長を任されるぐらい出世している騎士は十分にすごいと思うのだが。

「でも、騎士様とお手伝いの僕だなんて……」
「平民の騎士の妻の半分以上が、平民の普通の家の出だが」
「ぼ、僕は、親もいないし……」
「クリスの人柄がわかっているのに、それは関係ないな」
「で、でも……」

 無意識に逃げようとするクリスの逃げ道をライオネルがあっけなく塞いでゆく。

「クリス。騎士の伴侶とは、それだけで一種の仕事だ。騎士は仕事柄、あまり家のことに時間を割けない。家のことは誰かに頼むしかないんだ。大抵それは共に暮らす伴侶に頼むことになる。それだけ信頼してる相手だ。私にとって今の君以上相応しい人はいない。他に誰が相応しいというんだ」
「りょ、良家の、お嬢様、とか?」

 必死に絞り出したクリスの返事に、ライオネルは思いっきり顔を顰めた。

「……君は知らないと思うが。私と良家のお嬢様ほど相性の悪い物はない」

 低く呻くように呟いたライオネルの言葉に、クリスは意味がわからないと首をかしげる。
 騎士は、低く重々しい声で呟いた。

「私はね、怖いんだよ」
「……どこ、が………?」

 クリスはこんなに優しい人を他に知らない。それゆえに、全く意味がわからなかった。言葉の意味も、ライオネルの真剣さの意味も。
 しかし騎士は、重く呟いた。

「顔だ」
「かっこいいのに!!」

 意味がわからない!!
 クリスが理解ができず叫んだ瞬間、ライオネルが動いた。
 ライオネルの感激と、衝動を、クリスは理解できまい。

「……クリス。愛している。君しかいない」
「……ええぇ?」

 大きな身体に包み込まれるように抱きしめられる。逃げられないその安心感に、クリスはほんの少し、ほっとした。

 クリスはライオネルが好きだ。その好きの意味は、どういうことかまでは、考えたこともない。
 愛していると言われるのはうれしい。一緒にいて欲しいと言われるのもうれしい。一緒にいたいと思うクリスの気持ちも本当だ。
 抱きしめられてうれしい。
 けれど、どうしても「僕も」と、答えるのは怖かった。


 とりあえず、出て行くことは保留となった。
 ライオネルの気持ちが怖かったり気持ちが悪いというのなら家を出た方が良いが、そうでないのなら、留まってくれと懇願された。

 その上でライオネルへの返事は「まだ必要ない」と言われた。
 ライオネルのためだったら何でもできる。ライオネルが望むのなら、こんな身体で良いのなら、抱いてくれても構わない。
 けれど、突然に向けられたライオネルからの愛情は、どう受け止めたら良いのか分からなかった。

「無理強いは、決してしない。だが、ほんの少しだけ、私のことを意識して欲しい」

 クリスの手が取られて、その指先にキスを落とされる。
 今までずっと優しいばかりだった同居人のそんな求愛を見るのは初めてで、クリスの顔が一瞬にして熱くなる。
 こんな風に丁寧に口説かれたのは初めてで、しかもそれが大好きなライオネルで、言われなくても意識してしまうのは必至だ。

 このままで良いのかという不安はある。返事を保留にするぐらいなら家を出るべきではないかと思う。
 けれど懇願するライオネルに、嫌と言えるはずがない。

 恋人にと言われると、おそれおおいような怖さがぬぐえない。
 けれどライオネルの側にいたい気持ちは変わらず、そして必要だと言ってくれる言葉はうれしかった。
 まだしばらくは、このままで……。

「もう一度、抱きしめて良いだろうか」

 ライオネルが広げる腕の中に、おずおずとクリスは身をゆだねる。
 あたたかくて、安心できて、気持ちがよかった。

 僕も、あなたが好きです。

 そう思うのに、自分の気持ちがよくわからない。
 こわい。にげたい。そんな気持ちが渦巻く。
 クリスはライオネルの腕の中で、目を閉じた。
 ずっとそうしていたい幸せが、そこにあった。けれど、まだ何も考えたくなかった。


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