裏信長記 (少しぐらい歴史に強くたって現実は厳しいんです)

ろくさん

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三十三話 謀殺(その二)

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奇襲に成功して、窮地の長篠城を解放。
その上、武田軍を挟み込む事になり、ますます戦いを優位に進められているのにもかかわらず、重治の気持ちが晴れることはなかった。

いや、それよりも、何故か、心に灯った不安の光が、どんどん広がり大きくなっていくのを感じていた。


「‥‥伊蔵。本陣に戻るぞ!!」


「重治様、それはあまりに無謀です。今、動くことがどれほど危険か……」


「……わかってる。わかっているんだが‥‥」


重治は、自分の抱える理由なき不安を伊蔵に告げた。

ただの思い過ごしかもしれない。
それでも、どう否定してみても重治には、そんな理由なき不安を掻き消す事ができないのである。


後方に敵軍の現れた武田軍は、当然の事、後方にも注意を払う。
そんな警戒厳重な戦場を無事に、通り抜けられる訳はなかった。


ましてや次の日には、設楽原で陣をしく織田・徳川連合軍は武田軍と真正面からぶつかり合う。

その事を知る重治には、武田軍を迂回して、時間をかけて本陣へ帰還する事が手遅れとなり、全てを無意味なものとする。そんな予感が感じられていたのである。


重治は、伊蔵の猛烈な反対を無視して、その日の深夜、信長本陣への帰還を目指し、酒井忠次の陣を出立する旨を伊蔵に告げた。


伊蔵にとっては、主である重治の安否のみが重要な事であって、信長に迫る危険には、伊蔵は全く興味はなかった。

しかし、主である重治が危険を省みず、その場に向かうとなれば、それを見過ごす事など伊蔵に出来るわけはない。


伊蔵は、渋々ながらも重治の行動を受け入れるしかなかった。


かくして、重治と伊蔵の二人は、深夜になってから、最初に信長本陣から鳶ヶ巣山砦に向かった山道を逆に辿りだした。


深夜の灯りと言えば、木々の間から差し込む月明かりのみであり、重治たちは足元さえはっきり見えない道を本陣へと急いだ。


そんな足元すらはっきりと確認出来ない状況では、重治が頼りに出来るのは、夜目のきく伊蔵だけである。
殺気を放つ刺客相手ならば、重治でも何とか戦う事は出来る。しかし相手が自然では、夜目の効かない重治には、伊蔵のお荷物にしかなりえはしなかったのである。



