蜜柑色の希望

蠍原 蠍

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蜜柑色の彼と色褪せた世界

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吹奏楽にしては少人数の上級生達が集まり輪になって僕と芦家を取り囲んできた時の圧は、様々なコンクールに出場してきた僕からしても強く感じるもので、たじろぐ。
「ちょっと待って」と教師が輪の外で静止している声も聞かず、男女問わず上級生達は僕に興味津々と言わんばかりの様子だ。
 それにまるで入部が決定してしまったかのように、盛り上がりを見せられて僕は焦燥が駆け巡る。
 違う、そんなつもりじゃ無い。少しだけ疑問に思っただけなんだ。僕はもう、音楽なんて。
 
「中学の時は何部?もしかして吹奏楽かな?」
「……ッ、いや、その」
「あ、楽器初心者?全然大丈夫だよっ!楽譜の読み方とか最初から何でも教えるから、心配しないで」
 
 その言葉に、僕は顔が火が吹き出る程熱くなる。
 僕に、楽譜の読み方を教える?僕は物心ついた時にはもう既に、楽器の読み方なんて知っていた僕に?
 激しい激情が身の内を包み、腑が煮え操り返る。
 あんな稚拙な演奏しか出来ないくせに。音を聞けば分かるのだ。別に才能だけの話じゃ無い。圧倒的に練習量が足りていない。楽器を向き合いきっていない。
 演奏する事に縛りが何も無いというだけの彼らに、何故僕が彼にそんな事を言われなければならないのだと、あまりにも悔しかった。
 
「僕は……ッ、吹奏楽部に入りに来たんじゃないっ!」
 
 僕は、興奮を露わに思わず声を荒げる。
 その瞬間、ピアノが鎮座する音楽室は静まり返って、まるで時が止まったかのように沈黙が場を制した。
 突き刺さる視線は、戸惑いときまりの悪さが混じった気まずい物の中、肩を上下にさせてどうにか息を整えようと俯く。
 
「……ほらほら、皆、新入生がびっくりしてるよ、席について」
 
 程なくして、沈黙を裂くようにあの銀縁眼鏡の教師の一声が穏やかに響くと、それに従い波が引くように上級生達は元の配置へと戻っていく。
「何あの一年」や「言い方な」と言った声が微かに耳に捉えたが、そんなものを気にする余裕はなく、僕は音楽室の入り口付近で俯いていると隣の芦家が身じろぐ気配を感じとる。
 
「……黒瀬」
「………………」
 
「続きをするよ。四小説目から、クレッシェンドを使って表現してみよう。サックスはそのまま、フルートは入りの音をちゃんと聞くように……ほら、一年生達も入りなさい、ここに来たという事は見学しに来たんだろう?後ろで聴いていくと良い」
 
「はいっ、お願いしますっ」
 
 元の配置に戻った上級生の前に指揮棒を持った音楽教師が指示を出す中、僕は俯いて身動きを取る事はなかったが、音楽教師の言葉に芦家が答えると、二の腕を掴まれて吹奏楽部の後ろ側へと引きづられる。
 それに反応する事もなくそのまま後ろ側に回り込み、間を置かずに演奏が始まる。
 部活勧誘の時と同じ曲なのが分かったが、知らない旋律に誘われて顔を上げる。サクスフォン特有の華があり艶やかな音色とトランペット特有の勇ましく輝く音色から始まり、程なくしてフルートやパーカッションといった音色が混ざり華々しい旋律が教室内に響き渡るが、その音色は先ほどと同じように、稚拙な印象を拭いきれない。
 しかし、僕はそこよりも上級生達の表情が気になった。
 最初のうちは硬かった表情が演奏しているうちに穏やかなものへと変わっていく。その表情は心の底から音楽を楽しんでいる顔だった。
 
(……羨ましい)
 
 胸の内に、ただ一言その言葉が込み上げて、目を見開く。本当に楽しんで弾いているのが伝わってくるようなそんな表情だった。
 昔は僕も、あんな風に弾けたのに。手さえ動けば、弾けるのに、その感情に気がついた時、僕の胸にはぽっかりと穴が空いて吹き荒ぶかのように、空洞ができたかのようだ。
 僕はその演奏を、聴いて、一筋の涙を流した。
 そして、その事に自分自身に絶望をした。
 音楽で泣いたのは、初めてでは無かった。オーケストラの演奏やピアノの演奏で涙を流した事はあった。その時と全く違う涙を流している事に、僕は自分自身に対してうんざりし許せなかった。
 サクスフォンとトランペットの主旋律が華々しい、その演奏を虚空を見つめてただ静かに見つめる事しか出来なかった。
 
 ◇
 
「少し休憩にしよう」

 演奏の練習を繰り返した後、そう音楽教師が言うと上級生達の緊張の糸が緩まり部屋が雑談で賑わいを見せた。
 そんな様子を薄ぼんやりと眺めていると、目の端で隣の芦家が長い腕と足を伸ばしている所に、女子の上級生数人が集まってきた。
 
「ねぇ、もしかして芦家くんだよねっ?」
「超有名な一年の子じゃん!バスケの時期エースだって噂凄いよ」
「番号交換してーっ!」
 
 そんな女子学生の声に反応して、他の吹奏楽部の人達も集まってきて、今度は芦家の周りに集まる人集りに弾かれて輪から外れる。
 そこでピアノ側にある教壇の前に立ち、指揮棒を布で拭いていた音楽教師が群勢に弾かれた僕を見つけ、手招きをした為少し迷ったが素直に従い、教師の側へ近寄るが何も言わずに音楽教師はただ指揮棒を磨いていた。
 指揮棒を布で扱き、汚れを落とす様子をただ見つめていると反射して白く光った眼鏡の光に目線を誘われ教師の顔を見つめる。
 銀縁眼鏡をかけ、鳶色の髪を外に跳ねさせ前髪を上げ額を晒しているその教師の瞳は、アジア人の中では極めて薄い色であった。
 鼻筋や口元は細く筋が通っていて、品を感じさせるその見た目は音楽院にいた頃にいた似たような先生の面影を見た。
 薄茶色の瞳が数回、瞬きを行った瞼に閉ざされた後に此方を見る。
 
「……会うのは二度目だね」
「……はい」
 
 その言葉に、僕は素直に返事をすると扱いていた指揮棒を教壇に置いて、眼鏡を中指で直した教師が此方を見て、その薄茶色の瞳に僕を写した後に沈黙が訪れ、僕は怪訝に眉を顰める。
 呼んだからには、何か用があるだろうに何故僕を何も言わずに見つめるのか。
 
「あぁ、すまない、自己紹介が遅れた。僕の名前は清水俊一、吹奏楽部の顧問で音楽の教師をしている」
「……はあ」
「君は、黒瀬光君だね?」
 
 その言葉に、何か含みを感じて清水を見つめると彼は静かに僕を一瞥して、その目に潜む熱いナニカに焦がされそうで居心地が悪い。
 その視線から逃れるように目を背ける。
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