10 / 12
第四章:鬼神と帝
第10話 帝の夢に棲む影
しおりを挟む帝は、眠っていた。
だがそれは、休息ではない。
逃避だった。
*
内廷最奥、誰も近づかぬ寝殿。
玉玲は、玄曜と共にそこへ通された。
香が、重い。
甘く、腐りかけた香。
(……夢の匂い)
玉玲は、はっきりと感じ取った。
「ここから先は」
老宦官が言う。
「帝の“夢”だ」
扉の向こうは、現でありながら、現ではない。
*
一歩、踏み出した瞬間。
景色が、歪んだ。
床は消え、霧の海。
玉座だけが、浮かんでいる。
そこに、帝が座っていた。
人の姿を保っている。
だが、影は――異様だった。
背後に、幾重もの腕と角。
「……やはり、夢に棲みついている」
玉玲が、呟く。
*
『来たか、薬師の娘』
帝の口が動いた。
だが、声は影から響く。
『母と同じ顔だ』
玉玲は、視線を逸らさない。
「……帝は、なぜ鬼になろうとされたのですか」
問いは、直球だった。
影が、嗤う。
『老いが、怖かった』
あまりにも人間的な答え。
『王朝を守るため?違う。朕自身が、朽ちるのが、耐えられなかった』
*
玄曜の気配が、強くなる。
『そこで、鬼神を喰らった』
帝が、続ける。
『だが、完全にはなれなかった』
影が、揺らぐ。
『鬼神の血が、拒んだのだ』
玉玲は、はっとした。
「……玄曜様」
彼が、わずかに頷く。
「俺は……失敗作だ」
*
帝が、笑った。
『鬼神と人の間に生まれた器』
『喰わせるために、育てた』
言葉が、刃のように刺さる。
玉玲の胸が、怒りで震えた。
「……それで、あの方を」
『ああ』
帝は、当然のように言う。
『だが、喰われなかった』
*
玄曜が、一歩前に出る。
「……俺は、道具じゃない」
帝の影が、ざわめく。
『ならば、何だ』
「……俺は」
一瞬、言葉に詰まる。
だが――
「選ばれなかった存在だ」
玉玲は、隣で頷いた。
*
「帝」
玉玲が、声を張る。
「母は、あなたを救えた」
帝の目が、細くなる。
「でも、選ばなかった」
はっきりと、告げる。
「あなたが、誰かを犠牲にする未来を」
*
『ならば、お前は』
帝の声が、低くなる。
『朕を、どうする』
玉玲は、懐から小瓶を取り出した。
鬼血丹――ではない。
「これは、夢醒めの薬です」
「……完成させたのか」
玄曜が、驚く。
「母の手記に、ありました」
玉玲は、静かに言う。
「鬼血丹の“逆”」
*
帝の影が、身構える。
『それを使えば』
「夢から、引き剥がします」
「人に、戻す」
沈黙。
『……代償は』
帝が、低く問う。
「記憶です」
玉玲は、躊躇わなかった。
「鬼に手を伸ばした――その欲を」
帝は、しばらく黙っていた。
やがて、苦笑する。
『王としては、失格だな』
「はい」
玉玲は、肯定した。
「でも、人としては」
一拍、置いて。
「……まだ、間に合います」
*
帝は、玄曜を見る。
『朕を、恨むか』
「……分からない」
玄曜は、正直だった。
「だが」
視線を逸らさずに言う。
「喰わない」
それが、答えだった。
*
玉玲は、薬を差し出した。
帝は、それを受け取る。
躊躇いなく、飲み干した。
次の瞬間。
影が、悲鳴を上げた。
霧が、裂ける。
夢が――壊れる。
*
玉座が、崩れ落ちる。
帝の身体が、倒れる。
だが、影は消えなかった。
宙に浮かび、最後に言う。
『……選ばれぬ世界など』
『弱い』
そして。
玄曜が、一歩踏み出す。
「……それでも」
低く、確かに。
「俺は、選ばない」
影は、彼に喰われた。
*
目を覚ますと、寝殿だった。
帝は、深く眠っている。
ただの――老いた人として。
「……終わった?」
玄曜が、呟く。
「いいえ」
玉玲は、静かに首を振る。
「ここからが、現実です」
外では、すでに――
後宮が、ざわめき始めていた。
0
あなたにおすすめの小説
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
【完結】皇太子の愛人が懐妊した事を、お妃様は結婚式の一週間後に知りました。皇太子様はお妃様を愛するつもりは無いようです。
五月ふう
恋愛
リックストン国皇太子ポール・リックストンの部屋。
「マティア。僕は一生、君を愛するつもりはない。」
今日は結婚式前夜。婚約者のポールの声が部屋に響き渡る。
「そう……。」
マティアは小さく笑みを浮かべ、ゆっくりとソファーに身を預けた。
明日、ポールの花嫁になるはずの彼女の名前はマティア・ドントール。ドントール国第一王女。21歳。