長篠城の牽制に残した三千の兵が強襲を受けて敗れた報告は、当然、勝頼の元へも届いていた。

前後を挟みうちにされた者のとるみちは、前後の敵の連携を絶つようにするぐらいしかない。


重治が今、織田本陣に戻るということは、例え敵影の薄い、まったく同じ道を通るとしても、奇襲のために山中を縦断した行きの状況とは、まるで危険度は違っていた。


重治と伊蔵は、途中何度も警戒のための巡回する敵に出くわし、そのたび、迂回する事を繰り返した。



「??、重治様、どうかなさいましたか?」


「……」


「大丈夫です。必ず間に合わせますから‥‥」


伊蔵は、重治の様子が何時もとは違うことが気になり、周りの安全を確認したうえで重治に声をかけた。


「‥‥ごめんね、迷惑ばかり……」


「何を仰いますか。迷惑などと‥‥、私は‥‥私たち三人の兄弟は、重治様のためなら、どんな困難も厭いません。だだ、重治様の御身が心配なだけで御座いますから‥‥」


かすかな月明かりを頼りに、敵の真っ只中を通り抜ける。
これがどんなに危険な事であったのか、今更ながらに強く感じる重治であった。


夜目の効かない重治は、小さな子供が母親に手を引かれるように伊蔵に導かれていく。
どんな道無き道でも、より早く、より安全に進んでいく。


重治達が敵のいない安全な場所にたどり着いた時、既に辺りは明るくなり始め、戦いの始まる夜明けまで、時は僅かにしか残されていなかった。



長篠設楽原の戦いの開始は、重治が信長本陣に戻りつくより前に始まった。


織田軍の鉄砲の轟音を遠くに聞きながら、重治と伊蔵は、本陣に戻る足を速めた。

しかし、戦いが始まってしまった今、戦いに巻き込まれないように戻るためには、戦場をさらに大きく回り込むしか方法はなかった。



長篠合戦(長篠設楽原の戦い)は、信長が大量の鉄砲を三段構えで間髪入れず攻撃を繰り返した策を用い武田騎馬軍団を破ったことで、誰しもが記憶に留めている戦いである。


信長は、秀吉がしんがりとして、越前から退却戦をした時に用いた鉄砲の三段構えの策を実践すべく、武田軍を待ち受けていた。


その鉄砲の総数は、雑賀衆の力も借り受けた事により、鳶ヶ巣山砦奇襲のために割いた鉄砲の数を除いても、5000丁以上の鉄砲を有した部隊が組まれてていたことになる。



戦いが始まってからの信長は、攻撃のタイミングを計るべく、ギリギリまで相手の出方を窺っていた。

武田の騎馬を中心の機動力のある攻撃が、一斉に襲いかかり、第一防衛の柵を突破してもまだ、射撃命令を出さないでいた。



当時の火縄銃の命中精度は、熟練した名人であっても四割ぐらいが精々であったといわれている。
当然、射程距離が短ければ短いほど、その命中率は上がる。


信長は、敵の中でも最もやっかいな騎馬部隊を極限にまで呼び込んで、一気に片を付けるつもりでいたのである。


そうした極限にまで追い込まれるほどのギリギリの待機の中、遂に信長の発射命令が下された。


「撃て、撃て、撃てぇ!!」


信長の発射の命令で、二千丁もの鉄砲が、一斉に発射された。

耳をつんざく、落雷のような轟音と、硝煙の匂い、漂う白と黄色の混ざった硫黄の煙が立ち上った。


そして銃口から立ち込めゆっくりと風に流れるその煙の消える前に、続いての攻撃、第二射が放たれていた。



第二柵防に迫ろうとしていた武田の騎馬は、一斉に撃ち出された弾に何の抵抗もする事は出来ず、ただ次々と倒されていった。


そして、第四射が放たれた頃には、無敵であった筈の武田軍の騎馬武者たち無数の屍が、累々とただそこに横たわっていた。

最強である第一陣の騎馬攻撃を打ち破られ、形勢は一気に織田方へと傾いた。誰の目にも信長の鉄砲三段撃ちの策は成功したかに思えた。

しかし戦いの全てが、信長の思惑通りに運ぶことはなかった。


織田軍の鉄砲隊は、第一波、第二波、第三波と津波のように押し寄せる武田の騎馬隊を打ち砕きはしたものの、ただやられるために、すべての武田軍が同じ攻めを繰り返す筈はない。

指揮するは若き当主、勝頼ではあるが、従う武将は、百戦錬磨の武田信玄に仕えた猛者たちである。

己の状況判断一つで、巧みに動きを変えていく。

正面突破が不可能とみるや、すぐに敵陣の横槍を突きにかかったのである。


信長の用いた三段撃ちの策は、限られた地形で相手の侵攻が一定であった時、最大の効果を発揮する。

従って、敵が正面突破のみを試みている間はこれに匹敵し、最大限の効果を発揮した。


しかし、設楽原のように開けた地形であれば、陣形を組み替え、戦術を変える事など如何様にでもできる事であった。

随時変化する敵に対して、その効果を持続していく事は不可能である。

不可能というよりも、むしろ鉄砲隊は接近戦には不向きであり、信長は不利な状況へと追い詰められることになっていった。


横に回り込む武田軍に対して信長も即座に動いた。

敵軍の回り込む両翼に兵を配して、守りを厚くしていった。



そして、そんな両陣営の想定外の動きを 少し離れた見晴らしの良い高台から重治は、茫然自失となってただ眺めていた。



この戦いの始まる前まで、重治の知識の上で知る鉄砲の三段撃ちは無敵であり、付け入る隙などないものと考えていた。
しかも、朝倉退却戦で用いて成功をおさめた事実が重治に慢心を起こさせていた。


