後宮薬師は名を持たない

由香

文字の大きさ
11 / 13
第四章:鬼神と帝

第11話 後宮炎上

しおりを挟む

 後宮が燃えたのは、火を放たれたからではない。

 真実が、漏れたからだ。



 帝が倒れ、目覚めぬまま床に伏せた翌朝。

 後宮には、奇妙な噂が走った。

――帝は、呪われていた。

――皇子は、あやかしに喰われかけた。

――すべては、薬師の一族の業だ。

 噂は、正確ではない。
 だが、都合がよかった。



「薬師・蘇玉玲を捕らえよ」

 朝議が始まる前に、命は下った。

 理由は単純。

 帝が口を開けぬ今、責任を負わせる“生きた人間”が必要だった。



 玉玲は、薬庫にいた。

 静かだった。

 あまりにも。

「……来ますね」

 背後で、玄曜が息を殺す。

「ああ」

 廊下の先から、足音。

 人の数。
 武具の擦れる音。

 鬼ではない。
 人だ。



 扉が開く。

「蘇玉玲!」

 甲高い声。

「帝に禁薬を盛り、皇子を怪異に晒した罪――」

「違います」

 玉玲は、遮った。

「私は、救いました」

 宦官は、嗤う。

「それを決めるのは、お前ではない」



 玄曜が、一歩前に出る。

 鬼気が、溢れかける。

「下がって下さい」

 玉玲が、低く言った。

「……玉玲」

「あなたが出れば、“怪異の証明”になります」

 玄曜は、歯を噛みしめ、動きを止めた。



 玉玲は、宦官たちを見渡す。

「帝は、生きています」

「だが、眠ったままだ」

「それは――」

 言いかけて、やめた。

(……言っても、聞かれない)

 彼らは、結論を欲している。

 真実ではない。



「捕らえよ!」

 号令。

 その瞬間。

 ――轟音。

 遠くで、何かが崩れた。



 後宮の奥から、黒煙が上がる。

「な、何だ!」

「怪異だ!」

 悲鳴が、連鎖する。

 玉玲は、目を閉じた。

(……来てしまった)



 帝の夢から追い出された“残滓”。

 喰われきらなかった影。

 それは、人の恐怖を餌にして増える。

 後宮は、格好の棲み処だった。



 影が、柱を這う。

 女官が、倒れる。

 宦官たちが、我先にと逃げ出す。

 秩序は、一瞬で崩れた。

「……玄曜様」

「分かっている」

 彼は、もう抑えなかった。



 鬼神が、顕れる。

 炎のような鬼気。

 影は、悲鳴を上げた。

 喰われる。

 消える。

 だが――

「多すぎる」

 玄曜が、低く呟く。

「後宮全体に、広がっている」



 玉玲は、走った。

 人の悲鳴の中を。

 燃える灯。

 倒れる人。

 人が、人を踏み越える光景。

(……これが、炎上)