リッカルド国とドントール国の和平のために、マティアはこの国に嫁いできた。ポールとの結婚は政略的なもの。彼らの意志は一切介入していない。
「どんなことがあっても、僕は君を王妃とは認めない。」
ポールはマティアを憎しみを込めた目でマティアを見つめる。美しい黒髪に青い瞳。ドントール国の宝石と評されるマティア。
「私が……ずっと貴方を好きだったと知っても、妻として認めてくれないの……?」
「ちっ……」
ポールは顔をしかめて舌打ちをした。
「……だからどうした。幼いころのくだらない感情に……今更意味はない。」
ポールは険しい顔でマティアを睨みつける。銀色の髪に赤い瞳のポール。マティアにとってポールは大切な初恋の相手。
だが、ポールにはマティアを愛することはできない理由があった。
二人の結婚式が行われた一週間後、マティアは衝撃の事実を知ることになる。
「サラが懐妊したですって‥‥‥!?」
王子を身籠りました
青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。
王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。
再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。
愛する貴方の心から消えた私は…
矢野りと
恋愛
愛する夫が事故に巻き込まれ隣国で行方不明となったのは一年以上前のこと。
周りが諦めの言葉を口にしても、私は決して諦めなかった。
…彼は絶対に生きている。
そう信じて待ち続けていると、願いが天に通じたのか奇跡的に彼は戻って来た。
だが彼は妻である私のことを忘れてしまっていた。
「すまない、君を愛せない」
そう言った彼の目からは私に対する愛情はなくなっていて…。
*設定はゆるいです。
強面夫の裏の顔は妻以外には見せられません!
ましろ
恋愛
「誰がこんなことをしろと言った?」
それは夫のいる騎士団へ差し入れを届けに行った私への彼からの冷たい言葉。
挙げ句の果てに、
「用が済んだなら早く帰れっ!」
と追い返されてしまいました。
そして夜、屋敷に戻って来た夫は───
✻ゆるふわ設定です。
気を付けていますが、誤字脱字などがある為、あとからこっそり修正することがあります。
【完結】仰る通り、貴方の子ではありません
ユユ
恋愛
辛い悪阻と難産を経て産まれたのは
私に似た待望の男児だった。
なのに認められず、
不貞の濡れ衣を着せられ、
追い出されてしまった。
実家からも勘当され
息子と2人で生きていくことにした。
* 作り話です
* 暇つぶしにどうぞ
* 4万文字未満
* 完結保証付き
* 少し大人表現あり
王妃そっちのけの王様は二人目の側室を娶る
家紋武範
恋愛
王妃は自分の人生を憂いていた。国王が王子の時代、彼が六歳、自分は五歳で婚約したものの、顔合わせする度に喧嘩。
しかし王妃はひそかに彼を愛していたのだ。
仲が最悪のまま二人は結婚し、結婚生活が始まるが当然国王は王妃の部屋に来ることはない。
そればかりか国王は側室を持ち、さらに二人目の側室を王宮に迎え入れたのだった。
【書籍化】番の身代わり婚約者を辞めることにしたら、冷酷な龍神王太子の様子がおかしくなりました
降魔 鬼灯
恋愛
コミカライズ化決定しました。
ユリアンナは王太子ルードヴィッヒの婚約者。
幼い頃は仲良しの2人だったのに、最近では全く会話がない。
月一度の砂時計で時間を計られた義務の様なお茶会もルードヴィッヒはこちらを睨みつけるだけで、なんの会話もない。
お茶会が終わったあとに義務的に届く手紙や花束。義務的に届くドレスやアクセサリー。
しまいには「ずっと番と一緒にいたい」なんて言葉も聞いてしまって。
よし分かった、もう無理、婚約破棄しよう!
誤解から婚約破棄を申し出て自制していた番を怒らせ、執着溺愛のブーメランを食らうユリアンナの運命は?
全十話。一日2回更新 完結済
コミカライズ化に伴いタイトルを『憂鬱なお茶会〜殿下、お茶会を止めて番探しをされては?え?義務?彼女は自分が殿下の番であることを知らない。溺愛まであと半年〜』から『番の身代わり婚約者を辞めることにしたら、冷酷な龍神王太子の様子がおかしくなりました』に変更しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる