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二十七話 小谷城攻め浅井家の最後(その一)
しおりを挟む朝倉家の最後を見ることなく信長は、いち早く浅井家攻略の最前線の砦、虎御前山に戻っていた。
「では、手はず通りに致します」
「待て、重治。どうしてもその方が行かねばならぬのか!?」
そんな信長の言葉に、重治は優しく微笑んだ。
「私でなければ、お市様は、動いてくれないでしょうから‥‥」
「……ならば、必ず、無事に帰ると約束せい!!」
重治は、一分一秒を争う大事な時に、子供のように駄々をこねる信長を相手に、困り果てていた。
「‥‥大丈夫です。必ず戻ります」
「‥‥うむ。……本当に、そなたでなければ、ならぬのか…重治、市の命よりもそなたの…」
「ふぅ‥‥。はい、ですから……」
何度目かの同じやりとりを信長と繰り返していた時、凄い勢いで伝令が駆け込んできた。
「ご報告致します。朝倉義景。越前大野賢松寺にて自刃致しました」
「‥うむ、ご苦労」
「はっ」
伝令は、深く頭を下げた後、その場から下がった。
織田家にとり吉報のはずであった。しかし今の信長にとって朝倉家の終幕に興味はない。
「信長様。浅井にも今の知らせが、今日、明日にも届くでしょう。そうなると、潜入がより困難になります」
「わかっておる‥‥。気をつけてな。……それから、市の事よりも、まず、自分の命の安全を考えよ」
「はい。‥‥では、行ってまいります」
重治は、軽く跪き、深く頭を下げた後、立ち上がり、くるりと信長に背を向けると、振り返る事なく、その場をあとにしたのである。
重治の向かう先。それは二人の会話からも簡単に連想される浅井家の居城、難攻不落といわれる小谷城である。
小谷城への侵入は、朝倉家の滅亡の報告が届いていないせいなのか、重治の想像よりもはるかに容易に成功していた。
難攻不落とうたわれる小谷城は、いくつかの連なる山々と入り組んだ谷間を組み合わせた、それらの山全体をもって、一つの城となしていた。
山頂、城郭への道は、複雑に構成され、山や谷が天然の防壁となり、敵軍の侵攻を妨げていた。
広大な面積を有する小谷城では、城の中に城下町が作られており、兵士以外の普通の町人までが生活を営んでいた。
重治たちが潜入を試みた時、まだ町人たちの城への出入りが禁止されておらず、城への潜入は無警戒のままに成されたのであった。
しかし、今回の潜入に際しての障害が、決してなかった訳ではない。
重治と伊蔵の知恵を持ってしても、おいそれとは解決しなかった、最大の難関事があった。
いや、むしろその事には触れないよう、気ずかれないように、隠密利行動した事が成功へ結びついたと言えよう。
その難関事、それは、山崎新平をどうやって納得させ、留守番させるかということである。
浅井家一の先駆け武将といわれた山崎新平。
その新平の顔が、攻略に向かう小谷で知られていない訳はなく、大きな体に目立った容姿の新平が、怪しまれる事なく、小谷城での行動ができる道理は、ありはしなかったのである。
しかし新平の性格からいっても、浅井家攻略時に不参加、一人留守をさせる方法をたとえ奇蹟の軍師重治とてひねり出す事が出来ない。
重治と伊蔵は、苦肉の作として、新平のための偽装任務を作り上げ、あらかじめ小谷潜入工作前に、末松と二人、越後の謙信の所へ向かわせたのであった。
こういう苦労?のかいがあってか、無事見事潜入。今に至る訳である。
重治たち三人が、小谷の城下町に入った時、町は何事もないかのように、営みを続けていた。
重治たち三人がとる最良の道は、朝倉家滅亡の報告が、町に広がった時の混乱に乗じて、城郭内に入り込むというものである。
三人は、まずは、その潜入の機会のため町人姿から足軽姿への変装を始めた。
その頃、虎御前山では、朝倉攻めに加わっていた武将たちが戦いを終え、浅井家攻略のため続々と集結し始めていた。
その様は、もちろん虎御前山から対面している小谷側からも確認する事が出来ていた。
小谷城は、城郭部、城下町と言わず、小谷の山、全てがざわめき始めていた。
城郭の奥深くで控える、浅井久政・長政親子にその虎御前山の異変の様子が報告がなされていたとき、朝倉家滅亡の急報が届けられた。
「誠か!?……朝倉がこれほど早く……」
「‥‥父上。今からでも遅くはありませぬ。義兄上信長殿に、降伏してくだされ」
