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三十七話 本願寺決戦(その二)

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重治の中で本願寺決戦については、かねてより疑問があった。
信長が相手の二倍近い軍勢をもってして、何故にこうも容易く大敗を喫したかである。

そんな戦いの様子が、まるで戦場にいたかのように、かなりの詳細な部分に至るまで、伊蔵の元に報告されてきていた。


まず最初は、明智光秀の部隊を先頭に、荒木村重、原田直政らの武将が、正面から本願寺門徒衆がぶつかったという。

本願寺軍、一万五千 それに対して、織田軍、三万。 普通に考えて負けるはずのない戦いであった。戦闘を始めてすぐに明智の部隊が、なし崩しに崩壊していったという。


「‥‥なるほどね、光秀の部隊か……」


重治には、当然その事について、思い当たる節がある。

しかし、光秀の部隊が崩壊したことが、故意であろうと不可抗力の予定外な出来事であろうと、重治の敬愛して止まない織田信長が、絶体絶命の危機に陥っている事には違いなかった。


詳細な報告を受けていた重治は、おもむろに立ち上がった。


「伊蔵、行くぞ!」


「はっ」


伊蔵には、『行くぞ』の一言だけで、充分であった。

再び、重治とともに戦える。その事だけで伊蔵は、幸せを感じえずにはいられなかった。



重治は、その日の昼には支度を済ませ、すぐ隣にある、お市の屋敷に留守を頼むため、伊蔵を向かわせた。


「遅うぉ御座いますなぁ‥‥」


表門から出たり入ったりと戻らない伊蔵を待ちわび、少しもじっとしていない新平である。


『こういうのを動物園のクマと言うのだろうなぁ』


出陣前の緊張したなか重治は、そんな落ち着かない新平を見て思わず笑みを漏らしていた。


「新平。そんなに早くは戻らないって」


そうは言ったものの、確かに伊蔵の帰りが思いのほか遅い。


「伊蔵殿がお帰りになりました」


全ての準備を済ませ、玄関先の土間で腰を下ろして伊蔵の帰りを待っていた重治に、走り込んできた新平が告げた。


「さてと、では、出発するとしますか」


そう言って重治は、立ち上がり、外で待つ才蔵、末松の所にまで行って驚いた。

そこには、わざわざ見送りのため、市姫が子供達を連れて立っていたのである。しかし、本当の驚きは、それだけでは済まなかった。


「いやぁ、お待たせ致した」


「‥‥な、長政さま……」


「ほおぅ、なるほど。これはまた、奇妙な。‥‥まことに、重治様で御座るか!?」


なんと遅れて最後に現れたのは、市姫と静かに暮らしていくと決めた浅井長政であった。

しかも、長政のその姿は、どうみても見送りのために現れたものではない。
どこからどうみても、これからの戦さに向かう出で立ちであったのだ。


驚きの重治は、お市の屋敷に挨拶に行った伊蔵の顔を見た。

重治の目に映る、そんな伊蔵の表情は、困惑すら通り過ぎた複雑な苦笑いで『困り切って何もいえない勘弁してくれ』と、物語っていた。


「重治様。伊蔵殿を責めないでやってくだされ。わしが、どうしてもと頼み込んだのじゃ」


「……は、はぁ‥‥」


重治には、曖昧に、そう長政に返すのがやっとであった。


市姫とその娘たちの見送りを受けて、重治たちは岐阜を後にした。

もちろん重治たちの一行のその中には、長政もいる。

これから向かう戦場は、命が幾つあっても足りないような危険が待ち受けている。
そんな危険な所へ向かう命の恩人の力にならねば、死んでも死にきれないとまで言われては、重治には断る言い訳が見つけられなかったのである。


重治達は、急いだ。ただ、ひたすらに急いだ。


心急ぐ中にも、重治には、一つの閃きに近いものが浮かんでいた。


それは、重治の知る歴史と、今、現実の直面している状況に、異なる点が存在していることが起因となっていた。

つまり、その異なる点、信長自身が窮地から天王寺砦に立てこもっているという事実である。


重治の記憶に残る史実では、立てこもる織田兵救出のため、信長自らが包囲する本願寺勢に攻め込むというものである。


しかし、その史実と現実は、確実に違っている。
すでに本願寺勢の包囲する外側には、信長の姿はない。


では、誰が?


