魔王城の清掃係ですが、ラスボスに懐かれて世界を磨くことになりました

由香

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第三話 勇者の光と魔王の影

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 魔王城に、光が差した。

 物理的に。

 それは朝でも夕でもない、異質な光だった。
 黒曜石の壁を貫くような、鋭く澄んだ白。

 私は中庭の石畳を磨いていた。

「……何これ」

 空気が震える。

 魔族兵が一斉に顔を上げた。

 次の瞬間。

 爆音。

 結界が軋む。

 城全体に緊張が走る。

「勇者だ!!」

 誰かが叫んだ。

 勇者。

 その単語が持つ重さは、この城では災害と同義だ。

 私は反射的に水桶を抱えた。

 なぜ抱えたのかは分からない。
 癖だ。手に何か持っていないと落ち着かない。

 回廊を駆ける足音。

 魔族兵が武器を抜く。

 遠くで爆ぜる魔力。

 光と闇がぶつかる音。

 そして。

「ミオ!」

 低い声が響いた。

 振り向けば、魔王が立っている。

 黒いマントが風に翻る。

 赤い瞳が鋭い。

「ここから動くな」

「え、でも」

「命令だ」

 圧。

 有無を言わせない声。

 だがその視線は、戦場ではなく――私を見ている。

「俺の視界から消えるな」

 それだけ言い残し、魔王は消えた。

 空間が歪む。

 次の瞬間、玉座の間方向から衝撃波。

 戦闘が始まった。

     ◇

 私は廊下の影に身を潜めた。

 逃げるべきだ。
 そう分かっている。

 けれど足が動かない。

 遠くで、澄んだ声が響く。

「魔王! 出てこい!」

 凛としている。
 迷いがない。

 これが勇者。

 私は玉座の間へと続く回廊の角から、そっと様子を窺った。

 そこにいたのは。

 金の髪を持つ青年だった。

 白銀の鎧。
 光の剣。

 彼の周囲だけ、空気が違う。

 闇を拒絶する光。

 そして玉座の前に立つ、黒の王。

「よく来たな、人間」

 魔王の声は冷たい。

「今日こそ終わらせる」

 勇者は一歩踏み出す。

 剣が光を放つ。

 衝突。

 轟音。

 光と闇がぶつかり、床が砕ける。

 私は息を呑んだ。

 これが、世界を揺らす力。

 魔王は圧倒的だ。

 だが勇者も退かない。

 何度も剣を振るい、何度も弾かれ、それでも立ち上がる。

「なぜ戦う」

 魔王が問う。

「守るためだ!」

 即答。

「誰を」

「人を!」

 その言葉に、胸がちくりとした。

 人。

 私は、そちら側だ。

 そのとき。

 勇者の視線が、こちらへ向いた。

 目が合った。

 完全に。

「……人間?」

 呟き。

 まずい。

 勇者が一瞬、動きを止める。

 魔王の瞳が細まった。

「見るな」

 低い声。

 勇者は私を見つめたまま言う。

「君は、捕らえられているのか」

「ち、違います」

 反射的に答えてしまった。

 沈黙。

 玉座の間が、奇妙な空気に包まれる。

「人間が、なぜここにいる」

 勇者の問い。

 魔王の魔力が一段、重くなる。

「俺の城にいる者だ」

「それは答えになっていない」

「答える必要もない」

 空気が軋む。

 私は喉を鳴らした。

「私は清掃係です」

 全員の視線が集まる。

 勇者が目を見開く。

「……清掃?」

「はい。床を磨いています」

 沈黙が長い。

 勇者は困惑した顔で魔王を見る。

 魔王は無表情だ。

「脅されているなら、助ける」

 真っ直ぐな言葉。

 光のようだ。

 眩しい。

 けれど。

「脅されていません」

 私は首を振る。

「ちゃんと給金も出ます」

「給金」

 勇者がまた困る。

 魔王の口元が、わずかに動いた。

「ミオ」

 低く、警告のような声。

「……こちらへ来い」

 私は躊躇う。

 勇者の視線が優しい。

 魔王の視線は強い。

 板挟み。

 胃が痛い。

「君は人間だろう」

 勇者が言う。

「こちらへ」

 一歩、彼が踏み出す。

 同時に、魔王の魔力が暴れた。

 床が震える。

「触れるな」

 静かな声。

 けれど、怒りが滲む。

「彼女の意思を確認するだけだ」

「必要ない」

「ある」

 光と闇が再び衝突しかける。

 私は思わず叫んだ。

「やめてください!」

 音が止まる。

 二人の視線が、私に向く。

「私は、ここで働いています」

 震える声。

「怖いです。でも、逃げていません」

 勇者の瞳が揺れる。

「なぜ」

「床が汚れるからです」

「……は?」

 魔王が、ぴくりと動いた。

「戦うなら外でお願いします。掃除が大変です」

 沈黙。

 数秒。

 勇者が、ふっと息を漏らした。

「……変わった人だ」

「よく言われます」

 魔王がゆっくりと立ち上がる。

「ミオ」

「はい」

「こちらへ」

 命令。

 だがその声は、どこか焦っている。

 私は歩み寄る。

 勇者の横を通る瞬間、彼が小さく言った。

「無理はするな」

 優しい。

 正しい。

 光の言葉。

 だが。

 私は魔王の隣に立つ。

 黒い影の中。

 魔王の指が、私の手首を掴む。

 強く。

 逃がさないように。

「帰れ、勇者」

 低い宣告。

「今日は見逃してやる」

「見逃された覚えはない」

「彼女の前だ」

 空気が、凍る。

 勇者は私を見た。

 そして、ゆっくりと剣を下ろす。

「……また来る」

 光が弾ける。

 次の瞬間、彼の姿は消えた。

     ◇

 静寂。

 壊れた床。

 焦げ跡。

 私は大きく息を吐いた。

「……大掃除ですね」

 魔王がこちらを見る。

 赤い瞳が、わずかに揺れている。

「なぜ、あちらへ行かなかった」

 低い声。

「行きませんよ」

「人間だぞ」

「清掃係です」

 即答。

 魔王の手の力が強まる。

「奪われるかと思った」

 ぽつりと。

 初めて聞く、弱い声。

 私は少しだけ目を見開く。

「陛下」

「俺は奪う側だ」

 自嘲気味に言う。

「だが」

 視線が絡む。

「お前を奪われるのは、嫌だ」

 静かな告白のようなもの。

 自覚は、まだない。

 それでも確実に。

 感情は形を持ち始めている。

 私はゆっくりと言った。

「床が終わるまでは、どこにも行きません」

 魔王が小さく息を吐く。

 そして。

「……俺の隣にいろ」

 それは命令ではなく。

 願いだった。

 壊れた玉座の間で。

 光の残滓と闇の影の中。

 恐怖の象徴は、ただ一人の清掃係の存在に安堵している。

 勇者は去った。

 だが気づいてしまった。

 この城には、人間がいると。

 そして魔王は知った。

 奪われる恐怖を。

 戦争はまだ終わらない。

 けれど。

 恋はもう、後戻りできない場所まで来ている。

 私は壊れた床を見下ろし、ため息をついた。

「……本当に外で戦ってください」

 魔王の口元が、わずかに上がった。

 それはきっと。

 世界で一番、物騒な微笑みだった。




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