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第5話 王の隣は、譲らない
しおりを挟む宴の夜、狐族の城はいつになく華やいでいた。
回廊には灯りが並び、甘い香と霊気が混じり合う。
各地のあやかし族長たちが集い、ざわめきが絶えない。
紗夜は、用意された装いに身を包み、静かに息を吐いた。
淡い色の着物。
派手すぎず、けれど明らかに“客人”ではない装い。
――王の隣に立つための衣。
「……落ち着かない?」
背後から声がして、紗夜は振り向く。
狐王だった。
いつもより正装に近い装いの彼は、ただ立っているだけで場を支配する気配を放っている。
金色の瞳が、紗夜を一瞥し――ほんの一瞬、細められた。
「……似合っている」
「え……」
思わず聞き返すと、狐王はそれ以上何も言わず、手を差し出した。
「行くぞ」
断る理由はない。
紗夜はその手に、そっと指を重ねた。
――熱い。
ただそれだけで、胸が騒ぐ。
広間に足を踏み入れた瞬間、視線が集中した。
狐族の王。その隣に寄り添う、人間の少女。
ざわめきが、ひとつ低くなる。
「……あれが」
「人間、だな」
「噂の……」
囁きが、耳に届く。
紗夜は背筋を伸ばし、視線を落とした。
だが、その動きに合わせるように、狐王の手が僅かに引き寄せる。
「顔を上げろ」
低い声。
命令ではあるが、不思議と拒む気にはなれなかった。
「俺の隣だ」
それだけで、周囲の視線が一段、静まる。
宴が始まり、酒や料理が振る舞われる。
各族長が順に挨拶に訪れ、狐王と言葉を交わしていく。
「……失礼」
声をかけてきたのは、豹族の族長だった。
「こちらが、人間の……?」
「妻だ」
狐王の即答に、紗夜は小さく目を見開いた。
“契約”という言葉は、出てこなかった。
「ほう……」
族長の視線が、紗夜を値踏みするように動く。
「随分と、柔らかい気配だ。王よ、よく飼い慣らしましたな」
その瞬間。
空気が、凍った。
狐王の耳が、はっきりと逆立つ。
「――言い方に、気をつけろ」
低く、鋭い声。
「彼女は、俺のものだ」
ざわり、と広間が揺れる。
族長は一瞬怯み、それでも笑みを浮かべた。
「これは失礼。しかし、契約妻と聞いて――」
最後まで言わせなかった。
狐王は、紗夜を引き寄せる。
強くない。
けれど、拒否を許さない距離。
腕が、自然に紗夜の腰を囲う。
「契約かどうかは、関係ない」
金色の瞳が、相手を射抜く。
「手を出すな」
それ以上の言葉は不要だった。
族長は、黙って一礼し、退いていく。
――静まり返る広間。
紗夜は、心臓の音がうるさくて、何も考えられなかった。
「……王」
小さく呼ぶと、狐王はようやくこちらを見る。
「怖かったか」
「……少し、だけ」
「なら、離れない」
即答だった。
それから彼は、終始、紗夜を側から離さなかった。
杯を持つ手。立ち上がるときの動き。すべてが、紗夜を囲うように配置されている。
誰かが近づけば、無言で牽制。
視線だけで、退ける。
――これは、契約妻への対応ではない。
紗夜は、はっきりとそう感じていた。
宴の終盤。
疲れが出た紗夜は、少しだけ席を外した。
回廊の端で、夜風に当たっていると――
「一人で出るな」
すぐに、背後から声。
「……すみません」
「謝るな」
狐王は、自然に紗夜の前に立つ。
「俺の視界から消えるな」
その言葉に、胸が痛む。
「……それは、独占です」
思わず、口に出た。
狐王は、一瞬だけ黙り――否定しなかった。
「そうだな」
低く、認める声。
「今夜は、特に」
「どうして……」
問いは、最後まで言えなかった。
狐王の手が、頬に触れる。
親指が、そっと輪郭をなぞる。
「奪われる想像をした」
その声は、驚くほど正直だった。
「……耐えられなかった」
距離が、詰まる。
触れない。
触れないが、呼吸が混じるほど近い。
「俺は」
狐王は、言葉を切った。
そして、額をそっと紗夜の額に合わせる。
「……まだ、言えない」
それでも。
尾が、はっきりと紗夜を囲い込んでいた。
宴の夜。
狐王は、ついに隠すことをやめ始めていた。
――契約妻ではない。
失うなど、考えられない存在だと。
自覚する日は、もう近かった。
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