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三十七話 本願寺決戦(その三)
しおりを挟む「間違いなく、重治様です」
未だ半信半疑の孫一に、ずっと笑みを崩さない才蔵が、そう太鼓判を押した。
「……確かに、‥‥言われて見れば、その目元‥‥はぁぁ。いや、しかし、それにしても……」
孫一は、何度も何度も、音にならない感嘆のため息を吐き出した。
「孫一様。まだ、納得いただけませんか!?」
「……いや、‥‥重治殿。よくぞ、無事に戻られた。再開出来て嬉しいぞ!!」
孫一の言葉に、重治は、笑顔で応えた。
「あっ、そうそう。これから、わしのことは、重秀。鈴木重秀と元の名で呼んで下され」
『雑賀孫一』この名は、個人の名と言うよりも雑賀衆の長が、継承していくものであり、今、重秀が元の名を告げるという意味は、とりもなおさず、雑賀の長を放棄した事を意味していた。
「いやぁ、わしの権力(ちから)も大したことはない‥‥」
少し寂しげな笑いを孫一はもらした。
才蔵からの繋ぎを受けて、動員令の話しを伝え聞いた重秀は、雑賀衆の各氏族の長を集め、即座に会議を持った。
『傭兵集団、雑賀衆に裏切りは無し』
答えは初めから、重秀にも、わかっていたことであった。
それでも重秀は、あえて皆に動く事を主張した。
それが、これまで培ってきた、孫一という名を失う事になってもである。
「わしと、一族の者。およそ百人。重治殿。‥‥いや、重治様。命あずけまする。ご自由にお使いくだされ」
重秀は、申し訳なさそうに、重治に向かって深く深く、頭を下げた。
「重秀さま……」
重治の肩に、また見えない、限りなく重く支えきれないほどの重石が、ずしりとのしかかった。
「さあ、今宵は、久しぶりの再会。思い切り呑みましょうぞ」
それまでの重い空気を一気に吹き飛ばすかのように、頭を上げた重秀は、明るい声を出した。
五月七日、早朝。出撃を前にした若江城には、敗走し散り散りになった織田方の兵士を含め、三千人近くの兵が信長の名によって集まっていた。
その中には、武将や足軽とは明らかに見場の違う、伊蔵の配下の忍び姿の者や野武士かマタギ姿の重秀の一族の者も含まれていた。
この日のために用意された、立派な鎧甲を身に付けた重治は、そんな集まった三千人の前に立ち、出撃前の兵士達に熱く語り始めた。
「皆の者。よくぞ、令に従い集まってくれた。わしは、お館様がもっとも信頼なさっておられる軍神であらせられる重治様の命を受けてここにいる」
「うぅぉー!」
重治は、集まってくれた者達の士気を高めるため、仕掛けを用意していた。
集団心理を操作するため、今で言うならばサクラを仕込むという手法を用いたのである。
全く面識のない人間が現れて、いくら素晴らしい演説を繰り返しても、命をかけて戦いに向かう兵士達の士気は上がりはしない。
織田家ゆかりの者であれば、もっとも効果を得る事の出来る筈の名前を出すことにより、まず人心を掴む。
そうして、集団の中に混ざり込んだ者が、その場を盛り上げていく。
予想通りというべきか、重治の名前を出した効果は絶大であった。
重治の名前を耳にした者達は、重治の言葉に、一気に集中した。
「今も、お館様は、天王寺砦で我らが来るのをお待ちになっている」
「うぅぉー」
重治の心から訴える言葉に、反応をする人がどんどん増えて高揚していく。
もちろん、役者のように重治の身に付けた衣装、豪華な甲冑が、その演出効果をより高めている。
「よく聞け、皆の者。わしは、軍神・重治様より必勝の策を授けられた。此度の戦いが、いかに不利な状況であろうとも、勝利は我らの物である」
「ううぅおぉぅー!!!」
まるで檜舞台に立つ役者の大見得である。
しかも、重治の言葉には、聞くものすべてを説得しうる真実があった。
たった一つの事実ではあるが、戦況を一気に逆転する、とても大きな確証を義兄でもある重秀から貰っていたのである。
