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十六話 包囲網(その二)
しおりを挟む攻撃をするふりをしながら徐々に重治たちの部隊は西へ西へと回り込んでいく。
もちろん敵の銃兵、弓兵の射程の外での事なので、犠牲者のでる事もない。
奇声や怒声が飛び交うなか、攻めあがっては引き上げ、攻めあがっては引き上げる。どうやって本気の攻撃に思わせるか、僅か二千人にも満たない統率のとれた部隊だからこそできた模擬訓練のような戦いであった。
少しずつ西に移動した重治たちは、敵の隙をついて最後の陣太鼓を合図に城に向かって大声を張り上げた。
「たいきゃぁく。退却するぞぉ!!」
丹羽隊、木ノ下隊ともに潮が引くように一斉に山から下り西に向かって駆け出した。
戦とは戦ってなんぼのもの。戦わない戦いを誰が想像できたであろうか。
観音寺城、箕作山城の二つの城兵たちは、攻めあがってくると思っていた敵兵が、一切の攻撃すらせず何もせずに退却していったのである。
兵力が整っていない上、ましては追撃する用意は戦闘の始まってすぐの城の中で、準備されているはずもなかったのである。
こうして、重治たちは、一人の兵を失うこともなく、絶対的難所であった戦場を通り抜けることができたのである。
その頃、信長は京山科口で長い時間、足止めを余儀なくされていた。
近江坂本口で陣を張る朝倉軍は、姉川の戦いに比べ二倍の兵力で信長包囲に加わっていた。
そして兵力もさることながら、埋め尽くされた敵兵のいる狭い谷合を通り抜けなければならない信長にとっては、至って不利な状況下であった。
「まだ、抜けぬか……」
「はっ、申し訳ありません。なにぶんにも地理的不利を打開すべき策がみつからず……」
信長のイライラは頂点に達していた。
「もう、よいっ」
「はっ」
信長は、戦況を報告にきた伝令のデジャブを繰り返すような全く同じ報告に、あきらめさえを感じはじめていた。
「これまでの運命か……、もう一度、あやつにあっておきたかったのぉ……。重治の言に従っておれば……いや、しかし、あの時の選択は、決して間違いでは……」
『もう少し、あと少し頑張ってください。』
伝令の去ったあと、一人物思いにふける信長の耳に、聞こえるはずのない声が言葉が届いていた。
「オヤカタサマー、オヤカタサマー」
陣幕の外、しかもかなり離れたその場所よりその叫び声は響き渡っていた。
その声は、次第に大きくなり、やがて落胆していた信長の耳にもはっきりと届き、やがて目の前の陣幕が勢いよく開け放たれた。
「お館様、谷合での小競り合いしかできずにいた勝家様が谷を抜け出し、坂本口の敵に攻め込んだ模様であります」
「な、なんと、勝家がか…。よくぞ、よくぞでかした。すぐに援軍を送り込め」
「はっ」
谷間の出口を敵に封鎖されていたため、そこから先へ進む事ができなかった信長軍が、突然の敵軍の大混乱によって一気に、谷間の出口、坂本口を占拠する事に成功したのである。
勝家が谷を攻めあぐねていたほんの少し前、観音寺、箕作山の両城から追撃されることもなく無事、浅井・朝倉軍の陣取る坂本口の近くまで重治達は、やって来ていた。
「重治、そちのお陰で無事に、ここまで来る事ができた。礼を言う」
「何を仰いますか、長秀様。その言葉は無事、信長様を救い出した時に、ゆっくりと聞かせていただきます」
「何を謙遜しておるか。わしも丹羽様も重治抜きでは、この場所にさえ来ること、かなわなかったわ」
そんな藤吉郎は笑みを浮かべていた。
「いえ、藤吉郎様、問題は、これからなのです」
難関を無事突破して気がゆるんだのか、はしゃぐ藤吉郎に、厳しい口調でたしなめた。
「あぁ、そうだな。敵の数は三万とも四万とも聞く‥‥」
「よ、四万…に、丹羽さま、ほんとうでございますか?!」
「どうした、藤吉郎。ふるえておるではないか。はっははは」
「な、なんの、こ、これは、武者震いでござるよ。はは、ははは‥‥」
