魔王城の清掃係ですが、ラスボスに懐かれて世界を磨くことになりました

由香

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第二話 俺以外に笑うな

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 魔王城で働き始めて七日。

 私は重大な事実に気づいた。

 ――魔王様、毎日来ている。

 しかもほぼ同じ時間帯。

 偶然にしては律儀すぎる。

 今日も玉座の間の床を磨いていると、背後の空気が静かに沈む。

 重力が一段階増えたような圧。

「……ミオ」

「はい」

 振り向かなくても分かるようになった自分が怖い。

 魔王は玉座に腰を下ろすと、軽く目を閉じた。

「今日も光っているな」

「ありがとうございます。湿度が低いので乾きがいいんです」

 会話が成立している。

 恐怖の象徴と、床談義。

 世界の均衡は大丈夫だろうか。

「……昨日、遅かったな」

「え?」

「ここへ来るのがだ」

 え。

 監視されている?

「厨房の廊下が水浸しで。対応に時間がかかりまして」

「……誰といた」

「吸血鬼執事のリヒトさんです」

 言った瞬間。

 空気が凍った。

 比喩ではなく、本当に冷気が走る。

 玉座の背後の影が濃くなる。

「なぜだ」

「なぜって、手伝ってくれただけで」

 魔王の赤い瞳が細まる。

 静かだが、確実に機嫌が悪い。

「笑っていたな」

「はい?」

「廊下で」

 見ていたのか。

「水を被ってしまって。リヒトさんが面白い顔をしたので」

「……」

 沈黙。

 怖い。

 私はとりあえずモップを動かす。掃除は心の安定剤だ。

 しばらくして、低い声が落ちた。

「俺の城で」

 ゆっくりと。

「俺以外に、笑うな」

 止まった。

 モップも、思考も。

「……はい?」

「その必要はない」

 真顔である。

 冗談ではない。

「陛下、それは業務上無理があります」

「無理ではない」

「あります」

 即答してしまった。

 魔王はわずかに眉を寄せる。

「なぜだ」

「私は清掃係です。城内の方々と連携します。会話もします。たまに笑います」

「俺の前で笑え」

「独占の方向性が違います」

 言ってから気づく。

 今、私は魔王に“独占”と言った。

 魔王の瞳が揺れる。

「……独占?」

「いえ、違います、忘れてください」

 だが遅い。

 魔王はゆっくりと立ち上がった。

 長身が影を落とす。

「俺は、お前を守っている」

「守っている?」

「人間だと知れれば、お前は処分対象だ」

 空気が現実に戻る。

 そうだ。
 私は人間だ。

 魔王城にいる時点で、奇跡みたいなもの。

「……だから、俺の近くにいろ」

 声は低い。

 命令の形をしているが、どこか違う。

 必死だ。

「陛下」

 私はゆっくりと顔を上げる。

「笑うなと言われるのは、困ります」

「……なぜ」

「笑うのは、生きている証なので」

 自分でも驚くほど、静かな声だった。

 魔王は言葉を失う。

「私は逃げません。でも、閉じません」

 怖い。
 本当は怖い。

 けれど、ここで黙ったら。

 きっとこの人は、もっと孤独になる。

 長い沈黙。

 やがて魔王は、ゆっくりと視線を逸らした。

「……ならば」

「はい」

「俺の前で、一番笑え」

 負けたのか、譲ったのか分からない理屈。

 けれど。

 独占欲が少し、形を変えた。

「努力します」

 そう答えると、魔王は玉座に座り直す。

 どこか不満そうで、どこか安心した顔。

     ◇

 その日の夕刻。

 事件は起きた。

 訓練場で魔族兵が暴走したのだ。

 魔力制御の失敗。

 黒い炎が吹き荒れる。

 私はたまたま近くの廊下を清掃していた。

 熱風。

 悲鳴。

 魔族たちが距離を取る。

「下がれ!」

 竜将軍の怒声。

 だが一人、逃げ遅れた若い兵士がいた。

 炎が迫る。

 考えるより先に、体が動いた。

 私は水桶を掴み、床に叩きつける。

 蒸気が上がる。

 足場が滑る。

 兵士を引きずる。

 その瞬間。

 視界が赤く染まった。

 圧倒的な魔力。

 黒い炎が一瞬で消える。

 振り向くと。

 魔王が立っていた。

 瞳が、怒りで燃えている。

「誰が」

 低い声。

「誰が、ミオを危険に晒した」

 空気が震える。

 暴走していた兵士が震え上がる。

「ち、違います! 制御が」

「黙れ」

 冷酷。

 恐怖の象徴。

 それが本来の姿。

 私は思わず声を出した。

「陛下、怪我はありません」

 全員の視線が私に向く。

 魔王の視線が落ちる。

「……無事か」

「はい。少し熱いだけで」

 魔王は私の腕を掴む。

 熱い。

 いや、彼の手が震えている。

「二度と」

 小さく。

「二度と、俺の前から消えるな」

 命令ではない。

 懇願に近い。

 私は一瞬だけ息を止めた。

 これが、恐怖なのか。

 それとも。

「清掃係なので、明日も来ます」

 精一杯の返事。

 魔王の瞳がわずかに揺れる。

 そして。

「……俺の部屋の前も磨け」

「増えましたね、担当区域」

「俺が許す」

 許可制なのだろうか。

 だが分かる。

 彼は。

 私が危険に晒されたことが、許せなかったのだ。

     ◇

 その夜。

 玉座の間は静かだった。

 魔王は座り、目を閉じている。

 私は少し離れて床を磨く。

「……ミオ」

「はい」

「笑え」

「唐突ですね」

「確認だ」

 何の確認なのか。

 私は少しだけ口角を上げる。

 無理にではなく。

 自然に。

 魔王の肩から、力が抜ける。

「……それでいい」

 ぽつりと呟く。

 恐怖の象徴は、今。

 私の笑顔一つで安堵している。

 重い。

 とても重い。

 けれど。

 不思議と、嫌ではなかった。

 玉座の影が静かに揺れる。

 独占欲はまだ形を持たない。

 けれど確実に、芽を出している。

 私はモップを動かしながら思う。

 この人はきっと。

 奪うことしか知らない王だ。

 けれど今、初めて。

 守るという感情に戸惑っている。

 そして私は。

 その戸惑いを、少しだけ面白いと思っている。

 世界最強の魔王が。

 たった一人の清掃係の笑顔で、安堵する。

 それはたぶん。

 戦争よりもずっと危険な変化だ。

 玉座の間に、今日も静かな夜が降りる。

 そして魔王は目を閉じたまま、呟く。

「……明日も来い」

「清掃係なので」

「そうか」

 満足そうな声。

 恐怖のラスボスは、今日も安眠する。

 私の磨いた床の上で。




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