「何を今さら‥‥。盟友、朝倉家が滅びた今、我ら浅井が、織田家に下る訳にはいかぬ」
「しかし……」
「えぇい、それ以上、何も申すな!」
長政は、父親の久政に何度も説得を試みていた。
しかし、久政は、頑なに織田家への降伏を拒み続けたのである。
重治たちの潜入している城下町でも、朝倉家滅亡の話しが、一気に広がっていた。
町人たちは、家財道具を持てるだけ持ち、山を下り出す者で、上へ下への大騒ぎとなっていた。
「そろそろ、頃合いのようです」
「うん‥‥。伊蔵、才蔵、頼むぞ」
重治のかけた言葉に、伊蔵と才蔵は、静かに首を縦に振った。
重治に肯定の意をうなずきでかえし、二人は山道を天守閣へと向かい登って行った。
重治たち三人にしてみれば、過去には一度は潜入を成功させた城である。多少の状況の違いは有るにせよ、ある程度までの警備の状況は掴めている。
しかし、その時(十三章参照)とは、浅井家の置かれた状況は、今とは大きく異なる点があった。それは、後ろ盾となっていた朝倉家は、既にないということである。
重治が、この困難な潜入を強行したのには、重治なりのはっきりとした理由があった。
前回、小谷城に潜入した時、この城の攻略は、並大抵の事では果たせないと言うのが重治にとっての感想であった。
しかし、重治の知る限りの歴史では、浅井攻め小谷城攻略は、わずかの日数で羽柴秀吉が成し遂げている。
史実と現実。重治の感じとった事実と史実とでは、常識的に考えられないほど大きな隔たりがある。
それと、もう一つ。重治がこの時代に来て知った大きな事実がある。
それは、信長の妹であり、長政の妻である市姫の性格である。
重治にとって、若かりし市姫を知り、しかも、妻として母親として、全く今も変わる事がなかった市姫を重治は目の当たりにしてきていた。
そんな市姫という人物は、どんな危機が訪れようとも、伴侶である長政を見捨てて離れる事など、有りはしないということを重治は最も理解している一人であった。
だからこそ、史実で、秀吉が小谷城から、戦いのさなか、市姫を救出したという記録に、強い疑いを重治は持っていたのである。
秀吉に市姫を説得する事など不可能。では、誰が。
その事を考えた時、結論として導き出した答えが、重治、自らが小谷城へ市姫を救出に向かうというものである。
重治が小谷城へと上手く潜入を成した頃、小谷と対面している虎御前山の織田軍の本陣では、戦の準備の整った諸将が集められ、総攻撃の為の軍議が開かれていた。
「お館様、まずは浅井に対して、降伏を呼びかけてはいかがですか。お市様の事を考えるとそれが最善策かと」
「お館様。柴田殿の申すこと、もっともでござる。総攻撃は、今一度、考え直してくだされ」
重臣である柴田勝家の言葉に続き、丹羽長秀までもが小谷城への総攻撃に対して、信長に再考を求めてきたのであった。
「勝家様、長秀様の申すこともっともなれど、混乱している今こそが、小谷攻略の好機。この時を逃せば、難攻不落と云われた小谷城。多大な被害も覚悟せねばなりませぬ」
足利攻めに置いて、ライバルであった明智光秀に大きく差を付けられた羽柴秀吉が、勝家、長秀の意見に対して反論を述べた。
「猿よ、何を申すか。それではお前は、お市様を見殺しにすると申すのか!?」
語気を強めた勝家が、秀吉に噛みつかんがばかりに怒鳴りつけた。
しかし、それでも秀吉は、一歩も引かない。
「それがしが、それがしが必ず‥‥お市様をお救いいたす。この命に代えても必ず‥‥」
この時、秀吉は、初めて勝家と対等な位置で意見を述べたのである。
羽柴秀吉。それまでは、木ノ下藤吉郎秀吉と名乗っていたのだが、横山城を任されるにあたり、羽柴姓に改名をしている。
羽柴の羽は、丹羽長秀の羽。羽柴の柴は、柴田勝家の柴。織田家重臣の二人の名から一文字ずつ拝領して作った名字であった。
これまで、常に二人の重臣を意識して行動していた秀吉だが、新参者でありながら足利攻めでの勲功により、筆頭家老にまで登りつめた明智光秀に強い影響を受け、初めて他人を気にせず、自らが階段を登り始めるきっかけとなったのである。
「命に代えてだと!?猿の命とお市様の命では、代えようなどないわ!!」
勝家と秀吉の睨み合いは続いた。
ざわめく議場のなか、一瞬の静寂が流れた。
その時を待っていたかのように信長が口を開いた。
「明朝、小谷への攻撃を開始する。先鋒は、秀吉。……言った言葉の責をとれ」
突然、それだけを言うと、信長は立ち上がり、そしてそのまま軍議場を後にしたのである。