重治は、これから行おうとする策を長秀と藤吉郎に詳しく説明を始めた。
「長秀様、藤吉郎様、はっきり申し上げて、このままの状況で戦っても勝てる見込みは全くありません」
「では、どうする。重治、おまえの事ならば、何らかの策を用意しているのであだろう」
「‥‥はい。しかし、これは、策と言えるかどうか。‥‥ただ、何もしないで手をこまねいていているだけでは、何も始まりはしません」
「うむ。で、その策ではない策とは‥‥」
「新平!」
「おおぅ」
重治の護衛として従っていた新平は、長秀と藤吉郎に気を使い、少し離れた場所に控えていた。
そんな新平が重治に呼ばれた。
にこやかな晴れ晴れとした顔を見せる新平は、重治達に近づいてきた。
「重治様、お呼びですか。もしかすると、わしの出番ですかな。はっははは」
「新平。むちゃな頼みは承知の上で、お前にお願いする」
「なんですか、その他人行儀な物言いは。重治様は、わしのあるじ。その重治様の行けの一言で、地獄の果てにでも、行って見せましょうぞ!」
この後、新平を加えての重治の言う、策ではない策、苦肉の策とも言える内容が皆に打ち明けられた。
「新平殿、お主は、ほんとうに、それで良いのか」
「丹羽殿、心配してくださり、かたじけない。しかし先駆けにとって、単身敵陣に切り込むは、武士の誉。心配御無用でございまする」
「しかし、新平殿は、元浅井家のお方。そのあなたに任せて良いものか」
「失礼だぞ、藤吉郎」
「はぁ、しかしですな……」
ここにきて、不安の消えない藤吉郎は、思いを口にし始めた。
「確かに、木ノ下殿の申すこと、ごもっとも。しかし、わしは、すでに死人。浅井にわしの居場所など有りはもうさぬ」
「……まぁ、皆さんが、それでいいのであれば、それがしとしては……」
「藤吉郎殿、わしの働き、その目でしっかりと見極めよ。わしが重治様を裏切るようなことは、なにがあろうとありえぬわ」
藤吉郎の疑いの言葉に、新平は、いつもとは違う真剣な面持ちで、力強く、はっきりと、そう叫んでいた。
「重治様。わしは、お先に準備にかからせていただきます。では、丹羽殿、木ノ下殿、戦場で‥‥」
そういうと、新平はその場から離れていった。
「あとは、敵に潜入している、私の手の者からの合図を待つだけです。合図がありしだい、一気に攻め込みたいと思います。お二方、よろしくお願いします」
「うむ、心得た。藤吉郎、すぐに準備だ。新平殿に遅れをとるでないぞ」
「もちろんです。長秀様、おまかせを」
長秀と藤吉郎は、すぐさま自分の部隊へと戻っていった。
重治は、二人を見送るのもそこそこに、新平の元へと急いでむかった。
小高い丘。坂本口の敵陣を眺める事のできる場所に立つ山崎新平は、敵陣の方をじっと見つめていた。
重治は、声をかけるのをためらうほどの重厚な雰囲気わ漂わせていた。
しかし、自分の後ろ近づく重治の気配に、新平はすぐに気づいた。
新平はゆっくりと重治の方を振り向き重治よりも先に声をかけたのである。
「わが殿。なにを情けない顔をしていなさる?!」
「……しんぺい」
重治は、新平の気持ちをおもんばかり、どうしても言葉がでてこなかった。
ついぞ最近まで、ともに戦ってきた仲間に対して、槍を振るうのである。
いくら戦国の習わしであっても、人の気持ちというものは、そう簡単に割り切れるものではない。
言葉の代わりに、いつしか重治の目からは、涙が溢れ出していた。
「ほら、涙をおふきなされ。大将のあなた様がそれでは、部隊の士気にかかわりまするぞ」
「……う、うん。…わかってる…」
重治は、素直に新平の言葉に素直にうなずいていた。
「それに、……自分の臣下を送り出す時は、いくらどんなに困難な命令を下そうとも、その時は、笑って見送ってくだされ。その笑顔が我らの力となりまする」
「…………」
「その通りです」
ふいにかけられた言葉に振り向いたそこには、伊蔵の微笑みがあった。