真実を語る重治の演出、演説がすぐれていたのか、それとも、もともと重治の有していたカリスマなのかは判らないない。
理由はどうあれ、重治に注目した六千もの目が、ギラギラと闘志に燃えて、士気は、最高潮に達していた。
「皆の者。出撃じゃあ。我に続けぇー!!」
「うぅぉー!!」
慣れない鎧を身に付けたまま、伊蔵達の心配をよそに重治は、華麗に馬に飛び乗った。
伊蔵心配の重治の苦手とした乗馬は、現代に戻っていた二年で、すでに克服済みであった。
その事を知らなかった者たちの心配は、それはもう例えようのないもので、思わず目を伏せた伊蔵達は、華麗に飛び乗る、かっこいい我が主、重治様を見逃してしまう結果となっていた。
その頃、本願寺勢一万五千人に包囲された天王寺砦では、立て籠もった織田軍の士気は、下がりに下がり、敵軍への投稿者さえ現れ始めていた。
「お館様、大丈夫でございますか」
「‥‥なに、かすり傷じゃ」
負傷により床に着いていた信長が、自軍の士気の低下にたまらず起き出し、蘭丸の前に姿を見せた。
「それよりも、蘭丸。救援は、まだ来ぬか?」
「………」
「‥‥くっ。……ふっ。未だ、援軍が現れぬところをみると、わしも……これまでということか……」
さすがの信長でさえも、包囲されること一週間ともなると、弱音をもらすことが増えてきていた。
「何をそのように気弱なことを……、お館様が、そのようでは、他のものたちに示しがつきませぬ」
「……」
蘭丸は、絶体絶命、窮地の中で精一杯の気丈な態度を振る舞ってみせた。
そんな時である。
物見の者が、息を切らし大慌てで駆け込んできた。
「援軍、援軍です。援軍が……」
「まことか!?」
蘭丸は、相手が頷くのを確認すると、すぐさま、表へと駆け出した。
天王寺砦のすぐそばにまで来た、重治が率いる三千の部隊は、当然、本願寺勢による手厚い歓迎を受けようとしていた。
「重治様、前方には、およそ五千あまりの兵が待ち受けております」
伊蔵の言葉に、重治は、ニヤリと笑った。
重治は、生死を賭けたやり取りが始まるにもかかわらず、気持ちは高揚し、ワクワクとさえ感じていた。
現代に戻っていた二年もの間には、一度として感じる事のなかった気力みなぎる充実した感覚である。
眼前の敵、本願寺勢の陣容は、弓兵を中心に、弓兵、槍兵の部隊を配して待ち構えている。
そして、その部隊の後方には、重秀のいない雑賀衆の鉄砲隊が陣取っていることまで確認できていた。
「では、そろそろ参ろうか!!」
重治は、すでに気分は映画の主役であった。どうどうとした態度で、そばに控える伊蔵らにむかい、芝居がかった台詞のようにそう告げた。
そうして重治は、手に持つ勝家から託された槍から、はめられた穂先の鞘を外した。
「皆のものぉ、わしに、続けぇー!」
重治は、馬の腹を軽く蹴ると、重治の乗る馬は、ゆっくりと走り出した。
そんな重治に続き、馬に跨る鈴木重秀、山崎新平、浅井長政、伊蔵が続いていく。
「うぅおぅー!!!」
その後を才蔵、末松らに続いて、三千の兵が次から次に、雄叫びを上げながら走り出す。
重治を先頭頂点にした三角の形を成した一団が、一気に敵陣に向かって近づいていった。
敵陣から大量に放たれた矢を 右へ左へ軽快に馬を操り、重治は、どんどんかわしていく。
そして、そのまま重治は、苦もなく敵陣へと切り込んでいった。
重治の最初に大きく振るった槍は、周りにいた敵兵の者、七人を一気に斬り伏せた。
そんな鬼神と化したような動きの重治に続いて、馬上槍を扱わせれば、敵無しの新平、長政ともに切り込んだ。
闘いは、初手で形勢の決まることが多々あった。
この戦いが、まさにそれである。
たとえ、人数で圧倒していようとも、弱腰で相手にのまれてしまえば、戦いになどなりはしない。
馬上の重治の周りで流れるように止め処なく動き続ける槍の穂先。
近づく者を難なく斬り倒す。
やがて、迫りくる重治に対して、周りの敵は、次々に背を向け、逃げ出し始めていた。