「……サマ、‥‥ハルサマ」


「……………」


「‥‥ハルサマ、シゲハるさま」


「……あっ、……なんだ?!、‥‥ど、どうかしたのか?!」


茫然とする重治を心配して、伊蔵が何度も声をかけた。


「……、ご、ごめん。だ、大丈夫、大丈夫だから。‥‥それよりも、急ごう……」


正気に返った重治は、しどろもどろになりながらも伊蔵にそう答え、止まった足を再び動かし始めた。


信長の窮地を見て、焦りから我を忘れるほどの混乱をきたした重治ではあったが、この場所に留まる事に意味の無いことは、いつもの重治に戻らなくとも簡単にわかる事であった。



戦国大名の中でも、織田信長ほど沢山の戦いに負けた大名はいない。

その中でも、とりわけ武田信玄は、信長とって天敵のような存在で、数的優位、地理的優位、どのような状況にあっても、まともに勝利を収めたことがなかった。

そんな戦いのトラウマは、当主の信長だけでなく家臣たちのあいだにもあって、武田軍の強さだけが、その心の中に植え付けられていた。

そんな心の弱さが、この窮地でさらに窮地を呼びこんだ。


圧倒的、数的な優位が有るにも関わらず、二倍の兵力を有する織田軍が、一方的に攻め込まれていったのである。


鉄砲部隊の射程外から回り込み、信長本陣に攻め込むために、正攻法とは違う最も層の厚い両翼の部隊へと武田軍は攻め込んだのである。


両翼に陣を敷いていた者たちは驚いた。
戦術的に考えて、最も安全、どちらかといえば最後に敵を包囲、攻め込む立場の場所にいる者たちである。

そんな者たちが、過去にトラウマを与えた自分達の勝てる気のしない武田軍が、突然、攻め込んできたのである。

それはもう蜂の巣をつついたように、右往左往と戸惑い逃げ出すものさえ現れては、まったく戦いにはならない。


武田の騎馬隊は、初手に三段撃ちの策にあい、壊滅的なダメージを追ってはいたが、騎馬隊だけが武田の全ての兵ではない。


後方を塞がれた武田軍に、とる数少ない道のなかに、退却の道は残されていない。

両翼に攻め込んだ武田の兵士たちは、死に物狂いで相手、織田軍に襲いかかった。


織田、武田の兵士たちが入り乱れる混戦の中、徐々にではあるが、戦いの波が信長の本陣へと近づいていった。



「お館様。ここは、危のぉ御座います。陣をひかれてはいかがかと‥‥」


「蘭丸。ここで陣を退いては、わしは二度と武田に勝つ事が出来ぬように思える。‥‥よいか、ここは、何があっても最後まで退かぬ‥‥」


そんなやりとりが、本陣で行われている時、信長の窮地を救ったのが雑賀孫一の傭兵部隊であった。


はじめ、雑賀衆も信長の鉄砲隊の一部として組み込まれ、その一流の射撃能力を遺憾なく発揮していた。


孫一は、迫り来る武田の騎馬を次から次ぎに撃ち倒していたが、その迫り来る敵の数が徐々にへり、やがて途切れた事を不審に思った。

孫一のこれまでの戦いの経験からして、撃ち倒した相手の数がこのレベルの戦いにしては、少なすぎたのだ。


前方には張り巡らされた防護柵、後方には三段撃ちの為の部隊が控えていて、孫一の居る場所からは、戦闘の全体像の状況が掴むことが出来ない。

孫一は、自分の持ち場を自分の配下に後を任せ、立てかけてあった、この戦いでは使っていなかった愛銃を手に取り、戦いの全貌が見渡せる場所へと急いで向かった。


孫一がその全貌を見渡せる場所で見たものは、絶対的兵力差をものともせず、信長を追い込んでいく武田軍の圧倒する姿でたった。


こんな織田の追い込まれた状況下であっても、孫一自らが動いて、信長のことを助けねばならない理由は見当たらない。

今回のこの戦いに参戦した理由は、信長と契約したわけでもなく、信長本人に対する義理でもない。

ただ、重治と知り合って、共に戦い、共に勝利の美酒を酌み交わしたいが為。たったそれだけが孫一が戦いに参戦した理由である。
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