その答えは、重治の胸の中にあった。




京の都に着いてすぐ、伊蔵、才蔵、末松の重治が絶対的に信頼を寄せる三人は、重治からの命を受け、先に大坂に向かっていった。

先行して行った三人に対して、一つの閃きを得た重治は、それまで急ぎに急いだ旅足を京に入って突然に止めたのである。


「重治様、どうかなさりましたか!?」


重治の突然の予定変更に長政が不信がり、そう尋ねてきた。


「‥‥うん、ちょっとね。思い付く事があってね」


「ほう、それはまた、楽しみですなぁ‥‥」


これまた、そばに控える新平が、重治の閃きの内容を全く聞きもしないで、そう愉しげに重治に応えた。


重治は、信長が京の宿坊としてよく利用している寺、本能寺で、伊蔵たち三人の報告を待つことに決めていた。



本能寺を選んだ理由の一つは、重治自身の不安からきていた。

重治は、自分自身でコントロール出来ない時間の移動に、自分が信長のために何ができるのか。
過去に関われる限られたなか、しかもそれの制限が、どれだけなのかさえわからない中で、まず、出来うる事を精一杯すると心に決めていたのだ。


二年もの間、この時代に戻れなかった重治の焦りは、それまでとは比べようもないほど強いものになっていた。


六年後の『本能寺の変』の事を考えて、この機会にどうしても、その目にしておきたかったのである。


『やっぱり、改修は必要だよなぁ』


重治の素直な感想である。


天正の四年現在の本能寺は、極々普通の寺であった。

もし、今、この本能寺を光秀が包囲したとしたならば、まず間違いなく一瞬にして、この寺は灰に帰する事になるであろう。


重治の心の中は、本能寺の回廊に立って庭を見ているうちに、今抱える問題、信長救出を飛び越え、本能寺の変の対策に切り替わっていた。


信長救出を済ませたあとの重治は、この時の無防備な状態を知った事から信長へ、本能寺改修工事を進言。その工事が始められることになる。

外敵からの防御力を高めるため、高い塀と掘りが張り巡らされ、差し詰め本能寺砦といわれるほどのものに生まれ変わるのである。



三人の忍び兄弟が戻ったのは二日後の事、すでに五月の暦に代わっていた。


「で、大坂はどうだった!?」


「はっ、やはり重治様の予想通り、光秀だけではなく、荒木隊の崩れかたにも異常であったと」


「……そうか」


本願寺門徒衆などと比べ、修羅場をくぐり抜けてきた織田兵。
しかも兵士の数さえ上回る織田軍の敗戦の理由、それが今、伊蔵の報告でハッキリと裏付けが取れた。

戦いに100%はない以上、光秀、村重に敗戦の責任を問うことはできないかも知れない。

それでも、今、一つだけ、ハッキリしていることがある。

今、信長の周りには、味方は一人もいないということ。砦の中にも外にも、周りがすべて敵の状況下にあるのである。


「才蔵の方はどうだった」


「はっ、なにぶん時がなく、繋ぎはつけましたが、ハッキリとした答えはいただけず終いに‥‥」


「‥‥すまんな、無理を言って……」


重治のその言葉に、才蔵は、首を横に振った。


重治は、才蔵には雑賀衆への繋ぎをつけるように頼んでいた。

今回の戦いにも本願寺勢の中心に、傭兵集団の雑賀衆が据えられていた。


雑賀衆の頭である雑賀孫一は、ここまでこの物語を読んできていただいた読者の皆さんが知っての通り、才蔵の義兄であり、重治とも義兄弟の契りを交わした人物である。


傭兵が雇い主を裏切る事はまず有り得ない。

それは傭兵が、信用を重んじる事で成り立つ、契約を絶対とするためである。

どんな状況で有ろうとも契約が成立している間は、裏切るという行為を心配する必要がないのが傭兵であったわけである。
また、その事を守り続ける事が、雇い主への信用へと繋がったのである。