そんな、大混乱を起こした敵兵たちの中に、重治たち騎馬の者に少し遅れた、血気盛んな士気最高潮の三千人が攻め込んだ。
「オヤカタサマ、オヤカタサマー」
姿はまったく見えないが、戦場に似つかわしくない少年の蘭丸の声は、遠くにいても簡単に聞き分けられる。
「オヤカタサマ、お館様、お館様ぁ!」
信長の元に、必死の形相の中にもどこか嬉しげな表情の浮かぶ蘭丸が駆け込んできた。
物見の知らせを聞いた蘭丸は、即座に櫓に駆け上っていた。
通常、小姓が包囲された砦の物見櫓に昇る事など、まずあり得ない。
それは、こちらから見える以上、相手方からも見え、当然のように標的と成り得るからである。
そんな危険など、その時の蘭丸には、いっこうに気にならなかった。
気がついた時には、命の危険さえ伴う、櫓の最上部へと上がりきっていた。
「あれは‥‥」
勢い勇んで櫓に駆け昇った蘭丸の目に飛び込んだのは、多種多様な出で立ちの集まりで、それは、すぐに織田家の正規部隊ではないことが見てとれた。
期待を込めた援軍が、そんな寄せ集めの部隊だったのを見た蘭丸の落胆ぶりは、それはもう例えようもなく、そのまま櫓の上から飛び降りるのではないかと思うぐらいの憔悴仕切った表情をあからさまに見せた。
しかし、その寄せ集めの部隊が、そんな蘭丸に奇跡を見せる。
一人の騎馬武者が先頭になって、倍近い人数の敵軍に向かって打って出たのだ。
迎え撃つ本願寺勢の部隊からは、雨のように大量の矢が放たれ、寄せ集め集団に襲いかかった。
寄せ集め部隊の者達は、飛んで来る矢に、竹を纏めた盾や、厚みのある板を組んだ盾、おのおのが持ち寄った様々な盾を構えて、一斉に防御姿勢をとって降りしきる矢に対抗した。
しかしそんな中、先頭を走る騎馬武者だけは、まったく違った行動をとっていた。
右に左に、さもこともなげに、飛んでくる雨、霰のような大量の矢を避け、踊るかのように突き進むのである。
「あれは、何者だ‥‥」
どんな場所にも信長について歩き、幾多の戦場を知る蘭丸にも、これほど馬の扱いができる織田家の者には、まるで見当がつかない。
それまで、寄せ集めの部隊を見て落胆した蘭丸の心は、何時しか踊りだし興奮に包まれていった。
そしてその蘭丸の心踊らせてくれた騎馬武者は、次なる奇跡を見せてくれる。
難なく弓兵の攻撃を交わした、その騎馬武者は単身、敵の中に呑み込まれていった。
「あっ!……おぉうー!!」
蘭丸は、すぐそばで同様に見ていた物見の兵と一緒に、思わず叫び声をあげていた。
それは、一瞬の出来事だった。
周りすべてを敵兵に囲まれて絶体絶命に思われた、その騎馬武者が頭上に掲げた槍を流れるようになめらかなる円を描かせた瞬間、周りの敵兵は見る間に次々と、倒れだしたのである。
「す、凄い……」
蘭丸の知る馬上槍の凄腕の持ち主と言えば、柴田勝家である。
しかし、その勝家は、今、越前の地を離れられる訳もなく、目の前で奇跡を繰り返す猛将にまったく心当たりがないのである。
「誰だ。誰なんだ」
蘭丸は、強く拳を握りしめ、呻くように叫んでいた。
しかし、蘭丸は、先頭の武者の後に続く者たちの強さにも、あっと驚く事になる。
僅か、四人の騎馬武者が、初めは小さな点であったものが波紋のようにどんどん広がりをみせていき、やがて、本願寺勢の兵達すべてが、大混乱を起こし始めたのである。
例え寄せ集めであろうとも、混乱し始めた、士気の下がった部隊など、大した敵には成り得ない。
寄せ集め部隊が、騎馬武者に遅れて攻め込んだ時には、既に戦いの形勢は決まってしまっていた。
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(2022.04.04)
※信長公記を下地としていますが諸出来事の年次比定を含め随所に著者の創作および定説ではない解釈等がありますのでご承知置きください。
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