幼き改革者、皇孫降臨 〜三歳にして朝廷を震わせる〜

由香

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第7話|朝廷が皇孫を恐れ始める


 朝廷に集う重臣たちは、近頃、同じ夢を見るようになった。

 幼い足音。
 絹擦れの音。
 そして、静かに向けられる――黒い瞳。

 夢から覚めるたび、彼らは同じことを思う。

 ――あの皇孫は、何を見ているのか。

 地方監察の結果が公表されてから、
 朝廷の空気は、決定的に変わった。

 罷免された地方官は十指に余り、
 処分を免れた者でさえ、再調査の対象となった。

 そして何より、人々を震え上がらせたのは――
 そのすべてが、皇孫の「お願い」から始まったという事実だった。

 この日も、朝議は重苦しい沈黙の中で始まった。

「……地方監察の第二陣について、報告いたします」

 声を上げたのは、老臣の一人、呂太傅だった。
 長年、政務を担ってきた人物である。

 だが、その声は、かすかに震えていた。

 景帝は、玉座に座り、その隣に――
 凌曜を座らせていた。

 小さな座布団。
 小さな身体。

 だが、その存在感は、どの重臣よりも重い。

 凌曜は、朝議の内容など理解していないように見えた。
 手元の玉飾りを触り、光を反射させている。

 ――見ていない。

 そう、誰もが思いたがる。

 だが、誰もが知っている。

 見ていないふりをしているだけだと。

「……以上でございます」

 呂太傅が報告を終え、深く頭を下げる。

 景帝はうなずき、淡々と述べた。

「引き続き、監察を続けよ」

 その瞬間だった。

 凌曜が、ふと顔を上げた。

「……ねぇ」

 幼い声。

 それだけで、朝廷が凍りつく。

 景帝が視線を向ける。

「どうした、凌曜」

「さっきのひと」

 凌曜は、呂太傅を見ていた。

「……あし、いたい?」

 場が、完全に止まった。

 呂太傅は、思わず息を呑む。

「な……なぜ、そのような……」

 凌曜は、首を傾げる。

「たってるとき、かお、ぎゅってなってた」

 ただそれだけの理由。

 だが、呂太傅は動揺した。

 ――確かに、持病の脚を庇っていた。

 なぜ、それに気づいた?

 景帝は、凌曜の頭を撫でる。

「よく見ているな」

 それは、褒め言葉だった。

 だが重臣たちは、別の意味で受け取った。

(見ている……細部まで)

 朝議が終わり、重臣たちは足早に退出する。

 廊下では、誰も口を開かなかった。

 ただ、互いの顔色をうかがうだけだ。

「……あの皇孫」

 誰かが、ようやく囁く。

「気づき過ぎる」

「いや……気づく、のではない」

 別の者が、低く言った。

「映すのだ」

 歪みを。
 隠したつもりの、ほころびを。

 それが、最も恐ろしかった。

 一方、凌曜は、朝議の後、景帝と共に部屋へ戻っていた。

「つかれた?」

 凌曜が尋ねる。

「……少しな」

 景帝は苦笑する。

「みんな、へんだった」

 率直な感想だった。

「どう、変だった?」

「……こわいかお」

 景帝は、足を止めた。

「凌曜。人はな、恐れると、正しくなろうとする」

「……ほんと?」

「ああ」

 凌曜は、少し考えた。

「じゃあ……こわくなくなったら?」

 その問いに、景帝は答えなかった。

 答えられなかった。

 その夜。

 ある重臣の屋敷で、密談が行われていた。

「このままでは、危険だ」

「皇帝ではない。皇孫が危険なのだ」

「まだ三歳だぞ……」

「だからこそだ!」

 声が荒れる。

「理解していないから、躊躇がない。悪意なく、核心を突く」

 沈黙。

 そして、誰かが言った。

「……成長すれば、どうなる」

 答えは、誰も口にしなかった。

 翌日。

 凌曜は、乳母と共に回廊を歩いていた。

 すれ違う宦官や女官が、過剰なほど頭を下げる。

「……みんな、さがってく」

 ぽつりと、凌曜が言う。

 乳母は、胸が締め付けられる思いだった。

「殿下は、恐れられておいでなのです」

「……なんで?」

「……お強いから、でしょう」

 凌曜は、立ち止まる。

「……つよい?」

 自分の小さな手を見る。

「ちがう」

 そう、静かに否定した。

「ぼく、みてるだけ」

 その言葉を、誰かが聞いていたら――
 きっと、さらに恐れただろう。

 その夜、景帝は一人、考えていた。

(朝廷は、すでに怯えている)

 そして、それは避けられぬ流れだった。

 ――だが。

(この子自身が、孤立してはならぬ)

 眠る凌曜を見下ろしながら、景帝は誓う。

「……道は、用意する」

 恐れられるだけの存在にしない。
 憎まれるだけの象徴にしない。

 その決意を、凌曜は知らない。

 ただ、静かに眠っている。

 だが、朝廷は知っている。

 もはや、皇孫を“子ども”として扱うことはできないと。

 恐れは、敬意へと変わるか。
 それとも、反逆へと変わるか。

 その分岐点が、
 すぐそこまで迫っていることを。




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