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五十三話 あるじ不在

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「父上、本当にこれで良かったのでしょうか…」


「信栄、もう何も申すな!」


「しかし、父上…」


「今更、何を弁明しようとも、お館様の決意の変わることはない。我ら親子が騒げば騒ぐほど、あの狸めの思う壺。あやつの手のひらで転がされることに気づかなかった我らの落ち度よ…」


織田家からの追放を命じられた佐久間信盛親子は、この日、深夜になるにもかかわらず、思いの丈を語り合っていた。


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現在、安土の街に造られた竹中重治の屋敷に、主は滞在していない。
滞在どころか、この日の本、いや、この時代にさえ存在していない。


「ふう、重治さま…」


伊蔵は、この日何回目かのため息を吐いていた。



伊蔵の右腕は確かにあの時、重治の腕を掴んでいた。
目の眩む真っ白な輝きに包まれた重治と伊蔵は、その時ともに輝きの中にいた。しかし、その輝きが徐々に治まるのに併せ、重治の姿さえもまた消え始めていたのである。

目の前で消えていく自分の命よりも大切な主。その時の伊蔵の叫びは、これほど悲痛と言えるものはないと誰もが感じたかも知れない。




佐久間信盛、信栄親子、林秀貞など古参の重臣をはじめとして、幾人かの追放者をもって織田家の粛正は終了している。

そして、今、織田家粛正の嵐のあった天正八年の年末を迎えようとしていた。


『ギィー、ギュイィ、ギィー、ギュイィ』

「伊蔵殿、伊蔵殿…」


街の喧騒さえ感じさせない閑静な竹中重治屋敷において、なかなかに騒がしいこの人物が居候を決め込んでから丸一年が過ぎようとしていた。


「信康殿、少しは閑かに歩かれぬか…」


「無理を申すな、これほど見事なウグイス張りの廊下などどこを探しても見つからぬわ、ははっははは」


「たとえウグイス張りであろうとも、訓練しだいでどうにでもなりまする」


忍返しに、つり天井、はてはウグイス張りと、重治屋敷に賊の侵入する可能性は皆無と言えた。
それもそのはず、一流の忍びである伊蔵の監修のもと建てられた屋敷であり、ある意味天守閣に侵入するよりも難しい屋敷、万全な構えの屋敷として存在していた。



徳川信康 没年1579年(天正七年)十月七日 二俣城にて切腹 これが史実に遺る現実である。

しかし、真実はまるで違う。重治の指示により伊蔵らの活躍により助け出された信康は、徳川の名を捨てただの信康として重治の屋敷に居候していたのである。



「無理、無理。とてもわしには無理じゃわい…」


「で、才蔵と秀は?」


「うむ、手はず通りに伊賀へ」




本願寺との決着、そして粛正。織田家にとって激動の一年とも言える一年が終わりを迎え、運命のその日まで二年を切ろうとしていた。
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