蜜柑色の希望

蠍原 蠍

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蜜柑色の彼と色褪せた世界

芦家亮介※修正済み

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「おはよう、光さん…、よく眠れたかしら?」
「おはようございます…はい…」
「………………」
「朝食の支度が出来てますよ、どうぞ召し上がって」
「…はい、いただきます」
「…………」

 木造住宅製で建てられた、黒褐色の階段を踏み鳴らし、階段を降りて真っ直ぐに延びた廊下の先にあるガラス窓が取り付けられている扉を開くとダイニングテーブルには、祖父がもう座っていて、僕は慌てて席へと座ると祖母はキッチンへと向かい、お盆に朝食を僕の前に刺しだきたので、僕は日本食を食べる時は手を合わせるのだと昔教わった父の教えの通り、手を合わせる。
 
 祖父が啜る、味噌汁の音はいくら頭でわかっていても慣れず、嫌悪感が沸くが僕はそれを顔には出さず、出された味噌汁を啜らずに口に含んだ。
 湯気がその熱さを知らしめるように立ち、ふっくらと立った白飯が入った茶碗、サーモンの切り身にほうれん草のおひたし。日本らしい朝食がこの家の定番の朝食なのは、此処に住み始めて日が浅いが理解していた。
 あまり食べ慣れてはいないものの、父が稀に家に帰ってきた時、日本食を作れる家政婦に言い付けて出された事があったから、特に拒否感もなく手をつけて、でもアメリカで食べたその食事より、美味しいなと素直に思った。
 数年前であれば、クロワッサンやポタージュスープ、サラダやベーコンエッグなどを好んで朝食を取っていたけれど、今はそう言ったものも食べたいと思う事もなく、僕は用意された食事を黙々と口に運ぶ。寡黙で静かな祖父母との食事は特に何か話す事も無く粛々と行うのが、浅い日々ながらそれが日常であった。
 
「…光、日本は慣れたか」
「………ッ」
 
 殆ど食事中に話す事がないのにいきなり言われた一言を、僕は食べていたサーモンの切り身を喉に引っ掛けた。
 慌てて、淹れてもらった緑茶を口に含み、飲み込んで祖父を見ると長期の人生を表す、深い皺が刻まれた父を彷彿とさせる、鋭い鷹のような目つきを僕に向けていて、僕は迷いながら口を開く。
 
「……まだ、余り慣れません」
「…そうか」
「……まだ、日本に来て2ヶ月程度だものね」

 喉を低く鳴らし、頷く祖父と微かに微笑む優しげな祖母を一暼して、僕はまた用意された食事を一口食べる。
 
「学校生活はどう?どなたか気が合いそうな方は居たかしら」
「…………あ」
「あら」
 
 そう言われた瞬間、箸の先から一口大の白飯が溢れてしまいテーブルの上に落としてしまう。
 やってしまったと慌ててティッシュを取ろうとするよりも、早く祖母がそれをサッと手早く片付けてくれて、僕は慌てた手を引っ込める。
 
「申し訳ありません…」
「気にしないでいいですよ」
 
 何をしているんだと、自分自身に呆れてみっともないなと、恥ずかしさを感じながら食事を再開したがその後は、更に質問をされる事も無く僕も態々その言葉に答える事も無く流れた場の空気のままに、食事を行いながらも、祖母から言われた言葉に何故か、脳裏に美柑色の頭髪を持つ人物を思い浮かべてしまい、咀嚼する歯に力を込めてしまう。
 
 いや、それは違うだろうと片頬を引き攣らせながら食事を飲み込む。
 入学当初から何かと嫌な思いをさせられているというのに、如何して彼のことを思い出したのか自分自身に戸惑い、脳裏に思い描いた彼の姿を掻き消すと共に、自分の状況を正しく見つめ返して、息を吐く。
 まさか祖母も入学してまた日が経っていないというのに、嫌われ始めているなどと思ってもいないだろうと思いながら、僕は口に運んだほうれん草を噛み締めた。
 
 日本の雰囲気も掴めない上に、言い回しや余りにも今までと違いすぎる同級生に、僕は対応を間違えた事は気がついていたもののだからと言って、どうにかしようとは余り考えていなかった。
 余りにも自分とは違う世界の住人たちを前に、別に彼等に受け入れられなくとも構わないなと半分は本気で思ったし、それを撤回しなければという焦燥も生まれなかった。
 それに加えて、音楽を、ピアノを失ってから何だか何もかもがどうでもいいなと自暴自棄であった。
 勿論、嫌われているよりは嫌われていない方がどちらかと言えばいい訳だが、かと言ってどうにかしようと思えず、これからどういった対応をするか結論を出す事も出来ず、食事を飲み込んでいく。
 全く本当に面倒な事になってしまったと、一度掻き消した彼の事を脳裏に浮かべて、その時同時に、昨日の出来事を強く思い出す。
 
『あー、今は内緒』
 
 そう言ってはにかみ、照れた顔で笑った彼の顔や車から守ってくれた事を考えて、ぐしゃぐしゃな胸の内が更にぐしゃぐしゃになっていく。
 
 よりにもよって彼から助けられたという苛立ち。しかし、素直に助けてくれたという感謝。
 大切なものであろう、手に怪我を負わせてしまった負目。
 様々な感情が織り混ざり、僕は箸を止める。
 
 別に、こんな音楽を無くした僕を守らなくて良かったのに。何故彼が僕の手をそんな風に言っているのか、何も分からないけれど音楽を無くした僕の手などにそこまでの価値があるとは思えず、ぼんやりと昨日のことを考えしまう。
 
「…光さん、どうしたの?」
「…え」
「具合でも悪いのかしら」
「…いえ、すみません、…何もありません」
 
 茫然自失していたようで、祖母に言われて我に帰り、急いで食事を再開する。
 何もかもがぐちゃぐちゃで、もう何が何だか取り留めのない心持ちのまま、最後の一口を食べ終えて、ごちそうさまでしたと一言祖母に伝えて、食器をシンクに下げて洗面所へと向かう。
 気持ちを整理させなければ、と思わなくはないけれどそれをしてしまうと、何だか本当に全てが終わってしまうようなそんな気がして、僕は心の内に蓋をして、自分の心の内のぐちゃぐちゃになった絡まり合った糸を解くことなく、見えない場所へと隠し祖父母に学校に行く事を伝えて、憂鬱な気分のまま家を出る。
 
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