裏信長記 (少しぐらい歴史に強くたって現実は厳しいんです)

ろくさん

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四十九話 それぞれの思惑(その二)

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「‥‥まぁ、蘭丸殿。こんな所での立ち話もなんです。‥‥どうぞ、中へ……」


重治は、悩み立ち尽くす蘭丸の腕をつかむと半ば強引に屋敷のなかへと招き入れた。


初めての出会いの頃、重治に対してライバル心、剥き出しだった蘭丸に比べ、この頃の蘭丸の重治に対する態度は、それまでのものとは百八十度、変わっていて、織田家の他の家臣同様、尊敬信頼が表にあらわれ、神格扱いする節さえ見受けられていた。


しかし、敵愾心まるだしであった頃の蘭丸でさえ、重治には何故か憎めず親しみに似た感情さえあったのである。

それは、年が近いせいだったのか、それとも、敬愛する信長とともに本能寺で最後を迎えることを知っていてからくる感情なのか、重治には、苦悶の表情を見せる蘭丸を放置することなど出来なかったのである。



客間へと、半ば強制的に招き入れられた蘭丸の口は、あいかわらず、堅く堅く、閉じられていたままである。

話すか話すまいか、蘭丸の表情が微妙に変化し続けるのとは裏腹に、二人きりの客間の沈黙は、長く長く、永遠にさえ続くのではないかと感じられるほど、静かに流れていった。


そんな長い沈黙を小さなため息ともに破ったのは、相談を受ける側の重治の方であった。


「……ふぅ、やはり、一番の問題は、噂になってしまった徳川の事でしょうね……」


重治の告げた、『噂、徳川』の言葉に、蘭丸の眉がピクリと動いた。


そしてその事をきっかけに蘭丸は、それまで重かった口を開き、ゆっくりと話しをし始めたのである。


「……ようやく、本願寺攻略の目処がたったところだと言うのに……」


蘭丸の顔からの苦渋の色は、消えるどころか、ますます濃くなり強まっていく。



風説流布。

誰も知らないところで、家康と光秀の間にそれまでなかった亀裂が生まれ、織田家の中で一気に広がった、徳川家醜聞が今、信長の最大の頭痛の種となっていた。


明智光秀の能力、機略を甘くみた家康の大きな誤りが、それまで表面上良好な関係に見えていた織田、徳川両家に、それまでの関係を根刮ぎ崩しかねない大きな問題を発生させていたのである。



毛利水軍に勝利し、積年の本願寺との決着をみた今、当面の信長の好敵手と言える相手は存在しない。


この頃の織田家、信長にとって、徳川家との同盟の意味合いはと言えば、さほど重要なものではなくなっていた。

とは言え、同盟破棄してまで、わざわざ敵に回す必要など当然ありはしない。


今、織田家に広がる徳川家の噂は、家康のが嫡男、信康の乱行、それに、その母である家康正室の築山が武田家と内通したと言うものであった。


家康の正室、築山は、家康が東国へと勢力を広げるために滅ぼした今川家重臣の関口家の娘であり、今川義元の姪にもあたる人物である。
そんな、築山殿が身内でさえある今川家を攻め滅ぼした家康に対して恨みを抱き続けていた。

そんな家康と信長の仲違いを画策するために、武田家と内通していても何ら不思議はなかったのである。


しかし、そんな家康の夫婦の仲の状況がどうであれ、信長からしてみれば、どうでも良い事と知らぬ顔をしている訳にはいかなかった。
そしてその夫婦仲以上に問題となってくるのが嫡男、信康の方の事である。




「利発である信康様が、乱行など、ありようはずはなく、お館様と連絡を随時、取り合っておられる徳姫様からも、そのような知らせは、全く……」


蘭丸の表情は、主君、信長の気持ちを想い、さらに苦悩で歪んでいき、最後の言葉は途中でかききえていった。



徳川家の嫡男、信康の妻、徳姫は、信長が目に入れても痛くないと表現出来るほど寵愛していた愛娘であり、織田、徳川両家の同盟強化のために、幼き年齢にて輿入れさせた姫であった。


そんな愛娘の徳姫から、信長に救いを求めるような文が届けられるようになって、数ヶ月の月日が何も対処出来ないままに経過していたのであった。

そして今回、その救いを求める内容とは正に反対の、しかも、真実を隠蔽さえしかねないほどの噂が広まっていたのである。


重治の知る史実としての信康の切腹に関連する知識は、今、蘭丸の話す事実からは到底結び付きそうにない。


蘭丸の告げる話しが真であるならば、家康の織田家に仕掛けた策略の数々を知った信康が、父、家康を諫めた事が、今回のトラブルの発端となっているのは明らかであった。



後世に残された史実、『信長が、信康に切腹を命じた』と言う事実は、どこにも存在していそうにないのである。

これもまた信長以降の統治者による作り上げられたねじ曲げられた事実であると言わざると得なかった。



苦悩に表情を歪ませながら語り続ける蘭丸に対して、重治は、その徳姫からの文の内容を知り、もとから信康の切腹事件に不信を感じていた事の裏付けを得て、顔が自然と綻び、気を緩めると笑みさえもれそうになってしまっていた。


