魔王城の清掃係ですが、ラスボスに懐かれて世界を磨くことになりました

由香

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第六話 光は引かない

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 勇者は、また来た。

 今度は結界を破らず、正面から。

 魔王城の門前に、ただ一人で立っていた。

 白い外套が風に揺れる。
 剣は抜かれていない。

 私は城壁近くの回廊を清掃していた。
 異様な静けさに、嫌な予感がする。

「通してほしい」

 勇者の声はよく通る。

「戦いに来たのではない」

 門兵たちが戸惑う。

 やがて重い足音。
 黒い影が降りる。

 魔王。

 高みから見下ろす赤い瞳。

「何の用だ」

「彼女と話がしたい」

 単刀直入。

 私の心臓が嫌な跳ね方をする。

「必要ない」

「ある」

 光と闇が、言葉でぶつかる。

「ミオ」

 勇者が名を呼ぶ。

 魔王の魔力が一瞬で重くなる。

「来るな」

 低い声。

 だが私は、動いた。

「少しだけです」

 魔王の隣に立つ。

 勇者と真正面に向き合う。

 距離は数メートル。

 けれど緊張は刃物みたいに鋭い。

「無理はしていないか」

 勇者は静かに問う。

「していません」

「帰りたくはないか」

 一瞬、胸が詰まる。

 帰る。

 元の世界。

 コンビニの灯り、スマホの通知音、エレベーターの閉まる音。

 懐かしい。

 だが。

「……今は」

 言葉を探す。

「今は、ここが職場です」

 勇者の瞳がわずかに曇る。

「職場、か」

「はい」

 魔王の視線が横から刺さる。

 重い。

「俺は」

 勇者がゆっくりと息を吐く。

「君を助けたいと思った」

「ありがとうございます」

「だが君は、助けを求めていない」

 静かな理解。

 光は押し付けない。

「それでも」

 彼は続ける。

「もし帰る方法があるなら、伝える」

 空気が変わった。

 魔王の魔力が微かに揺れる。

「帰る方法?」

 思わず聞き返す。

「調査している」

 勇者はまっすぐに言う。

「異世界転移の痕跡は残る。辿れる可能性がある」

 鼓動が速くなる。

 帰れる。

 選べる。

 その可能性。

「余計なことをするな」

 魔王の声は低い。

「彼女の意思だ」

「貴様が決めるな」

 空気が軋む。

 私は慌てて言う。

「まだ、何も決めていません」

 二人の視線が集まる。

「聞いただけです」

 本当だ。

 聞いただけ。

 けれど胸の奥で、何かが揺れた。

     ◇

 勇者はそれ以上何も言わず、帰った。

 光が遠ざかる。

 静寂。

 重い。

「帰りたいのか」

 魔王の声は低い。

 怒りではない。

 もっと厄介な感情。

「……分かりません」

 正直に言う。

 魔王の指がわずかに動く。

「俺は」

 言葉を探すように、視線が揺れる。

「帰らせたくない」

 はっきりと。

 隠さない。

 独占欲が、むき出しのまま立っている。

「だが」

 続く言葉が遅い。

「縛ることはしない」

 その一言に、胸が締めつけられる。

 縛れる王が、縛らないと言う。

「陛下」

「何だ」

「帰れると分かったら、考えます」

 逃げではない。

 今の本音。

「今は、考えません」

「なぜだ」

「床が終わっていないので」

 数秒。

 沈黙。

 そして。

 小さく、笑い声。

 魔王が笑った。

 ほんのわずか。

「……世界より床か」

「私の世界は半径数メートルです」

「狭いな」

「十分です」

 魔王の肩から力が抜ける。

「ミオ」

「はい」

「帰る方法が見つかっても」

 赤い瞳が、真っ直ぐに私を見る。

「俺の隣を選べ」

 命令ではない。

 願いでもない。

 選択を迫る声。

「考えます」

「遅い」

「重要案件です」

 魔王は一歩近づく。

 距離がなくなる。

「俺は待たない」

「待ってください」

 即答。

 数秒、見つめ合う。

 そして魔王は、ぽつりと呟く。

「……待つ」

 その一言は、戦争を止める宣言より重い。

     ◇

 夜。

 玉座の間。

 魔王は珍しく、玉座に座らず床に腰を下ろしている。

「冷えますよ」

「お前が磨いた床は温かい」

「嘘です」

 私は隣に座る。

 静かだ。

「帰るな」

 小さな声。

 王ではない。

 一人の男の声。

「まだ決めていません」

「……そうか」

 その沈黙は長い。

 私はそっと言う。

「選ぶのは、私です」

「分かっている」

「でも」

 少しだけ視線を合わせる。

「隣にいたいと思える理由を、増やしてください」

 魔王の瞳が揺れる。

「難題だ」

「国家運営より簡単です」

 小さく笑う。

 魔王はゆっくりと手を伸ばす。

 今度は迷わず、私の手を取る。

「増やす」

 低い誓い。

 帰還の可能性が、物語に影を落とす。

 光は、引かない。

 闇も、手放さない。

 私はその間に立っている。

 選ぶのは私。

 だが。

 この赤い瞳が不安そうに揺れるたび。

 選択肢は、静かに傾いていく。

 玉座の間は、今夜も静かだ。

 戦争は続く。

 勇者は動く。

 帰還の道も探られる。

 それでも。

 魔王は、待つと言った。

 世界を焦がす王が。

 一人の清掃係の答えを。




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