お飾りの王短編集

由香

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『影を纏う王』

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 王宮の玉座は、黄金よりも冷たかった。
 それは輝くために磨かれ続け、誰も腰かける者の温度など一切受け取らない。

 王——レイヴンもまた、冷たく美しいだけの存在だと、国中が知っていた。

 議会が国を動かし、宰相が命令を下し、王はただ儀式で微笑み、祝辞を読み上げる。

「人形王」と囁かれて久しい。

 だがレイヴンは、ただじっと彼らの言葉を受け入れてきた。
 反論も抵抗もせず、己の影のように静かに。

 だからこそ——暗殺者の刃が振り下ろされたその夜、
 レイヴン自身が“死の恐怖”に驚いたのだ。


「動かないで」

 闇を裂くような声が飛んだ瞬間、王の腕を強く引き寄せる影があった。
 次の瞬間、短剣の軌道が逸れ、柱へと弾ける。
 黒衣の青年が、王と暗殺者の間に踏み込んでいた。

 赤い月が差し込む大広間。
 青年の動きは、影が形を持ったかのように速い。

 首筋を掠めた刃の冷たさに、レイヴンは震えた。
 だがそれよりも、青年の腕に抱かれたままの己の鼓動の速さのほうが、はるかに気になった。

 暗殺者を倒した青年は、静かに膝を折る。

「……王よ。ご無事で」

「あなたは……誰だ」

「影番と申します。影よりこの国を守る——そう定められた者」

 青年は深く頭を垂れた。
 名を問うと、「カイル」とだけ答えた。

 王宮の記録に“影番”など存在しない。
 だがその瞳には、王を見つめる者特有の畏怖がなかった。
 ただ、真っ直ぐに——人として王を見ていた。

「あなたはお飾りじゃない。少なくとも、俺だけは……あなたを王だと思っています」

 その言葉は、初めてレイヴンの胸を刺した。
 痛みではなく、熱のほうで。


 それから数日、カイルは王の護衛として常に側にいた。
 議会が反発しようと、宰相が眉をひそめようと、レイヴン自ら「必要だ」と告げたのだ。

 王は夜だけ人間らしさを取り戻す。
 儀式用の仮面のような笑顔を外し、長く伸ばした髪をほどき、誰の目も届かない書斎で、ただ静かに息をしていた。

 その部屋に、カイルが自然に寄り添うようになったのは……いつからだろう。

「王は、眠れぬ夜が多いのですか?」

「今更、夢など見るとは思わなかった。いや……夢、だったのかもわからないが」

「何を、見たのです?」

「……私が、誰にも必要とされない夢だ」

 レイヴンは笑った。
 王は象徴であり、国の“飾り”である。
 愛されているように見えるが、それは“王という機能”への称賛で、レイヴン個人へのものではない。

 そんな夜だった。
 カイルは言った。

「俺は……あなたを必要としていますよ」

 ――その言葉は、あまりにも優しかった。


 しかし、穏やかな夜は長く続かなかった。

 王宮の外で、反逆組織《黎明団》が蜂起したのだ。
 宰相が討伐命令を出したが、王宮の門前には怒号が溢れ返った。

「人形王を廃し、議会を打倒せよ!」

 その声は、レイヴンの胸を抉った。
 “人形”という蔑称は慣れている。
 だが今は違った。

 カイルが、自分を「王だ」と言ってくれたあの日から、胸の奥で眠っていた何かが……目覚めてしまった。

 だがその夜、さらに衝撃が走る。

「……王」

 カイルが、剣を抜いた。
 王に向けて、ではない。
 だが、その表情は張りつめていた。

「俺は《黎明団》の者です」

 世界が、音を失った。

「最初は、あなたに近づくためでした。王位など倒すべき虚構だと、そう教えられて育ちました」

「……私を殺すために?」

「はい。でも……あなたに触れてしまった。人形ではなく、“人”としてのあなたに」

 カイルの声が震えた。

「これでは任務を果たせません。あなたを傷つけられない。……俺は裏切り者です。黎明団にとっても、あなたにとっても」

「あなたは——」

 レイヴンは立ち上がり、彼に歩み寄った。
 きっと今の自分は、王らしくない。
 ただ一人の男として、心の命ずるままに。

「あなたは……私を救った。あの夜からずっと、私は初めて“生きている”気がした。裏切りだとしても……私は、あなたを信じたい」

「王……」

「私の意思で、だ」

 言葉に、カイルの瞳が揺れ崩れた。
 感情を押し殺していた青年が、その瞬間はただの青年になった。

「俺は……あなたを守りたい」

「では——」

 レイヴンは小さく息を吸った。

「私と来てほしい。国をこの手で変えたいのだ。“王の意思”でな」


 二人はその夜、議会の寝静まる時間を狙い、王宮の高塔へと向かった。
 そこは、百年前の王が国家の誓約を刻んだ場所。
 象徴であれど、ここに立つ者こそ“真の王”と認められる。

 外では、反逆軍と王宮兵が火花を散らしている。
 しかし、レイヴンの瞳にはただ一つの影しか映っていなかった。

「カイル」

「はい」

「誓ってくれ。この国がどう変わろうと、私の側にいてくれると」

 炎の明かりを受け、カイルは跪いた。

「俺はこの命すべてを……あなたのために使う」

 その瞬間、塔の鐘が鳴り響いた。
 王宮の門が破られ、反逆軍が突入した合図だ。

「行かねばなりませんね」

「恐ろしいか?」

「いえ……あなたが一緒なら恐ろしくありません」

 微笑み合う暇もなく、扉が破られる音が近づく。

 レイヴンは最後に、彼の手を取った。

「私は、人形ではない。あなたが教えてくれた」

「ええ。あなたは俺の——」

 扉が弾け飛ぶ。
 兵士たちの怒号が迫る。

「——唯一の王だ」


 その夜、王宮は炎に包まれた。
 議会は崩れ、宰相は国外へ逃亡した。
 だが、最も大事なことは一つ。

 ——王は“自らの意思”で玉座を降りたのだ。

 翌朝、国の広場で人々は見た。
 燃える王宮跡地に立つ二つの影を。

 一人はかつての王。
 一人は影を纏う青年。

 どちらが主でどちらが従か、もはや誰にもわからなかった。
 ただ、二人が並んで立っていることだけが確かだった。

 そして新たな時代は、この二人の契りから始まった。

 王ではなく、人として。
 偽りではなく、真実の絆で。




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