蜜柑色の希望

蠍原 蠍

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蜜柑色の彼と色褪せた世界

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日本はいまだ慣れないけれど、通学路は慣れてきて初日いきなり大音量で吠えられ、腰を抜かしそうになった壁の様に聳える生垣を避けて真っ直ぐ歩いてきた細い交差点を右に曲がる。
 そこから程なくすれば、出勤や通学で賑わう人々が行き交う然程大きくない駅の出入り口にたどり着いて、改札機に定期を翳し、人の流れに沿って進むとアメリカより数段綺麗に整備されたホームで電車を待つ。程なくすれば高校がある最寄りの駅に着いて、僕は通学路を進む。
 寝坊までは行かないが、今日は何時もよりも登校が遅いから近辺には同じ制服を着た青藍高校の生徒達が多く通学路を歩いていて、僕は今日も学校生活が始まる事を実感して、少し憂鬱な影を差したが、スクール鞄を抱え直しため息を吐いて高校へ向かう。
 
 その時、前方に予期しなかった蜜柑色の頭髪が周りの生徒達の誰よりも高くに飛び抜けているのを見て、立ち止まる。
 
 芦家だ。そう思って、一瞬彼を視界から遠ざけようと足を止めたけれど、昨日助けてもらった事が脳裏を過り、僕は彼を視界にとらえたまま通学路を歩くことにした。
 挨拶は自分からするような気持ちにはなれなかったけれど、嫌悪感から素知らぬフリをするには余りにも昨日のことが大きくて無視することは出来ず、彼を見つめ歩く。
 
 彼と僕の距離は5メートル程度、彼は賑やかな生徒達に囲まれて歩いていた。
 この数日でよく分かっていた事だが、彼は人望が本当に厚いらしい。彼の周りの人達は、皆彼を見て楽しそうに笑っているようだったし、遠巻きから見る彼は蜜柑色の髪を煌めかせて、周りのみんなに分け隔てなく接して居るのが伝わる。
 
 ふと、彼が横を向いた時に見える横顔は大きな垂れた目が優しげに細められて、明るく周りを照らすような笑顔で、まるでそれは向日葵や太陽を連想させる表情だった。
 彼に人気があるのは、客観視すればすぐに理解することができた。いるだけで気持ちを明るくできるような、そんな人間なのだろうと笑顔を見れば伝わってくる。
 仮にもし、僕が音楽を失う前に出会っていれば、きっと僕は彼に好印象を持っただろう。
 まあ今現在、僕は彼に良い印象は抱いていないけれど、それでも客観的に見て彼は魅力が多い人間なのは理解はできる。
 グローバルな環境で育ってきた僕から見ても、彼は整った容姿をしていたし、その笑顔や表情は単に言えない魅力があるのは面白くは無いけれど、充分に分かっていた。
 
 今ここには居ない、クイーンビーの白石が言う通り彼は人を悪戯に傷つけるような人間では無いのだろう。そんな事を考えながら彼の後ろを静かに歩いて居ると、いきなり足家が彼の周りの人間を置き去りに弾かれたように走り出す。
 
 僕はそれを置き去りにされた彼の友人達と同じように、立ち止まり呆然とその様子を目で追いかけると彼は長い足で颯爽と駆けて、あっという間に遠い場所にある歩道橋に辿り着き、よく見ればそこで荷物を抱えて降りていた老婦に手を差し伸べて、その手をとった老婦はとても嬉しそうに笑っているのが見える。
 それを認めると、芦家の友人達は急いで芦家の方に駆けていくのを僕はただ眺めていた。
 
 僕はそんな眩しい彼の姿に、事実として良い人間だと思ったし素晴らしい行動だと思ったけれど、更に彼に対して薄暗い気持ちが渦巻くことになって、そんな気持ちを抱く僕はとても嫌な人間だと自己嫌悪に苛まれた。
 僕に音楽があれば、彼と対等に話をする事もできたろうし彼の素晴らしさを何の引け目にも感じる事なく、賞賛しただろう。けれど今の僕には何も無い、ただの抜け殻だ。
 人生をかけて積み上げてきたものが何も無い、僕。そんな今の僕には彼は余りにも眩しくて、とても惨めに思えたのだ。

 そう考えて僕は、やはり彼とはもうあまり話したく無いなと結論付ける。
 心はぐちゃぐちゃで纏まりが無かったけれど、彼に関してだけはそう考えることが出来て僕はその事実を、自分だけは肯定するように頷く。
 この数日間の様子では彼は僕にまた話しかけてくるのは明白だった。その為、僕は彼にきちんともう関わらないでほしいと考えて、友人達と笑い合う芦家の後ろを散漫に歩む。
 程なくしえ、着いた学校の門を潜り玄関口を通ると、スニーカーからシューズに履き替えていた芦家が僕に気がついたらしく、僕の方を見てパッと光を差したかのように明るい顔色を更に輝かせた。その様子に、昔アメリカに住んでいた頃、近所で飼われていたゴールデンレトリバーを思い出して僕は少し毒気を抜かれる。
 
「黒瀬っ!おはよう!!」
「…っ、おはよう…」

 屈託のない笑顔で挨拶をされれば、挨拶くらいは返さなければと口から自然に言葉が漏れて、その言葉に芦家は更に笑みを濃くする。
 しかし後ろから次々と来る生徒達に、このままここで話す訳にも行かない為僕はとりあえず、靴を履き替えようと背を丸めて履いていたローファーを脱ぎシューズを掴んで、玄関口から少し離れた校内まで歩いて履こうとした時だった。
 