「重治様は、お優しすぎるのです。我らは重治様に命を預けて……」
「待て、待て、待て、伊蔵殿。そのような言いようでは、なおのこと重治様は苦しまれよう。重治様は、常に我らの事を案じてくださっているのだ」
「これは、私としたことが失言いたした」
「……いいえ、ごめんなさい。こんな頼りのない主で‥‥」
そう言うと、重治は、新平と伊蔵の二人に深々と頭をさげた。
「‥‥重治様。どうか、勘違いなさらないでいただきたいのです。我らは、自らの意志で行動しているのです。決して命令されたから動いている訳ではないのです」
「……しかし、‥‥」
重治は、半べそをかいた子供そのものであった。
「重治様、我々はこの戦乱の世の中で、重治様と共に生きていこうと決めた仲間です」
「そ、そうです。一人がみんなのために、みんなが一人のために努力する事を惜しまないだけなのですぞ」
「…………」
「重治様が見たい世界を我々も共に見てみたい。それだけなのです。‥‥さぁ、伊蔵殿が戻られたということは準備が整ったということ。重治様、命令をお出しくだされ」
重治は、二人の説得に納得しきれない気持ちを心の奥に押し込め、二人を見つめた。
その目は、先ほどまでとは打って変わって、しっかりと意志を固めた揺らぎのないものであった。
『今を生きぬく』そのことだけを心に強く念じ続ける重治であった。
「伊蔵、準備はいいのだな!!」
「はっ。あとは新平様、次第」
「はっははは、言ってくれるな。ふふ、任せておけ」
伊蔵は、その言葉を聞いて、にっこりと微笑んでいた。
「では、新平。出陣しましょう」
「はっ」
新平は、そのまま愛馬の繋がれた場所へ、重治と伊蔵は、それぞれ長秀と藤吉郎の元へ出陣を知らせるために向かっていった。
敵の数は二十倍以上、重治に勝算などはまるでなかった。
ただ、一つ誰も知らない歴史の流れ、この戦いの結末だけを頼りに、ここまで一緒に来たもの達に突撃を命じなければならなかったのである。
自分のこの行動が信長の運命を決めている事を信じて。
「我々は、必ずや勝つ!」
「うぅおー」
味方の士気は決して低くはない。大軍が目前にあろうとも、そばには、これまで劣勢を何度も跳ね返した奇蹟の軍師が存在する。
「出陣いたす。皆のもの、我に続けけぇー」
「うおぉおー」
山崎新平を先頭に、一斉に敵陣に向かって出陣していく。
もちろん、その中には奇蹟の軍師、重治の姿もあった。
戦いの中、自分だけが安全な場所に身をおく事をよしとはしなかっのである。
浅井・朝倉の軍団は、西、京の都の信長に対して陣を敷いていた。
東に対する備えは万全であった。したがって来るはずのない東からの敵兵に対しての備えはなく、絶対的有利に立っていた事が、部隊の緊張感を失わせていた。
数的有利に地理的有利。勝利を目前にして緩み切った緊張感、低くなっていく士気。そんな者達が奇襲をうけたなら。
重治たちが接近を試みても発見されない。発見、それは、切り込みを開始した時であった。
「?てき??敵か???、て、敵だぁ、敵が現れたぞぉ!!」
「ば、ばかな。な、なぜ、東から??備えは、万全ではなかったのか?」
「あ、あれを見ろ。あの先駆けは、死んだはずの山崎さまだぁ!」
「亡霊が現れたぁ。逃げろ、逃げろぉ。かなう訳がない、逃げろ、逃げるんだぁ」
浅井・朝倉の軍団は、現れるはずのなかった敵兵に驚き、混乱を起こす。
その混乱を助長したのは、重治の放った忍者達だった。忍びたちの絶叫は混乱を部隊全域へと拡大させる。
浅井・朝倉軍は、見る見るうちに大混乱へと変わり、なにもぜずに逃げ出すものたちさえ現れる始末であった。
そんな敵軍の様子は、京の都側で陣を張る織田方からも、当然確認できていた。
そして、敵の混乱を放っておくほど、百戦錬磨の武将、柴田勝家は甘くない。
「敵は混乱しておるぞ。今が好機じゃ、全軍、突撃じゃあ!」
勝家は、好機と見るや否や、全軍に総攻撃を命じた。