そんな相手を味方に引き込む事など出来ないのは、重治は百も承知であった。

ただ、才蔵のとった行動、すなわち、雑賀衆にだけ、こちらの存在を知らせておくという重要な意味があったのである。


「それじゃあ、末松の首尾は!?」


「はい、散り散りになってしまった信長様の部隊を中心に、何とか二千人ぐらいは集められると‥‥」


「……二千か‥‥」


重治は、口ごもった。
思いのほか、兵が集まりそうもないのである。

時は待っていてはくれない。明日には、若江城に入って兵をまとめあげなければならないのである。


信長救出のための出陣に残された日数あと一日、という日の事であった。

翌日の期限最終、五月五日の早朝、重治達は本能寺をたっている。
もちろん目指すは、若江城である。


いくら現在、若江城が織田家の治める城であっても、本願寺支配下にある今の摂津の地域の中では、大手を振って、城に兵を集める事など容易ではなかった。


重治は、末松に信長の名を使わせ、動員令をださせている。

これは、重治の知る歴史の中に沿った事であり、歴史書、文献どでは、信長自らが出した動員令によって、三千の兵を集めた事になっていたのである。


京をたって、淀川に沿って歩くなか、重治は今の状況下で無用な本能寺の問題点を考えていた自分を後悔していた。


『本当に自分は、出来ること、全てをやったのであろうか?』


これから始まる戦いに、今、一緒に歩いている自分の愛する家族にも似た者たちの命がかけられているのである。

摂津の国に入り、若江城が近づくにつれ、重治の不安が、どんどんと広がっていった。


若江の城は、動員令が出されているため、城の守りの要でもある大手門が大きく開け放たれていた。

不安を抱えた重治が城に入ると、そこには思いもかけない人が、重治たちを出迎えるために待っていた。


「才蔵、遅かったな!」


「???、あ、義兄上!?」


その人とは、才蔵が義兄と呼ぶ、雑賀衆の頭、雑賀孫一であった。


「??で、重治殿は?」


長篠の戦いに参戦していた孫一もまた、重治の身に起こった出来事をよく知っていたうちの一人である。

重治は、義兄弟にするほど、孫一にとって大切な存在となっていた。

辺りを見回す孫一を見て、才蔵は嬉しそうに微笑んだ。


「何がおかしい? そんな所で笑っておらんと、早く、重治殿に合わせんか!」


辺りに重治の姿を見つけられずに、少し苛ついた表情を露わにし才蔵に、そう噛みついた。

才蔵は、めったに変えることのない表情を更に微笑みから笑顔へと変えていく。


「‥‥才蔵、駄目だよ。意地悪をしちゃあ‥‥」


「???????????」


才蔵の後方から肩越しに、重治は、声をかけた。

しかし、孫一には、その人物が誰なのかに全く心当たりはない。


それもそのはずである。僅か半年前、長篠合戦の前に、岐阜の重治屋敷で共に酒を酌み交わした少年の姿は、そこにはなかったのである。


「重治様。別に意地悪をするつもりなど……」


「……?????????……??????????……????????、重治?」


才蔵が振り向いて話す青年を見て、混乱する孫一の口から『重治?』の一言だけがこぼれ落ちた。

重治は、才蔵のすぐ横を通り抜け、孫一の前にまで進み出た。


「孫一様。重治です。よくぞ、来てくださいました」


「……??、で、では、ほ、ほんとに?」


重治は、こくりと頷いた。
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