魔王城の清掃係ですが、ラスボスに懐かれて世界を磨くことになりました

由香

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第四話 触れるな

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 勇者襲撃から三日。

 魔王城は、妙に静かだった。

 嵐の後の海みたいに、表面だけが凪いでいる。

 私は玉座の間の焦げ跡を磨いていた。

 勇者の光は頑固だ。
 黒曜石の床に薄く白が残る。

「……外で戦ってくださいと言ったのに」

 ぼそりと呟く。

「次はそうする」

 背後から声。

 振り向く前に分かる。

「約束ですよ」

「努力する」

 努力目標なのが不安だ。

 魔王は玉座に座らず、立ったまま私を見ている。

 ここ数日、距離が近い。

 物理的に。

 私が移動すれば、数歩後ろに影がある。

 廊下でも、中庭でも、食堂でも。

 気づけばいる。

「陛下」

「何だ」

「ついてきていますか」

「偶然だ」

 偶然が多い。

 私はため息を飲み込む。

     ◇

 その日の午後。

 問題は突然起きた。

 中庭で清掃をしていると、城門側が騒がしくなった。

 魔族兵がざわつく。

 視線の先に、白い外套。

 勇者。

 単身で来ている。

「……早いですね再訪」

 私は雑巾を握りしめる。

 勇者は武器を抜いていない。

 ただ真っ直ぐ歩いてくる。

「話をしに来た」

 凛とした声。

 周囲の魔族が威嚇するが、彼は止まらない。

「ミオ」

 名を呼ばれ、心臓が跳ねる。

 魔王はまだ来ていない。

「少しだけ話せないか」

 勇者の瞳はまっすぐだ。

「君が本当にここにいたいのか、確認したい」

 優しい。
 正しい。

 光の在り方。

 私は迷う。

 だがその瞬間、空気が沈んだ。

 背筋が冷える。

 魔王が現れた。

 何も言わず、勇者と私の間に立つ。

 黒い壁のように。

「何の用だ」

「彼女と話を」

「必要ない」

「彼女の意思だ」

 勇者が一歩踏み出す。

 距離が縮まる。

 その瞬間。

 魔王の手が、私の肩を掴んだ。

 強い。

 離さない、という力。

「触れるな」

 低い声。

 地の底のように静かで、重い。

「まだ触れていない」

「視線もだ」

 空気が震える。

 魔力が滲む。

 私は慌てて言う。

「ちょ、ちょっと待ってください」

 二人の視線が私に向く。

 板挟み再び。

「勇者様」

「……様はいらない」

「では勇者さん。私はここで働いています。自分で選んでいます」

「強制ではないと?」

「はい」

 勇者の瞳が揺れる。

「だが彼は魔王だ」

「知っています」

「敵だ」

「それも知っています」

 私は深呼吸する。

「それでも、私はここにいます」

 静かな言葉。

 魔王の手の力が、わずかに緩む。

 勇者は黙り込む。

「君がそう言うなら、その意志を尊重する」

 やがて彼は言った。

「だが、君が望むのならいつでも助ける」

 その優しさに、胸が少し痛む。

「帰れ」

 魔王が低く告げる。

 勇者は私を最後に一度だけ見て、踵を返した。

 光が遠ざかる。

     ◇

 静寂が戻る。

 だが空気は張り詰めたままだ。

 魔王は私の肩を掴んだまま。

「……陛下、痛いです」

 はっとしたように手を離す。

 赤い瞳が揺れている。

「奪われるかと思った」

 またそれだ。

「行きませんよ」

「分からない」

「分かります」

 私ははっきり言う。

「私は物ではありません」

 魔王の目が見開かれる。

「奪われる、奪う、ではないです」

 胸の奥が少し熱い。

「私は、自分で立つ場所を決めます」

 沈黙。

 魔王は数秒、何も言わない。

 やがて。

「……ならば」

 ゆっくりと手が伸びる。

 今度は肩ではなく、頬。

 触れる直前で止まる。

「触れていいか」

 王が、許可を求めている。

 世界を滅ぼせる存在が。

 私は一瞬、息を止める。

「……はい」

 指先が、頬に触れる。

 熱い。

 だが優しい。

 恐怖ではなく、震え。

「俺は」

 低い声。

「お前が、俺の隣にいることを望む」

 それは命令ではない。

 選択を求める声。

 私は言う。

「清掃が終わるまでは、います」

「終わらせるな」

「仕事を奪わないでください」

 思わず笑ってしまう。

 小さく。

 自然に。

 その瞬間。

 魔王の瞳が揺れた。

 衝動。

 距離が一瞬で消える。

 頬に触れていた手が、後頭部へ。

 引き寄せられる。

 唇が触れた。

 短い。

 だが確かな接触。

 時間が止まる。

 次の瞬間、離れる。

 魔王の呼吸が乱れている。

「……確認だ」

 何の。

「お前がここにいると」

 赤い瞳が、真っ直ぐに私を見る。

「安心する」

 胸がうるさい。

 私は数秒固まってから、言う。

「次は、事前通告をお願いします」

「……善処する」

 全然反省していない顔。

 だが、どこか戸惑っている。

 自分の感情に。

 独占欲は、形を持った。

 触れるな。

 奪うな。

 だが同時に。

 触れていいか、と問うた。

 それは小さな変化。

 恐怖の王が、初めて許可を求めた瞬間。

 中庭に風が吹く。

 黒いマントが揺れる。

 私は唇に残る熱を誤魔化すように、雑巾を握り直した。

「……本当に外で戦ってくださいね」

 魔王の口元がわずかに上がる。

「次は誰にも見せない」

「何をですか」

「今のは」

 心臓が跳ねる。

 独占欲は、まだ進化するらしい。

 世界最強のラスボスは。

 恋に関してだけ、あまりにも不器用だった。




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