「昨日は大丈夫だったか?」
「………ッ」
 
 いつのまにか来ていたのか、芦家は僕のすぐ横に居て彼の声が耳のすぐ近くで聞こえて、身体が跳ねる。
 小声で尋ねられた内容にもだが、耳の近くで囁かれた事で頸がゾワリと粟立ち、疼く感覚に顔を上げると、そこにはすぐ近くに芦家の顔があって僕はその近さに彼の男性としての逞しさを感じさせながら整った顔に真剣な表情を浮かべて居るのを、とても近くで目にすることになり、一瞬息が詰まった。
 
「…っ、離れてくれ」
「あ、わりぃ、あんまデケェ声で言わねぇ方が良いかと思って、手、大丈夫か?他の場所も痛めてない?」
「………それは、平気だったよ」
「ならよかった」
 
 心底安堵した様子で、胸を撫で下ろした彼の様子に自分のペースを崩されてしまうのが面白くなかった。
 もう関わりたくない、と思っているのにいつもこうして、彼のペースに持って行かれてしまう。だから今度こそ僕は彼に伝えなければと、また調子を崩される前に彼を見上げると、彼の瞳としっかりと目が合った。
 
「…芦家、話があるんだけど…」
「おぉ、何?」
 
 そのまま伝えてしまおうと、口を開きかけた瞬間、先ほど通学路を歩いていた芦家の友人達が周りにいるのに気がついて、僕は口を閉ざす。このまま伝えるのは僕としては然程構いはしなかったけれど、そのせいでまた揉めるのは好ましくは無かった。
 
「…あの、2人で話したいんだけど、休み時間時間をくれないかな…」
「えっ、マジ?!やった、じゃ、昼飯一緒に食おうぜっ!約束なっ」
「…えっ…、ちょ、ちょっと待ってくれ…!そうじゃなくって…っ!」
「わりぃ!俺ちょっと今から用事!!後でなーっ!」
 
 
 少し、休憩時間に周りに人がいない所で話した方がきちんと伝えられるかと思って言ったのだが、彼は何故か食事の約束をして、足早に教室へと向かい足早に行ってしまい、彼を止めようと差し出した手がそこに取り残されて、僕は静かに手を降ろす。
 そんなつもりでは無かったのに、しかし致し方ない為、昼に伝えれば良いかと思い僕は息を吐くと、ふと周りに居た人達に、怪訝な目を向けられているのに気がついて僕はその視線を静かに受け止めた。
 
「この人だよね?昨日…」
「俺聞いたけど、やばかったよ」
 
 コソコソと話している内容に、昨日の事で僕に対して嫌悪感を抱いてる人達だと悟り、僕はそこから離れようとした。その時その中の1人が、俺が聞いてみると前に出てきて、なぁ、と声をかけられたので足を止めて其方を振り返る。
 
「なぁ、芦家くんに何、話あんの?」
「……君には関係ない」
「…、あのさお前みたいなやつは知らねぇだろうけど、芦家くんって中学の頃から有名で皆良くしてもらって仲良くしてるし、なんていうかさ…別に陰キャでも性格とかいいなら良いんだけどさ…嫌いなんしょ?芦家くんに関わんないでくんない?」
 
 鼻息荒く言った1人の男子生徒に「マジよく言った」とか「本当それだよね」と多分だが同調した言葉が投げかけられた。
 なるほど、彼らからしたら、何故か僕が彼に付き纏っているように見えるらしい。
 ちゃんと見ているのかと言ってやりたくなる洞察力だ。
 そんな彼等。僕は相手にする気力も無くて、その場から立ち去ろうと階段に向かおうとするとそのいく先を遮るように、今度は女子生徒が僕のいく先を阻む。
 
「あんまり調子乗んない方が良いよー?高校デビューかなんかでイキると碌なことになんないよ?」
「…君達の話はよく分からないんだけれど、なんで僕が調子乗っていると思ったんだ?」
「…そういう態度の事言ってんのっ、陰キャの癖に態度悪いし、芦家には嫌いとか言っておいて2人で話そうとするし…、なんかそういうのやめた方が良いって、私ら黒瀬くんの為を思って言ってあげてるんだよ?」
 
 
「…はぁ、そう…何かよくわからないけど、今態度悪いのは君たちの方だろ?それに、確かに僕は芦家が苦手だけど、それが君達に何が関係あるの?」
 
 スラスラと捲し立てると女子生徒は何故かギョッとした表情を浮かべて此方を見ていたが、僕はそれに構う事なくそのまま石のように固まった女子生徒の傍を通って、階段を登ると後ろから「まじうざい」や「性格わる」やら、そんな言葉を背に、僕は教室へと向かう。 
 とりあえず、昼にきちんともう関わるのを芦家にやめるように伝えては話せばこんな風に、絡まれる事も無くなる事だろう。無くなって貰わなければ本当に困る。
 しかし、少しだけ、僕は芦家に同情した。芦家の行動や発言はともかく、友人である彼らの行動は芦家の為といって、彼の品位を傷つけるような事をしている。
 この時僕は彼に対し初めて、彼のような人にも不条理な事があるのだなと少しだけかわいそうに思いながら、僕は教室へと足を踏み締めた。
 
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