信長の去った議場は、大騒ぎとなった。
それもそのはずである。ほとんどの将は、信長が妹の市姫の命を最優先するものと思い込んでいた。
それが、いくら策略上手の秀吉であっても、降伏勧告もなしに攻撃を命じるとは、誰一人として考えもしない決定であったのである。
難攻不落といわれる小谷攻略ではあるが、秀吉にとっては、全く勝算が無いわけではなかった。
他の諸将らとは違い秀吉は、横山城主に任ぜられてからは、いつかは、やってくる小谷攻城戦に出来うるかぎりの対策をとってきていたのである。
「さあ、大変な事になったわい」
虎御前山での軍議を終え秀吉は、即座に横山城に帰還していた。
「半兵衛。半兵衛は、いるか!?」
「これは、殿。お帰りなさいませ」
「何を呑気に。半兵衛の言うとおりに進言したならば、小谷の先鋒を仰せつかったわい……」
秀吉にとっての懐刀、名軍師の竹中半兵衛が、横山城でその時を待っていた。
「では、出陣は明朝ですかな!?」
半兵衛は軍議のときの信長の言葉を聞いていたかのように、平然と出陣を言い当てた。
「‥‥うむ。とにもかくにも、まずは、出陣のしたくだな」
「そうですね。‥‥では、出陣の準備のほうは、小一郎様に任せて、調略の詰めに参りましょうか」
半兵衛は、まったく焦る素振りは見せず、すべてが予想された範疇の出来事として、淡々と指示を出していった。
「小一郎様。明朝、そのような手筈で、お願い致します」
「わかりもうした。ではその通りに」
半兵衛の指示を得て、小一郎が、準備のために駆け出していく。
出陣の刻限、明朝までには、すでに半日を切っていた。
竹中半兵衛が軍師を務める羽柴部隊が、先鋒を任される事は、実を言えば信長、重治、半兵衛の三人の話し合いで決められていたもので、軍議場での秀吉の一世一代の発言は、秀吉本人の知らない、重治の練り上げたストーリーの一部分であったのだ。
これまで半兵衛の指示によって行われてきた調略と重治の持つ優秀な忍び達の機動力、そして朝倉家滅亡の絶好のタイミング。三つの事柄が重なりあって、初めて成される小谷城攻略であった。
町人に扮した秀吉と半兵衛が、小谷城から逃げ出してくる町人たちの流れに逆らって山を登って行く。
その頃、すでに小谷の城下町に入り込んでいた重治は、伊蔵の知らせを待ちわびていた。
忍びである伊蔵と才蔵に、詳しい城内の警備の様子を探らせていたのである。
小谷の城は、町人や足軽の居住区としての城下町と武将たちの住む武家町。それと、当主が住まう戦術的に言う城郭の部分とが別れている複雑な三重構造になっていた。
重治は、その中で、もっとも出入りのし易い城下町の部分で、すでに城から逃げ出し、住むものの居なくなった空き家になった古びた民家で待機していた。
誰もいない空き家にただ一人、重治は、強い緊張感のなか、伊蔵たちの帰りを待って時を過ごしていた。
強い緊張の連続からの反動だろうか、ふと、重治の脳裏に、出かけに見せた信長の情け無い半べそをかいたような表情が思い出されていた。
重治が小谷に向かう前、最後に挨拶をと、信長のもとに訪れた時の事である。
「‥‥危険じゃぞ!!……市のことなら、もうあきらめておるのじゃ‥‥。そんな危険を犯さずとも……」
あの時の信長の表情を重治は、きっと終生忘れる事はないであろうと感じた。
駄々をこねる子供のように、どうしようもなく、最後には苦虫を噛みつぶした、何とも言い難い複雑な表情を重治に見せた。
その信長の顔は、とても天下布武を旗印に進む、大名のものではない。
決して誰にも見せる事のない、唯一、重治だけに見せる、内なる信長の姿であった。
今の重治のおかれた状況下を知るものが、重治の表情を見たならば、正気を逸してしまったと思ったかもしれない。
突然、にったりと笑ったかと思うと、すぐさま眉間にしわが入り、極端に表情が引き締まる。それが、何度も何度も繰り返されるのである。
何とも言い難い可笑しな信長の表情を思い浮かべては、信長の優しさ思いやりを感じていた。
歴史への干渉、確かに不安だらけである。何度か現在に戻され自らが関わった史実との記憶の中にある知識とのズレ。
重治が個として、本当に干渉してよいものなのか。
一人きりになると、弱い自分が次から次へと不安を生み出す。
「ふうぅ、ほんと駄目だな…もう、決めたのに…」
歴史の流れがどう変わろうとそれは結果で結論。