 怪異よりも、よほど恐ろしい。



 広場に出たとき。

 玉玲は、見た。

 人々が、一人の女官を囲んでいる。

「お前が、帝に薬を運んだ!」

「違います!」

 否定は、届かない。

 恐怖は、理由を欲しない。

「やめて!」

 玉玲が、叫ぶ。

 だが――

 石が、投げられた。



 その瞬間。

 玉玲の中で、何かが切れた。

「――やめなさい」

 声は、小さかった。

 だが。

 空気が、凍った。

 人々が、動きを止める。



 玉玲の瞳が、赤く光る。

 鬼血丹の残滓。

 境界の力。

「……怪異は、私が止めます」

 震えない声。

「でも」

 一歩、前に出る。

「それ以上、人を壊すなら」

 言葉を、選ばない。

「あなたたち自身が、怪異になります」



 沈黙。

 誰も、反論できなかった。

 なぜなら――

 彼女の背後に、鬼神が立っていたから。



 影は、すべて喰われた。

 後宮に、朝が戻る。

 瓦礫と、涙と、沈黙だけを残して。



 玉玲は、広場の中央で、膝をついた。

 身体が、重い。

 人の視線が、突き刺さる。

 恐れ。
 憎しみ。
 そして、わずかな――救われたという安堵。

 それらすべてが、向けられていた。



 老宦官が、前に出る。

「……蘇玉玲」

 声が、震えている。

「そなたは、もはや後宮に置けぬ」

 それは、処罰ではない。

 追放だった。



「分かりました」

 玉玲は、静かに答えた。

 抵抗は、しない。

「帝が目覚めたとき」

 老宦官が、続ける。

「そなたの名は、消される」

「……それで、結構です」



 玉玲は、立ち上がる。

 玄曜を見る。

「……行きましょう」

「ああ」



 後宮の門を出るとき。

 玉玲は、一度だけ振り返った。

 燃え尽きた場所。

 守られるはずだった世界。

(……母さん)

 あなたが守れなかった後宮を、私は――燃やしてしまいました。

 答えは、ない。

 だが。

 空は、静かに晴れていた。




しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

雪嶺後宮と、狼王の花嫁

由香
キャラ文芸
後宮に降る雪は、呪いではなく嘆きだった。 巫女として献上された少女セツナは、 封じられた狼王の“花嫁”としての前世を思い出す。 人と妖、政と信仰の狭間で、 彼女が選ぶのは従属ではなく均衡。 雪嶺を舞台に描く、異種婚姻×後宮伝承譚。

オオカミ様の契約婚約者になりました――兄がやらかしたので、逃げます!――

ととせ
キャラ文芸
神代の時代から、人は守り神と共に生きてきた。人は守り神を信仰し、奉ることで様々な加護を得る。守り神は人々の信仰を糧とし、代わりに富や名声、時には人ならざる能力までも与えてくれた…。 豪商、羽立野(はたての)家の娘三葉(みつば)は、家族から妾の子として蔑まれ使用人と同じ扱いされていた。数年後には父の道具として顔も知らない相手と政略結婚させられるのだ…。そう人生を諦めていた時、兄の明興(ともあき)が公の場で財界の重鎮「蛇頭家(じゃとうけ)」との業務提携を一方的に破棄した挙げ句、蛇頭家の一人娘、江奈(えな)に対して「妾になれ」などというやらかしをてしまう。 呆れ果てた三葉は空気である立場を最大限利用して、羽立野家から逃亡し見知らぬ家で女中として働き始めた。……はずなのに、何故か当主の大神弘城(おおかみ ひろき)から「契約婚」をしないかと持ちかけられて。これから私、どうなるの? 大正時代風のあやかし結婚譚。 カクヨムにも掲載しています。

後宮祓いの巫女は、鬼将軍に嫁ぐことになりました

由香
キャラ文芸
後宮で怪異を祓う下級巫女・紗月は、ある日突然、「鬼」と噂される将軍・玄耀の妻になれと命じられる。 それは愛のない政略結婚―― 人ならざる力を持つ将軍を、巫女の力で制御するための契約だった。 後宮の思惑に翻弄されながらも、二人は「契約」ではなく「選んだ縁」として、共に生きる道を選ぶ――。

【完】出来損ない令嬢は、双子の娘を持つ公爵様と契約結婚する~いつの間にか公爵様と7歳のかわいい双子たちに、めいっぱい溺愛されていました~

夏芽空
恋愛
子爵令嬢のエレナは、常に優秀な妹と比較され家族からひどい扱いを受けてきた。 しかし彼女は7歳の双子の娘を持つ公爵――ジオルトと契約結婚したことで、最低な家族の元を離れることができた。 しかも、条件は最高。公の場で妻を演じる以外は自由に過ごしていい上に、さらには給料までも出してくてれるという。 夢のような生活を手に入れた――と、思ったのもつかの間。 いきなり事件が発生してしまう。 結婚したその翌日に、双子の姉が令嬢教育の教育係をやめさせてしまった。 しかもジオルトは仕事で出かけていて、帰ってくるのはなんと一週間後だ。 (こうなったら、私がなんとかするしかないわ!) 腹をくくったエレナは、おもいきった行動を起こす。 それがきっかけとなり、ちょっと癖のある美少女双子義娘と、彼女たちよりもさらに癖の強いジオルトとの距離が縮まっていくのだった――。