「蘭丸殿。登城しますぞ」


重治は突然、苦悶の表情から抜け出せない蘭丸に力強く告げた。

すっくと立ち上がった重治を追いかけるように、蘭丸は慌てて立ち上がった。


「……重治様、徳川家の問題をどうやって……」


信長が、蘭丸が、頭を痛めるのは、正にその一点であった。


重治とて問題を確実に解決出来る方法があった訳ではない。

如何に同盟相手である徳川家であろうとも、余程の事がない限り織田家として内政干渉に成りかねない発言をするということそれは、両家の関係を悪化させる事に繋がりかねないのである。


「……うぅん、まぁ、二人よりは、三人で、悩んだ方が良い解決策が見つかるかも知れない‥‥。三人よれば文殊の知恵です」


敬愛する信長が、悩みの中にいるのを知った重治には、何もせずにいられる訳はない。
重治は、数少ない諺ボキャブラの一つを自慢げに蘭丸に語り、にっこりと微笑みかけていた。



登城して信長に会う決意をした重治が、出かける支度をすませ、外に出ようとしたとき、屋敷の玄関先にて、重治を恨めしげに睨む男の姿がそこにあった。


「……おとも致します……」


嫌とは言わせぬ無言のその眼力が、重治にプレッシャーを与える。


「‥‥ぃいや、‥‥ちょ、ちょっと、‥‥そ、その、‥‥お城に、行ってくるだけだから‥‥、そ、そう、すぐに帰ってくるから……」


「…………」


眉間のシワを深くして、さらに鋭い目つきで伊蔵は、重治を睨み続けた。


「‥‥お伴、致しまする!!」


伊蔵のすぐそばにいて立つ末松の、呆れ気味の顔が左右に振られた。そうして今度は、重治に申し訳なさそうに、ゆっくりと頭を下げたのである。


伊蔵の状態が万全であるのであれば、重治にとって、これほど頼りになるともは存在しない。

しかし、生死を別つほどの傷が、そう簡単に治る筈はない。

登城のともとしてだけならば、なんの問題もない。
けれども、この登城の後に待つものを考えるとなると、容易に伊蔵のともを受け入れられない重治であった。


「兄じゃを、兄じゃを連れて行ってくだされ‥‥」


突然にかけられた言葉。
その声のする方を見た重治の目に映った人影は、伊賀の国での工作活動をしているはずの才蔵であった。


「‥‥さ、才蔵!?」


「重治様。‥‥兄じゃを兄じゃをともとして、お連れ願えませんか」


「し、しかし……」


いくら、弟である才蔵の口添えの言葉であっても、重治は躊躇せざるを得ない。
今、生きているのが不思議なくらい、それほど伊蔵の負った傷は、酷いものであったのである。


伊蔵と重治の睨み合いの時は長く長く永遠と感じるほどに続いた。

伊蔵の回復を心配する重治に対して、命を賭しても主を守り抜く思いの伊蔵。そんな緊迫した睨み合いのバランスは、たった、一言の言葉で一気に傾いた。


「‥‥重治様。連れて行ってあげれば、良いではありませんか」


そう、唯一、この場で無責任な言葉を発する事のできる人物、この際限ない睨み合いに呆れ果て、遂には業を煮やしきった森蘭丸の言葉が、きっかけとなって、重治の伊蔵の体の心配をする思いは、結局、押し切られてしまったのである。


伊蔵はにこりと微笑んだ。
我が意を得たり。そんな気持ちがはっきりと現れた笑顔である。


『戦場にて死に花を咲かす』

『主の為に死するは本望』

既に戦国時代で生活することになれた重治ではあったが、現代っ子である重治には、それらに関してだけは、どうしても理解し難い共感出来ない事であった。


重治は、四面楚歌の状況を打破する手立てを見つけ出すことはできず、渋々ながらも伊蔵のともを認めたのである。




「よく来た、重治。……伊蔵も御苦労。……もう、体の方は、良いのか?」


前触れなく突然に登城してきて、自分の前に座した二人に、怪訝な表情を僅かに見せたものの信長は、近寄りながらそう声をかけた。


「はぁっ」


信長の問いかけに応えた伊蔵の声は、何時もに比べれば、まだまだ張りがない。

重治の浮かべる渋面を見て信長は、内面に抱える悩みは欠片もみせず、愉しげに重治に語りかける。


「主たる者の気苦労、重治にも、これで少しは解ってもらえたかのぉ……」


信長の皮肉めいた言葉に、重治の顔は、ますます渋さを増していった。


「……お館様」


信長のすぐそば、いつもの指定席の位置で控えていた蘭丸が、恐る恐る信長に向かって声をかけた。


「どうした、蘭丸?」


「はっ、……実は、重治様の登城、わたくしが、お頼み申し上げて、来て……」


信長は、軽く右手を上げて、続く蘭丸の言葉を遮った。


「……よいのじゃ。もう、徳のことは……。徳もわしの娘。それなりの覚悟を持って嫁いでおるわ……」


「…………」


信長は、愛しい愛しい愛娘のことを思い浮かべながらポツリポツリと語り続けた。


信長にとって徳川家に嫁いだ徳姫は、目に入れても痛くないと例えられるほどに愛して止まない娘である。
また、その嫁いだ相手、徳川家の嫡男、信康もまた、そんな徳姫を嫁がせても良いと思わせるほど信長が心底、惚れ込む男であった。

にも関わらずである。そんな愛すべき二人の安否を心配するが故、信長は行動を起こす事が出来ず、動くに動けない。苦悩の日々を繰り返すだけの手詰まりの状態にあったのである。

対等となる同盟の関係が存在している以上、内政干渉となるような強制的な行動をとることは当然出来ない。

また、もし裏から手を回すとして、その担い手となる信頼すべき人物を選ぶとすれば、それはすなわち重治であり、伊蔵たち忍びである事は、間違いない事実であった。


いかに、信長が娘のことが可愛かろうと、徳川の領地に重治を向かわせることが、どれほど危険で死と隣り合わせにあるかを知る信長には、口が裂けても重治に頼める訳などなかったのである。



「……信長様、そろそろ……、我らは、これにて下がらせていただきまする」


「どうしたのじゃ、重治?まだ、来たばかりではないか……」


重治は、にっこりと微笑んで信長に答えた。


「はい。今日は、しばらく旅に出かけることをお伝えすべくに参っただけ、準備などもありますゆえ……」


重治の言葉、その笑顔の裏には、確実に隠された含みが見てとれた。

信長の表情が険しいものへと一変した。


「許さぬぞ。旅など、もってのほか、東へと向かう旅など、断じて許さぬ!」


「…………」


想像していた反応とまるで違う信長の予想外の反応に、重治は、返す言葉を無くした。

喜んでもらいこそすれ、怒りに触れるなど考えもつかなかった重治である。


「……」


「……」


二人の間に長い、長い沈黙が続いた。

重治の表情に一瞬だけ、ほんの一瞬だけ、苦笑いにも似た自嘲気味の笑みが浮かんで消えた。



重治は、つい先ほど、この状況にそっくりの事を体験していたのを思い返していた。


『やっぱり、そういうのもありなのかな』

自分の愛するものの為に体を張る。もちろんそれは、言葉だけのものではなく、自らの命をかけるという同義語になる。


重治は、その時の伊蔵の緊迫した有無をいわさぬ強烈な視線を思い返していた。



そんな重治の自嘲気味の笑みなど全く無縁に、その沈黙は、永遠に続くかに思われるほど長く長く続いていた。



そんな長い長い沈黙を破ったのは、沈黙破りの名手?とでも言おう、またしてもその人、その名手、森蘭丸である。


「……お館様。‥‥徳川家の名代として酒井忠次様が、お目通りを願っておりまする……」


その場の凍りついた空気の中、恐る恐るながらも蘭丸は、小姓としての役目を遂行した。


信長は、それまでずっと見つめ続けていた重治から、漸く視線をはずしたあと蘭丸を軽く睨みつけた。


「ふぅ‥‥。……わかった。‥‥しばし、またせておけ」


そう蘭丸に告げると、信長は、再び重治に相対、対峙した。


「重治。この話しは終いじゃ。よいな‥‥くれぐれも馬鹿な真似は、いたすな」


そう告げた信長は、くるりと重治に背を向けた。

そして、一歩、また一歩。歩み始めた信長ではあったが、その歩みは、数歩で突然に止まり、立ち止まった信長は、ゆっくりと重治の方を振り返った。


「‥‥重治。‥‥そのほうも立ち会うが良い」


こうして重治は、このあと歴史的にも有名な、徳川家嫡男、信康切腹事件の真実に深く関わっていく事になる。
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