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第4話 契約の終わりを、数える
しおりを挟むその日から、紗夜は城の中で“奥方”として扱われるようになった。
正式にそう呼ばれたわけではない。
けれど、あやかしたちの態度が明らかに変わったのだ。
道を譲られ、声を潜められ、視線には敬意と――どこか確信めいたものが宿る。
(……違うのに)
紗夜は、そのたびに胸の奥がきゅっと締めつけられるのを感じていた。
自分は契約妻。
期限付きの、仮の存在。
ここに居続ける理由は、最初から決まっている。
――役目が終わるまで。
「紗夜さま、こちらを」
侍女に案内され、向かったのは衣装部屋だった。
並べられた着物は、どれも上質で、狐族の王妃に相応しいものばかり。
「次の宴で、お召しになります」
「……宴?」
「はい。近隣のあやかし族長を招く、重要な場です」
重要。
その言葉に、胸がざわつく。
「私が……出ても、よいのでしょうか」
「もちろんです」
侍女は不思議そうに首をかしげた。
「紗夜さまは、陛下の――」
「契約妻、です」
紗夜は、はっきりと言った。
一瞬、空気が止まる。
「……失礼いたしました」
侍女は何も言わず、深く頭を下げて部屋を出ていった。
紗夜は、その背を見送ってから、そっと息を吐いた。
(勘違いさせてはいけない)
それが、紗夜なりの誠実さだった。
その夜。
狐王は珍しく、執務に追われていた。
――最近、集中力が落ちている。
原因は明白だった。
「……紗夜」
名を呼ぶだけで、鼻腔に残る匂いが蘇る。
あの温度、気配、眠るときの微かな呼吸。
人間など、忌むべき存在だったはずなのに。
「陛下」
気づけば、本人がそこにいた。
「……どうした」
「宴の件で、ご相談が」
狐王は、筆を置いた。
「無理に出る必要はない」
「いえ。契約妻として、必要なら……」
その言葉に、狐王の眉が僅かに動く。
「“契約妻”」
繰り返されるその呼び方が、気に入らなかった。
「……紗夜」
「はい」
「その言い方は、やめろ」
「え……?」
「城の者の前で、わざわざ線を引くな」
紗夜は、一瞬言葉を失った。
「でも……」
「必要ない」
低く、断定的な声。
「ここにいる間は、俺の側にいろ」
“いる間は”。
その言葉が、胸に刺さる。
「……承知しました」
そう答えながら、紗夜は心の中で別の言葉を繰り返していた。
(いる間、だけ)
宴の日が近づくにつれ、城内は慌ただしくなった。
その中で、紗夜はひとつの決意を固めていた。
――宴が終わったら、期限を確認しよう。
いつまで、自分はここにいられるのか。
終わりを知っておかなければ、心が持たない。
夜。
紗夜は、寝所で一人考え込んでいた。
狐王は、最近ほとんど毎晩ここにいる。
何もせず、ただ同じ空間で眠るだけ。
それが、苦しくて、優しかった。
(……離れるなら、今のうち)
そう思った、その時。
背後から、気配。
「……眠れないのか」
狐王だった。
「少し……」
隣に腰を下ろすと、自然に距離が縮まる。
尾が、紗夜の背に触れた。
「宴が、負担か」
「いいえ」
少し迷ってから、紗夜は言った。
「……私は、いつまでここにいられるのでしょう」
狐王の動きが、止まる。
「期限は……」
「決まっていますよね。契約なのですから」
沈黙が落ちた。
狐王は、ゆっくりと息を吐く。
「……紗夜」
「はい」
「おまえは、去りたいのか」
その問いは、予想外だった。
「……去るべきだと、思っています」
正直な答えだった。
「私は人間です。ここは、王の城。……相応しくありません」
「誰が決めた」
即座に返る声。
「……私自身です」
狐王は、何も言わなかった。
ただ、尾の力が僅かに強まる。
「……宴が終わるまでは、考えなくていい」
低い声が、紗夜を包む。
「今は、ここにいろ」
それは、命令にも、願いにも聞こえた。
紗夜は、目を閉じる。
「……はい」
その夜、狐王は眠れなかった。
――去る。
その言葉が、何度も胸を掻きむしる。
契約。期限。理屈。
すべてが、どうでもよくなっていた。
ただひとつ。
「……離せるはずがない」
自覚は、すぐそこまで来ていた。
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