織田方にとって、一週間以上も小競り合いを続けているだけで全く進展しなかった状況が、この時、一気に織田方へと傾いていったのである。
山崎新平は、重治の期待していた以上の活躍をしていた。
単騎、敵軍に突っ込んで縦横無尽に動き廻る。
新平の強さを誰よりも知っている浅井の兵たちである。新平に刃向かう勇気ある者などなく、ただ逃げまどうばかりであった。
浅井・朝倉の連合軍のうち、新平を知る浅井軍が総崩れとなると、それに伴って主力である朝倉の兵士たちにも混乱が伝染していった。
混乱が広がる中、勝家の部隊が一気に突撃を仕掛けて来たのである。浅井・朝倉の連合軍は、為すすべもなく、退却をする以外、道は残されていなかったのであった。
総崩れとなった浅井・朝倉軍は、九月二十四日 これまで聖地と崇められてきた比叡山に逃げ込み、籠城する策をとったのである。
信長は、浅井・朝倉軍を追い詰めるべく、山科口から比叡山のふもとの坂本へ進軍し布陣をした。
その後、浅井・朝倉の立てこもる比叡山の周囲を蟻の這い出る隙間さえないほどの包囲を開始した。
しかし、この策は信長の実弟を殺されたという恨みによる、怒りに任せた愚策であったと言える。
信長は、聖地比叡山に対して、何度も使者を送っている。
その内容は次の通りである。
信長に味方するならば比叡山領を安堵する。
出家しているから味方できぬというならば、せめて中立の立場をとるべし。
これが聞けぬのならば全山焼き払うべし。
などと言うのが主だった内容であった。
この当時の比叡山は、日本の国の守り神として崇められており、いかなる大義名分を持ってしても攻めいることが許されない不可侵の地であった。
それを逆手にとっての浅井・朝倉の籠城であったのである。
「大殿。ここは一旦、撤退をして、立て直しをはかるのが良いかと」
「……」
「殿。北に浅井・朝倉、西には本願寺・細川・三好それに阿波の軍勢まで摂津に上陸したとのこと」
「……」
「それだけでは、ありませぬ。岐阜への退路が本願寺の門徒衆の蜂起によって断たれようとしております」
矢継ぎ早、織田軍に不利な状況が信長のもとに報告されていた。
信長の本陣では、比叡山に籠城する敵を前に連日作戦会議がもようされていた。
しかしその内容は刻々と深刻になる状況が伝令よりもたらされる事の報告に終始しており、実質的には、手も足も出せない状態に陥っており、全く打開策を見いだせずにいたのである。
撤退する時期を逸した織田軍は膠着状態に陥ってから二カ月近くも動けずにいた。朝廷の遣いである公家達の説得に、さほどの時は必要とはしなかった。
重治の持ちうる知識は、毎日を暇で持て余し、何かおもしろい、珍しいものに飢えていた公家達にとっては、何にも代えられないものであった。
信長が窮地に追い込まれていたその時、重治のその姿は京の都にあった。
ある公家の屋敷に訪れた時など重治は、何日も帰してもらえなかったりもした。
待機していた伊蔵が心配で屋敷に忍びこんできたぐらいであった。
重治のそばにいてどんな話でも聞き出そうと離してもらえなかったのある。
重治はこの時、自分でも気づかないうちに公家や朝廷に大きなパイプを築いた事になっていた。
織田家と断絶状態であった将軍・足利義昭は、たくさんの公家たちの口添えにより織田家の使者としての重治との謁見をやっと認めたのである。
「ほう、そちが信長の遣いとやらか…」
「はっ。お目通りかない、恐悦至極。此度、我が殿の願い、是非にかなえていただくたく……」
「まあ、待て。確かに書状は受け取り、その願いとやらもわかった。しかしじゃ、その願いをわしにするのは、お門違いではないのかな」
「……確かに、将軍である義昭様と信長様は、気持ちの行き違いでの確執を生んでしまいました。しかしそれは、決して織田家が将軍家の足利様に弓引くものではありません」
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