もっと早く、伝えていれば

嶌田あき
キャラ文芸
 記憶から生まれ、1ヶ月で消える運命のあやかし・憶。鎌倉の古い喫茶店「波音堂」で目覚めた彼が最初に出会ったのは、17歳の高校生・夏希だった。  同じ17歳なのに、夏希には18歳の誕生日が来る。憶には来ない。  憶は、大切な人を失った人々を「記憶の渚」へ導き、故人の記憶と対話する手伝いをしている。言えなかった恋の告白、12年越しのさよなら、認知症の夫への思い――4つの「弔い」を通じて、憶は生きること、死ぬこと、記憶することの意味を知っていく。  そして最後、憶は自分の正体を知る。憶は、夏希の母の記憶から生まれたのだと。 「もっと早く、伝えていれば」と後悔する人々に寄り添いながら、憶自身も夏希との限られた時間の中で、大切な気持ちを伝えようとする。  1ヶ月後、憶は静かに光の粒子となって消えていく。でも憶の存在は、夏希の記憶の中で永遠に生き続ける――。

鬼様に生贄として捧げられたはずが、なぜか溺愛花嫁生活を送っています!?

小達出みかん
キャラ文芸
両親を亡くし、叔父一家に冷遇されていた澪子は、ある日鬼に生贄として差し出される。 だが鬼は、澪子に手を出さないばかりか、壊れ物を扱うように大事に接する。美味しいごはんに贅沢な衣装、そして蕩けるような閨事…。真意の分からぬ彼からの溺愛に澪子は困惑するが、それもそのはず、鬼は澪子の命を助けるために、何度もこの時空を繰り返していた――。 『あなたに生きていてほしい、私の愛しい妻よ』 繰り返される『やりなおし』の中で、鬼は澪子を救えるのか? ◇程度にかかわらず、濡れ場と判断したシーンはサブタイトルに※がついています ◇後半からヒーロー視点に切り替わって溺愛のネタバレがはじまります

紅玉楽師は後宮の音を聞く 〜生き残りたい私の脱走計画〜

高里まつり
キャラ文芸
【耳のいい隠れ長公主】✕【したたかな美貌の文官】コンビが挑む後宮の陰謀! 片目が紅い娘・曄琳(イェリン)は訳あって後宮から逃走した妃の娘ーー先帝の血を引く、隠れ長公主。 貧民街で隠れて生活していたのに、ひょんなことから宮廷に舞い戻ってしまった曄琳は、生まれを秘匿し、楽師としてあらゆる音を聞き分けるという特技を活かしながら、宮廷からの脱走を目論んでいた。 しかしある日、後宮で起きた幽鬼騒動の解決に駆り出された先で、運命を狂わされてしまう。 利用できるものは利用します精神の美形の文官・暁明(シャオメイ)と、出生の秘密をなんとか隠して外に出たい曄琳。 二人が後宮での事件を追う中で、母や貴妃の死、過去の出来事が少しずつ絡んで、宮廷の陰謀に巻き込まれていく。契約じみた曄琳と暁明の関係も少しずつ、少しずつ、形を変えていきーー? 曄琳の運命やいかに!

炎華繚乱 ~偽妃は後宮に咲く~

悠井すみれ
キャラ文芸
昊耀国は、天より賜った《力》を持つ者たちが統べる国。後宮である天遊林では名家から選りすぐった姫たちが競い合い、皇子に選ばれるのを待っている。 強い《遠見》の力を持つ朱華は、とある家の姫の身代わりとして天遊林に入る。そしてめでたく第四皇子・炎俊の妃に選ばれるが、皇子は彼女が偽物だと見抜いていた。しかし炎俊は咎めることなく、自身の秘密を打ち明けてきた。「皇子」を名乗って帝位を狙う「彼」は、実は「女」なのだと。 お互いに秘密を握り合う仮初の「夫婦」は、次第に信頼を深めながら陰謀渦巻く後宮を生き抜いていく。 表紙は同人誌表紙メーカーで作成しました。 第6回キャラ文芸大賞応募作品です。

処理中です...