重治は、優しい信長が大好きである。結果結論がどうであれ『大好きな信長の笑顔』を守る、ただそれだけである。心を新たに、自分自身を引き締め直す重治であった。
「お待たせしました」
突然の背後からの言葉に、百面相に極度の落ち込み。そんな感情の起伏の変遷中だった重治は、飛び上がるほど驚いた。
決して油断をしていたわけではない。
いつ、敵に囲まれるかもしれない、敵のまっただ中にいて、油断などしようはずがない。
しかし、いくらいろんな修行を積んできている重治とて、本気で気配を断った伊蔵たちの動きに気づくことは、到底かなわない。
重治は、さも、何事も無かったかのように、精一杯さり気なく、ゆっくりと後ろを振り向いた。
「どうだった?」
いっさいの動揺を隠して対応する重治の様子は、伊蔵や才蔵の上にたつ者、命を預かる者としての自覚の現れである。
優秀な家臣を持つが故に、それに相応しい人物、主になろうとする重治自身が垣間見えた瞬間であった。
「わたしの見る限り、浅井家の者に、戦う意志は感じられません」
「警備も、ざるでした。大概の場所に、出入りが自由です」
重治の成長、強がりを眩しく感じつつ、伊蔵と才蔵は報告を続ける。
「すでに、大半の諸将は、秀吉様による調略を受けており、今の状況で、調略を受け入れないとすれば、家老の赤尾美作守清綱、ただ一人とおもわれます」
「‥‥それから、城の外からの報告なのですが、明朝、羽柴隊が先鋒を勤め、予定していた通りに攻撃を開始致します」
ご先祖さま、竹中半兵衛との連携も順調にいっている事を知り、重治は、ふっと息をついた。
このまま、大きな支障さえ発生しなければ、問題なく、一気に小谷城の攻略を成すことが出来る筈である。
あとは、重治が信長の妹、市姫をどう説得するかにかかっていた。
「では、夜が明ける、日の出前に行動を開始しよう」
「はっ」
重治の言葉に頷いたあと伊蔵が、才蔵に目で合図を送った。
合図を受けた才蔵は、再び、空き家から、薄暗くなりつつある城下町へと出かけていったのである。
「重治様‥‥」
「うん?」
「少し、お眠りになられてはいかがですか‥‥」
伊蔵にそう言われて、重治は、この二日間、まともに睡眠をとっていない事を初めて意識した。
極度な緊張や集中が続いているせいか、重治は、全くの睡眠をとっていないにも関わらず、眠いという感覚に襲われずにいたのである。
重治は、眠くなるという感覚の代わりに、神経が研ぎ澄まされ、集中力がさらに高まり、逆に、頭の回転が良いんではないかと思われるような状態になっていた。
俗に言う、覚醒状態である。
「うん、ありがとう‥‥。でも、仕事が済むまでは眠らないでおくよ」
重治は、眠くない事も理由の一つではあるが、今のこの覚醒状態が眠ることによって解かれる事を恐れ、そう伊蔵に答えた。
これから最大の山場を迎える重治にとって、頭のなかで様々な状況のシミュレーションをこなすのに、今のこの状態は、持って来いと言っても良かったのである。
重治は、明け方近く行動を開始する寸前まで、万全を期するための様々なシミユレーションをこなしていた。
そして、遂にそのシミュレーションを生かす時がきたのである。
偵察行動、全てを終えた才蔵が、行動開始の確認に、伊蔵のもとへと戻ってきたのである。
重治が突然後ろを振り向いた。
しかしそこには、まだ、誰もいない。
「才蔵が戻ったみたいだ……」
重治が振り向いてから、やや遅れて、伊蔵が才蔵の帰還の気配に気がついた。
重治の言葉から、少し間をおいて、才蔵が重治たちのいる部屋に入ってきた。
「……ただいま戻りました」
才蔵は、部屋に入った瞬間、四つの瞳が自分を捉えている事に驚いた。
兄である伊蔵に自分の動きを掴まれる事は仕方ないとして、忍びの修行をしたわけでもない、主の重治に、才蔵は、自分の帰還の気配に気づかれた事に驚愕した。
伊蔵ら兄弟三人は、互いの能力を高めあうため、背後を取り合ったり、互いの隙を着く修行をどんなときにも欠かさない。
今、才蔵がこの空き家に戻って来るときにも当然そういう気配を消す行為をおこなっていたのは当然のことであった。
「兄じゃ。俺、疲れてるのかな……」
突然の才蔵の言葉に、最初は意味のわからなかった伊蔵ではあったが、才蔵の重治を見つめる様子見て、伊蔵は、才蔵の思いを察知した。
「はははは、気にするな。今の重治様の背後は、私でもとれない」
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